胡蝶の舞姫

友秋

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儀式

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 ポツリポツリと語られた過去。誰を責める事が出来ようか。

『俺たちは、北海道の函館から流れてきたんだ。いわゆる戦災孤児でね。悲惨だった』

 夜、雨戸を閉め灯りを全て消した暗闇の中、怖くて眠れないという万里子を胸に抱き、徹也は少しづつ過去を語ってくれた。

『泣いてばかりだった俺を、必死で守ってくれた兄貴は、食う為に何でもした。盗みもしたし、人を傷付けもした。必死だったんだ』

 ほんの十年ほど前だ。

 貧しくて、でも生きたくて。

 万里子は話を聞くときはいつも徹也の胸に顔を埋めた。

『北海道から出たら何かが変わるって思ったんだ。それで、台風が来る夜に出航した青函連絡船の洞爺丸に、乗り込んだ。チケットは、運よく、嵐が来るからと乗船を止める事にした金持ちの夫婦がくれてね。それは、運がよかったのか、悪かったのかは、今になっても分からない』

 巽と徹也の乗った洞爺丸は、夜の荒れた海で沈没する。

『巽がいなければ、俺は多分死んでた。兄貴の強さは常人じゃない。兄貴には、何かが憑いているのかもしれない。それが、どんなものなのかは、俺にも分からないけど』

 徹也にとって巽は、絶対的な存在だ。

『俺の命は、巽あってのものだから』

 決して、逆らう事は許されないのだ。




「いやっ、やだぁっ」

 無駄と分かっても抗う。両手は掴まれていたが、万里子は泣きながら足をバタつかせ、拒絶の意は懸命に示した。

「バカだな、無駄だって分かってんだろ」

 畳の上に押し倒されたと思ったら、あっという間に服も下着も剥ぎ取られ、裸にされた。暴れる身体は背中が畳で擦れる。

「これは、刻印みたいなもんだ」

 言葉も行為も残忍なのに、顔も声も言動にそぐわない。何故、声が甘いの。目が妖しく捉えるの。愛撫が、あるの。

 万里子は首筋に巽の唇を感じ、カラダを震わせた。

 抱き起こされ、揉まれた乳房が吸われ、突端が舌で転がされ、精神回路の一つが麻痺するのを感じた。

 劇場で手伝いを始めた万里子に一番近しい存在となっていた百合子はショーの合間、よく巽の話をしてくれた。

『巽は、麻薬、っていうのかな。そうね、今流行りのヒロポン? 一度ハメられると、もう逃れられない。中毒性があるのね』

 どこにそんな力があるのか。

「んん、っ、いや、そんな」

 指の這う場所にカラダが敏感に反応した。巽の手を払おうと伸ばした万里子の手が阻まれる。

 こうなる事は薄々感じていた。

『マリー、ごめんね、普通の女の子の人生を歩ませてあげられなくて』

 抱き締めてくれた富夫の言葉が、温かさが身に沁みる。

 富夫は事あるごとに〝その時〟が来てであろう話をしてくれた。覚悟を決められるように育ててくれた。

 トミさん! やっぱり怖い! 怖いよ!

 寝かされ、広げられた脚の間に巽の顔が寄せられた。

「やっ、巽さん、やだぁっ、ああっ」

 粘液が跳ねる音と激しい吸い上げに、万里子は耳を塞ぎ泣きながら首を振る。

 躰が開く。分かる。たくさんの女達を見てきたから。女達が、快楽に躍る姿を見てきたから。

『でもね、嫌なら、嫌だという意思表示はしなさい。最後まで抗う態度は貫きなさい。それが、意地ってもんだよ。体の芯まではアンタの思う通りにはならないんだ、ってしっかり思い知らせてやりなさい。男っていうのは、甘い顔を見せたら直ぐに付け上がるから』

 最後まで抵抗はする。

 あたしは、百合子さんと違う。あなたに屈しない!

 濡れる頰が、長い指で拭われた。大きな手が頰を撫で、髪を梳く。

 妖しく身も心も絡め取るような美しい漆黒の瞳が、笑ったようだった。

「マリー」

 名を呼ぶ声だけで、何故こんなに痺れるの。涙で曇る視界の中に、鮮明に美しすぎる鬼神が映っていた。

「俺から逃げられねぇようにしてやるよ」
「ーーーっ!」

 蜜溢れる口から奥へ。容赦無く熱が貫く。悲鳴は声にならなかった。

 痛みしかない万里子のナカは、長く侵され続けた。

「逃がさねぇから」

 喘ぐ万里子の耳に囁かれた声は、心に絡みつく。



 都電杉並線の鍋屋横丁停留所とは反対方向へ歩くと国鉄の中野駅があった。徹也は登四郎と南口駅前の赤提灯をぶら下げたおでんの屋台で呑んでいた。

「マリちゃんが来てもう二年か」
「ああ、アイツもう十八なんだ」

 店主にお銚子から入れてもらったお酒を呑み、おでんをつつき、呟く。

「そういや、巽とテッちゃんはどんくらいになった?」

 徹也は、ああ、と思い出しながらに答える。

「この秋で六年だな。あっという間だった」
「そうか」

 猪口に口を付けながら登四郎はおでんの鍋を眺める。

「カンちゃん、大根な」
「あ、俺も」
「へい!」

 カンちゃんと呼ばれた中年の人の良さそうな店主は鍋底の大根を掬い出し更に盛った。

「そうだ、まだガキだった巽とテッちゃんを登四郎さんが連れて来たんだ。懐かしいな。へい、お待ち」

 ありがとう、と言いながら大根を受け取った徹也に登四郎が聞く。

「あん時、テッちゃん達を助けてくれた紳士には会えたか」

 徹也は大根を切りながら「いや」と首を振る。

「未だ正体も分からない。見つからないんだ。あんだけの身なりをして札束持って歩く男なんて、そうそういないと思うんだけどな」

 そうか、と登四郎は大根にそのまま食らい付き、あちち、と口から外した。

「けど、巽は目処が立ってるみたいだ」
「ほお?」

 興味津々といった顔をした登四郎に徹也は肩を竦める。

「ダメだよ、俺は今話した通り全く分からない。兄貴はいつだって、どんな企みもギリギリまで話さない。俺にだって、直前まで話してくれない」

 そうだ、あの時だって。

 荒れる海に激しく揺れる船の甲板で、客の荷物を奪って、船から突き落としたあの夜だって、巽は直前まで言わなかった。



 繋がったまま、腰元に跨らせ、巽は万里子の頰をそっと撫でた。

「んん、う」

 奥を持続的に突き続ける硬く太い熱芯に、意識が朦朧とし始めていた。

 荒い呼吸を繰り返す万里子の耳元に巽は囁く。

「いいか、いずれ、お前にはある男に近付いてもらう。それまでにーー」

 強く突き上げられ、果てた万里子の髪にキスをし横たわらせ、巽は立ち上がった。
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