舞姫【前編】

友秋

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対峙

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 高級車販売の営業。保は入社当初、セレブ相手の販売営業など余裕、と高を括っていた。

 金があるのだから、簡単に購入してくれるだろう、と。

 そんな筈はなかった。甘かった。ひと月で完全に打ちのめされた。

 彼等は、上質と認めれば金に糸目はつけないが、他社より劣る、と判断した場合にはビタ一文どころか見向きもしない。

 保のお得意様はだいたいが医者や弁護士、大手企業の重役だった。

 金を持て余すような目の肥えた人種相手の商品のプレゼン、高品質、高性能のアピールなど、それこそ〝釈迦に説法〟に等しい。アクビなどされたら、そこで即ゲームオーバーだ。

 ならば、と保は自分なりの戦法を練った。

 隅々まで完璧に記憶済みの自社全車種の特徴性能データに加え、他社の各類似車種までを全てその頭に叩き込んだ。そこから、他社との違いを徹底的に研究し、それをアピールする戦法に打って出る。

 加えて、自らの話術と笑顔でお客の気持ちを完全に掌握した。その努力が今の保の地位に繋がっている。

 柔和な顔立ちに穏やかな物腰を武器とする保の成せる営業の技だ。これは星児にはないものだった。保には保の、星児には星児の武器がある。昔から互いの利点をよく理解しコンビで物事を成し遂げて来た。

 表の顔を保が担い、裏で暗躍するのが星児。それは特に決めた訳ではなく、幼い頃から寄り添い生きてきた彼等の自己防衛術から派生したものだった。

 暗黙の了解として互いに自己の役割を重々認識し、あうんの呼吸で動いて来た。これからも、この先も。

 保は今、やっと辿り着いた〝標的〟に自分達の存在を知らしめる為に、動く。





「ではこちらにサインを」

 保は目の前に座る夫人、津田由美子に丁寧に契約書を指し示し、恭しくペンを渡した。受け取った由美子は保に微笑み書類のサイン欄を優雅に指差した。

「こちらでよろしいのかしら」

 保は笑みを返す。

「はい」

 サイン、実印押印で商談成立、契約完了。シメて五百万円也。毎度あり。

「なんだー、セリカかー。ママ、僕はカウンタックが良かったんだけどなぁ」

 保と向かい合うソファーで由美子の隣に座る、大学生の末息子がぼやいていた。

「父さんフェラーリじゃん。兄さんはポルシェだし。俺だって好きなの選ばせてくれよ」
「いやだわ、この子ったら。これはママからだから、パパに買ってもらいなさいな」
「そうかぁ……」

 このっバカ親子がぁっ! カウンタックに若葉マーク付けて公道走ってみろ! 殺すぞっっっ!

 保は心の中と正反対の表情を作る。ニッコリ微笑み、慇懃に言った。

「武弘様、免許取得後最初にご購入される車はやはり国産車が一番かと思われます。当販売店はアフターケアも万全な態勢を整えておりますので」

 由美子が満足そうにホホホと笑った。

「これまでたくさんの営業の方いらしたけれど、兵藤さんが一番ですわ。これからもずっと兵藤さんにお任せしたいわ」

「ありがとうございます。ぜひそうさせて頂きたいですね」

 保は笑みを絶やす事なく社交事例を滔々と述べ続け、長時間に及ぶ営業スマイルに顔の筋肉がおかしくなり始めたころで「それでは」と契約書類をまとめファイルに閉じた。

「納車可能日時が決まり次第、追ってご連絡差し上げます」
「よろしくお願いしますわ」

 由美子がそう言うと、息子の武弘は「じゃあ、友達んとこ行ってくる」と席を立つ。

 保も、ではこれで、と口を開いた時だった。

「奥様、旦那様がお帰りになられました」

 家政婦らしい年配の女の声が玄関から聞こえた。保はちょうどソファーから立ち上がっていた。

 郡司、武!

 血が沸騰する。血流が逆流しそうだ。震える拳を強く握り締めていた。

 武者震いか。保は奥歯をギリと噛み締めた。

「主人は今朝早くからゴルフに行っていたんですの。日曜日はいつもそうなんですのよ」
「そうですか」

 あんな大罪をまるで無かった事のようにノウノウと生きている。

 妻と息子。家族との平和な日常。俺達が失ったもの、全てを手にして!

 リビングの扉が開いた。

 記憶の中にいるその男は、背は高かったが、痩せた貧相な男だった。しかし、今そこにいるのは、最後に見たあの日の姿とはあまりにも違う姿だった。

 一企業のトップに立つ、堂々たる風貌。口髭がその威圧感を助長する。大きな変貌を遂げた中で、当時から変わらないところがあった。

 あの夜、真っ暗闇だったのに、ギラギラと不気味に光って見えた目だ。

 ギスギスとした、見るものを射抜き蔑むような鋭い眼光を放つ目が、あの男、郡司武である事を保に教えていた。

 星児が以前話していた言葉が保の脳裏を過った。

『極道なんてのは恐くもなんともねぇ。ヤツらは自分達のしている事が悪行である事に気付きながら、その道を突き進んでるんだからだからよ。
ヤクザよりタチがわりぃのは善人面した権力を持つ輩なんだよ
人の道を踏み外しておきながらそれをも善行と信じて疑わねぇ、確信犯だ』


 そうだ。コイツが、それなんだ、星児。こういうヤツにはどう立ち向かうべきなのか。俺には正直まだ分からない。でも!

 保は感情を押さえ、その男、津田武を見据えていた。

「アナタ、お帰りなさいまし。今ちょうど武弘の車の契約が終わったところですのよ。こちら、担当の兵藤さん」
「ああ、ご苦労」

 短く応えた津田は、興味のなさそうな視線を保に送り軽く頭を下げる。他人を蔑むような目は、以前と変わらないがその掠れたような低い声に保は悪寒を覚えた。

 握る拳に力を込める。ガンガンと頭に響くように脈打つ鼓動を押さえ、平静を必死に装った。口の中がカラカラに渇いていきそうだった。

 家政婦に呼ばれ「失礼しますわね」とリビングから出てゆく由美子に保は頭を下げた。

 静かになったリビングで保はドアの前に立つ津田にスッと歩み寄った。スーツの内ポケットから出した名刺ケースの中の一枚を両手で差し出す。

 対峙する者を威圧するような津田武に気圧される事なく笑顔を見せ保は挨拶をした。

「津田様にいつもお引き立ております販売店営業担当の兵藤保です」

 頭を下げた保の視界に差し出された名刺を掴む津田の手が見えた。次の瞬間、低く静かに言った。

「兵藤清四郎の息子です」

 ゆっくりと頭を上げた保の顔にはもう笑顔はない。

 津田の表情がひきつったように見えた。追い討ちをかけるように保が低く囁く。

「〝あの日〟の生き残りですよ」

 ここでその表情が変われば、保の感情も少しは違うものになったかもしれない。しかし、彼は、微かに口角を上げただけだった。

「あの日、とは何の事かな。分からないね」

 津田はそう言い、侮蔑にも似た表情を浮かべてクククと笑った。

 保は目を閉じた。

 この男に正攻法などあり得ない!

 ならば。

「そうですか、」

 先ほどまでの高ぶる鼓動が嘘のように静まり返り、心は不思議なくらいに凪いでいた。再び目を開いた時、保は津田に不敵な笑みを見せた。

「それはとても残念ですね。でもいつか、必ず思い出させて差し上げますよ」



 そうさ、必ず思い出させてやる。

 俺達がお前を断罪してやるよ。

 俺達の手で。

 お前に鉄槌を下してやるよ!




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