舞姫【前編】

友秋

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海へ2

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「ひゃぁっほぉー――! うみぃいぃー――!」
「みっ、みちるー――!」

 ホテルで荷物を預け砂浜に出た瞬間、保が呼び止めるのも聞かず鉄砲玉のようにみちるは海に向かって走り出した。

 太陽の光を反射しキラキラ光る海面は、白波が打ち寄せる。

 海開き直後の海水浴場は夏の到来を喜ぶ客で賑わっていた。

 砂浜はかなりの混雑だったが、そんな事は気にせず、みちるは波打ち際でキャッキャッとはしゃいでいた。

 白い肌が日差しに映える。水着も、白。フリルが存分に施されたビキニのみちるに周囲の男の視線が集まり始めていた。

「ビーチで遊ぶのに、あんな長ぇパレオは邪魔なだけだろ」

 波打ち際からは少し離れた場所で腕を組んで立つ星児は、みちるの遊ぶ姿を眺め、隣に立つ保に言った。

「俺が着けさせたんだよ」
「ほぉー」

 星児が口角を上げた笑みで保を見た。

「あんな布率の低い水着でビーチに野放しに出来るかっつーの」
「布率……」

 星児がクックックと笑い出す。保はフンとそっぽを向いた。

「姉貴のヤロー、あんなエロいの選びやがって」

 ブツブツと呟くような保の文句は続く。

「上はともかくとして、下に関しては、ありゃぁひも率の方が高ぇぞ」

 ククククと星児が腹を抱えて笑い出した。

「ビキニなんてあんなモンだろ。まぁ、麗子によるとコンセプトは『セクシーでキュートにプリティーでエロく』だそうだ」
「なん――――じゃそりゃっ! そんなコンセプトはいらねーわっ! みちるにはワンピースで充分だ!」
「ワンピースはねぇな……」

 星児は笑い過ぎで涙がにじんだ目元を指で拭う。

「みちるはこれから少しずつ肌を見せる事に慣れていかなけりゃなんねーんだからよ」
「肌を見せる事に……慣れる?」

 サラリと言った星児の言葉に保はすかさず反応し、怪訝な視線を送った。

「星児、お前、まさかみちるを」

 保の厳しい視線を真っ直ぐ受け止める星児は低く静かに答える。

「保、みちるはもうガキじゃねぇんだ。いい加減覚悟を決めたらどうだ。みちるは〝俺達のモノ〟じゃねぇんだよ」

〝みちるは俺達のモノじゃない〟

 この言葉は、幾重にも重なる複雑な意味を孕んでいる。保の奥底にズシンと重く響いたその一言は、太い杭となって彼の中に打ち込まれた。

 そんな事、分かっていた筈なのに。

 いつしか、静かな日々の中で見出だしてしまった〝幸せ〟に、星児との間に存在する大事な〝糧〟が埋もれ始めていたのだ。

 保がサラリーマンという職に着いたのは、あの男に辿り着く為の手立てを多角的に探る為。

 いずれは星児の片腕となってあの世界に染まっていく覚悟は保の中にある。それが星児との約束事だった。

 自分達は、片時も忘れた事はない過去の怨念だけを胸に生きてきたのだから。

 そんな保の荒んでいた心に、みちるは優しさと心が安らぐ幸せとを思い出させてくれた。

 その大事な彼女を星児が何にしようといているのかを、保は今知った。

――ストリッパーだ。

 星児は、みちるをストリッパーにするつもりだ! それだけは、許さない!

 睨み付ける星児の迫力に怯む事なく保が睨み返した時だった。

 フッと視線を外した星児が、ああ、と何かに気付いた。

「やっぱ野放しはダメだな」

 星児の目線の先に、三人の男に囲まれ、オロオロするみちるの姿があった。

 ガタイの良い日焼けした男達の身体の合間から、困惑し、助けを求めているような顔が見え隠れしていた。

「みち……!」

 保が駆け出そうとした時にはもう隣に星児はいなく、悠然と歩き出す彼の背中が見えた。




「ねぇ、キミさー、連れは?」
「良かったら俺達と一緒に遊ばねー?」
「友達がいるなら一緒にさー」

 夢中で打ち寄せる波と遊んでいたみちるは、頭上から聞こえた声に顔を上げた。

「あ、えと……」

 気付けば大柄な男3人に取り囲まれていた。

 茶髪。よく日に焼けた肌。一人は手にビーチボール。いかにもナンパに慣れたニヤけた顔がみちるを見下ろしていた。

「あの、わた、し」

 舌がもつれ上手く言葉にならない。

「アッチにたくさん仲間いるからさぁ、一緒に」

 一人の男がみちるの方へ手を伸ばす。

 やだ! こわいっ!

 目を固く瞑り、身体を強張らせたみちるの腕を誰かが掴んだ。そのままグイッと引っ張られた。

 固くなっていたみちるの身体に肌の感触。頬に感じるのは隆起する筋肉。鼻をくすぐり躰を痺れさせる香り。

 みちるがそっと目を開け見上げると、星児が男達を睨み付けていた。腕が、優しくみちるの肩を抱いていた。

「コイツのオトモダチでーす。俺も一緒にアソんでくれっかなー?」

 男達が、黙る。

 鋭い眼光に右上腕全体にはドラゴンのタトゥーが彫られている威圧感たっぷりの雰囲気を纏う星児の姿は、軟派な男達から見れば極力関わりたくはない筋の人間だったのだろう。

「んだよ、連れがいんならそう言えよな」

 一人が言い、彼等はそそくさと去って行った。

 星児の胸に密着するみちるの耳に声が直接響き、脳まで痺れてしまいそうだった。

 全身で星児の肌を感じている。

 その事実に、みちるの頭は真っ白になる寸前だった。

 一連の様子を見て、保はふぅ、とため息をつく。

 蛇に睨まれた何とかってヤツ。星児なんかに睨まれたら大概の男はビビるよな。

 彼等にしてみれば、星児とみちるの後ろに現れた相当に機嫌の悪い仏頂面をした長身の男も充分に効果はあったのだが。

「大丈夫か、みちる」

 星児が、腕の中で身を萎めるように小さくなっていたみちるに優しく声を掛けた。みちるは紅く染まっているかもしれない頬を何とか隠そうと両手をあてがう。

「はい……」

 絞り出すような返事をし、壊れてしまいそうな勢いで脈打つ鼓動と闘う。

 肌が、今、露になっている自分の肌が、星児の肌と触れ合っている、という事実に改めてみちるの胸が落ち着かなくなる。

 スパイシーな香りが、躰に微弱な電流を流す。低く甘やかな声が、躰を痺れさせる。この触れる肌が、意識をとろけさせてしまう。

 目を閉じ、息を吸って、吐く。ほんの少しの名残惜しさと共に、みちるは星児の胸に手を突きそっと離れた。

「星児さん、ありがとう、ございます」

 優しく微笑む星児の顔に、締め付けられる胸の痛みがみちるを襲う。星児の腕の中で見せた、みちるの何とも言えない表情に、保もまた微かな胸の痛みを隠していた。

 決して口に出来ない、自覚すらしてはいけない感情と想いがそこに交錯する。

 みちるの想いを慮る事で痛む胸と、嫉妬。生まれて始めて保の中に芽生えた感情だった。

 一番、近しい大事な存在である筈なのにな。

 保は、気付かれないよう小さくため息をついた後、みちるの顔を覗き込みながら頭を優しく撫でた。

「お嬢、もう1人歩きは禁止です」
「えぇっ!?」

 冗談ぽく言う保にみちるは顔を上げながら少し大袈裟なまでに声を上げた。保がアハハと笑っていると、突然星児が動いた。

「きゃあっ!?」

 いきなり横抱きに抱えられたみちるが悲鳴を上げた。

「おっしゃあ! いくぞー!」
「せっ、せいじぃ~~!?」
「ひゃあぁあぁ――!」

 みちるを抱えたまま、星児が海に向かって走り出す。慌てて保がそれを追った。

「きゃあぁあぁああ――!」

 ドブン……ッ!

 一瞬宙に浮いたみちるの高らかな悲鳴と共に、ド派手な水しぶきが上がった。

「せっせいじさんっひど……」

 海の中から顔を出し文句を言い掛けたみちるに背後から、ザブンと波が被さってきた。

「みちる――!」

 波をかき分け、保が駆け寄り彼女を引っ張り上げる。

「もおぉ――!」

 手で顔を拭うみちるは、口では文句を言うも、楽しそうに笑っている。保もそんなみちるを見、満足そうに微笑んだ。

「よっしゃあ、もういっかいだ!」

 再び襲いかかろうとした星児に、みちるは「きゃあ」と保の後ろに隠れる。

「だからっ! 星児は激し過ぎんだよっ」

 保がみちるを背後に隠しながら声を上げた。星児はアハハと笑いながら言う。

「今日は、思いっっきりあそぶぞ――――!」
「は――――い!」

 両手を上げ跳ねるように飛び上がったみちるの周りで、水しぶきがキラキラと輝く。保は、それを眩しそうに見ていた。

†††
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