mammy【完結】

友秋

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 お義母さんの事は嫌いじゃない、と思う。ううん、まだ好きも嫌いも判断できない。ただ、まだ素直に受け入れられないでいるのだと思う。

 だって、あまりにも完璧な女性なんだもの。

 お義母さんが選んだ結婚式の式場は、わたしの趣味ど真ん中を突く素晴らしい式場だった。衣装だってそう。好きで選ぶものが似合うとは限らない。お義母さんがチョイスしたドレスは、自分の好みで選び出したものよりも遥かにわたしに似合うものだった。

 お義母さんは、わたしを一番綺麗に見せてくれる色とデザインをちゃんと知っていた。

 敵わないって思った。これで、ものすごく意地悪で根性の曲がったお義母さんだったら、迷わず、存分に嫌いになれるのに。

 どうしたらいいのか、分からなくなっていたの。

 愛する貴史は未だお義母さんのもののような気がして。貴史は、あの素敵過ぎるお義母さんの方がまだ大事なような気がして。

 母の言葉がわたしの中に蘇った。

『――母と子という普遍の関係に真っ向から勝負を仕掛けてどうするの』

「割り切らないと、いけないのね」

 無意識に呟くわたしに、彼はクスッと笑った。

「男はみんな、母親が大好きなんですよ。これは仕方のない事です」

 まるで身内にかけてくれるような優しい声に、私の心がフワリと緩んだ。

「あなたに言われると、不思議ね、そっか、仕方ないのか、なんて納得させられちゃう」

 諦めたような気持になって肩を竦めたわたしに彼はフワッと微笑みかけた。

「そのうち、あなたも彼のお母さんの気持ち、分かりますから」
「え?」

 どういう、意味?

 意味ありげな言葉の真意を聞こうと、彼を食い入るように見つめた。けれど彼はごまかすようにアハハと笑った。

「僕も、mommyが大好きだから、って言ったんです」

 唐突に、まさかのマザコン宣言が飛び出した。

「えー、突然のマザコン宣言?」
「そうです、僕も立派なマザコンです」

 時折大人みたいな事を言ってわたしを諭す少年は、笑うとやっぱり10代の少年。なんだかその笑顔にごまかされちゃう。

 男の子の口から「mommy大好き」なんて言葉。平素ならドン引きさせるに余りある破壊力を持つ言葉だ。でも何故か、この子の口から聞いた〝mommy〟にはドン引きどころか嫌な気持ちにすらならなかった。

 ニコニコ顔の彼を見ているうちに、不意に自分が「大好き」だなんて言われたような錯覚を覚えた。

 恥ずかし過ぎる錯覚だわ。自意識過剰もいいとこ。内心でバカバカと頭を叩いた。

 そんな心の内を押し隠してわたしは言った。

「ありがとう、キミのお陰で胸の中にあったわだかまりが一つ和らいだ気がする」
「それは良かった! じゃあ、彼と仲直りできる?」

 早急ね。苦笑いしてしまう。

「それは分からない。何とも言えないわ。だって、彼の気持ちもあることだし」

 わたし、あんな事を言って貴史を怒らせてしまったから。もしかしたら、貴史の方から離れていってしまう可能性だってあるじゃない?

 貴史の方から、なんて考えたら急に胸が苦しくなった。

「彼に、サヨナラされるかも、しれないじゃない」

 声が震えてしまっていた。喉の奥が締め付けられたように痛くなった。曇りそうな視界をごまかす為に目を伏せた。膝の上で拳を握り締める。

 貴史、貴史に会いたい。謝りたい。

「大丈夫ですって。あなたの気持ち次第だったから。彼が、あなたから離れていくことは絶対にないですから」

 わたしはハッと顔を上げた。少年の、満面の笑みがそこにあった。

「どうしてそんな事が分かるの?」
「さあ、どうしてかな」

 少年は肩を竦めてはぐらかす。

 わたし達の間に流れる空気は、他人のものじゃない気がする。〝何〟とハッキリとは表現できないけれど、形にはならない、でも大事な空気。

 時空間を流れる時流? 何故かふとそんな事がわたしの脳裏に浮かんだ。今、ここにいるこの時間は、時流という時を司る本流がどこかで分かれ、支流となって違う流れを作った今なのかもしれない。

 そんなSFチックな、ファンタジーな現象が起こるわけない。でもそうでもしないと、今わたしの前にいるこの少年の正体の説明がつかない気がしてきた。。

「君の名前、聞いてなかったね。今更だけど、教えてくれる?」

 彼はゆっくりと頷き、言った。

「ナオシっていうんだ」
「なおし? どんな字を書くの?」

 コーヒーのカップを少しだけ脇に寄せた彼は、テーブルに指で書き始めた。

「名前の〝名〟に〝桜〟で〝ナオ〟。それで――」
「〝シ〟は歴史の〝史〟?」

 わたしは自然と彼の言葉を継いでいた。

「ご名答!」

 嬉しそうに手を叩く少年に、ハッキリと貴史の面影を見た。わたしは思わず目を細めた。

「名桜史、か。ちょっと変わった名前ね」

 彼は、うん、頷きながらも満足そうな表情を浮かべてコーヒーカップを見つめていた。

「mommyが付けてくれた名前らしいんです。僕は好きなんですよ、この名前。産まれ月ももちろん春だから」
「そう、なの」

 わたしの胸が、キュンと痛んだ。

 お母さんの付けた名前が好きだ、と堂々と言えるこの少年が、愛おしい。抱きしめて、頭撫でてあげたくなる。

 そんな事、出来ないけどね。

 ビルの合間を吹き抜けた夜風がわたしの周りを通っていった。風に当たって身体が急に肌寒さを思い出した。そうだ、わたし、コートを忘れていたんだっけ。

 両の手を交差して腕をさすったわたしを見たナオシ君はスッと立ち上がり、自分の着ていたブルゾンを脱いで肩に掛けてくれた。驚いて見上げると、ちょっとはにかむような笑みがあった。ナオシ君は、胸に深く優しく浸み入るような声で続けた。

「あなたはこれから婚約者さんに会って、ちゃんと話し合って仲直りしてください。そうしないと、僕が困るんです」

〝僕が、困る〟?

 風が、どこかの樹が散らせた桜の花びらを乗せ、一陣の風となってわたし達を巻き込み、吹き上げた。桜色に染まったように見えた風は眩暈を誘った。

〝あなたはまさか〟。

 聞きたかった言葉は、治らない眩暈に加え、ろれつが回らなくなって上手く出て来なかった。

 次第に足元が頼りなくなり、身体が浮く感じを覚えたわたしは反射的に何かに掴まろうと手を伸ばした。その手を、ナオシ君が握ってくれた。

 優しく、強く握る手は、わたしの心を安堵で包む。

 ときめきをもたらす感触じゃない。この手は、絶対に裏切らない、かけがえのない存在の手。

 普遍の愛をもたらす相手の手だ。

 耳から、心地よく響く声が聞こえた。

「会えて良かった。楽しかった。暫しのお別れです」
「そうね」

 そう、暫しのお別れ。

「その声、貴史にそっくりね」

 クスッという笑い声が心をくすぐった。

「とりあえずはお別れだけど、また、会えます。そう遠くない未来に、必ず。だから、茉実さん、彼氏と幸せになってください」

 ナオシ君は、まだ教えていなかったわたしの名前をしっかりと呼んだ。

 やっぱり、とわたしは目を閉じた。

 感情が溢れて零れて言いたい言葉が声にならない。でも、わたし達の間に今は余計な言葉なんていらないのかもしれない。

「必ず、会えるわね」
「はい、必ず」






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