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「あ、保ー?」
「なんだよ、姉貴。俺に電話なんて珍しいじゃねーかよ」
事務所で帰る支度を始めていた保は携帯を顔と肩で挟みながら通話する。
「星児の携帯繋がらないんだもの。仕方ないからアンタに電話したわ」
「……切るぞ」
「待って! 冗談よ! 今ね、みちるちゃんにあの彼氏が迎えに来てね」
保は帰り支度の手を休めて電話を構え直した。
「今日は出掛けるとか聞いてねーぞ」
「確かに今日はデートの予定はなかったみたいね。みちるちゃん、お迎えに驚いてた……って、それはいいのよ」
どれがどういいのか分からない、と保は率直に思う。と同時に、今からいそいそと帰ったところで、家にみちるはいないのかよ、と、帰り支度を完全に放棄し、デスクの椅子に身を投げ出した。
「で?」
保は背もたれに思い切り寄りかかり、のけ反りながら麗子に話しの続きを促した。
「今すぐ知らせなきゃ、と思って電話したんだから。みちるちゃんの彼氏の事よ!」
ゆらゆらと身体を動かしていた保がピタッと止まり、のけ反っていた体勢を元に戻した。
「みちるの、彼氏?」
そういや、と保の思考が動き出した。
星児に調べとけ、って言われてまだだった。
「私、今日直接その彼に挨拶したの」
麗子の言葉が、そこで詰まった。保は、通話口の向こうで麗子が深呼吸をしたように感じた。
「姉貴?」
保に声をかけられ、麗子がゆっくりと話し出した。
「保、心して聞いて。彼は、津田武明、と名乗ったわ。踊り子達の中に、あの津田グループの御曹司かもよって言う子がいるの」
保の中でバラバラだったパズルのピースの一部がピタリと嵌まる場所を見つけて収まった。
「そう思いたくはないけれど、まさか、津田武の息子?」
〝運命の神様〟というのがいたら、それはもはや悪魔なんじゃないかと思った瞬間だった。
†††
「劇場の看板ネオンが消えていたから会えないかと思ったんだ」
「今日はリハーサル日だったの。明日からまた、新しい舞台なの」
そっか、とベッドの中で武明はみちるを抱き締めた。
小さく開いた窓から、秋の冷気を含んだ潮風が流れ込んだ。
微かに震えたみちるの肌が冷たく感じ、武明が優しく問いかける。
「寒い?」
「ううん」
滑らかなこの白い肌に触れて、武明は思う。
母が言ったような汚い仕事だ、とは思わない。でも、長く続けて欲しくは、ない。
武明はみちるの首筋に唇を寄せた。
「んん……」
過敏に震える愛しい躰を、再び抱き締めようとした時、武明の目にキラリと光るものが飛び込んだ。
みちるが常に身につけているペンダント。シャワーを浴びる時も、外していなかった。
武明の脳裏に、父の言葉が蘇る。
『必ず、肌身離さず身につけているものがある筈だ』
ゾクリと、悪寒に近いものが背中を貫いた。
「武明?」
愛撫の手を止めた武明に、みちるが不安そうに声を掛けた。
「ああごめん、みちる。ちょっと聞いてもいいかな」
「うん?」
武明は、そっとみちるの胸元で光るペンダントを手に取った。
「これ、いつも身につけてるね」
みちるは、武明の大きくしなやかな手の中でキラリと光った天使と翼のリングを見た。
僅かな動揺を見せたように感じた。
気のせいか、と思いながら武明はみちるの言葉を待った。
「これはね、母の形見なの」
「そうだ、みちるはお母さん亡くなった、って言ってたね」
小さく頷くみちるに、武明はもう一つ踏み込む勇気を出す。
『私の敵である男のーー』
リフレインする父の言葉。武明は必死に平静を装いみちるに聞いた。
「みちる、お父さんは?」
武明を見上げるみちるは少し寂しそうに答えた。
「お父さんも亡くなってるの。お母さんと一緒に、事故で」
「事故?」
「うん、私が9歳の時に」
みちるが、自らの口からあの日の記憶を語るのは初めてだった。
星児や保にすら話した事のない記憶を、みちるは武明に話したのだ。
「大雨がふった真夜中だったのに、お父さんとお母さん、寝ている私を置いて車で出掛けたの。それで……車ごと湖に落ちたの――」
事故から12年。長い月日が経っても、傷は癒えてなかった。
みちるの中で風化し始めているように思えた辛い記憶も苦しい感覚も、口にした事で、再び息を吹き替えしたかのように脈動を始めていた。
武明を見上げる瞳に、涙がこぼれる。けれど抱き締めて欲しかった武明は、表情に色を失い、宙を見つめていた。
みちるの話を聞き終えた武明の中では、雷鳴轟く豪雨の夜の記憶がフラッシュバックのように蘇っていた。
『そうか、娘はいい。どうせ何も出来まい。いいか、その2人は車に乗せたまま湖の中に沈めとけ』
証拠も根拠も何もないが、どちらも12年前の雨の夜だ。
父の敵という男。生き残った一人娘。
武明の思考は電光石火の如く駆け巡り、一つの結論を出した。
あの日恐らく、父はみちるの両親を殺した。
ゆっくりと身を起こした武明は、両手で顔を覆った。
「武明……?」
押し潰されそうな不安を必死にしまい込んだみちるは、涙を拭いながら起き上がり武明に寄り添う。武明は、小さく呟いた。
「ごめん、ごめんみちる。君とはもう――会えない」
†††
明るすぎない外灯がぼんやりと灯る日本庭園は薄暗がりの中に独特な情緒を醸し出していた。
鹿威しに流れる水は月明かりを反射し、硬く乾いた音色が静寂の空間に響く。
外の空気を吸う、と庭に出た星児は喫煙所で煙草を吹かす。揺れ立ち上る煙の向こうの静かな庭園がくすんで見えた。
どうにもならない想いに、胸が潰されそうだった。
これまで、どんな事にもどんな場面にも動じた事などなかった。
「はっは……」
乾いた笑いが星児の口から漏れる。周囲には誰も居らず、静かな空間にその声が響いて消えた。
煙草指に挟んだままの星児の頬に涙が伝う。
「どこで、間違っちまったんだろうな」
星児はうつ向くと、クククと笑い出した。
肩を震わせていた身体が、暫くしてピタと止まる。顔を上げた時には、星児らしい不敵な表情に戻っていた。
「よし」
ほとんど吸わなかった煙草を灰皿に押し付け、中へ戻って行った。
「なんだよ、姉貴。俺に電話なんて珍しいじゃねーかよ」
事務所で帰る支度を始めていた保は携帯を顔と肩で挟みながら通話する。
「星児の携帯繋がらないんだもの。仕方ないからアンタに電話したわ」
「……切るぞ」
「待って! 冗談よ! 今ね、みちるちゃんにあの彼氏が迎えに来てね」
保は帰り支度の手を休めて電話を構え直した。
「今日は出掛けるとか聞いてねーぞ」
「確かに今日はデートの予定はなかったみたいね。みちるちゃん、お迎えに驚いてた……って、それはいいのよ」
どれがどういいのか分からない、と保は率直に思う。と同時に、今からいそいそと帰ったところで、家にみちるはいないのかよ、と、帰り支度を完全に放棄し、デスクの椅子に身を投げ出した。
「で?」
保は背もたれに思い切り寄りかかり、のけ反りながら麗子に話しの続きを促した。
「今すぐ知らせなきゃ、と思って電話したんだから。みちるちゃんの彼氏の事よ!」
ゆらゆらと身体を動かしていた保がピタッと止まり、のけ反っていた体勢を元に戻した。
「みちるの、彼氏?」
そういや、と保の思考が動き出した。
星児に調べとけ、って言われてまだだった。
「私、今日直接その彼に挨拶したの」
麗子の言葉が、そこで詰まった。保は、通話口の向こうで麗子が深呼吸をしたように感じた。
「姉貴?」
保に声をかけられ、麗子がゆっくりと話し出した。
「保、心して聞いて。彼は、津田武明、と名乗ったわ。踊り子達の中に、あの津田グループの御曹司かもよって言う子がいるの」
保の中でバラバラだったパズルのピースの一部がピタリと嵌まる場所を見つけて収まった。
「そう思いたくはないけれど、まさか、津田武の息子?」
〝運命の神様〟というのがいたら、それはもはや悪魔なんじゃないかと思った瞬間だった。
†††
「劇場の看板ネオンが消えていたから会えないかと思ったんだ」
「今日はリハーサル日だったの。明日からまた、新しい舞台なの」
そっか、とベッドの中で武明はみちるを抱き締めた。
小さく開いた窓から、秋の冷気を含んだ潮風が流れ込んだ。
微かに震えたみちるの肌が冷たく感じ、武明が優しく問いかける。
「寒い?」
「ううん」
滑らかなこの白い肌に触れて、武明は思う。
母が言ったような汚い仕事だ、とは思わない。でも、長く続けて欲しくは、ない。
武明はみちるの首筋に唇を寄せた。
「んん……」
過敏に震える愛しい躰を、再び抱き締めようとした時、武明の目にキラリと光るものが飛び込んだ。
みちるが常に身につけているペンダント。シャワーを浴びる時も、外していなかった。
武明の脳裏に、父の言葉が蘇る。
『必ず、肌身離さず身につけているものがある筈だ』
ゾクリと、悪寒に近いものが背中を貫いた。
「武明?」
愛撫の手を止めた武明に、みちるが不安そうに声を掛けた。
「ああごめん、みちる。ちょっと聞いてもいいかな」
「うん?」
武明は、そっとみちるの胸元で光るペンダントを手に取った。
「これ、いつも身につけてるね」
みちるは、武明の大きくしなやかな手の中でキラリと光った天使と翼のリングを見た。
僅かな動揺を見せたように感じた。
気のせいか、と思いながら武明はみちるの言葉を待った。
「これはね、母の形見なの」
「そうだ、みちるはお母さん亡くなった、って言ってたね」
小さく頷くみちるに、武明はもう一つ踏み込む勇気を出す。
『私の敵である男のーー』
リフレインする父の言葉。武明は必死に平静を装いみちるに聞いた。
「みちる、お父さんは?」
武明を見上げるみちるは少し寂しそうに答えた。
「お父さんも亡くなってるの。お母さんと一緒に、事故で」
「事故?」
「うん、私が9歳の時に」
みちるが、自らの口からあの日の記憶を語るのは初めてだった。
星児や保にすら話した事のない記憶を、みちるは武明に話したのだ。
「大雨がふった真夜中だったのに、お父さんとお母さん、寝ている私を置いて車で出掛けたの。それで……車ごと湖に落ちたの――」
事故から12年。長い月日が経っても、傷は癒えてなかった。
みちるの中で風化し始めているように思えた辛い記憶も苦しい感覚も、口にした事で、再び息を吹き替えしたかのように脈動を始めていた。
武明を見上げる瞳に、涙がこぼれる。けれど抱き締めて欲しかった武明は、表情に色を失い、宙を見つめていた。
みちるの話を聞き終えた武明の中では、雷鳴轟く豪雨の夜の記憶がフラッシュバックのように蘇っていた。
『そうか、娘はいい。どうせ何も出来まい。いいか、その2人は車に乗せたまま湖の中に沈めとけ』
証拠も根拠も何もないが、どちらも12年前の雨の夜だ。
父の敵という男。生き残った一人娘。
武明の思考は電光石火の如く駆け巡り、一つの結論を出した。
あの日恐らく、父はみちるの両親を殺した。
ゆっくりと身を起こした武明は、両手で顔を覆った。
「武明……?」
押し潰されそうな不安を必死にしまい込んだみちるは、涙を拭いながら起き上がり武明に寄り添う。武明は、小さく呟いた。
「ごめん、ごめんみちる。君とはもう――会えない」
†††
明るすぎない外灯がぼんやりと灯る日本庭園は薄暗がりの中に独特な情緒を醸し出していた。
鹿威しに流れる水は月明かりを反射し、硬く乾いた音色が静寂の空間に響く。
外の空気を吸う、と庭に出た星児は喫煙所で煙草を吹かす。揺れ立ち上る煙の向こうの静かな庭園がくすんで見えた。
どうにもならない想いに、胸が潰されそうだった。
これまで、どんな事にもどんな場面にも動じた事などなかった。
「はっは……」
乾いた笑いが星児の口から漏れる。周囲には誰も居らず、静かな空間にその声が響いて消えた。
煙草指に挟んだままの星児の頬に涙が伝う。
「どこで、間違っちまったんだろうな」
星児はうつ向くと、クククと笑い出した。
肩を震わせていた身体が、暫くしてピタと止まる。顔を上げた時には、星児らしい不敵な表情に戻っていた。
「よし」
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