舞姫【中編】

友秋

文字の大きさ
上 下
43 / 57

心の行方

しおりを挟む
 
 肌に触れたい。躰が求める。

 そんな感情と違う。

 心がただ純粋に貴方を、求めるの。

 私の心が。




「みちる、君は何者なのかな?」

 クスリと笑った武明の優しい手が、みちるの頬に触れた。微かな電流が流れたような感覚に、みちるの躰は軽い痺れを覚えた。

「前にもお話ししましたよ。私は私ですよ。ただの……」

 普通の。

 そう答えようとして躊躇う自分を、みちるは自覚してしまったーー。






 美術館を巡り婦人と別れた後、炎天下上野から自宅まで歩いて帰宅したみちるは汗を流す為にすぐシャワーを浴びた。

 ショーツにキャミソール、という出で立ちで夜まで過ごしてしまう。リビングの大きな鏡に映った自分の姿にふと見てしまい、苦笑いを溢した。

 星児さんと保さんには見せられない姿です。

 彼等の帰りは今夜も遅い。

 お休み、嫌い。

 ステージ立っていないと生きられない。そう感じるようになっていた。

 ソファーに座り膝を抱え、その膝に顔を埋めたみちるはそのままうたた寝をしてしまっていた。

 目を覚ますと、外はすっかり夕闇に包まれいた。

 ブラインドカーテンを下ろそうとみちるが立ち上がった時、ポケットベルが鳴った。

 武明さん!

 みちるは慌てて電話を掛けた。

「みちる、さっきはごめん」

 声が、電話口からみちるの耳に滑り込み、心臓を跳ねさせた。

 近くまで来たから出てきて欲しい、そう言われたみちるは大慌てで下着を替え、服を身につけ、ナチュラルメイクを施し外に飛び出した。

 友人の家に身を寄せているから、と話しており、家の場所は教えていないが、最寄り駅は日暮里駅、とだけ伝えていた。

 武明も、プライベートを深く詮索するといった土足で踏み込む行為は一切しなかった。ずっとみちるの話を素直に聞くのみにとどまっていたのだ。

 対する彼自身も、滅多に自らの話はしなかったのだが。

 ただ、二人とも互いの気持ちだけで充分だったから。今までは。



 日暮里駅傍に車を停め待っていた武明は、走って来たみちるを乗せた。

 車中で唇を重ね、武明は言う。

「このまま、連れ去ってもいい?」

 ドキンと心臓が跳ねる。

「はい、連れ去って、ください――」

 みちるの脳裏に星児と保が浮かぶ。

 胸に走る鈍痛は、何を意味するのか分からない。

 でも、今私の心は。私の心が求めてるのは。

「私を、連れ去って、武明さん――!」

 


 
 遠くから絶えず聞こえる波の音が身体の芯に優しく届いていた。

「みちる……」

 好きな男の愛撫はみちるの躰を快感へ誘う。

「みちる、愛してる」

 抱きすくめられて首筋に唇を寄せられ、みちるはフルッと躰をふるわせた。

 鎌倉の山の上にある別荘は、優しい波の音に包まれていた。

 津田家が数多く所有する別荘のひとつであるここは、比較的都心に近く、武明がレポートや論文を仕上げる為に自由に使えると言っていた。

 波音を聞くみちるは武明が囁く声を聞いていた。

 君は、何者なんだろうね。

 みちるの意識が現実に引き戻される。

 私は、ストリッパーで。

 近付いても近付いても、あなたの傍に行けない気がしてならない。

 伸ばした手がそっと握られた。武明に抱かれたままみちるはその目に涙を湛えた。

「私は、武明さんにはふさわしくないかも、しれない」
「どうしてそんなこと言うの。僕は君の、ありのままの君を好きになったんだって前に話した筈だよ。君が今どんな仕事をしてるか、なんて関係ない」

 強く抱き締めて、キスをする。

「君の仕事は、綺麗だよ」
「え?」

 見つめ合う武明が柔らかに微笑んだ。

「ひたむきに〝ちゃんとした形〟で喜ばせてる。少なくともみちるの心に澱みは無い」

 武明の瞳が微かにに揺れた。

「どんなに磨いても燻んだ色が取れない仕事もあるんだよ」
「武明さん?」

 みちるは不安げに武明の顔を覗き込んだが直ぐに抱き締められて表情は確認出来なかった。

「僕はみちるは出会えてよかった」

 顔を上げるといつもの武明の優美な笑みがあった。両手でみちるの頬を優しく挟み、ゆっくりと唇を重ねた。

 舌を絡めて吸って、舐めて。長いキスを経て、ゆっくりと唇を離す。

「武明さん、なにか不安な事があるの?」
「どうして?」

 柳眉が少しだけ上がる。切れ長の美しい目がわずかに見開かれた。驚きの表情にみちるは首を竦めた。

「キスが、いつもと少しだけ違うかな、って思った」
「キスが」

 言葉を繰り返す呟きを溢した武明にみちるは頷いた。

「ある人が」

 フッと脳裏に浮かんだ大切な人の残像をみちるは〝今は〟と消した。

「キスは、気持ちを交わす事の出来るスキンシップなんだよって教えてくれたから」

 大切な人との気持ちを行き来させるスキンシップ。

 みちるは、今はあなたを見ているから、と武明を真っすぐに見つめた。

 僅かな沈黙を置いて、武明はフワッと微笑んだ。

「妬けるな」
「え?」

 小首を傾げたみちるを抱き締め、武明は続ける。

「みちるに、そんな素敵な事を教えたのは誰かな、なんて考えてしまったけど。いいや。今、みちるはその言葉を僕の為に思い出してくれたんだから」

 こんなに直に、肌と肌を密着させて、一瞬の自分の動揺は気付かれなかっただろうか。みちるは武明の肌を感じながらギュッと目を閉じた。

 ごめんね。

 だれに? みちるは武明の身体に腕を回して抱き締めた。

 私は、あなたを好きになった。

「君となら、僕はやり直せるかな」

 小さな小さな呟きだった。みちるの耳に届くか届かないかくらいの。

「みちる。僕のものになって」

 甘く柔らかな声に抱かれ、みちるは頷く。もう一度、洗い立てのシーツの中に身を埋めた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

舞姫【後編】

友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。 三人の運命を変えた過去の事故と事件。 彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。 巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。 誰が幸せを掴むのか。 •剣崎星児 29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。 •兵藤保 28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。 •津田みちる 20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。 •桑名麗子 保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。 •津田(郡司)武 星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

GPTが書いた小説 無人島のゲーム

沼津平成
ミステリー
5000字程度のサバイバル小説を頼んだ結果です。主婦2人青年1人……という設定は沼津平成によるものです。 一部沼津平成による推敲があります。

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

クラウディアのノート

Olivia
ミステリー
短編集

処理中です...