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警鐘2
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美しい山並みと畑が拡がる片田舎。小さな商店の店先に置かれた硬貨しか使えないレトロな赤い公衆電話の受話器を、亀岡は置いた。
まだ話してはいない事が幾つかあったが手持ち硬貨の事を考えれば、とりあえず津田みちるの父親の事を伝えてやるのが先決だな、と今回はそれだけに留めた。
ホテルに帰ってからゆっくり部屋で掛ければよかったのだが、〝自分にもしもの事〟があった時、足が着き、彼等まで辿られる可能性がある。
それだけは避けたかった。
もう少しここで調べてみたいとこなんだけどな。
亀岡は畑の向こうに見える山の頂に目をやった。
山の尾根に、のどかな風景にはおおよそ不似合いな、近代的な工場の屋根が見える。
それだけではない。
山に目をやらずとも、巨大な〝箱物〟が、畑の拡がる郷愁を誘う田舎風情を台無しにしている。
老人介護施設、か。
過疎の村には願ってもない施設。大金をちらつかせ、福祉の充実を謳い、村人達を操った。
どんなに水や土壌が汚染されようと、彼等は今のこの豊かな暮らしからは抜けられない。
もう誰も何も話してはくれないな。見ざる言わざる聞かざる、だ。
頼みの綱は〝ある症状〟患う老人。
商店の店先に小さなベンチが置かれ、そこに背中が丸まった老婆が座っている。
何処を見るでもなく、何をするでもなく、ただぼんやりとそこにいた。亀岡はさりげなく近付く。
「おばあちゃん、いいかな、隣」
老婆は亀岡の顔を見、言った。
「里井の菊太郎さんやねー」
ニコニコと亀岡に話しかけた。
亀岡はこういう老人の相手は、地域係をやっているから慣れている。
「おばあちゃん、残念だけどちょっと違うなぁ」
「おや、そーなんけ? だーれやったかなぁ?」
互いにハハハと笑いながら、噛み合わない会話を少し続けた。
会話をのらりくらりと続けていた亀岡は、目の前に拡がる風景を見ていた。
よく見ると、耕作放棄地がかなり多いようだ。
老人が増え、施設は充実、生活には困らない、となれば畑など耕さなくなるのだろう。
「おばあちゃん」
亀岡は老婆にゆっくりと分かりやすく言葉をかけた。
「あの山の中に小さな村がなかったかな」
「ああ、あったよ~」
ここに来て聞いて回って、誰一人口を割らなかった事実を、老婆はアッサリと口にした。
ある症状とは、認知症だ。
認知症の老人は、直近の記憶は無いが、古い記憶はある。話してはいけないという意識も無い。
こちらとしては貴重な証言者なのだ。
「あそこは1つの村やのぉて、花根地区いうこの村の集落や。一年中花が咲く綺麗なとこやった」
「そんな所がどうして無くなっちゃったのかな?」
亀岡が聞くと、老婆は表情を変えた。怒りを現す険しい顔をする。
認知症の老人は喜怒哀楽が激しい。
「火事や、火事! そんで、なんか東京から来た偉そうな人が来た! あそこには誰も住んどらんかったと言え、と言わされた!」
この症状を患う老人は、普段は脱け殻か廃人のようでも昔話をさせると水を得た魚のように生き生きし出す。
「そうや、その偉そうな人の中には見覚えのある男もおった! 郡司のとこの息子や! あん男、自分の故郷を東京のデッカイ会社に売りおったんや!」
走馬灯のようにこの老婆の中に過去が蘇っているのだろう。
隣にいる亀岡に語りかけている訳ではなく、ただひたすら目の前に拡がる過去を、口にしていた。
「郡司の家はあの集落で一番の家でな、あの辺の山全部郡司家のモンやった」
「あの山、全部?」
老婆は工場のある山を指差し、亀岡は目を見開いた。
「けどなぁ、郡司の家のモンは今誰1人残っておらん。あん男除いてなぁ。あん男は、自分に都合の悪いモンはぜーんぶ消してしまった……」
呟くように言った老婆の言葉にかれはゾクリとした。
消したーー。
「おばあちゃんのお話は面白いね。もっと聞かせて欲しいなぁ」
亀岡がそう言うと老婆は、そうけそうけ、と楽しそうに笑った。
普段、話し相手などロクにいないのだろう。話し出したら、止まらない。しかし。
「……ところでワシはなんの話しをしとったかの」
亀岡は思わず苦笑いした。相手は痴呆の老人だった。
「あの山の話と郡司という男の話でした」
あっそやったけ、と老婆は自分で頭をペチと叩いてみせた。その時。
「見つけた! 桑名のおばあさんいましたー!」
農道の向こうから声が聞こえ、ジャージ姿の男が駆けてきた。
「あーっ」
老婆があからさまに嫌な顔をし、なんとも言えない声を出した。
駆け寄って来た男は「桑名さん、帰りましょう」と手を出す。
「ワシは帰らんっ」
首を振り、駄々っ子のように老婆はジタバタする。迎えの男の柔和な笑顔が一瞬消え、氷のように冷たい表情を見せたのを亀岡は見逃さなかった。
「息子さんが来てますから」
彼はそう言い作り笑いを見せる。老婆の顔がパッと明るくなった。
「では帰りましょう」と手を引かれ、彼女は後から来た数人の、揃いのジャージ姿の女性に引き渡された。
これは保護じゃない。〝連行〟だ。
あの介護施設の職員か。
若者の姿が一切見当たらない村。
亀岡は脇を抱えられるかのように連れていかれる老婆の後ろ姿を見て思う。
姨捨山だ。
恐らく、連れ戻された先に婆さんの息子など待ってはいない。
「こんなところへ観光ですか? それともお知り合いでも?」
まだこの場にいたジャージの男が亀岡に話しかけた。目は訝しがる光を放っていた。
「知り合いがこの辺りにいると聞いて、来てみたのですが、ここにはいなかったようです」
亀岡は咄嗟の判断でそう答えた。
〝ちょっと調べたい事が〟というのは危険だ、という警鐘が頭の何処かで鳴っていた。
男は、疑わしく思う心情をありありと浮かべた視線を亀岡に送りながら言った。
「そうですか、それは残念ですね。ここはこの通り、何もない村ですから。きっとあの山の向こうでしょう」
男はひと段落置いて口を開いた。
「それでは、お気をつけてお帰りください」
意味深な口調でそう言い、頭を下げた。亀岡も「ありがとうございます」と頭を下げ、立ち去る彼を見送った。
商店の店先で1人になった亀岡は、タバコをくわえライターで火を点けた。
店内を伺うと、レジカウンターとおぼしき場所で椅子に座る老人がうつらうつらしていた。
気を付けろ、か。
亀岡に情報をくれた同僚は、その後連絡が取れなくなった。
連絡が取れなくなった、と言うより、いなくなったのだ。
彼は、TUD総合警備の第一運転手だったのに。
『あの男は自分に都合の悪いモンはみんな消しちまう――』
老婆の言葉を思い出した彼の背中に悪寒が走った。
まさかな。
亀岡は山を見渡す。
この村は、実際にはもう隣接する市に合併吸収され地図上には存在していない。
この辺り一帯は、あの工場が建った当時の通商産業大臣であり現在は衆議院議員であり与党政党主民党幹事長・加藤力哉のお膝元だ。
あの大企業の工場誘致成功により莫大な法人税が入り潤う町。
沢山の人間を虫けらのように踏み台にし、のしあがって行った人間がいる訳か。
亀岡はタバコをギュッと噛み締めた。
いなくなった同僚が最後に彼に伝えた言葉があった。
『あの事故、データベースには残っていないが、もしかすると奥多摩の駐在には何か残っているかもしれない――』
奥多摩の駐在。恐らく盲点だろう。
亀岡はタバコを傍に置いてあった灰皿で消した。
有休はまだあるが、とりあえず、東京に戻ろうーー。
まだ話してはいない事が幾つかあったが手持ち硬貨の事を考えれば、とりあえず津田みちるの父親の事を伝えてやるのが先決だな、と今回はそれだけに留めた。
ホテルに帰ってからゆっくり部屋で掛ければよかったのだが、〝自分にもしもの事〟があった時、足が着き、彼等まで辿られる可能性がある。
それだけは避けたかった。
もう少しここで調べてみたいとこなんだけどな。
亀岡は畑の向こうに見える山の頂に目をやった。
山の尾根に、のどかな風景にはおおよそ不似合いな、近代的な工場の屋根が見える。
それだけではない。
山に目をやらずとも、巨大な〝箱物〟が、畑の拡がる郷愁を誘う田舎風情を台無しにしている。
老人介護施設、か。
過疎の村には願ってもない施設。大金をちらつかせ、福祉の充実を謳い、村人達を操った。
どんなに水や土壌が汚染されようと、彼等は今のこの豊かな暮らしからは抜けられない。
もう誰も何も話してはくれないな。見ざる言わざる聞かざる、だ。
頼みの綱は〝ある症状〟患う老人。
商店の店先に小さなベンチが置かれ、そこに背中が丸まった老婆が座っている。
何処を見るでもなく、何をするでもなく、ただぼんやりとそこにいた。亀岡はさりげなく近付く。
「おばあちゃん、いいかな、隣」
老婆は亀岡の顔を見、言った。
「里井の菊太郎さんやねー」
ニコニコと亀岡に話しかけた。
亀岡はこういう老人の相手は、地域係をやっているから慣れている。
「おばあちゃん、残念だけどちょっと違うなぁ」
「おや、そーなんけ? だーれやったかなぁ?」
互いにハハハと笑いながら、噛み合わない会話を少し続けた。
会話をのらりくらりと続けていた亀岡は、目の前に拡がる風景を見ていた。
よく見ると、耕作放棄地がかなり多いようだ。
老人が増え、施設は充実、生活には困らない、となれば畑など耕さなくなるのだろう。
「おばあちゃん」
亀岡は老婆にゆっくりと分かりやすく言葉をかけた。
「あの山の中に小さな村がなかったかな」
「ああ、あったよ~」
ここに来て聞いて回って、誰一人口を割らなかった事実を、老婆はアッサリと口にした。
ある症状とは、認知症だ。
認知症の老人は、直近の記憶は無いが、古い記憶はある。話してはいけないという意識も無い。
こちらとしては貴重な証言者なのだ。
「あそこは1つの村やのぉて、花根地区いうこの村の集落や。一年中花が咲く綺麗なとこやった」
「そんな所がどうして無くなっちゃったのかな?」
亀岡が聞くと、老婆は表情を変えた。怒りを現す険しい顔をする。
認知症の老人は喜怒哀楽が激しい。
「火事や、火事! そんで、なんか東京から来た偉そうな人が来た! あそこには誰も住んどらんかったと言え、と言わされた!」
この症状を患う老人は、普段は脱け殻か廃人のようでも昔話をさせると水を得た魚のように生き生きし出す。
「そうや、その偉そうな人の中には見覚えのある男もおった! 郡司のとこの息子や! あん男、自分の故郷を東京のデッカイ会社に売りおったんや!」
走馬灯のようにこの老婆の中に過去が蘇っているのだろう。
隣にいる亀岡に語りかけている訳ではなく、ただひたすら目の前に拡がる過去を、口にしていた。
「郡司の家はあの集落で一番の家でな、あの辺の山全部郡司家のモンやった」
「あの山、全部?」
老婆は工場のある山を指差し、亀岡は目を見開いた。
「けどなぁ、郡司の家のモンは今誰1人残っておらん。あん男除いてなぁ。あん男は、自分に都合の悪いモンはぜーんぶ消してしまった……」
呟くように言った老婆の言葉にかれはゾクリとした。
消したーー。
「おばあちゃんのお話は面白いね。もっと聞かせて欲しいなぁ」
亀岡がそう言うと老婆は、そうけそうけ、と楽しそうに笑った。
普段、話し相手などロクにいないのだろう。話し出したら、止まらない。しかし。
「……ところでワシはなんの話しをしとったかの」
亀岡は思わず苦笑いした。相手は痴呆の老人だった。
「あの山の話と郡司という男の話でした」
あっそやったけ、と老婆は自分で頭をペチと叩いてみせた。その時。
「見つけた! 桑名のおばあさんいましたー!」
農道の向こうから声が聞こえ、ジャージ姿の男が駆けてきた。
「あーっ」
老婆があからさまに嫌な顔をし、なんとも言えない声を出した。
駆け寄って来た男は「桑名さん、帰りましょう」と手を出す。
「ワシは帰らんっ」
首を振り、駄々っ子のように老婆はジタバタする。迎えの男の柔和な笑顔が一瞬消え、氷のように冷たい表情を見せたのを亀岡は見逃さなかった。
「息子さんが来てますから」
彼はそう言い作り笑いを見せる。老婆の顔がパッと明るくなった。
「では帰りましょう」と手を引かれ、彼女は後から来た数人の、揃いのジャージ姿の女性に引き渡された。
これは保護じゃない。〝連行〟だ。
あの介護施設の職員か。
若者の姿が一切見当たらない村。
亀岡は脇を抱えられるかのように連れていかれる老婆の後ろ姿を見て思う。
姨捨山だ。
恐らく、連れ戻された先に婆さんの息子など待ってはいない。
「こんなところへ観光ですか? それともお知り合いでも?」
まだこの場にいたジャージの男が亀岡に話しかけた。目は訝しがる光を放っていた。
「知り合いがこの辺りにいると聞いて、来てみたのですが、ここにはいなかったようです」
亀岡は咄嗟の判断でそう答えた。
〝ちょっと調べたい事が〟というのは危険だ、という警鐘が頭の何処かで鳴っていた。
男は、疑わしく思う心情をありありと浮かべた視線を亀岡に送りながら言った。
「そうですか、それは残念ですね。ここはこの通り、何もない村ですから。きっとあの山の向こうでしょう」
男はひと段落置いて口を開いた。
「それでは、お気をつけてお帰りください」
意味深な口調でそう言い、頭を下げた。亀岡も「ありがとうございます」と頭を下げ、立ち去る彼を見送った。
商店の店先で1人になった亀岡は、タバコをくわえライターで火を点けた。
店内を伺うと、レジカウンターとおぼしき場所で椅子に座る老人がうつらうつらしていた。
気を付けろ、か。
亀岡に情報をくれた同僚は、その後連絡が取れなくなった。
連絡が取れなくなった、と言うより、いなくなったのだ。
彼は、TUD総合警備の第一運転手だったのに。
『あの男は自分に都合の悪いモンはみんな消しちまう――』
老婆の言葉を思い出した彼の背中に悪寒が走った。
まさかな。
亀岡は山を見渡す。
この村は、実際にはもう隣接する市に合併吸収され地図上には存在していない。
この辺り一帯は、あの工場が建った当時の通商産業大臣であり現在は衆議院議員であり与党政党主民党幹事長・加藤力哉のお膝元だ。
あの大企業の工場誘致成功により莫大な法人税が入り潤う町。
沢山の人間を虫けらのように踏み台にし、のしあがって行った人間がいる訳か。
亀岡はタバコをギュッと噛み締めた。
いなくなった同僚が最後に彼に伝えた言葉があった。
『あの事故、データベースには残っていないが、もしかすると奥多摩の駐在には何か残っているかもしれない――』
奥多摩の駐在。恐らく盲点だろう。
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