舞姫【後編】

友秋

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束の間

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「もしもし?」

 呼び出し音が、鳴るか鳴らないかの早さで取られた電話の向こうから聞こえるのは、まだ幼さが残る若い男の声。警戒するような探る声音だった。

 どうやら自分の番号はまだ登録されてないらしい。保は苦笑いする。

「俺だよ、龍悟。お前、星児にとうとう携帯買ってもらったんだな。俺の番号もしっかり入れとけ」
「あっ、保さんか! そうなんだよ、やっとだぜ! かけてくれたのは保さんが第一号だ。番号入れとくぜ!」

 龍悟と呼ばれた少年の嬉々としたタメ口に、保は頭を抱えた。

 狩谷龍悟は、星児が街で拾ってきた少年だ。スリをしていた孤児の彼は施設で持て余されていた感が見受けられ、星児は送還する事をやめたのだ。

 一緒に暮らす訳にはいかない為、事務所の若い者達とルームシェアをさせてしっかり監視はしているのだが、少々ケンカっ早く、そこかしこで度々問題を起こす。

 トラブルを起こす度に星児に殴り飛ばされ、仲裁、フォローが保の役目となっていた。

 気付けば、龍悟は星児に対しては畏怖と敬愛を込めた敬語を使うのに、保にはタメ口しか使わなくなっていた。龍悟の中での保の位置は、星児より遙かに下の〝いいアンちゃん〟なのだろう。

 まぁ、今更どうにかしようとも思わねーけど。

 半ば諦め気味にため息をついた保に、龍悟は言う。

「けどさ、死んでも手放すな、持ってろよ、って星児さんに凄まれた」

 保はハハハと笑った。

「星児がかけた電話に出ないなんて事になってみろ、お前殺されるぞ」
「げぇっ」

 恐れを成したか。携帯を落としそうになったらしい龍悟の様子に保はほくそ笑んだ。

 なるほどな、やるな星児。この悪ガキ野放しにしない為に上手く褒美与えて首輪付けたか。

「なんだよ~、星児さん」

 ぶつくさ溢す龍悟に保はクックと笑う。

「もう少し大人になって星児に信頼してもらえ」

 龍悟は電話の向こうでフンッと拗ねた。

 少しの間を置き、息をついた保は、龍悟、と話を切り出した。

「大人ついでに、お前に仕事を一つ与えようと思うんだ」


†††

「龍悟をみちるの傍に置く?」

 日付が変わる頃に帰って来た星児が、スーツのジャケットを脱ぎながら保を見た。ソファーに座る保は煙草の煙を吐きながら、ああ、と答えた。

「みちるのお守り、いや、みちるに龍悟のお守りさせんのか?」

 星児はククと笑いながら煙草をくわえた。保は飽きれ気味に答える。

「お守りだとしたら、みちるの手に負えるヤツじゃねぇだろ。ボディーガード、とまではいかねぇけど、みちるを一人にさせねぇ為だよ」

 星児がピクリと片眉を上げた。

 ボディーガード?

 いずれ考えるつもりだったが。星児は吐き出した煙に目を細めた。

 星児と保は、最近は情報の交換をしないが、みちるの身があまり安全ではないという意識は共有していた。

 星児は保を見据え、口を開いた。

「適材適所とは思えねーな。龍悟にさせる根拠はなんだ」

 星児の問いに保は一瞬言葉に詰まったが、小さく呟くように答えた。

「他のヤツはキケンだからだよ、別の意味で」

 星児は目を丸くし、直ぐにハハハッと笑い出した。

「龍悟ならまだガキだから平気ってか」

 笑われた保は、フンッと煙草をくわえたままそっぽを向いた。やや暫く笑い続けた星児は、その笑いを微かに残しながら言う。

「まぁいいや。お前の言う事も一理あるしな。龍悟にやらせてみようぜ。責任持たせるのは悪い事じゃない。少しは成長させられるかもしんねぇしな。ただ、アイツはまだ未成年だ。劇場には入れないでくれよな。例え裏でもよ」
「裏でも?」

 保は星児を見た。星児は、口角を上げて笑った。

「ああ見えて、龍悟はまだ案外ウブなんだよ。大事に育てるつもりなんだからよ、トラウマだけは植え付けないでくれって事だ」

 トラウマ?

†††

 ああ、こういう事か。

 目の前に広がる光景は、病室という事を忘れさせる。

 劇場の楽屋かと思ったぜ。保は片手で顔を覆った。

「あっ、保さん! いらっしゃーい!」
「きゃあ、保さん、今日も素敵ー!」
「あれ? そっちの可愛い子はだれー?」

 好き勝手に喋りまくる底抜けに明るい踊り子達。様々なフレグランスが混ざり合い、病室には悪酔いしそうな空気が充満していた。

 保が龍悟を連れて病室を訪れると、お見舞いに来た三、四人の踊り子達が先客としてそこにいた。彼女達は、みちるの回復と退院間近という話を聞きやって来たと言う。

 皆、みちるをずっと可愛がってきた踊り子達だった。

「サラさん、衣装で外出はやめて下さい」
「やだぁ、保さんたら! これ私服ぅ」
「凄い私服ですね。とりあえず、ここは楽屋じゃないからみんな少し静かにしてくれ」
「はーい」

 露出度の高い際どい服を着、キャハハと笑う踊り子と保は苦笑いしながら冗談を交わし、さりげなく注意も加える。ベッドに座ったまま困惑気味の笑顔を浮かべちるにみちるに笑い掛けた。

「みちる、元気になって良かったぁ」

 一人の踊り子が彼女を抱き締め頬擦りしていた。労るような温かさに包み込まれ、幸せそうに表情を弛めるみちるの姿に、保は目を細めた。

 何時だって、他人から受ける優しさを、どんなに小さな、微かなものでも素直に全身で受け止める。

 愛しい。改めてそう思う。

「保さん、その可愛いボーイは?」

 踊り子のサラが保の隣で気圧され気味に立ち尽くす龍悟に目を向けた。ああ、と答えた保は龍悟の頭に手を掛けグッと押し、会釈をさせる。

「今売り出し中のうちの若いの」

 何がどう売り出し中なのか、保自身、自分で言っておきながらよくは分からないがとりあえずごまかした。

「やだぁ、可愛い――! 食べちゃっていいの?」

 キャハハハハハッと踊り子達が笑い、龍悟は後退りした。保はクスリと笑う。

「彼の健全な発育の為に、姐さん達には金輪際会わせません」
「ええ゛っ!?」
「なにそれっ!?」




 踊り子達に囲まれ軽口を叩き合う保の姿は、みちるには意外な姿としてその目に映っていた。チクリと走る胸の痛みに、軽く胸元を握りしめた。

 これはまさか、やきもち?

 保にたった今紹介された少年と目が合った。形の良い涼しげで切れ長な目元が、伺うようにこちらを見ていた。

 看護師に「静かに!」と再三注意され、楽屋入りの時間が迫っていた事もあり、踊り子達はポツポツ帰り支度を始めた。

「じゃぁ、早く戻って来てね、みちる」
「待ってるからね~」

 みちるをハグしながら彼女達は病室から出ていく。その中で、最後にみちるを抱き締めたサラが耳元で囁いた。

「みちる、麗子さんと何かあった?」

 ドキッと跳ねたような心音と共に、みちるは目を丸くしてサラを見た。

「どうして?」

 どうしてそんな事聞くの?

 みちるの様子を見てサラの表情が微かに曇る。

「麗子さん、みちるの話を何もしてなかったの。何でみちるが休んでいるのか分からなくて。あたしらが聞いても返事は『ちょっと体調崩してるの』だけで。保さん捕まえてやっと聞き出したのよ。麗子さん、あんなにみちるを可愛がってたのにちょっと心配になったから――」

 麗子の中で混沌とする渦巻く苦悩など、みちるには知る由も無かった。




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