舞姫【後編】

友秋

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契約

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 星児は、自らを自制する為に感情を切り離した。

『俺が、みちるをその男と別れさせる。ただし、交換条件を提示してもいいか』

 みちるを駆け引きの道具になどしたくはなかったが、感情の波に呑み込まれない為の自己防衛本能が働いたのだ。

 星児は自らの足元が今危うい事を自分自身に再認識させ、込み上げ爆発してしまいそうだった精神を押さえ込んだ。

 無表情のまま探るような視線を向けていた御幸だったが、不意に表情を崩す。

『さすがだね、転んでもただでは起きない。そうだね、君はそうやってここまで這い上がって来たのだね』

 御幸の物言いには、ほんの少しの皮肉が混じっていたようだが、柔らかな表情を見せて続ける。

『それならば、言ってみなさい、その交換条件というのを』

 相変わらずの、余裕綽々な上から目線が多少鼻についたが、星児はそこは目を瞑り、ゆっくり噛み締めるように言った。

『津田恵三との、パイプが欲しい』

 大胆不敵、とも言える提示に、御幸は、ほぅ、と微かな感嘆のような声を漏らした。

『剣崎、君が私に近付いた当初の、いや、本当の理由は、それだったのだろう』

 図星を突かれ、星児は答えを詰まらせた。少し悔しそうに片頬を上げた星児に御幸は盃を持ち上げフフと笑った。

『あの叔父と、君がどう対峙するのか是非見せて欲しいね』
『じゃあ――!』

 星児は微かに腰を浮かせる。

『契約成立といったところか。しかし、私はあくまで橋渡しをするだけだ。後は、叔父とのパイプを築けるかどうか、は君の腕次第だね』

 御幸はそう言い、優雅に微笑んでいた。

 ベンチに座る星児は携帯をジーンズのポケットに突っ込むと、持て余し気味の長い足を投げ出し車が行き交う道路を眺めた。

 正直、今は津田恵三とのパイプなんてどうでもいい――いや、どうでもいい、は嘘だな。

 星児は苦笑いする。今は憂慮すべき事が多すぎるのだ。

 みちるが誰の娘か、なんて関係ねぇ。

 みちるが生まれた意味を根底から否定してしまうような真実なんか、いらない。自分を育ててくれた、親と信じる人間から受けた無償の愛情だけを胸に、必死に生きてきたアイツが真実を知る必要など、ない!

 あんなくそくらえな真実、俺が墓場まで持っていってやる――!



 書斎にも受けられる電話はあったが、御幸は敢えて廊下の電話で剣崎と話した。

 うっかり武明の前で剣崎を話しをする羽目になるところだった。

 勘の鋭い武明の事だ。会話の端々から全てを見抜くだろう。

 武明と剣崎を引き合わせるのは危険過ぎる。それだけは避けなければいけない。

 電話を終えた御幸は何食わぬ顔で武明の待つ書斎に戻った。




「悪かったね、待たせた」
「いいえ」

 武明は、書斎に戻って来た御幸をつぶさに観察する。

 電話か。

 ここに受けられる電話があるのに叔父はわざわざ廊下に出て行った。

 ふうん、と思案しながらも武明は電話に関して今問うのはやめた。それよりも、知らなければいけない事がある。

 僕はもう逃げない。目を逸らすのはやめた。父の過去を徹底的に追求する。父が本当に罪を犯したのか、暴いてみせる。

 僕がみちるを想い続けていって良いのか。考えるのはそれからだ。

 父の罪が明らかになってしまった暁には。暁には?

 武明は微かに頭を振った。

 みちるに全てを話して、僕が父を断罪する。

 父、武の過去を辿る為にまず思い当たったのが御幸だった。みちるとの関係をあれほど強行に反対していた御幸は、必ず何かしらを知っている、と踏んだのだ。

 武明が御幸邸に到着して間もなく、御幸は仕事から戻った。和装に着替え書斎に姿を現した御幸に促され話を始めた頃、電話が鳴ったのだ。

 電話は思いの外長く、微かに漏れ聞こえる声に武明は耳を澄ませていた。何となくだが、相手の予測がついた。

 僕の素性を知らないから。武明は思う。

 誰も、あの街での僕を知らない。あの街で蠢く人の動きは僕には筒抜けだ。みちるの周りにいる人間も。

 いずれーー。

 武明は笑みを浮かべ、御幸に挨拶をする。

「おじさん、お疲れのところすみません。今夜はどうしてもおじさんに直接会ってお聞きしたい事があったので」
「夕食はまだだろう。ミキエさんに用意して貰っている。来なさい」

 着物の袂に手を入れて腕を組む御幸は武明の言葉には答える事なく、廊下に出て行った。武明は「はい!」と応え後に続いた。
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