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婚約破棄という選択肢③

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 カエデの周りには五人ほどの男子生徒がつき従っている。普通の制服ではなく金糸で刺繍を入れた白いローブを着ているから、神殿関係者なのだということが一目で見て取れる。
 実は『学問の前においてはすべてが平等である』を基本理念として掲げるこのミラルク学園は、神殿関係者の子息たちも受け入れている。もっとも理念の気高さに見合った学力が要求される名門校なのだから、ここに入学してくる神殿関係の子たちは神殿内でも特に将来有望とされるエリートばかりだ。それ故にエリート意識が強く、ふるまいもエリートらしく傲岸不遜で、他の生徒たちからは一線引かれていることが多い。
 彼等はカエデの露払いのつもりなのか、偉そうに鼻先をあげて怒号を吐き散らす。
「どけどけ! 聖女様のお通りだぞ!」
 さっきまでハリエットとモースリンのイチャイチャを見てほっこりしていた野次馬生徒たちが、みな嫌そうな顔をした。
 この学園内では、神殿関係者の子たちはひどく嫌われている。確かに一般庶民は神殿の信奉者が多いが、これは街中の教会に置かれた司祭の聖職者にふさわしい清廉と清貧こそがなせる業であり、いずれは神殿の上位職につくのだというおごりとエリート意識に塗れて威張り散らす『神殿の子たち』が好かれるわけがない。
 だから野次馬生徒の中には、聞こえよがしに舌打ちするものもいた。そのくらい、彼らは嫌われている。そんな嫌われ者たちの中心をしゃなりしゃなりと気取って歩くカエデが、好意的にみられるはずがない。
 野次馬生徒たちがひそひそとささやきあう。
「なんだ、あの女は」
「王子に対して馴れ馴れしすぎない?」
「あたしらですら、あんな礼儀知らずなコトはしないわよ」
 もっとも、そんな『モブ』の声ごときをカエデが気にする様子はなかった。おそらくは、なんかざわざわしてる~、程度の認識だろう。
 誹謗の囁きさえバックグラウンドミュージック、カエデは更なる暴挙に出た。
「もしかして、アタシのこと待っててくれたの? ハリエットったら、可愛いんだからー」
 ざわつく声が一際大きくなる。
「おい、あの女、いま……」
「ああ、殿下のことを呼び捨てたよな」
「まさか、婚約者であるモースリン様の前で、そんな不調法な」
 この学園の女生徒たちはハリエットとどんなに親しくても彼を呼び捨てることはしない。それは貴族云々というよりは、その婚約者であるモースリンへの気遣いなのだが……ところがカエデは、モースリンの前でその婚約者であるハリエットを呼び捨てにした上、さらに体ごと擦り寄るようにして彼の腕に自分の腕を絡める。
「あ、ごめんね、呼び捨てにするのは二人っきりの時だけって言われてたんだったー」
 これ見よがしに、必要以上にハリエットに体を擦り寄せながら、視線をチラリとモースリンに向ける。
(煽ってる)
(ああ、煽っているな)
 これが多くの生徒たちの気持ちだったが、そうは思わない輩が若干名--そう、カエデの取り巻きの神殿の子たちが、さらにカエデを褒め称えた。
「さすがは聖女様!」
「もう王子とそんなに親しい仲に!」
「まあ、分かりますけれどね、あそこにいる『元』婚約者と違って、聖女様は愛と慈悲に溢れておりますから」
 言いながら、チラチラ、チラチラとモースリンに自然をくれるのだから、明らかに煽りだ。
 しかしモースリン無言のまま、表情だけは曖昧な作り笑いを浮かべていた。腹芸に長じた貴族との会話に慣れたモースリンが、この程度の煽りで動じるわけがないのだ。
 カエデにとってはこれが予想外のことだったらしく、キンキンと甲高い声で怒鳴り散らした。
「ねえ、なんでなにも言い返さないの? アンタ、コイツの婚約者なんでしょ、こういうところでは無礼だとか、人の婚約者に触るなとか、キレてアタシをいじめるのがセオリーでしょう!」
 ここで初めてモースリンが口を開いた。あくまでも冷静に、静かな声音で。
「なるほど、無礼であることは、ご自身でもわかっていらっしゃいますのね」
「そうよ、だからほら、厳しく礼儀作法を教えるとかしなさいよ!」
「いたしませんわ、そんなこと。いずれあなたが後宮に召し上げられた暁には、礼儀作法を教えるプロの教師が付けられるはずですので、ここで素人である私が細かなことを申し上げるのは差し控えさせていただきますわ」
 それだけを言うと、モースリンは向きを変えてハリエットに向き合った。他人行儀に、しゃなりと腰を折ってお辞儀する。
「殿下、私、自分の立場を弁えておりますゆえ、側妃を迎えることに依存はございません。彼女とも良き関係を築けるように努力いたします」
「待ってくれ、モースリン嬢……」
「そのように狼狽えずとも大丈夫ですわ。王妃教育の中でも、世継ぎの重要性に関しては特に強く教えられますゆえ、いずれはこのような日が来るのではないかと覚悟しておりました」
「待って、本当に待って、俺の話も聞いて、モースリン!」
「後で聞きますゆえ、今はご容赦を……だって……だって……私だって……」
 急にモースリンが泣きそうな顔をした。野次馬生徒たちは、その涙にめちゃくちゃ納得した。
 モースリンは王妃教育の賜物だろう上品な距離感を絶対に崩さない。つまり、王子に対してどこか他人行儀で、人目のあるところでは彼をたてるために一歩引いて歩くような、そんな女なのである。
 だが、長年このバカップルを見守ってきた野次馬生徒たちは知っている--本当はモースリンも恋する一人の少女であることを。
 例えば王子の一歩後ろを歩きながらも背筋の伸びた彼の美しい後ろ姿に見惚れてデレーっと涎を垂らしている姿だとか、例えばクールな顔で王子と会話を交わしていたくせに彼が立ち去った後で赤くなった頬を押さえて身悶えている姿とか、そういう恋する乙女な姿をずーっと見てきたのだから、いま、モースリンがどれほどの思いで『王子の新しい恋人』の存在を受け入れようとしているのかを察してしまったわけである。
 モースリンは涙を堪えてキッと顔を上げた。そして精一杯に柔らかな微笑みを表情に乗せる。
「もしも彼女を正妃にと殿下が望むのなら、婚約の解消もやぶさかではありませんわ。だから、どうか安心……なさって……」
 堪えていた涙がついにこぼれそうになったのだろうか、モースリンは顔を伏せて「失礼します」と小さな声でつぶやいて、そのまま王子に背を向けて走り出した。
「あっ、待って……」
 追い縋ろうとするハリエット、それを取り囲んで進路を塞ぐ神殿の子たち、さらにはハリエットを抑え込むようにその腕を強くとらえて離さないカエデ……
「きゃはははっ! ざまーみろ! 悪役令嬢はフラれる運命なんだよっ! きゃはははっ!」
 『モブ』に無関心なカエデは、その場にいる『モブ』たちが全て、自分に対して憎しみの目を向けていることにさえ頓着しない様子であった。
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