ラビリンス~悪意の迷宮~

緑ノ革

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逃走

逃走4

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 言葉を失った空良の頭に、少女は手をぽんと置く。
 恐怖から、反応が遅れた空良だったが、慌てて少女の手に触れた。

 そして、控えめな動きでそっと少女の手を自分の頭から下ろさせる。

「こ、子供扱いはしないでください、多分、俺の方が年上ですし」

 下を向きながら、空良が言うと、少女は興味なさげに「ふーん」と言って、手を引いた。
 震えている自分の体を落ち着かせようと、空良は腕をさする。

「……俺を逃がしてくれた後……貴女は死んだんですか?」

 少女と目線を合わせないまま、空良は聞いた。
 少女は緊張感の無い声色で「うん」と軽く答える。

「ごめんなさい、俺のせいで」

 空良は姿勢を正し、頭を下げた。
 自分のせいで、少女は化け物に一歩近付いてしまった。
 それが心苦しくて、そして、恐ろしくて、空良は手を握りしめる。

「あんたのせいじゃない。 あんたを逃がしたのは、私がそうしたかったからだし」

 少女は言って、はぁ、と息を吐き出した。
 そして、少女は頭を下げる空良を優しく抱き寄せる。
 驚いた空良は目を見開いて、少女から離れようとしたが、少女が強く空良の体を抱きしめて、空良の動きを封じた。

「誰かが、この馬鹿げた神様の暇潰しから生きて逃げること、それが私の願いなの……だから、生き抜いて」

 少女の言葉を聞いた空良の目に涙が浮かぶ。
 死んでもなお、何かしらの希望を抱く少女の言葉を聞き、諦めようとしていた自分が情けなくて、恥ずかしくて、顔が赤くなった。

 冷たい少女の体温を感じながら、空良は手で涙を拭う。
 少女は優しく空良の背中を撫でたあと、ゆっくりとした動きで空良を解放した。

「諦めないで、この馬鹿げたゲームをクリアして」

 そう言われ、空良はこくん、と頷くと、泣いて赤みを帯びた目で少女の事を見る。

「俺は空良……貴女は?」

 聞くと、少女は立ち上がって、手を後ろに回して空良を見下ろす。

「私はさくら、桜の木の桜」

 麻袋のせいで、表情などは一切分からなかったが、何と無くその声は嬉しそうに聞こえる。
 空良は微笑んで、麻袋の向こう側にある桜の顔も、微笑んでいるのだろうと想像した。

 重たい体を持ち上げて、空良は立ち上がる。

「恥ずかしいけど、俺、死んでもいいって思っていたんだ」

 そう言った空良を見て、桜は無言で空良の言葉を待つ。
 空良は深呼吸をしてから苦々しい表情で桜を見た。

「でも、化け物に出会う度に"死にたくない"って思ってた……生きててもしょうがないくらい、俺はダメな奴なんだけど、死ぬのは怖くて……」

 そこまで喋って、空良は苦笑する。

「って、何で会ったばかりの桜さんにこんなこと話してるんだろう。 ごめんなさい、困りますよね」

 空良は「はは」と、声を漏らして笑い、頭を掻く。

「恥ずかしくない」

 桜が言った。
 その反応に、空良は目をぱちくりとさせる。

「死んでもいいって、思う人もいる。 そう思っちゃうくらい、頑張って、傷付いて、悲しんで、努力したんでしょう? 生きる気が失せるくらい、失敗して、後悔してる。 それって、別に恥ずかしくない。 生きる未来が不安なんだよね?」

 桜に言われ、空良は喉が詰まるような感覚を覚えた。
 それは決して、桜の言葉を嫌悪したわけではない。

 ただ、泣いてしまいそうになって、堪えていた。

 更に桜は言葉を続ける。

「死にたくないって、素晴らしい感情だよ、自分の価値は、この迷宮を出てから探せばいい。 今、空良には生きる価値がある。 私の希望なんだから」

 桜はそう言うと、くるりと空良に背を向けて、ドアに向かって歩きだす。

「ま、待って! この先、一緒に行動しませんか?」

 慌てて空良が言うと、桜は首を振る。

「私もいつ、化け物になるか分からないから。 じゃあ、また会えたらね」

 桜は片手をひらひらとさせて、部屋から出ていった。

 見送った空良の目から涙が溢れだし、空良は鼻をすすり上げる。

「桜さんの希望……か……ちょっと重たいな」

 そう言って涙を拭った空良の表情は、どこか嬉しそうだった。
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