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第4章 魔界編

第244話 茶色の勇者

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試練の塔に入ったアリアスはひとまず塔内部を観察することにした。

それは勇者というよりは冒険者の基本とも言えるべきものだ。

森に入れば、物陰に隠れる魔物を警戒しなければならないし、洞窟であれば、内部構造をある程度把握する能力が無ければ危険度は増す。

だからこそアリアスはほとんど反射的にそれを行ったのだが、結果としてはあまり意味のない行動にしかならなかった。





「……なにも無いですね」





アリアスが今呟いたように、塔1階には何もなかった。

強いて言うならアリアスから一番離れた位置から内壁に沿うように階段があるだけで、仕切りがまったくないワンフロアぶち抜きの大きな広間が広がっているだけだった。



アリアスはとりあえず広間中央へと歩く中、おかしな点に気付いた。





「なんで窓がないのに、明るいんだろう? トーチを使っている感じでもないですし」





当然、窓がないのであれば光源となるべきものがあるはずだが、塔内部には蠟燭の一本もないのに、まるで外と見分けがつかない程に明るかった。





「それでどうすればいいんだろう?」





普通に考えれば、上の階を目指すのが正解に思えるが、何もない広間を通り抜けるだけでは何の試練でもない。

そんな考えに至ったアリアスは広間中央部付近で少し待ってみる事にした。

すると少しして、奥の階段から人が降りてくるような足音が聞こえてきた。





(魔物って感じではないですね。さっきの声の人かな? なんか塔の番人っぽいこと言っていましたし)





アリアスがそんな事を考えている最中も足音は大きくなり、そして奥の階段から一人の男が下りてきた。





(……えっ、茶色い全身タイツ? えーっと、多分クドウさんが言っていた全身タイツの人達の一人かな?)





摩訶不思議な出で立ちの全身茶タイツの男を見て、アリアスはそう判断した。

あと少し一般的な格好であれば、人違いと言う可能性もあるが、どう考えてもこんなおかしな格好をする者が他にいるとはアリアスには思えなかった。

呆気に取られているアリアスに先んじて階段から降りてきた男はアリアスに話しかけてきた。





「よくぞ、来たな。勇者アリアスよ。お前にはこれから試練を受け——」





「えっ、師匠?」





珍妙な格好に似合わない口調の茶タイツの言葉を遮ってアリアスは驚きの声を上げた。

すると少しの静寂の後、茶タイツは「コホン」と小さく咳払いする。





「シショウ? 俺はそんな変わった名前ではないぞ。おかしな事を言う奴だな」





「えっ、いや、師匠ですよね。魔法で声を変えているのですか? 王都にいらっしゃらなかったので、どこに行ったのかと思ってたのですが、このような所で何をされているのですか? なんですか、その恰好は?」





喋り方の雰囲気だけで完全に確信したアリアスは茶タイツを質問攻めにする。

それでも茶タイツは取り乱す事もなく、淡々と話を続けた。





「ふむ、何を言っているのかよく分からんが、何か勘違いしているようだな。今の俺は魔剣邪ぁブラウン。3神が一人ユリウスに代わって、勇者に試練を授ける者だ」





「そうなのですね。師匠は今、ユリウス様にお仕えしているのですか」





何を言ってもアリアスは魔剣邪ぁブラウンを自身の師である先代勇者ソリュードだという確信を崩す事はなかった。

そんなアリアスの様子を見て、茶タイツは再度小さく溜息を吐いた後、諦めたように話し始めた。





「……いや、だからお前の師匠などではないと言っているだろう。しつこい奴だな。……まぁいい、続けよう。勇者アリアス、お前は塔の試練に挑み力を手に入れる事を望むか?」





茶色いマスク越しにも分かる厳しい茶タイツの視線にアリアスは少しも臆した様子もなくそれに答えた。





「はい」





「そうか、遥か高みを知ったか。それこそが塔の試練を受ける条件の一つ。そして、本来それは魔王に敗れる事によって達成される」





初めて知らされた試練の塔の秘密にアリアスは「えっ?」と驚きの声を上げた後、その最大の矛盾に気付く。





「……魔王に敗れる事が試練の条件なのですか? 勇者の役目は魔王を倒す事なのに、それでは順序が逆ではないですか」





それは勇者であるアリアスにとっては当然の疑問だった。

初代勇者ユリウスは先代魔王ラースクルトを倒し、勇者と呼ばれるようになった。

そして、魔王ギラスマティアの魔王就任までの空白期間を除けば、歴代全ての勇者は魔王打倒を目指してきた。

それは初代勇者ユリウスの目指した人々が魔人に脅かされない世界を手に入れる為には必要不可欠だと思われているからであり、勇者はおろか人類全てがその事に疑問に思いもしなかったからだ。





「魔王を倒す事が勇者の役目か。そうだな、確かに歴代の勇者達は魔王打倒の為にずっと戦ってきた。そして、魔王に挑む為に魔界を目指した者は例外なく魔王もしくは魔王城に辿り着く事もできず、敗北した」





茶タイツの言った言葉は人間界にある歴史書や文献にも記されている紛れもない事実だった。

力または運のない勇者は魔王城に辿り着く事もなく魔界にいる強大な魔獣などによって敗走を余儀なくされた。

そして、実力を持った勇者もまた最終的には魔王に敗れることになる。

それでも今まで魔界で死んだ勇者は長い歴史の中でもたったの一人もいなかった。

普通に考えれば、魔獣に負けようが、魔王に敗れようがその者に待ち受けるはずの運命は死だ。

それでもたったの一人も死ぬことなく、全ての勇者が生還を果たしている。

だがその理由をアリアスは既に知っていた。





「魔王ギラスマティアが人間界を守っていた……ですか。システアさんに聞きました。確かにギラスマティア個人の意思はそうだったのかもしれません。ですが、次の魔王はどうですか? 現にギラスマティアが死んで間もないというのに魔王軍は人間界侵攻へと踏み出しました。魔人は人類の敵です。僕達が戦う事を止めれば、人類は1000年前のあの酷かった時代に戻ってしまいます」





魔王ギラスマティアが人間界を実質的に守っていた事も真実なら今魔界にいる魔人の多くが人間界侵攻を企てている事もまた事実だった。

だからこそ、ギラスマティアの意志は関係なく、アリアスは勇者として役目を果たさなければならないのは客観的に見て正しい事だ。





「あぁ、確かに酷い時代だったな。これから生まれてくる子供達にはあのような時代を経験させたくないものだ。……だが、魔王を倒してそれからどうする? 全ての魔人を殺し尽くすのか?」





アリアスの言葉に同意しながらも、茶タイツはアリアスに問いかけた。

それは茶タイツ自身も数十年前に直面した問題であり、同時に歴代勇者全ての悩みでもあった。

それでもアリアスは茶タイツのマスクの奥の瞳を見つめ、はっきりと答える。





「最終的にはそれが僕の願いです」





「そうか、勇者になった者が一度は通る道だな。だが、魔王に挑んだ全ての勇者はそれが実現不可能な望みだと悟り、淡い希望を抱きこの塔を上った者の多くがそんな願いを抱いた事を後悔し、絶望した」





「……どういう意味ですか? 試練を乗り越えた勇者は絶大な力を得るのではないのですか?」





茶タイツの言葉の意味が理解できずアリアスは茶タイツに問い返す。

確かに強大すぎる魔王の力を知り、絶望するというのならまだ話は分かるが、絶大な力を得るという試練を乗り越えたという勇者が魔人打倒を願った事を後悔するという理由がアリアスには見当もつかなかった。





「あぁ、確かにその通りだ。現状でそれだけの力を持つお前なら次に誕生する魔王にも勝つことも不可能ではないだろう。だが、ただ魔王が死ぬだけだ。所詮次の魔王が生まれるまでの時間稼ぎにしかならない」





「魔王を倒して、人類の脅威にならないくらい魔人の数を減らせばいいのでは?」





「無理だな。不可能だ」





誰しもが考えていたアリアスの考えを茶タイツは即座に否定した。

アリアスの言った話は確かに現実的には難しい話にも思えるが、魔王を倒す事ができるほどの力があれば決して不可能ではない事にアリアスには思えた。





「僕の代では無理でも、次の代、更に次の代の勇者が実現させますよ」





「時間の問題ではない。魔人を殺し尽くすという話自体不可能な話だ。というより、メリットがない」





「……メリットですって?」





茶タイツの言葉を聞いた瞬間、アリアスの周囲に静かな怒りと共に濃密な魔力が放出された。

アリアスにとって、魔王はもちろん魔人打倒は勇者の責務だ。

今までやってきた事がメリットがないと言われては流石のアリアスでも怒りを隠せないのは仕方のないことではあったが……。





「心を乱すな。一番大切な物を目の前で奪われたとしても冷静さを忘れるな」





茶タイツがアリアスを見つめながら言った言葉はアリアスが昔、先代勇者ソリュードに弟子入りしてから真っ先に言われた言葉だった。

アリアスはそんな茶タイツの言葉で自然と冷静さを取り戻していった。





「……ってやっぱり師匠じゃないですか!?」





冷静になったアリアスの第一声はそれだった。

それでも茶タイツは先程の真剣な眼差しから一転惚け始めた。





「ん? だから俺はそんな変な名前ではないぞ。おかしな事を言う奴だな」





この後、試練中幾度となく、茶タイツは先代勇者ソリュードではないかと問い詰められることになったが、最後まで自身がソリュードだと認める事はなかった。
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