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3.I wish
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デイジーのいる街からはかなり離れているので、戦火に巻き込まれる事はないのだが、ショーンが、「戦場の医療チームとして行く」と、言い出した。
ショーンは、以前から医学を熱心に学んでいた。
デイジーは、兄のことが蘇った。
あのとても優しかった兄が兵士として戦場に行き、帰ってきたときにはまるで別人のようになってしまったことをショーンに話した。
「デイジーのお兄さんは、本当に優しい人だったんだね。戦場は心が優しい人には耐えられないだろうからね。でも、大丈夫。僕はお医者さんの手伝いで行くんだ。それに僕は戦災孤児だったからね。戦争がどんなものかちゃんと分かっている。だからこそ、戦場で人を助けたいとずっと思っているんだ」
そう言って、ショーンは遙か遠くの戦地に旅立った。
その後、ショーンからの連絡はほとんどなかった。
「連絡がないってことは、無事でいてくれるって事よ」
サラがそう言ってくれた。
戦争はなかなか終わらず、ショーンが帰って来る気配もないまま、3年が過ぎた。
そんなある日、早馬が速報を運んできた!
敵が条約を破って、医療現場を襲撃したと言うことだ。
医療チームにも多数の負傷者が出ており、その内の何名かが街に帰って来る、と言うことだった。
その中にショーンの名前もあった。
デイジーは気が気ではなかった。
また、帰還民が帰ってくるまで数日かかる。
普段の仕事もポプリ作りにも実が入らない。
「大丈夫。帰ってくるんだから」
サラが優しく言う。
「…でも、凄い怪我とかしてたら」
デイジーは、つい悪い方に悪い方にと考えてしまう。
数日後、数台の馬車に揺られながら、帰還民が街に帰ってきた。
デイジーとサラは2人とも真剣な顔をして馬車の元へ駆け寄った。
1つの馬車からゆっくりとショーンが降りてきた。
腕を包帯でつるしているが、元気そうでデイジーとサラに気付くと、ヘラッと笑った。
「もう!何よ!あの締まりのない笑顔は」
サラが嬉しそうに笑って言った。
デイジーは、足の力が一気に抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。
そして、やっと…
「あああ…」
小さく声を上げて泣くことが出来た。
それを見て、慌ててショーンが駆け寄る。
そして、
「…ただいま」
デイジーをそっと抱きしめた。
ショーンは腕の骨を折る怪我をしていた。
腕が使えないと、医療行為ができないと言うことと、大神官様に相談があり、いったん帰郷したのだった。
ショーンは、まず、自分の部屋に入った。
戦地に行く前のそのままの状態で部屋が保たれている。しかも、手入れが行き届き、埃などがつもっていない。
「きれいなままだな」
ショーンが嬉しそうに言う。
「デイジーが、いつも掃除しているもんね」
イタズラっぽくサラが言った。
「もう!言わなくっていい」
デイジーは、恥ずかしくなり顔を赤くした。
ショーンは、荷を解くとすぐに大神官様に会いに行った。
デイジーとサラも一緒に来て欲しいと言われた。
大神官様は、ショーンが部屋には行って来るなり、駆け寄ってきてギュゥッと、ショーンを抱きしめた。
ショーンが孤児としてこの神殿に来たときから大神官様は父親のように接してきていた。無事に息子が帰ってきたも同然なのだ。
しばらくの抱擁の後、ショーンは本題を話し始めた。
「この戦争は、まだまだ終わりが見えません。どちらも戦力を保持したままです。巻き込まれる村や町の人たちの事なんが全く考えてはいません」
その話を聞きながら皆顔をしかめた。
ショーンは話を続けた。
「多くの者が傷つき、家をなくし、家族を亡くし…。親を亡くした子供たちも後を絶ちません。治療の合間にそんな子供たちの親類縁者を探し、受け入れてくれる孤児院を探して入るのですが…。終わりが見えない状態です」
ショーンは、今一度、大神官様の目をしっかりと見つめて言った。
「ご無理を言いますが、ここの神殿でも数名の孤児たちを受け入れてもらえませんか?」
大神官様は、にっこりと笑って言った。
「ええ、分かっていましたよ。ショーンの気持ちや願い。数名と言わず、できる限り喜んで受けましょう。ただ、今、併設している孤児院はもう建物も古くあまり広くもないので、新しく孤児院を建て直しましょう」
ショーンは、思わず立ち上がった。うれしさと戸惑いの表情を浮かべている。
「でも、建て直すって、そんなお金…」
「そうですね、私もいつかは建て直そうと計画をしていましたし、実はデイジーが神殿のためにと渡してくれたポプリのお金もちゃんと貯めていましたよ」
大神官様が笑顔でデイジーを見た。
それからすぐに孤児院の建設が始まった。
孤児院の建て替えには多くの街の人たちも賛同してくれた。
大工も安くて質の良い材木を四方八方探してきてくれた。
多くの人々がこの計画に協力してくれている。
孤児院はかなり広く大きな物が出来るようだった。
孤児院の完成がもうすぐとなった頃、ショーンは近いうちにまた戦場へ戻ると言った。
デイジーは、分かってはいた。
ショーンは戦地でたくさんの人を助けたいからこそ医学を学んでいたのだ。
今は怪我をしたから帰ってきただけなのだ。
「言わないの?」
唐突にサラが聞いてきた。
「何を?」
急にサラに話題を振られデイジーは戸惑った。
「何って、ショーンによ!もうすぐ行っちゃうでしょ!ちゃんと想いは伝えなきゃ!」
「…想い」
最初はただの優しいお兄さんだと思っていた。
でも、だんだんと別の想いも心の隅に生まれてきた。
ショーンが、戦地に行った3年前、その想いが何なのか、やっと分かった。
…でも、ショーンは自分の信念を持って戦地に行くのだ。
デイジーは、自分の想いを押しつけてショーンの邪魔はしたくないと思った。
結局、何も言えないまま伝えられないまま、ショーンの出発の日になった。
ショーンの怪我は全快と言うわけではないが、とっくに包帯は取れ手を使うことに支障はなかった。
デイジーたちがショーンを見送る。
「元気でね。身体に気を付けて」
本当の気持ちを何も伝えないデイジーをサラがもどかしそうに見ている。
「行ってきます」
そう言い、ショーンが馬車に乗り込もうとしたが、ふと、何かを決心したのか、戻ってきた。
そして、デイジーの目をしっかりと見て言った。
「僕はこれから戦地に行くから、こんなこと言っていいのが分からないけど…」
そこまで言って、ショーンは深呼吸した。
「戦争が終わって次に帰ってきたときには、ちゃんと伝えたいことがある」
それだけ言うと、ニコッと微笑んで馬車に乗り込んだ。
デイジーは、呆然としたままその場に立ち尽くしていた。
「ちょっと、今のって!」サラの方が嬉しそうにデイジーの肩をつかんで揺らす。
デイジーは、ただ黙ったまま、去って行く馬車を見つめていた。
「大丈夫。ショーンは無事に帰ってくるよ。だって、デイジーに話の続きをしないといけないからね」
サラが同じように馬車を見送りながら言った。
さらに一ヶ月後、孤児院が完成した。
今回の孤児院にはデイジーのポプリ作りの部屋も一緒に作られていた。
ポプリ作りを手伝ってくれている子供たちの中には、助手のように手際良くポプリ作りを手伝ってくれる子たちもいた。
デイジーは、今では勉強以外でもポプリ作りを教えるようになっていた。
それから間もなくして、幾人かの孤児たちが孤児院へやって来た。
どの子も笑うことを忘れてしまっているように思えた。
そんな子供たちを見て、デイジーはサラに言った。
「ショーンは戦地で人々を助けている。私たちは、ここでショーンが助けた子供たちを守り続ける」
サラは黙って頷いた。
神殿の孤児院にやって来た孤児たちは皆、うつむき言葉数も少ない。
無理もない、昨日までの当たり前の日々が一瞬でなくなってしまったのだ。
大切な家族を失った悲しみ、怒り、虚無感、どれをとっても他人には分からない。
同じ体験をしたとしても、たとえ兄弟であっても、その悲しみは一人一人違う。
その事は、とうの昔からデイジーは知っていた。
『元気を出そうね』
元気なんかでるわけがない。
『頑張って』
頑張る力なんかないよ。
『落ち込んでいたら亡くなった人が悲しむよ』
何でそんなこと、言うんだよ。
こんな言葉、全てがむなしいだけ。
だからデイジーは、あえて何も言わない。
ただ、黙ってそばにいるだけ。
『いいよ。いっぱい悲しんで。しっかりと悲しんで、心に嘘をついたり、フタをしなくていいよ。ここに居ていいから。ずっと、ここに居ていいから。君がしっかりと悲しめるように、私はただそばにいるよ』
そんなデイジーに孤児たちは時間をかけてゆっくり心を開いていった。
前からいる子供たちも同じように悲しみと向き合ってきた。
感じ方は違っても想いは一緒。
ただ、ここに居ていいと、そばにいてくれる安心感。
デイジーは、いつの間にかただ学問を教えるだけでなく、子供たちに寄り添う心も伝えていたようだ。
新しい孤児院が建てられてから2年が過ぎていた。
ちょうどその頃、戦争の終結の噂が舞い込んできた。
敵国の戦力がもうほとんどつきかけているらしい。
この噂が、1日も早く現実になってほしいと、デイジーは願った。
そんなある日、洗濯物を取り込み部屋に持って入ろうとした時、一瞬目の前が真っ暗になり、その場に倒れ込んでしまった。
そばにいたサラが慌てて駆け寄りデイジーを抱き起こした。
「デイジー!デイジー!大丈夫?!」
「…あ、うん。…大丈夫」
まだ少し、頭がクラクラする。
「起きられる?」
デイジーはサラに支えられながら立ち上がった。
「ごめん、ごめん、私ももう年かな?」
そうデイジーが冗談めいて言うと、
「ちょっと!私の方が年上よ!」
と、サラがわざと怒ったふりをした。
一応、今日はもうデイジーは休むことにした。と言うか、サラに無理やり部屋に戻された。
「…ふぅ」
デイジーは大きなため息を一つつくとベッドにゆっくりと腰掛けた。
たしかに最近、すぐに疲れを感じるようになった気がしていた。
神殿での仕事、孤児院での勉学や子供たちの世話、そして、ポプリ作り。
変わらない日々の中、わずかに感じていた身体の変化に気付かないふりをしていた。
翌日にはまたデイジーは仕事に復帰をしたが、前にも増して疲労感を感じるようになっていた。
その日、デイジーが食器を片付けていた時の事だ。
急に胸に違和感を感じ、咳が止まらなくなった。
苦しい…、皆の慌てる声は聞こえるが、何を言っているのかは分からない。意識がしだいに遠のいて行った。
次に気付いたときは、自分のベッドの上だった。
サラが心配そうにのぞき込んでいる。
離れたところで、大神官様とお医者様が何かを話しているのが見えた。
デイジーの意識が戻ったのに気付いた大神官様は、デイジーのそばに来た。
「デイジー、苦しかったね。お医者様に薬をもらったから、楽になるよ。それから、これはちゃんとデイジーも聞いておかないといけないよ」
そう大神官様が言うと、お医者様が言葉を続けた。
「もうずいぶん前から胸の辺りに違和感があったんじゃないか?正直に言うよデイジー。君は胸を患っている。しかも、あまり良い状態とは言えない。とにかく、しばらく安静にするように」
医者は何種類かの薬を置いて帰って行った。
デイジーは、やりたいことはたくさんあるが、しぶしぶ休むことにした。
しかし、その日を境にデイジーはほとんどをベッドの上で過ごすようになってしまった。
ベッドに横になり、少し起き上がると中庭が見える。
そこでは、子供たちが遊んでいる姿が見えた。
その中にはこの孤児院に来て間もない子供の姿もあった。
少しオドオドしているが、他の子供たちが優しく声をかけている様子が見えた。
暑くも寒くもない気持ちのいい風がデイジーの部屋に入ってきた。
その時、サラが慌てて部屋に入ってきた。
「戦争が、終わるわ!」
やっと、やっと、ずっと願っていた言葉を聞くことができた。
それから、あまり時が経たない頃、サラが真剣な顔をして言った。
「ショーンに帰っていてもらおうか?もう、戦争は終わったんだし」
「…ダメよ。たとえ戦争が終わっても、まだまだ戦争の傷跡は深いわ。ショーンの邪魔は出来ない」
デイジーは首を横に振った。
それからしばらくデイジーの体調は、一進一退を繰り返していた。
ここ数日は、ほとんど起き上がることが出来ない。
一日の中であまり意識がはっきりしないときの方が多くなった。
そんな意識がもうろうとしていた時、誰かが手を握った。
「デイジー」
懐かしい声が聞こえた。
「…?」
ショーンがデイジーの手をしっかりと握っている。
サラがショーンにデイジーのことを知らせていたのだ。
サラからの知らせを知ったショーンの仲間が、早く帰れ、ここは自分たちだけで大丈夫だからと、言ってくれたのだ。
「…お帰りなさい」
出ない声を何とか振り絞ってそれだけ言った。
ショーンが何かを言っているがその声がだんだんと遠くなる。
その時、背後から光を感じた。
振り向くと、暖かく優しい光が自分にふりそそいでいた。
さっきまでの重い身体がいつの間にか軽くなっている。苦しさも嘘のように消えている。
デイジーは、前から知っていたかのように、ごく当たり前にその光に向かって歩いて行った。
-end-
ショーンは、以前から医学を熱心に学んでいた。
デイジーは、兄のことが蘇った。
あのとても優しかった兄が兵士として戦場に行き、帰ってきたときにはまるで別人のようになってしまったことをショーンに話した。
「デイジーのお兄さんは、本当に優しい人だったんだね。戦場は心が優しい人には耐えられないだろうからね。でも、大丈夫。僕はお医者さんの手伝いで行くんだ。それに僕は戦災孤児だったからね。戦争がどんなものかちゃんと分かっている。だからこそ、戦場で人を助けたいとずっと思っているんだ」
そう言って、ショーンは遙か遠くの戦地に旅立った。
その後、ショーンからの連絡はほとんどなかった。
「連絡がないってことは、無事でいてくれるって事よ」
サラがそう言ってくれた。
戦争はなかなか終わらず、ショーンが帰って来る気配もないまま、3年が過ぎた。
そんなある日、早馬が速報を運んできた!
敵が条約を破って、医療現場を襲撃したと言うことだ。
医療チームにも多数の負傷者が出ており、その内の何名かが街に帰って来る、と言うことだった。
その中にショーンの名前もあった。
デイジーは気が気ではなかった。
また、帰還民が帰ってくるまで数日かかる。
普段の仕事もポプリ作りにも実が入らない。
「大丈夫。帰ってくるんだから」
サラが優しく言う。
「…でも、凄い怪我とかしてたら」
デイジーは、つい悪い方に悪い方にと考えてしまう。
数日後、数台の馬車に揺られながら、帰還民が街に帰ってきた。
デイジーとサラは2人とも真剣な顔をして馬車の元へ駆け寄った。
1つの馬車からゆっくりとショーンが降りてきた。
腕を包帯でつるしているが、元気そうでデイジーとサラに気付くと、ヘラッと笑った。
「もう!何よ!あの締まりのない笑顔は」
サラが嬉しそうに笑って言った。
デイジーは、足の力が一気に抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。
そして、やっと…
「あああ…」
小さく声を上げて泣くことが出来た。
それを見て、慌ててショーンが駆け寄る。
そして、
「…ただいま」
デイジーをそっと抱きしめた。
ショーンは腕の骨を折る怪我をしていた。
腕が使えないと、医療行為ができないと言うことと、大神官様に相談があり、いったん帰郷したのだった。
ショーンは、まず、自分の部屋に入った。
戦地に行く前のそのままの状態で部屋が保たれている。しかも、手入れが行き届き、埃などがつもっていない。
「きれいなままだな」
ショーンが嬉しそうに言う。
「デイジーが、いつも掃除しているもんね」
イタズラっぽくサラが言った。
「もう!言わなくっていい」
デイジーは、恥ずかしくなり顔を赤くした。
ショーンは、荷を解くとすぐに大神官様に会いに行った。
デイジーとサラも一緒に来て欲しいと言われた。
大神官様は、ショーンが部屋には行って来るなり、駆け寄ってきてギュゥッと、ショーンを抱きしめた。
ショーンが孤児としてこの神殿に来たときから大神官様は父親のように接してきていた。無事に息子が帰ってきたも同然なのだ。
しばらくの抱擁の後、ショーンは本題を話し始めた。
「この戦争は、まだまだ終わりが見えません。どちらも戦力を保持したままです。巻き込まれる村や町の人たちの事なんが全く考えてはいません」
その話を聞きながら皆顔をしかめた。
ショーンは話を続けた。
「多くの者が傷つき、家をなくし、家族を亡くし…。親を亡くした子供たちも後を絶ちません。治療の合間にそんな子供たちの親類縁者を探し、受け入れてくれる孤児院を探して入るのですが…。終わりが見えない状態です」
ショーンは、今一度、大神官様の目をしっかりと見つめて言った。
「ご無理を言いますが、ここの神殿でも数名の孤児たちを受け入れてもらえませんか?」
大神官様は、にっこりと笑って言った。
「ええ、分かっていましたよ。ショーンの気持ちや願い。数名と言わず、できる限り喜んで受けましょう。ただ、今、併設している孤児院はもう建物も古くあまり広くもないので、新しく孤児院を建て直しましょう」
ショーンは、思わず立ち上がった。うれしさと戸惑いの表情を浮かべている。
「でも、建て直すって、そんなお金…」
「そうですね、私もいつかは建て直そうと計画をしていましたし、実はデイジーが神殿のためにと渡してくれたポプリのお金もちゃんと貯めていましたよ」
大神官様が笑顔でデイジーを見た。
それからすぐに孤児院の建設が始まった。
孤児院の建て替えには多くの街の人たちも賛同してくれた。
大工も安くて質の良い材木を四方八方探してきてくれた。
多くの人々がこの計画に協力してくれている。
孤児院はかなり広く大きな物が出来るようだった。
孤児院の完成がもうすぐとなった頃、ショーンは近いうちにまた戦場へ戻ると言った。
デイジーは、分かってはいた。
ショーンは戦地でたくさんの人を助けたいからこそ医学を学んでいたのだ。
今は怪我をしたから帰ってきただけなのだ。
「言わないの?」
唐突にサラが聞いてきた。
「何を?」
急にサラに話題を振られデイジーは戸惑った。
「何って、ショーンによ!もうすぐ行っちゃうでしょ!ちゃんと想いは伝えなきゃ!」
「…想い」
最初はただの優しいお兄さんだと思っていた。
でも、だんだんと別の想いも心の隅に生まれてきた。
ショーンが、戦地に行った3年前、その想いが何なのか、やっと分かった。
…でも、ショーンは自分の信念を持って戦地に行くのだ。
デイジーは、自分の想いを押しつけてショーンの邪魔はしたくないと思った。
結局、何も言えないまま伝えられないまま、ショーンの出発の日になった。
ショーンの怪我は全快と言うわけではないが、とっくに包帯は取れ手を使うことに支障はなかった。
デイジーたちがショーンを見送る。
「元気でね。身体に気を付けて」
本当の気持ちを何も伝えないデイジーをサラがもどかしそうに見ている。
「行ってきます」
そう言い、ショーンが馬車に乗り込もうとしたが、ふと、何かを決心したのか、戻ってきた。
そして、デイジーの目をしっかりと見て言った。
「僕はこれから戦地に行くから、こんなこと言っていいのが分からないけど…」
そこまで言って、ショーンは深呼吸した。
「戦争が終わって次に帰ってきたときには、ちゃんと伝えたいことがある」
それだけ言うと、ニコッと微笑んで馬車に乗り込んだ。
デイジーは、呆然としたままその場に立ち尽くしていた。
「ちょっと、今のって!」サラの方が嬉しそうにデイジーの肩をつかんで揺らす。
デイジーは、ただ黙ったまま、去って行く馬車を見つめていた。
「大丈夫。ショーンは無事に帰ってくるよ。だって、デイジーに話の続きをしないといけないからね」
サラが同じように馬車を見送りながら言った。
さらに一ヶ月後、孤児院が完成した。
今回の孤児院にはデイジーのポプリ作りの部屋も一緒に作られていた。
ポプリ作りを手伝ってくれている子供たちの中には、助手のように手際良くポプリ作りを手伝ってくれる子たちもいた。
デイジーは、今では勉強以外でもポプリ作りを教えるようになっていた。
それから間もなくして、幾人かの孤児たちが孤児院へやって来た。
どの子も笑うことを忘れてしまっているように思えた。
そんな子供たちを見て、デイジーはサラに言った。
「ショーンは戦地で人々を助けている。私たちは、ここでショーンが助けた子供たちを守り続ける」
サラは黙って頷いた。
神殿の孤児院にやって来た孤児たちは皆、うつむき言葉数も少ない。
無理もない、昨日までの当たり前の日々が一瞬でなくなってしまったのだ。
大切な家族を失った悲しみ、怒り、虚無感、どれをとっても他人には分からない。
同じ体験をしたとしても、たとえ兄弟であっても、その悲しみは一人一人違う。
その事は、とうの昔からデイジーは知っていた。
『元気を出そうね』
元気なんかでるわけがない。
『頑張って』
頑張る力なんかないよ。
『落ち込んでいたら亡くなった人が悲しむよ』
何でそんなこと、言うんだよ。
こんな言葉、全てがむなしいだけ。
だからデイジーは、あえて何も言わない。
ただ、黙ってそばにいるだけ。
『いいよ。いっぱい悲しんで。しっかりと悲しんで、心に嘘をついたり、フタをしなくていいよ。ここに居ていいから。ずっと、ここに居ていいから。君がしっかりと悲しめるように、私はただそばにいるよ』
そんなデイジーに孤児たちは時間をかけてゆっくり心を開いていった。
前からいる子供たちも同じように悲しみと向き合ってきた。
感じ方は違っても想いは一緒。
ただ、ここに居ていいと、そばにいてくれる安心感。
デイジーは、いつの間にかただ学問を教えるだけでなく、子供たちに寄り添う心も伝えていたようだ。
新しい孤児院が建てられてから2年が過ぎていた。
ちょうどその頃、戦争の終結の噂が舞い込んできた。
敵国の戦力がもうほとんどつきかけているらしい。
この噂が、1日も早く現実になってほしいと、デイジーは願った。
そんなある日、洗濯物を取り込み部屋に持って入ろうとした時、一瞬目の前が真っ暗になり、その場に倒れ込んでしまった。
そばにいたサラが慌てて駆け寄りデイジーを抱き起こした。
「デイジー!デイジー!大丈夫?!」
「…あ、うん。…大丈夫」
まだ少し、頭がクラクラする。
「起きられる?」
デイジーはサラに支えられながら立ち上がった。
「ごめん、ごめん、私ももう年かな?」
そうデイジーが冗談めいて言うと、
「ちょっと!私の方が年上よ!」
と、サラがわざと怒ったふりをした。
一応、今日はもうデイジーは休むことにした。と言うか、サラに無理やり部屋に戻された。
「…ふぅ」
デイジーは大きなため息を一つつくとベッドにゆっくりと腰掛けた。
たしかに最近、すぐに疲れを感じるようになった気がしていた。
神殿での仕事、孤児院での勉学や子供たちの世話、そして、ポプリ作り。
変わらない日々の中、わずかに感じていた身体の変化に気付かないふりをしていた。
翌日にはまたデイジーは仕事に復帰をしたが、前にも増して疲労感を感じるようになっていた。
その日、デイジーが食器を片付けていた時の事だ。
急に胸に違和感を感じ、咳が止まらなくなった。
苦しい…、皆の慌てる声は聞こえるが、何を言っているのかは分からない。意識がしだいに遠のいて行った。
次に気付いたときは、自分のベッドの上だった。
サラが心配そうにのぞき込んでいる。
離れたところで、大神官様とお医者様が何かを話しているのが見えた。
デイジーの意識が戻ったのに気付いた大神官様は、デイジーのそばに来た。
「デイジー、苦しかったね。お医者様に薬をもらったから、楽になるよ。それから、これはちゃんとデイジーも聞いておかないといけないよ」
そう大神官様が言うと、お医者様が言葉を続けた。
「もうずいぶん前から胸の辺りに違和感があったんじゃないか?正直に言うよデイジー。君は胸を患っている。しかも、あまり良い状態とは言えない。とにかく、しばらく安静にするように」
医者は何種類かの薬を置いて帰って行った。
デイジーは、やりたいことはたくさんあるが、しぶしぶ休むことにした。
しかし、その日を境にデイジーはほとんどをベッドの上で過ごすようになってしまった。
ベッドに横になり、少し起き上がると中庭が見える。
そこでは、子供たちが遊んでいる姿が見えた。
その中にはこの孤児院に来て間もない子供の姿もあった。
少しオドオドしているが、他の子供たちが優しく声をかけている様子が見えた。
暑くも寒くもない気持ちのいい風がデイジーの部屋に入ってきた。
その時、サラが慌てて部屋に入ってきた。
「戦争が、終わるわ!」
やっと、やっと、ずっと願っていた言葉を聞くことができた。
それから、あまり時が経たない頃、サラが真剣な顔をして言った。
「ショーンに帰っていてもらおうか?もう、戦争は終わったんだし」
「…ダメよ。たとえ戦争が終わっても、まだまだ戦争の傷跡は深いわ。ショーンの邪魔は出来ない」
デイジーは首を横に振った。
それからしばらくデイジーの体調は、一進一退を繰り返していた。
ここ数日は、ほとんど起き上がることが出来ない。
一日の中であまり意識がはっきりしないときの方が多くなった。
そんな意識がもうろうとしていた時、誰かが手を握った。
「デイジー」
懐かしい声が聞こえた。
「…?」
ショーンがデイジーの手をしっかりと握っている。
サラがショーンにデイジーのことを知らせていたのだ。
サラからの知らせを知ったショーンの仲間が、早く帰れ、ここは自分たちだけで大丈夫だからと、言ってくれたのだ。
「…お帰りなさい」
出ない声を何とか振り絞ってそれだけ言った。
ショーンが何かを言っているがその声がだんだんと遠くなる。
その時、背後から光を感じた。
振り向くと、暖かく優しい光が自分にふりそそいでいた。
さっきまでの重い身体がいつの間にか軽くなっている。苦しさも嘘のように消えている。
デイジーは、前から知っていたかのように、ごく当たり前にその光に向かって歩いて行った。
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