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三章

三話 望むところだ その一

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「……」

 暗闇の中、手を伸ばして時計のボタンを押す。
 時計全体がうっすらとひかり、午前五時前である事を確認する。
 シュナイダーは……まだ、寝ているな。よし。
 俺はゆっくりと起き上がり、強とシュナイダーを起こさないよう、注意しながら寝る前に用意しておいた服をとって、部屋から出ようとすると……。

「……」

 起きてしまいやがった……シュナイダーが。
 俺はすぐさま、シュナイダーを掴み、部屋を出た。シュナイダーは寝起きのおかげで、ぼおっとしている。
 早く、あの場所へ……。
 俺は玄関を開け、外に出る。

 さ、寒い……。
 冬の寒さが俺に肌に直撃するが、かまっていられない。
 シュナイダーも寒さで覚醒していく。
 間に合え!
 俺は庭に出て、目的地の近くでシュナイダーを地面に下ろす。

 シュナイダーは何事かと首をキョロキョロしていたが、すぐにある場所へ歩いて行く。
 よし、そのままいけ!
 シュナイダーはある地点で座り込み……。

「ふぅ。よし、シュナイダー。よく出来たな」

 俺はシュナイダーの顎の下あたりを優しく撫でてやる。
 そう、トイレだ。
 シュナイダーは朝、必ずおしっこをする。以前、強と同じベットに寝たシュナイダーがベットの中でおしっこをしたことがあった。
 信吾さんは冗談交じりで、強がおもらしした、とか騒いでしまい、強の機嫌を損ねたことがあった。

 まあ、子犬だし、外でトイレする場合はトレーニングしていたが、家の中はまだしていない。
 家に入れるのは基本、夜鳴きするときくらいだ。
 これからもっと寒くなるし、雨が降ったら家に入れるので、玄関かどこかに置けるゲージが必要になるかもしれないが、特定のトイレをする場所がないので、こうやって外に連れ出すわけだ。

 うまくいったら、褒めてやる。
 失敗した場合は、なぜ失敗したのかを考え、人間側が注意して修正する。
 シュナイダーを怒鳴ったりはしない。怒鳴るようなことでもないからな。

 俺が撫でるのをやめ、家に入ろうとすると、シュナイダーは元気に俺に吠えてくる。散歩に連れて行けってことだろう。

「ちょっと、待ってろ」

 ああっ、日本語通じないのに、つい言っちまうんだよな。
 俺はシュナイダーのトイレが成功したことに少ししてやった感に満足しながら、着替えを済ませようと思った。
 玄関に入ると……。

「おはようございます」
「うおっ!」

 びっくりした!
 玄関にはパジャマの上にゆったりとしたナイトガウンを羽織った朝乃宮がいた。
 まさか、玄関に人がいるとは思ってもいなかった。

「失礼なお人やね。昨日、藤堂はんと約束した件で起きてましたのに」
「す、すまん! 俺が悪かった。反省してる。だから、その、手を貸してくれるか?」

 朝乃宮は律儀に俺のお願いを聞いてくれた。
 そんな朝乃宮に対して、俺は失礼な態度をとったことを謝罪し、改めて願い出た。
 朝乃宮の返事は……。

「構いません。ウチもなまった体を鍛え直しておきたいですし」
「……助かる。今から五分後……いや、十分後にリビングに集合でいいか?」

 朝乃宮はうなずき、部屋に戻っていった。
 それにしても、朝乃宮、早朝なのに髪とか綺麗に整っていたな。
 どうでもいいことに感心しつつ、俺も部屋に戻り、準備を始めた。



「がはっ!」

 俺は顎を打たれ、地面に倒れた。
 いてぇ……。
 顎を強打され、足が痺れたように震えている。力が入らない。
 俺は顔を上げ、倒した相手を睨みつける。
 俺を倒したのは……。

「ううぅ……寒ぅ……」

 視線の先に朝乃宮が手をこすりあわせ、身を縮ませていた。
 最初は袴姿だったが、手袋、マフラー、ジャンパーなどしっかりと着込んでいる。両手をすくうような形で息を吹きかけている。
 白い息が朝乃宮の手をわずかに温めるが、すぐに冷めてしまうようで、寒さに耐えかね、懐からカイロを出して、揉んでいた。
 あの余裕っぷり、ムカつく!

 体力とマヒの回復に努め、なぜ、俺は朝乃宮と手合わせしているのかを後悔しつつ、思い返す。
 青島祭が終わった辺りから、青島は物騒になった。
 いや、もっと前から変わっていたのかもしれないが、俺が気づいたのはその頃だ。
 左近がコソコソと調べ物をしていたり、武蔵野が青島以外の本土の不良に絡まれた。

 そして、俺が元旦に襲われた。
 襲撃者は革命をおこすだなんだワケの分からない事を抜かしていたっけな。とりあえず、左近に報告は入れておいた。
 左近は調べてくれているようだが、その間にも、また俺は襲われた。
 俺は正体不明の輩に狙われているのは確かだ。

 ここで問題なのが、俺だけでなく、他の風紀委員メンバーも襲われていること。
 そして、俺を待ち伏せしている間、関係のないはずの青島西中の生徒が被害を受けている。流石に看過できない事態だ。
 俺と一緒にいることで強や上春が巻き込まれる可能性が高い。そのとき、俺は二人を守れるのか?
 数もあちらの方が圧倒的に多いだろう。
 もし、数でごり押しされたら、負ける可能性もあるし、強達を守れないかもしれない。

 もし、強達が蹂躙されたら、俺は一生後悔することになる。後悔ばかりしているが、それでも、しなくていい後悔はしたくない。
 だから、鍛え直すことにした。
 青島をある程度平定してから、緊張感が抜け、身体が鈍ってしまった。
 勘を取り戻す為、鍛え直す為、朝乃宮に頼み込み、喧嘩方式で手合わせしているのだが……。

 強ぇえ……。
 改めて朝乃宮の強さを痛感する。
 朝乃宮は木刀ではなく、素手で俺と手合わせした。
 体の動きが素人のそれじゃない。間違いなく、武術の動きだ。
 動きの一つひとつに無駄がなく、最低限の動きで急所を的確に狙ってくる。しかも、攻撃の軌道が読みにくい。

 朝乃宮は二種類の動きを使い分けている。
 線の動きと円の動きだ。
 線は直線的に、円は弧を描くように相手に攻撃する。
 直線的とはジャブやストレートといった真っ直ぐの軌道。
 円の動きはフックやアッパーといった曲線的な軌道を描きながら、横、もしくは縦の軌道。
 直線的な動きは電光石火の如く、即座に相手を叩きのめし、弧を描く動きは遠心力を使った破壊力のある攻撃だ。

 朝乃宮の腕の打撃は掌底を基本とする。
 掌の手首に近い部分で殴ることで、リーチは拳よりも短いが、当たった面を痛めることが少なく、手首も痛めにくい。
 それに足捌あしさばきが軽やかで陣取るのがうまい。
 朝乃宮は手や腰の動きだけでなく、つま先から連動させ、最低限の動きで大きな破壊力を生んでいる。
 それにリーチは俺の方が長いが、懐に入られたら小回りのきく朝乃宮が有利だ。
 そして、つま先からの回転、遠心力を使い、まるで駒のように動き、打撃を繰り出す。
 回転の力で近距離からの攻撃に破壊力を持たせるわけだ。
 それ以外にも、俺が最適な距離で攻撃するのを防いだり、常に朝宮の距離で事が運ぶといった利点もあるが、ただただ俺にとって厄介なのだ。

 この女、容赦なく急所にたたき込んでくるので、訓練でもマジでヤバイ。
 鳩尾の高速掌底をたたき込まれたことから始まり、距離をとる為、ストレートで突き放そうとするが、それをかいくぐっての肘鉄での二度目の鳩尾。
 直線的な攻撃に警戒し、ガードを固めてからの、下から上にボウリング投げのような美しい弧を描く、掌底のアッパーカット。
 それでノックアウトだ。

 それ以降も涼しい顔をして、朝乃宮は俺をいたぶる。
 いや、誇張表現ではない。そのまんまだ。
 デンジャラスな攻撃ばかり仕掛けてきて、何もさせてくれない。この女と鉢合わせになったら大けがを覚悟しなければならない。
 この女に反則切符を切って欲しいと本気で言いたくなる。赤切符バリの悪質な行為だ。

 隙あらば一瞬で全体重を乗せた掌底を壇中や鳩尾、食らわせてくるし、こっちが攻撃すれば、カウンターで肘鉄、裏拳、掌底の三コンボ。
 上半身に注意が向けば、太股に鞭を連想させるしなるような蹴りがとんでくる。
 このクソ寒いときに太股蹴るとか鬼だろ!
 手合わせして十分で、俺は地面に転がり、悶絶していた。
 鼻や膝関節への蹴りがなかっただけ優しいなっと思うべきだろうか?
 いや、そんなわけねえ……この女、顔はバレるからボディー殴りな的な考えで、俺をいたぶってやがった。

「まだ、朝食まで時間ありますし、やりましょうか?」

 鬼か、お前は……。



「おはよう、まさ……どったの? その顔」
「……朝乃宮と特訓することになってな」

 学校に登校した後、俺は風紀委員室にいる左近に会いに行った。
 案の定、左近は体をひきづるようにして入ってきた俺に目を丸くして驚いている。
 風紀委員室はひんやりと冷えていて、左近の隣に電気ストーブがあるくらいだ。

 朝乃宮と特訓して体がボロボロだ。飯前にすることじゃないな、あれは。口の中が切れて痛い。
 当たり前のことなのに、すっかり忘れていた。平和ぼけしていた証拠だ。情けない。
 だが、気は引き締まった。自分の気の持ちようが一年前に戻っていく気がする。あの無秩序で血気盛んな不良が闊歩していた頃に……。

「それで? 僕に何かお願いがあるの?」
「ああっ。今日から特訓を再開したい。御堂や順平を借りたいんだが」

 この学校には俺より強いヤツは少なくとも三人いる。朝乃宮、御堂、順平だ。
 三人との特訓はハードだが、身体とも鍛えるにはもってこいの相手だ。
 それに全力を出しても勝てないのだから、思いっきりぶつかっていける。

「……そんなに危険なの?」
「今はまだ安全だと思うが、きっと、近いうちに均衡は崩れる。そのとき、俺達を目障りだと思っているヤツらが一斉に襲いかかってくるだろう。俺は自業自得だし、問題ないが、家族が巻き込まれる事は納得いかない。だから、手出しされないよう、鍛え直したい」

 強は少しずつだが、両親に置いて行かれたことから立ち直ろうとしている。それを邪魔されたくない。
 分かっている。俺は自分を強に重ねている。強が立ち直り、幸せになれば自分も報われる気がする。
 そんな打算的な考えもあるが、それでも、強には幸せとはいかなくても、普通の学校生活をおくってほしい。

 それを邪魔するヤツは許せない。それに、上春を巻き込むわけにはいかない。
 陽菜のような悲劇を繰り返すつもりはない。
 朝乃宮が護ってくれるだろうが、俺の方でも気に掛けておきたい。

「そう……僕の方でも手は打っているんだけど、やっぱり、面倒事は止まらないみたいだね。残念なことだけど、一つだけ救いがあったね」
「救いだと? そんなもの……」
「伊藤さんが抜けたことさ。彼女も一度、酷い目にあっているからね。もう二度と、そんな目にあってほしくないでしょ」

 俺は言葉を失う。
 確かにそうだ。伊藤がもう、不良のいざこざに巻き込まれない事だけが救いだ。
 だが、それは、伊藤の復帰は絶望的だって事を示している。
 左近は伊藤の復帰を願っていた。しかし、今の状況ではそれは叶わない。
 大切だからこそ、突き放さなければならない。
 ままならないものだ。
 そう思わずにはいられなかった。
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