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蔵屋敷強の願い編 一章

一話 俺も義信さんも楓さんもいつも強の事、想っている その四

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 午後は平穏そのものだった。
 昼食後、強とキャッチボール、シュナイダーの散歩、家周辺の見回り、勉強を終え、あっという間に夕食時になった。
 今日の晩ご飯の当番は俺と……。

「よろしゅう」

 朝乃宮だ。持参したエプロンまでつけている。しかも、猫の絵柄だ。ウチは犬派だぞ。
 上等だ。やってやる……と思ったが、今日は敵情視察といこう。朝乃宮の腕を見ておきたい。
 何から手をつけるのか? 手際は? どのような下ごしらえをするのか? 包丁の技能は? 食材の知識は?
 今から楽しみだ。
 だが、その前に……。

「強、どうした?」

 強がジッと俺を見つめている。
 なんだ? 何かあったのか?
 ダメだ、何を考えているのか分からん。強い感情があれば、強の気持ちは分かるが、それ以外だとさっぱりだ。
 今は分からなくても、一ヶ月、二ヶ月と歳月を重ねれば、分かるようになるのか?

「藤堂はん?」
「……いや、始めようか」

 何かあれば、声を掛けてくるだろう。俺は夕ご飯の準備に取りかかった。

「……」



 一日が終わろうとしている。
 俺は自分の部屋で雑誌を読みながら、今日一日の出来事を思い返していた。
 あれから何度が見回りをしたが、青島西中の姿は誰一人見られなかった。正月から襲ってきたアイツらもだ。
 明日は青島西中を見回りするつもりだ。
 その前にアイツに会いに行く。
 先ほどメールで連絡しておいて、すぐにOKをもらえた。久しぶりだし、菓子の一つも持っていくか。

「……あんちゃん」
「なんだ、強」

 俺は雑誌から目を離し、強の方へ向く。
 強はもう、パジャマに着替え、新しく買った少年雑誌を手にしていた。

「……それ、面白い?」

 俺が手にしていた本は料理の本だ。楓さんが愛読している本を借りたのだ。
 朝乃宮の料理の腕は、全てが俺より上だった。
 相手は子供の頃から仕込まれていたのだ。一年ちょっとしか料理をしてこなかった俺が適うはずもない。
 だが、追いつき、追い越せるはずだ。負けたくない。
 それ故、勉強しているだけだ。

「なかなか面白いぞ。一手間加えるだけで、調理が楽になるからな。新しい知識が増えると楽しいんだ。知ってるか? 牛乳を温める前に砂糖を入れておくと、膜ができにくくなるんだ。砂糖が持つ性質を利用したナイスな考えだ」

 料理を作っていると、うまくいかないことばかりで、最初の頃は悩んだものだ。
 例えば、チャーハンを作ったとき、米がべちゃべちゃになったり、野菜炒めはシャキシャキしなくて水っぽいし、卵焼きでさえ、うまく折りたためなかった。
 ご飯を炊くだけでも、水っぽくなったりした。
 楓さんや女、定食屋で食べるものとは比べものにならないデキだ。

 楓さんが根気よく俺に料理を教えてくれたおかげでそれなりにマシになったが、今日の朝乃宮の手際でよく分かった。
 俺は下手だ。楓さんに合わせる顔がない。
 伊藤や左近には好評だったが、それは朝乃宮の料理を食べていないから言えたことだ。なぜか、信吾さんには俺の料理の方が好評だったが。

 強は相変わらず、じっと俺を見つめている。
 部屋にある電気ストーブと加湿器超音波の水蒸気の出る音だけが耳に伝わる。

「……あんちゃんがおかしいって言われた」
「おかしい?」

 いきなり、何の話だ?
 強は目を伏せ、ぽつりと話し出した。

「……あんちゃんは男なのに、家事をしているからおかしい、女々しいって言われた」

 なるほどな。普通の男子高校生は料理も裁縫もしないわな。
 家事は女子のイメージがある。
 それは母親が家事をしてくれるからだ。そして、その恩恵はずっと続くとガキは信じて疑わない。
 だから、女の仕事をする男は女々しい、おかしいと思うわけだ。

「強はどうだ? 俺が女々しいと思うか?」

 強は即座に首を横に振る。
 俺はつい、苦笑してしまった。

「なあ、強。俺の両親のことはどこまで知ってる?」
「……あんちゃんの両親が離婚したことまで。理由は分からない」

 強は嘘をついている。強は正直だから、後ろめたいことがあると視線がわずかに下がる。
 けれど、どこまでが嘘なのかは分からない。もしかすると、強は知っているのかもな。
 俺が少年Aであることも、なぜ、俺の両親が離婚することになったのかも。

 俺は決意する。俺だけが自分の過去を隠すのはフェアじゃないからだ。
 それに俺が原因で強に嘘をつかせているのなら、やめてほしいしな。
 俺の苦い経験と懺悔が、強のためになるのなら……一歩踏み込むんだ。

 俺はゆっくりと強に語る。

「俺にはどうしても許せない事があった。いや、許せないヤツらがいた。そいつらは俺や俺の大切な親友をいじめ、他にも弱いヤツを片っ端から虐げてきた最悪なクズ達だった。俺はそいつらをたたきのめしたが、それが原因で両親は離婚した。一時の感情に身をまかせた行動が、取り返しの付かないことを招いた」
「……」

 一時の感情に身をまかせた行為ではあったが、俺は後悔していない。
 もし、タイムマシンがあって、また、あのときをやり直せるとしても、俺はこの道を選ぶだろう。
 俺や健司の尊厳、友情を踏みにじり、自分の快楽のために自分よりも弱い人間を苛めるあのクソ野郎共を俺は絶対に許さない。許せないんだ。

 俺は暴力で物事と解決した。それなのに、強には暴力を振るうなと言う。
 勝手な事だとは思う。それでも、強には俺と同じ道を歩いて欲しくない。
 強は堂々と前を向いて、生きていてほしい。
 だから……。

「俺は両親に捨てられ、この青島にやってきた。最初は島流しにあったと思ったよ。罪を犯した俺への罰だと思った。けど、違った。俺はこの青島でかけがえのないものを手に入れた。義信さんと楓さんだ」
「……」

 俺は二人がどれだけ大切な人か、言葉にしてみる。今、目の前にいる家族がどれほどかけがえのない存在か話す。

「自暴自棄になっていた俺を、義信さんは何度も叱ってくれた。俺を見捨てなかった。理不尽な悪党に立ち向かう姿を見せてくれた。楓さんは、俺が何度罵っても、拒絶しても、そばにいてくれた。温かいご飯を、おはようの挨拶をいつも、いつもしてくれたんだ。青島に来たばかりの俺は友達もいなくて、喧嘩に明け暮れていた。誰も俺に話しかけることも、挨拶もしてくれなかった。楓さんと義信さんだけなんだ。俺を家族のように接してくれたのは。それでも、俺はバカだから、その愛情が怖くて逃げてばかりで……また、失敗した」

 そう、俺はまた失敗した。そのせいで、楓さんの腕に一生消えない傷を負わせてしまった。俺は心底後悔した。
 また、捨てられる……それだけが怖かった。自分の事しか考えないクズ野郎だった。
 でも……。

「けど、楓さんも義信さんも俺を許してくれたんだ。バカな俺をどこまでも信じて、見捨てなかった。俺が更生することをただ、信じてくれた。だから、俺は決心した。藤堂の名を継ごうと。義信さんのように理不尽に立ち向かい、家族を見捨てない強さに憧れた。楓さんのように優しくて、傷つけられても家族を見捨てない愛情の深さに憧れた。二人は俺の生きていく目標になった」

 二人のことを想うと、胸の奥が熱くなる。
 俺がやっていることなんて、おままごとでガキの強がりだけれど、それでも、義信さんや楓さんのように強くなりたいと心の底から願っている。
 藤堂である事が、俺の誇りになった。

「俺は少しずつでも義信さんと楓さんに恩を返したい。俺の出来る事をない頭で考え抜いて出した結論が家事の手伝いだ。とはいっても、最初の頃は逆に足手まといになって迷惑を掛けたんだけどな。俺は家事をしていることに、恥ずべき事も女々しいとも思った事はない」

 嘘だ。ここに嘘がある。強にも誰にも言えない本心がある。
 もちろん、家事を手伝っていることを恥ずべき事でも女々しいとも思った事はない。
 料理の本を買うのは最初は恥ずかしかったが、今では普通に買える。
 なにより楓さんの負担を減らしたいのも本心だ。

 でも、本当は……本当は……。

 俺は吐き出してしまいたい本心を飲み込み、強に語る。
 強には俺のようにはなってほしくない。反面教師として見て欲しい。
 強には正々堂々と真っ直ぐに生きて欲しいんだ。

 だから……すまん、強。俺はお前に嘘をつく。
 けど……今から言うことは俺の……紛れもない本心で、願いだ。
 聞いてくれ、強。俺の願いを……。

「強……今は家族のこと、忘れることは出来ないと思う。まだ、両親が強を迎えに来る可能性だって高い。けどな、強。置いていかれた悲しみで今を生きないでくれ。学校で上春と名乗れなくても、上春家のみんなは……信吾さんも上春もお前のこと、家族だって受け入れてるから。ついでに、女もな。だから、強も気が向いたらでいい、家族に甘えてくれ」

 無茶なお願いだとは分かっている。
 強は上春家の人間じゃない。強の両親が迎えに来れば、それで終わりだ。
 せっかく、育んだ愛情も、手放さなければいけなくなる。別れが辛くなる。
 でも、それでも、俺は強にはもっと、今の仮初めの家族に甘えて欲しいと願っている。いや、仮初めなんて失礼だ。
 上春に……俺達に……家族にあまえてくれ。そうすれば、きっと、この苦しみから救われる。

 雑巾なんて作ってってお願いしろよ。そんなもん、作ってやるから。
 百円ショップで買うようなことをするなよ。そんなの、悲しいだろ? 家族を頼ってくれよな。

 それにな、強、俺は知っているんだ。
 強が家族を想って、夜に泣いていることを。
 強が泣き始めたのは、あの日からだ。俺が強に我が儘を言えと言ってしまったときからだ。
 強は必死に抑え込んでいたものを、俺が壊してしまった。素直になれと言ってしまった。
 そのせいで、強は両親が一緒にいた幸せを思い出し、帰ってこない日々に涙するようになった。

 これは俺のせいだ。しかも、俺は逃げ続けた。背を向け、見て見ぬふりをしていた。
 最低な男だよな。
 でも、それももうやめだ。

 俺は強を救いたい。そんな人間じゃないことは俺がよく知っている。大切な友達も相棒も傷つけてきた。
 誰かを救えるような人間じゃないってことは自分自身が誰よりも知っている。

 でもな、救いたいんだ。救いたいんだよ。
 俺は強に自分の姿を重ねている事は認める。けどな、今は……今は……それだけじゃないってはっきりと言える。
 俺は……俺が強を助けたいんだ。

「ねえ、あんちゃんはどうして、僕に優しくしてくれるの?」

 そんな馬鹿な事を聞くなよ……そんなこと……。


 イイカゲンニシロ……オマエハナンドオナジアヤマチヲクリカエスツモリダ……キタイシテモウラギラレルダケダゾ……ツヨシハカナラズオマエノマエカラキエル……ダカラ……フミコムナ。


 俺は胸の奥の苦しみに歯を食いしばり耐える。
 そうだ、逃げるな。
 期待? そんなもん、知るか。強が期待に応えてくれなくても、俺が強の期待に応えればいい。
 それが強のためになるのなら……強の救いになるのなら……踏み込め!

 俺が強を気にかける理由なんて決まっている。俺は強の……。

「俺が強の兄貴だからだ。それ以上の理由なんて必要か?」
「それなら……あんちゃんにも甘えていい?」

 強はすがるような、泣きそうな顔で俺に聞いてきた。
 俺の答えなど、とうに決まっている。考える必要すらない。覚悟は決めた。
 俺の答えは……。

「ああっ、甘えていいぞ。俺も義信さんも楓さんもいつも強の事、想っている。強の力になりたいと願っている。もちろん、シュナイダーもな」
「……ありがとう、あんちゃん……」

 強はまた、泣いてしまった。泣かせてしまった。
 俺はゆっくりと、慎重に強の頭に手を伸ばす。手が震えているのが分かる。
 あの日は逃げた。だけど、今日こそは……。
 俺は強の頭にそっと、慈しむように手を添えた。
 今度こそ強の頭を撫でることができた。あの日の夜にできなかったことをやってみせた。
 強に背中を向けたことをずっと後悔していた。
 でも、今は違う。

 一月三日の出来事……『青島ブルーオーシャン』と『青島ブルーフェザー』の一戦で、俺は家族のために奮起することを決めたんだ。
 強の期待に応えたい。家族のためにできることをしてやりたい。
 今は頭をなでることしかできないが、必ず護ってやる。どんな悲しみからも、理不尽からも護ってみせる!
 俺は決断しなければならない。
 強が、みんなが幸せになる為の決断を。



 だけど、俺は愚か者だから、また失敗をしてしまった。
 自分が思い上がっていたことをもう少し先に思い知らされることになる。
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