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二十二章

二十二話 キブシ -嘘- その五

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「伊藤さん? 廊下に寝そべって何をしているの?」

 げっ! 馬淵先輩! どどどどどどうしよう!
 目の前に馬淵先輩が立っていて、心配げに私を見ている。
 馬淵先輩の登場で頭が一気に冷える。さっきまで馬淵先輩のこと話していたので気まずい。
 この場で確認したほうがいいのかな? 馬淵先輩がなぜ同性愛者だと嘘をついたのか。それとも話すべき? 新聞部が馬淵先輩達のことを暴露しようとしていることを。

「どうしたの、伊藤さん? 悲しそうな顔をしていたと思ったら、真っ青な顔をして?」
「ちょっと腹痛がしまして。いたたたた~」

 と、咄嗟とっさの言い訳がこれって……色気もへったくれもないよね、私。だから、ヒスってばかりで成長もしないのかな。じ、自己嫌悪で逃げ出したくなる。うん、逃げよう。後ろに前進しよう。

「それでは失礼します」
「ちょっと待って」

 呼び止められて足が止まってしまう。なんで呼び止めるの! 私の事、好きなの? うそ、調子に乗っていました、ごめんなさい。
 ぎこちなく振り返ってみると、そこには今までに見たことのない馬淵先輩がいた。すごく悲しそうで、せつなげな顔をしている。
 つい、見惚れてしまった。

「伊藤さんに確認したいことがあるんだけど、いい?」
「な、なんでしょう?」
「失恋するってどんな感じ?」

 息が止まると思った。まさか、馬淵先輩がそんなことを訊いてくるなんて。
 馬淵先輩の目的は何なの? この質問の意味は?
 分からないけど、素直に答えよう。迷惑をかけつづけた私にできる、唯一の誠意だと信じて。

「辛いです。どうしたらこの痛みを消すことができるのか、悩んでいます。でも、失恋して分かったのは、先輩の事がどれだけ好きだったのか自覚したことです」
「失恋したのに?」
「はい」
「そっか……ちなみに藤堂の事、恨んでないの?」

 先輩をうらむ?
 私は首を横に振る。

うらんでいません! 先輩に八つ当たりしちゃったり、ヒステリックになっちゃったりしますけど、それは先輩のことが好きであることの裏返しだから……」

 私の気持ちを理解してくれない、どれだけ私が先輩の事が好きなのか分かってもらえないことに自分勝手な怒りや悲しみを感じることは多々あるけど、恨んではいないと言い切れる……よね?
 それってやっぱり、先輩の事がいまだに好きだからだと思う。
 私の勝手な気持ちを押し付けて迷惑なはずなのに、先輩は私と向き合おうとしてくれている。それにあまえている私は自分を情けなく思う。
 だから、恨みはないんだと言える……んだけど、あまり自信がない。どこかで恨んでそう……ごめんね、先輩。

「そうなんだ……」

 馬淵先輩は廊下の窓辺にもたれかかる。日はくれて、外は真っ暗だ。それはまるで、馬淵先輩の心情をあらわしているかのように思えた。
 その雰囲気に私はつい訊いてしまった。

「馬淵先輩は……失恋したことがあるんですか?」
「あるよ……」
「うそ! えっ? あるんですか?」

 こんなにイケメンなのに! どうして! 誰なの?
 私はつい大きな声を出してしまった。その様子を見て、馬淵先輩が少し笑ってくれた。

「……幼馴染の女の子にフラれたんだ」
「えっ? 幼馴染なんて鉄板じゃないですか! それでフラれたんですか? 何か性犯罪でもやっちゃったんですか?」
「伊藤さん、酷いこと言うね。違うから。幼馴染には好きな人がいた。それだけだよ」

 それだけって……表情を見たら強がっているのがまるわかり。でも、そこはスルーするのが一番。
 そっか、好きな人か……辛いよね。自分の好きな人が自分でない誰かを好きになるのは。でも、馬淵先輩以上の男の子ってどんな人なんだろう?

「……すみません。ちなみにその幼馴染はその好きな人と結ばれたんですか?」
「……」
「ご、ごめんなさい! 言いたくないですよね。すみません、つい気になっちゃって」
「……幼馴染もフラれたよ」

 き、気まずすぎる! どうしていいのか分からないじゃない!
 ああっ……もしかして、私も同じようなことしていたのかな? 恋の相談にのってもらっている明日香やるりか達を気まずくさせていたのかな? 反省しないと。

「その幼馴染はどうしたんですか? 馬淵先輩はその……幼馴染と付き合おうとは思わないんですか? 幼馴染には悪いですが、チャンスではないのですか?」

 私ならこのチャンスに便乗びんじょうしたい。好きな人を振り向かせたい。
 卑怯だと言われても、やっぱり好きな人をあきらめきれないから。

「伊藤さんならあきらめきれる? 好きな人の事」
「あきらめきれませんよ! だから……あっ……」
「そういうこと。僕の幼馴染もあきらめきれないから僕の想いにこたえてくれない。今も彼の事が好きだから、失恋の痛みに耐えられなくて、引っ越してしまったんだ」

 迂闊うかつだった。あきらめきれるわけない。自分でそう思ったじゃない。
 なのに、馬淵先輩の幼馴染の気持ちを考えずに無神経なことを言ってしまった……。

「ごめんなさい。私、馬淵先輩や幼馴染さんの気持ちを考えずに無責任なこと言っちゃって」
「……伊藤さんが謝る必要はないよ。それに嫌な質問に答えてくれてありがとう」
「いいえ。そのお役にたてました?」
「参考になった。それに分かったよ。僕がどれだけ薄情なのか」
「薄情?」

 どうして、そんな答えにたどり着くわけ?
 馬淵先輩は重々しいため息をついた。その重たいため息は、馬淵先輩がどれだけ苦悩しているかよく分かる。
 馬淵先輩は、普段は爽やかな笑顔で、怒ることも顔をしかめることもなかった。
 そんな馬淵先輩が滅多に見せないため息をつくのだから相当まいっていると思う。
 でもそれは、彼女の為に悩んでいるからじゃないの? 好きだから悩んでいるんじゃないの? それが薄情なの?

「僕がフラれたときはね、ショックだけど仕方ないって思ったんだ。いろんな女の子に告白されて、それをフリ続けたからね。罰が当たったんだって思った。だから、失恋の痛みはそんなになかった。僕の幼馴染がフラれたとき、僕はなぐさめたんだ。そしたらね、言われた。お前はモテるから、本気で人を好きになったことないんでしょって。だから、無責任に応援するなんて言えるんだって。とんだ言いがかりだよね。モテることと人を本気で好きになれないなんて、関係性がないのに。好きな人が幸せになれるよう応援したいって思っていただけなのに。失恋で幼馴染や伊藤さんはものすごく悲しんでいるのに、僕はそこまで悲しくなかった。だから、薄情なのさ」

 馬淵先輩の言いたいことは分かる。けどね……。

「私はその考え方、違うと思います。失恋して痛みを感じるのは個人差があると思いますし、痛みを感じなかったからといって、それが薄情だというのはちょっと違うっていうか……幼馴染の事を今も想っている馬淵先輩が薄情だとは思えません」

 素直な気持ちをぶつけたけど、馬淵先輩の顔を見れば、私の想いは届かなかったことが分かる。馬淵先輩はまだ苦しげな表情をしている。
 どうしたら、自分の気持ちを伝えられるのか? 馬淵先輩の苦悩を取り除くことができるのか?

 難しいよね、恋愛って。どうしたら、好きな人に想いは届くの? 幸せになれるのかさっぱり分からない。
 恋愛小説やゲーム、ドラマを何百と見てきたけど、全然理解していなかった。
 知っていたつもりだったけど、実際に体験してみないと分からないことだらけ。本当、嫌になる。

 自分の無力さを感じなくなるのはいつになるの? 何回恋愛してフラれたら、恋のことが分かるの?
 強くなりたい。失恋の痛みを乗り越えられる強さを……失恋した人の力になれる強さがほしい。かなわない願いを抱えつつ、私は窓から空を見上げる。
 曇で星が見えない。見通せない闇に、私は不安を感じていた。
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