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二十一章

二十一話 ハイビスカス -新しい恋- その五

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「ほのかクン……」
「……」

 浪花先輩の声が聞こえたけど、私は返事をしなかった。返事をする気力すらわかなかった。浪花先輩は私の隣に座り、何も言わない。言われても、今の私は何も反応できない。
 今も私が考えているのは、これからどうしたらいいのか、それだけだった。もう、分からなかった。

 ユーノさんと別れた後、美月さんが私に何か必死に呼びかけてくれたことは覚えている。
 私は適当に頷き、気が付くと青島中高公園のベンチに座っていた。もう、疲れて一歩も動けない。
 美月さんにはいろいろ気遣ってもらったけど、帰ってもらった。一人で考えたかったから。

 周りはもう暗くて、人影がない。冷たい風が私の体を冷やしていくけど、どうでもよかった。もう、どうなってもいい。だから、教えてほしかった。この愚かな私に罰を与えてほしかった。
 いや、罰はもう下っていた。先輩にフラれ、耐えがたい現実を見せつけられ、失恋の痛みを忘れることがどれだけ残酷なのかを教えられた。

 私は愛される資格なんてない。だから、先輩は去っていったんだ。あんなひどいことをしてフラれて当然だった。
 恋愛に間違いはないって言ったけど、そんなことを言っていた自分が滑稽こっけいだ。笑ってしまう。恋愛は誰かを不幸にしてしまうもろ諸刃もろはつるぎだった。

 愛される資格のない私はこれから先、一生誰も好きになってもらえないのかな。
 一人さびしく、誰とも結婚せずに死んでいく。前の私なら受け入れがたいものだったけど、今なら何の迷いもなく受け入れることができそう。

 だから、隣にいる浪花先輩が疎ましく思ってしまう。浪花先輩は何も話さず、何も訊かず、隣にいてくれる。
 その優しさがわずらわしく思う反面、甘えてしまいたいと思う自分に吐き気がする。

 それが耐えられなくて、つい言葉をもらしてしまった。

「……何の用ですか? 申し訳ありませんが、今日はもう一人にしてくれませんか?」
「ごめん。そのお願いはきけないよ。今のほのかクンを一人にできない」
「……どうしてそっとしておいてくれないんですか」
「キミのことが好きだからさ」

 好きという言葉が重くのしかかる。もうイヤなのに……それでも、何かを期待してしまう自分の愚かさに死にたくなる。

「浪花先輩」
「なんだい?」
「人を好きになるって苦しいですよね。どうして、誰かを好きになったりするのでしょうか? こんなにも苦しい事なのに」

 なぜ、先輩の事を好きになってしまったのか。そんなことは何百回も考えた。答えは何度も出している。
 でも、今はその答えが正しいのかどうか、分からなかった。
 ここまで私の事を苦しめる先輩の事が嫌いになってしまいそうで怖かった。
 あれほど、愛おしい気持ちがあったのに、それが消えていくことに言いようのない不安にかられる。

 こんな苦しみを抱えるのなら、先輩の事を諦めてしまいたい。そして、もう誰も好きになりたくない。
 でも、どうしたらしいのか分からない。忘れることはできないことはよく分かった。なら、失恋の痛みを消すには何をしたらいいの?
 答えの出せない問題を、解けるまで永遠に考えさせられている。いつまでも同じことを考え、同じ場所に立ち止まって動けないでいる。
 地獄だ。
 浪花先輩が私の肩をそっと抱く。私は抵抗しなかった。浪花先輩のぬくもりが伝わってくる。

「本能だからじゃないかな。人は一人では生きていけない。でも、みんなが自分にとって有益な存在ではない。裏切られたり、傷つけられてたり……人生って厳しいよね。失敗したり、悩んでばかり。だから、そんな辛い世の中を幸せに生きるため、誰かを愛するのかなって僕は思うよ。人から愛されることで満たされるものがあるからね」

 浪花先輩の言いたいことはよく分かる。人付き合いは楽しいことばかりではない。
 煩わしいことだってあるし、辛いこともある。本心を隠して、周りにあわせていかなければならないこともある。裏切られることもある。
 そうだよね……親以外に世界に一人くらい、自分の事を愛してくれる人がいてほしいよね……打算や見返りを求めない、パートナーがいてもいいよね……。

「……浪花先輩はいろいろと考えているんですね。私は楽しければよかったのかもしれません。恋ってキラキラしているもので、ただ憧れていました」
「難しく考える必要なんてないじゃない? 美しいものや綺麗なものに人は惹かれる。僕はね、最初はほのかクンの容姿に惹かれた。次にほのかクンの歩んできた道を知って、好意が愛になった。それだけだよ」

 優しくしないでほしい……こんな自分を好きだって言わないでほしい……そんなことを言われたら、よりかかりたくなってしまう。辛い時だけ甘えるなんて、本当に私は最低。
 浪花先輩を拒絶しようとするけど、言葉に力が込められなかった。

「……浪花先輩の事を好きな女の子に刺されたくないですよ」
「安心して。了承は得ているから。最初は殴られたけど、最後は呆れられたよ」
「ダメじゃないですか」

 私は呆れてしまった。
 本当に了承もらったの? いや、もらってないよね?
 疑いの眼差しで睨みつけると、浪花先輩は誤魔化すように微笑していた。

「いや、ちゃんともらったから。説得することを諦めなかったから、了承をもらった。ほのかクン、僕と付き合ってほしい」

 浪花先輩が私の顎を優しくつかみ、向き合う形になる。浪花先輩のブルーアイに引き込まれそうになる。
 浪花先輩の顔が近づいてくる。

「……んんっ」

 私は何の抵抗もせず、唇を重ねた。情熱的で優しいキス。心が痛い……でも、浪花先輩にすべてをゆだねてしまいたいって気持ちが強かった。唇の感触に、柔らかさに苦しみが薄れていくのを感じる。
 幸福感が胸の中にうまれるのを実感していた。同性だけど、想いが伝わってくる。胸の中に愛おしさがあふれてくる。
 浪花先輩の唇がそっと離れていく。浪花先輩の瞳から目をそらすことができない。

「ほのかクン。キミの傷はそう簡単にえないけど、僕が必ず消し去ってみせるから。だから、僕の傍にいてほしい。僕には恋人がいる。でも、キミを愛し続けるから」

 浪花先輩らしい告白。普通は一対一でしょうに。でも、浪花先輩の言葉を素直に信じられた。
 この人は本気で私の事を愛してくれる。失恋の痛みを抱える私にとって、その愛がまるで麻薬のような魅力を感じていた。

 浪花先輩の事を溺愛できあいしていしまいそう。依存し続けてしまうかもしれない。
 でも、浪花先輩は、そんな私を受け入れてくれる確信があった。愛してくれる確信もあった。
 寄りかかってしまいたい。本当に私は醜い生き物。好きな人がいるくせに……。
 それでも、この傷を癒やすことが出来るのなら、すがりついてしまいそうになる。身を委ねたくなる。

「そうだ。青島祭が終わったら、デートしよう。楽しい思い出を作っていこう」

 浪花先輩とデート。きっと苦労しちゃうんだろうな。浪花先輩のとんでもない行動に振り回され、苦笑しながらついていきそう……浪花先輩が隣にいてくれる……でも……。


 先輩は隣にいてくれない。


 ああっ、分かってしまった。
 これが新しい恋なんだ。

 先輩のいない、隣に先輩がいてくれない。いるのは浪花先輩。先輩じゃない。先輩と一緒に歩いていくのではなくて、別の誰かと一緒に歩いていく。

 それが新しい恋。先輩と恋しない恋。

 先輩のいない世界。それがどうしてこんなにもさびしいと思ってしまうの? 隣には私のことを愛してくれる人がいるのに……それは幸せなことのはずなのに……。

 痛い……胸の奥がちくちくと痛みを感じる。私の中で何かが叫んでいる。でも、それを我慢しなきゃ。
 でないと新しい恋なんて始めることができない。我慢しなきゃ。

「ほのかクン、今は辛いだろうけど、きっと時間が、僕がその痛みを和らげてみせるから。きっと、心の底から笑うことができるよ。そしたら、藤堂のヤツに見せつけてやろう。お前はこんなに魅力的な女の子をふってしまったって。後悔させてやろう」

 それはいいかもしれない。私はずっと先輩のことが好きで、先輩の事ばかり考えていて、何かしてあげたかったのに、先輩は何もしてくれない。
 先輩には少し嫉妬してもらわないと割が合わない。

 私は浪花先輩の隣に立っている。そんな私を先輩が見ている。隣ではなく、真向かいに。
 二人の間には境界線があるかのように別れている。まるで超えてはいえない線のようにハッキリと線が示されている。
 そのとき、私は笑えるの?


 ……や……だ。


「後悔させてやったら、藤堂と仲直りしよう。きっと分かりあえて、仲良しに戻れるさ。そしたら、ダブルデートしよっか。男とダブルデートは業腹ごうはらだけど、ほのかクンの為なら僕は我慢できる。月日を重ねて、楽しい毎日を過ごせば、いい思い出として藤堂と笑いあえるよ」

 浪花先輩の言葉が私の胸に突き刺さる。
 ダブルデート? 先輩の隣に、誰か私でない別の女の子がいるの? どうして? どうして、私は先輩の隣にいないの?
 先輩がどこかにいってしまう……私のそばから離れていってしまう……相棒じゃないの、私達? だったらずっと傍にいてよ! 別の女の子を見ないでよ!

 新しい恋をしちゃうとそんな現実を受け入れなきゃいけないの? 
 私には新しい恋人がいるから何も言う権利がなくなってしまうの? そんなことになったら、本当に失ってしまう……手が届かなくなってしまう。


 それが失恋。好きな人に別の恋人が出来てしまうこと。私ではないこと。


 そんなの……そんなのって……そんなこと……。


「いやぁ……いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ほ、ほのかクン?」


 イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!


 先輩と離れなくないずっとそばにいたい愛されたい隣にいて欲しい笑いかけて欲しい優しくして欲しい私だけを私だけに私しか私のみ私を私を私を!

 先輩は私の事を見てくれなきゃいやだ他の女の子を好きになっちゃいやだ離れていっちゃいやだ私を愛してくれなきゃいやだいやだぁあああああああああああああああ!


 激しい痛みが私の体中を駆け巡る。心の痛みが、叫びで引き裂かれそうになる。耐えられない。涙があふれかえり、止まらない。
 ユーノの時に感じた痛みの何倍もの激痛が体中を駆け巡る。
 こんな痛み、知らない! 耐えられない! 助けて! 助けてよ、先輩!

「先輩! 先輩……せんぱぁぁいいいい!」

 私の叫び声だけが夜空に響き渡り、そして、その想いは誰にも届かなかった。それでも、私には泣き叫ぶことしかできなかった。
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