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十八章

十八話 ニゲラ -とまどい- その八

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 あの後、どうなったのかよく覚えていない。浪花先輩になぐさめてもらったのか、それとも先輩になぐさめてもらったのか分からない。気が付けば廊下を歩いていた。
 窓の外はもう暗闇で、生徒の人影が見えない。一人、とぼとぼと歩いている。
 いつになったら、涙を流さずにすむの? 辛い……忘れてしまいたい……何もかもなかったことにしたい……。

「伊藤さん!」
「古見君?」

 古見君はいきなり私の肩を掴んだ。びっくりして、古見君の顔を見つめてしまう。
 古見君の表情は暗い。何かあったのかな? まさか、獅子王さんと喧嘩したとか?

「大丈夫? 無理しなくていいからね」
「古見君……」

 私の事で来てくれたんだ……。
 古見君は無理やり笑顔になって、私の事をまっすぐと見つめている。

「教えてもらったんだ、伊藤さんが苦しんでいるって。失恋って辛いよね。僕も経験したから、少しは力になれると思う。だから、泣いてもいいんだよ?」
「ふるみ……くん」

 涙があふれてくる。古見君の言葉が胸に浸透しんとうしていく。
 古見君も失恋の経験があることを知っている。
 古見君が獅子王さんの事を想って身を引いたとき、古見君は私に八つ当たりしたことがあったけど、今ならその気持ちは痛いほど理解できる。
 うまくいく、大丈夫だからといった言葉は何のいやしにもならない。逆に神経を逆なでされる。

 分かっている。慰めてくれているってことは。でも、つい八つ当たりしてしまい、その後にくる後悔の念に駆られてしまう。
 相手の気遣いが分かるから、余計に自分の情けなさに落ち込んでしまう。
 慰めよりも、励ましよりも、泣いてもいいって言ってくれた方が何倍も安らぐ。それを古見君はよく知っている。

 ごめんね、ごめんね、古見君……。
 私は古見君の胸の中に頭をおいて、泣いてしまった。古見君がやさしく、包み込むように私を抱きしめ……。

「調子になるな」

 ごつん!

「はばは!」

 痛みで一瞬、気が遠くなった。いや、気絶して、そのまま三途の川を渡っちゃいそうになりましたから!
 な、何? 泣いていいんじゃなかったの? 慰めてくれないの?
 私は抗議の意味で睨みつけようとして……げぇええええ!
 いつの間にか獅子王さんが怒った顔で私を睨んでいる。
 こ、怖っ!

「俺様の恋人に甘えるな。情けねえ」
「ううっ……慰めてくださいよ」

 情けないことを言っているのは自覚している。大丈夫だなんて言ってほしいとも思わない。
 ほしいのは、どうしたらこの気持ちをなくすことができるのか。それだけ。
 獅子王さんなら知っているの? その答えを。期待して訊いてみたけど。

「それが甘えるなって言ってんだ。それともまたゲンコツがほしいか?」

 返事はゲンコツになりそう。私は慌てて首を横に振る。臨死体験はもうこりごりですから。

「結構です!」

 私はさっと獅子王さんから距離をとった。獅子王さんは女の子だからって手を抜かない。本当に痛いんだから。
 私は恨めしそうに獅子王さんを睨む。

「失恋くらいでガタガタぬかすな。俺様がお前にあたったことあったか?」
「……ないです」
「だったら我慢しろ」

 理不尽……。
 確かに古見君にフラれたとき、獅子王さんは私に弱みも八つ当たりもなかった。淡々とその事実を受け入れていた。
 す、すごいよね、獅子王さんって。やっぱり、獅子王さんと私は違う。モブの私なんかが主人公である獅子王さんにかなうはずがない。

「だから落ち込むな、鬱陶うっとうしい! 前を見ろ、前を」
「そんなこと言われたって……」

 前を見てどうするの? 何を目標にして進めばいいの? 分からないよ。
 でも、獅子王さんは許してくれなかった。苛立いらだった声で私に尋ねてくる。

「落ち込んでどうする? 時間は止まってくれねえ。だったらやりたいことをやれ」
「やりやいこと?」
「お前は藤堂にフラれたいのか? それともよりを戻したいのか? どっちなんだ?」

 そんなこと決まってる。でも、言葉が出てこない。私の願望だなんて、ただの我儘わがままでしかない。
 だから、先輩の気持ちを考えずにフラれた。もう、フラれるのは……先輩を傷つけるのは怖い。それにこれ以上の痛みは耐えられない。

「どっちなんだって訊いてるんだ! ボコボコにするぞ!」
「はい! 仲良くなりたいです!」
「さっさと言え、あんぽんたん!」

 怒らないでよ~。
 私は涙目になりながら獅子王さんを睨むけど、睨み返されるとすぐさま目をそらす。
 怖すぎ! 殺されちゃうよ!

「帰るぞ」
「えっ? わ、私、どうしたらいいんですか?」

 ちゃんと答えたじゃないですか。何かアドバイスしてくださいよ~獅子王さん。

「自分で考えろ」

 スパッと言われてしまった。そ、それはないんじゃない? 考えても分からないから聞いているんじゃないですか~。

「一さん」
「大丈夫だ、ひなた。俺達の仲を取り持ったヤツだぞ。こんなことくらいでヘコたれる女じゃねえよ」
「……」

 私はつい獅子王さんの顔を呆然ぼうぜんと見てしまった。獅子王さんがそんなふうに私のこと、思っていてくれていたなんて。少しこそばゆい気持ちになる。
 あははっ……。
 
少しは元気が出てきた。空元気でもうれしかった。
 ありがとうございます、獅子王さん。
 私は心の中でお礼を言い、古見君の背中に隠れながら獅子王さんの後を歩いた。



「……」
「伊藤さん?」
「……」
「ほのっち?」
「……」
「ほのか?」
「……」
「俺様を無視するとはいい度胸だな」

 ゴン!

「あいた!」

 頭に軽い痛みを感じ、我に返ると獅子王さんが私を睨んでいた。
 な、なんで私が睨まれなきゃいけないの?
 状況が分からず、戸惑っていると古見君が優しく話しかけてくれた。

「伊藤さん、どうしたの? 僕達が呼びかけても上の空だったよ」
「あっ」

 古見君に指摘されて、やっと状況が理解できた。
 お昼休み、いつもは風紀委員室で劇の打ち合わせをしているんだけど、古見君が、

「今日は天気もいいし、外で打ち合わせしませんか?」

 そう提案されたので、私と園田先輩、古見君、獅子王さんの四人は古見君がいつも昼食をとっているかしの木の下に向かった。
 お弁当を食べながら劇について話をしていたんだけど、ついぼおっとしてしまった。
 心地いい風とその風に揺られて葉がこすれる音が心地いい音に聞こえて、疲れた体を癒してくれる。

 今日は雲一つない快晴で、ぽかぽかと暖かい日差しについ眠くなっちゃう。私はそっと樫の木を撫でながら、古見君とお弁当を食べていた時のことを思いだしていた。
 この樫の木の下で、私と古見君は、獅子王さんへの気持ちを確認するべく、いろいろとお話をした。あまり時間がたっていないのに、懐かしく感じる。

 本当に色々なことがあったよね。
 古見君への嫌がらせ、ボクシング部の顧問や獅子王財閥の総帥の秘書さんが私達に警告してきたこと、風紀委員との対決、女鹿君の強姦未遂事件……押水先輩のハーレム発言事件を含めたら、二学期はすごくイベントが多い時期。
 信じられないことが起きすぎて、これが日常だって思えてきちゃう。

 日常……私は先輩と仲の良かったころに戻れるのかな?
 昨日、獅子王さんの質問に私は先輩と仲良くなりたいと答えた。獅子王さんに殴られるのが怖かったので咄嗟とっさに出た言葉だったけど、本音だったと自覚している。

 先輩と仲良くなる、どうしたらいいの? それが分かれば苦労はしないんだけど。
 先輩は両親に捨てられたことから、自分から親しき人が離れていくのを恐れている。って、私、先輩から親しき人って認識されているのかな? えへへっ!

 まあ、嬉しいんだけど、そのせいでフラれたことにもなる。複雑~……泣きたくなる。
 仲良くなれば仲良くなるほど、別れたときの痛みは大きくなる。つまり、仲良くなりたいと思えば思うほど裏目に出ちゃうってこと?

 どんな無理ゲーなの! ううっ、頭も胃も痛いよ……。
 ん? 何? この匂い……。
 匂いをした方を見ると、古見君が私にコップを渡してくれた。

「カモミールティだよ。疲れがとれてリラックスできるから飲んでみて」

 私は古見君からコップを受け取って一口、飲んでみた。
 ほんのり甘くて美味しい……ちょうどいい暖かさで、体が温まる。癒されるな~。この気遣い、相変わらずの女子力だよね。
 園田先輩がちょっとちょうだいと言われた瞬間、私の返事もなしにとられてしまった。

「へえ、凄いわね。味も悪くないし、匂いもきつくない。これって蜂蜜入れているの? それともミルク?」
「それはですね……」

 二人はカモミールティについて談笑だんしょうしている。獅子王さんがいきなり、私の頭を掴み、揺らしてきた。

「な、何するんですか!」
「まだ悩んでいるのか?」

 私は唖然として獅子王さんの顔を見つめてしまう。獅子王さんは得意げな顔をしている。

「お前の顔みてりゃ分かる。いつまでもうじうじとうっとうしい」
「? どっかしたの、ほのっち?」

 園田先輩が後ろからのしかかってきた。柔らかい感触とフルーツの香り……これってジュレームかな?
 そんなことを思いつつ、私は誤魔化すことにした。

「いえ、なんでもないです」
「さては恋の悩みかな?」
「どうしてわかったんですか!」
「あほたれ」
「あっ……」

 しまった! カマかけられた! もう遅い。
 園田先輩はまるで獲物を見つけた肉食獣のような目つきをしている。

「何々? 藤堂と何かあったの?」
「……」

 何も言わない方がよさそう。これ以上ボロを出すわけにはいかないし。
 園田先輩が私のあごを撫でるけど、無視することにした。

「藤堂とセックスした?」
「な、なななななななな!」
「だから、引っかかるな」

 獅子王さんの呆れた声に、私は真っ赤な顔で猛反発した。だって、そうでしょ!

「いやいやいや! これはないでしょ! 誰だってせ……その……言われたらドモりますよ!」
「ちっちっちっ! まだまだだね、ほのっち。ほのっちなら、気にならない男の子とセックスって言われたら、セクハラですよって言うよね? しかも冷めきった顔で。つまり、脈ありだから顔を真っ赤にして否定したってことでしょ?」
「……」

 読まれてる……。これじゃあ、黙ることもできない。
 もうどないせいっちゅーねん! 黙るも地獄、話すも地獄じゃん!
 でも、園田先輩。園田先輩も女の子なんだから、せめて男の子がいる前で性行為を連発するのはやめてほしい。
 園田先輩が私の頬と自分の頬をくっつけながらたずねてくる。

「それでそれで? 藤堂とどこまでいったの? ちゅー? それとも本当に……」
「だ、だから!」
「おい、園田。そこまでだ。これ以上は俺様が許さないぞ」

 し、獅子王さん?
 獅子王さんが私の事をかばってくれた? 信じられない。それとも、この話題はお気に召さなかったとか?

「園田先輩、これ以上は勘弁してあげてください」

 ふ、古見君……やっぱり古見君は私の友達……心のお友達だよ。
 二人の友情に私は心から感謝した。園田先輩はつまらなそうに私から離れた。

「ちえっ! もういい!」

 園田先輩は私の膝に頭を乗せた。なぜか膝枕されている。もう苦笑するしかなかった。

「全くくだらない話だったな。ひなた、食べさせてくれ」
「はい。あーん!」

 私の悩みなどお構いなしに、獅子王さんは古見君におかずを催促さいそくする。

「んん……まいう~! やっぱり、ひなたの手料理はいいな」
「ありがとうございます!」
「褒美だ。俺様が食べさせてやる。口を開けろ」
「は、はい……」

 古見君は恥ずかしそうに口を小さく開け、獅子王さんがおかずを食べさせる。

「お、美味しいです! きっと一さんが食べさせてくれたからですよ!」
「だろ? 俺様が食べさせてやっているんだ。ありがたく思え」
「はい! 一さん、他に食べたいものはありますか?」
「そうだな、ひなたに任せる」
「はい!」

 仲睦なかむつまじい二人を見て、私はあることに気づいてしまった。
 そのことを園田先輩に伝える。

「ねえ、園田先輩。私、とんでもないことが分かっちゃったんですけど」
「私もきっと同じことを感じている。言ってみ」

 私は思いつめたような、重々しい雰囲気を醸しだし、園田先輩に告げる。

「異性のカップルだろうと、同性のカップルだろうと……目の前でいちゃつかれると、腹が立つ!」
「だよね!」

 ほんま腹立つわ~! ついエセ関西弁が出ちゃたよ!
 二人は付き合っているんだからいいんだけど、空気読んでほしい。
 先輩と微妙なことになっているのに、目の前でいちゃつかれると、イラッとしちゃう。いや、マジでね。

「いい度胸だなお前ら。覚悟はできているか?」
「なんの、ほのっちバリア!」
「ぎゃぁあああああああああああああああああああああ!」

 ず、頭がい骨が、割れる割れる割れる!
 私は獅子宇尾先輩のアイアンクローを受けてしまった。園田先輩のせいで!
 先輩や獅子王さんって私の顔に何か恨みでもあるの? いい加減にしてよね!

「は、一さん! 伊藤さんが大変なことになっていますから! 許してあげてください!」
「ふん!」

 古見君が獅子王さんをいさめてくれたおかげで解放された。
 い、痛い……痛いよ。
 私は恨めしい目で獅子王さんを睨むけど、無視された。

「俺様に意見した罰だ。膝枕しろ」

 そう獅子王さんが言い放つと、私の膝に頭をのせてきた。
 えっ? えっ?
 なんで、私の膝に獅子王さんが頭を乗せちゃうの?
 ただ一人取り残された古見君が物欲しそうに私を見ている。
 ま、まさか……。

「ぼ、僕もいいかな?」
「いいぞいいぞ。俺様の隣に寝ろ」
「はい!」

 いや、待って! 獅子王さんが返事するのはおかしい!
 古見君が嬉しそうに私の膝に頭をのせる。
 私の膝に、獅子王さん、園田先輩、古見君の頭がのせられている。お、重い……それに、何か違う。こんなものは膝枕ではない。
 これ私の考えていたものと何か違うような気がする。
 普通は一人、一膝ひとひざだよね? 一人三人はやりすぎじゃないかな? ロマンがない……。

 文句を言おうとして三人を見ると、三人は目を閉じ、穏やかな寝息を立てている。
 えっ、もう寝ちゃったの! ちょっと! 私だけ取り残された気分で寂しいじゃない!
 私はため息をつきながら、空を見上げた。

 雲一つない、十一月にしてはめずらしい暖かい日。ぽかぽかと日差しがあたたかくて気持ちいい。葉っぱもすっかり紅葉している。
 心地いい時間が流れていく。忙しい毎日だけど、こんな日があってもいいよね。
 できれば、先輩と一緒に居たかったな……先輩に膝枕して、先輩の髪を私が優しく撫でて……そんな幸せを……あじわってみたい……。
 瞼が重くなってきちゃった……先輩……。
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