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十八章

十八話 ニゲラ -とまどい- その一

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「……劇ね。別にいいんじゃない? それで、僕に何をしてほしいの?」

 私の力作が却下された次の日、私は劇について橘先輩に相談していた。脚本のこともあるけど、演技について詳しい人が必要だったから、ある人物の協力を取り付けるため、橘先輩に話しを持ちかけたわけ。

 放課後の風紀委員室には、私と橘先輩しかいない。みんなは外で活動しているのかな? 私一人、何もしていない事に申し訳ない気持ちになってしまう。

「話が早くて助かります。園田千秋先輩を私に紹介してもらえませんか?」
「なるほどね、演劇に必要なことを相談したいんだね。了解。こっちで話をつけておくよ」

 橘先輩が了承してくれて、ほっとする。
 橘先輩は立場上、私達を手伝えないって言っていたけど、フツウに協力してくれる。
 私と橘先輩は勝負中なのに、手を貸してくれるのは、獅子王さんたちのことを認めてくれたのかな? そんなわけないよね。
 だとしたら、橘先輩には何か私達に勝つ為の秘策があるのかな?

「伊藤さん?」

 黙り込んでしまった私を見て、橘先輩が心配そうに声をかけてきた。私は慌てて首を振る。今は、劇の事を考えなきゃ。
 私が助っ人に白羽の矢を立てたのは、演劇部のエースの園田千秋先輩。園田先輩は押水君の件で手伝ってもらったことがある。

 演劇に詳しい人が力になってくれれば、きっと獅子王さん達の劇もうまくいくはず……台本だって園田先輩から台本を書ける人を紹介してもらおうと思っている。
 約束を取り付けたのに、私はまだ風紀委員室にとどまっている。
 二人しかいないこの部屋で、私は視線を動かして何かを探している。

「大丈夫だよ。正道は野暮用で、当分はこの部屋にこないから」
「……別に先輩の事なんて……」

 また……胸の奥で痛みを感じる。

 先輩の事なんて、どうでもいいです。

 その一言が言えない。先輩のことを否定しようとすると、胸が張り裂けそうな痛みを感じる。
 自分の本当の気持ちを否定してはいけないと本心が叫んで、体が硬直する。
 先輩の気持ちを知ってなお、私はあきらめきれない。終わった恋にしがみつくなんてみっともない。こんな格好悪いのは、私じゃない。

「僕としてはみんな仲良くでいきたいんだけど。アットホームな感じでね」
「……すみません。でも、アットホームな職場ってブラック企業の売り文句ですよね?」

 私はつい、橘先輩に口答えしてしまった。橘先輩は私のことを気に掛けてくれているのに……。
 私だって、先輩と仲良くなりたい。でも、私の仲良くと先輩の仲良くは違う。みんな仲良くは無理なんだ。
 だから、軽々しく仲良くいきたいと口にした橘先輩の言葉に腹が立ってしまい、余計なことを口走ってしまったのだ。

 本当に情けない。橘先輩は何も悪くないのに……こんなのただの八つ当たりじゃない。
 謝りたかったけど、このすさんだ私の心は頑なに橘先輩への謝罪を拒絶してしまう。
 そんな私に橘先輩は……。

「だから言ってるんじゃない」

 ブラックジョークでかえされてしまった。ブラックなだけに。
 ……ブラックジョークだよね?

 ほうける私に、橘先輩は優しく私の頭を撫でてくる。先輩とは違う大きさの手なのに、どうしてだろう。先輩と同じで手の皮が厚い。
 まるで、喧嘩慣れしたかのような手……。

「それじゃあ、いこうか」
「えっ?」
「園田千秋さんに会いにだよ。青島祭まで時間がないでしょ? 善は急げと言うしね」

 橘先輩が先に歩いていくので、私は慌てて追いかける。
 廊下に出ると、各クラスが青島祭に向けて準備にとりかかっていた。

 高校初めての青島祭ぶんかさい
 中学とは規模が違う、町を挙げての一大イベント。学園ドラマや漫画、アニメの定番のイベントでもある。
 私は青島祭にあこがれていた。先輩と一緒に……楽しみたかった。青島祭の準備や青島祭当日も、先輩と楽しみたかったのに。
 今、私の隣にいるのは先輩じゃない。橘先輩だ。その現実が、私の胸をしめつけている。

「伊藤さん……伊藤さん。演劇部についたよ」
「す、すみません」

 いけない。何かしていないとつい先輩の事を考えてしまう。
 私は首を振って、頭を切り替える。
 今は獅子王さん達のことに集中しなきゃ。もう、二度と迷惑をかけたくない。
 橘先輩は苦笑しつつ、目的の教室に入る。

「失礼します」
「ほら、そこ! もっと声を出す!」
「おい! 段ボール足りないぞ! 予備持ってきてくれ!」
「衣装が見つからないんだけど!」

 演劇部の部室の広さは教室二つ分の広さがあるのに、とても狭く感じる。いろんな人が走り回って、作業していて、練習していて、活気に満ちていた。
 青島祭に向けての準備をしてる。みんながまぶしくみえた。楽しそうで、やる気に満ちていて……私とは大違い。

「おい、園田! 橘が呼んでるぞ!」
「はいは~い。お、久しぶり! 隣にいるの、ほのかじゃない」
「どーも、園田先輩」

 園田先輩に初めて会ったのは、押水先輩をハメようとしたときだ。あのときは失敗しちゃって、園田先輩は怒っていたよね。
 園田先輩はエネルギーに満ち溢れた、バイタリティ溢れる人。ソフトショートの髪をかきあげ、大きな瞳で私の顔を覗き込む。

「……」
「な、なんですか?」
「いや、なんかね、ほのかがちょっと大人になったって感じがして」

 どういう意味? 別に身長が伸びたとか、そんなことじゃないよね?
 橘先輩が園田先輩に交渉する。

「園田さん、ちょっと相談があるんだけど、いい?」
「橘の相談か……今度はどんな無理難題なの?」

 園田先輩が苦笑する気持ち、分かる、分かるよ~。橘先輩のお願いなんて、警戒しちゃうよね。

「伊藤さんにね、演劇の事を指導してほしいんだ」
「指導? 演劇部に入りたいってこと?」
「違うよ。今度、伊藤さんが監督することになった演劇をサポートしてほしいんだ。伊藤さん、演劇の事はど素人だからね」
「ど素人が演劇の監督するの? ナメてるの?」

 園田先輩の顔は笑顔なのに、目が笑っていない。
 ううっ……園田先輩、本気で怒ってるよね? さっきまではフレンドリーだったのに。
 演劇になると人が変わるよね、この人。

「まあ、伊藤さんだからね。ちょっとばかし、鍛えてほしいんだ」

 た、橘先輩? 伊藤さんだからってどういうこと? 別に鍛えてほしくはないんですけど。
 汗臭そうな展開はイヤだし。
 そんな私の思いを無視して、橘先輩と園田先輩の交渉は続いていく。

「私達のメリットは?」
「下校時間延長の申請しんせい、あまくしてあげる」
「「「おおおっ!」」」

 な、何?
 なんでみんな、こっちを見ているの? 作業を止めてまで。みんな驚いているけど、そんなにすごいことなの?
 下校時間延長の申請? 何それ?

「いいじゃねえか、園田! これでスケジュールが組みなおせる! 間に合うぞ!」
「待って、部長。話がうますぎる。ねえ、橘、どんな劇をするつもりなの?」

 園田先輩だけが橘先輩の提案に眉をひそめている。橘先輩は笑顔のまま、後ろにいる私を指さす。

「それは伊藤さんと決めて。キャストは今のところ二人だから」
「二人? ほのかともう一人ってこと?」
「違う。獅子王先輩とその後輩」
「「「……」」」

 あ、あれ? 今度はみんな、黙りこくっている。
 どうかしたの? さっきとは打って変わってお通夜みたいになっちゃったんですけど。

「し、獅子王先輩って、あの獅子王一か?」
「そうだよ」
「やめだやめ! ウチのエースをつぶされてたまるか!」

 あははっ……獅子王先輩って有名人なんだ。悪い意味で。部長さんがおびえているよ。みなさん絶叫してるし。

「部長、知っているんですか? 獅子王って人の事」
「俺達三年で獅子王を知らないヤツはいねえよ。あの俺様暴走機関車、見境なく人を殴ることで有名なんだ。気に入らないヤツ、口ごたえするヤツ、態度のでかいヤツ……アイツが退学にならないのは親のおかげって噂があるくらいだからな。実際、この学園に多額の寄付をしている」

 絵にかいたようなお金持ちのお坊ちゃまだよね、獅子王先輩って。多額の寄付か。いくらくらいなんだろう? い、一億とか?
 怖がっている部長に対して、園田先輩は面白そうに爪を噛み、考え込んでいる。

「ふ~ん」
「おい、園田。今回はダメだからな! 演劇の為でも、獅子王とは絶対に関わるな」
「興味あるんだけどな~」

 あっ、園田先輩……まるで新しいオモチャを与えられた子供みたいに目をキラキラさせている。
 部長さん、困った顔してるな~。園田先輩に振り回されてそう。

「それなら、もっといい観察対象があるよ」

 橘先輩が園田先輩の耳元で何かささやいている。それはまるで悪魔のささやきにみえるのは私だけかな?
 あ、あれ? なんで二人して、私を見るのかな?
 つい、一歩下がってしまう。

「なるほどね、だからか……」
「どうかな? 園田さんの興味を引くことだと思うけど」
「……OK。その依頼、受けるよ」
「「「園田!!!」」」

 演劇部員全員がブーイングしている。
 四方から抗議されているのに、園田先輩は知らん顔をしている。園田先輩の度胸ってすごいよね。

「おいおい、園田そのだぁ~! 分かっているのか! 今回の主演はお前なんだぞ!」
「だからですよ。自分の演劇を磨くために、利用させてもらうだけです。セリフはもう覚えていますし。部長、あとのこと、よろ~。いこっか、ほのっち」
「ほのっち?」

 園田先輩は笑顔で私の肩に手をおいてきた。

「私、これからほのかのこと、ほのっちって呼ぶから。よろしくね」
「あははっ……」

 人懐っこい園田先輩の笑顔に、引きつった笑みしか出てこない。
 わ、私たち、睨まれてますよね? ここにいる部員全員に! ここで笑っていられるのは、園田先輩と橘先輩だけだよ。

 ま、まあ、結果オーライだよね。
 私は山火事を察知した動物のごとく、そそくさと園田先輩と一緒に部室を抜け出した。
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