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十章

十話 オキナグサ -告げられぬ恋- その十二

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「……だから、なんだ? 獅子王に生まれたときから……」
「いいですよ。どうせ、体のいい言い訳をしたいだけでしょ? でも、これだけはハッキリ言わせてもらいます。もう、獅子王先輩をキズつけないでください!」

 神木さんは黙って私を見つめている。二人の間には雨音だけが聞こえてくる。
 しばらくして、神木さんがため息をついた。 

「……悪いが、ここでひくわけにはいかない。なんと言われようとも、私には社員の生活を守る役目がある。多数の幸せの為には少数の犠牲がつきものだ。大人になればわかる」
「つまり、認めるんですね? その多数の幸せのために、獅子王先輩を犠牲にするって事を……そんな勝手な大人の理屈を……」
「悪いが日本は民主主義だ。多数の民意の声こそが正しいんだ。それが嫌ならこの国から出ていけ。民主主義の恩恵を受けておきながら、嫌なことがあれば反論する。それが子供だって言ってんだよ。それに獅子王財閥があるからこそ、多くの中小企業が生き残っているんだ。お前の会社だって獅子王財閥の恩恵を受けているんだぞ? 少しは協力しろ。それが無理なら、これ以上……俺の邪魔をするな。叩きのめすぞ」

 神木さんが獅子王先輩の後を追おうとしている。私はすぐに回り込み、神木さんの進路をふさぐ。
 二人の邪魔をさせるわけにはいかない。少しでも時間稼ぎしないと。
 神木さんが私を見下し、吐き捨てるように言う。

「どけ、最終通告だ」
「どきません」

 足が震えているのが分かる。でも、ここでひくわけにはいかない。
 神木さんはポケットから携帯を取りだして、ボタンを押す。
 すると……。

「警告はしたからな。恨むなら自分の軽薄な判断を恨め」

 どこからともなく、黒服の人達がわいてできて、私を取り囲む。こ、怖い……もしかして、はやまった?
 違う……逃げたくない……こんな自分勝手な人達なんかに負けたくない!
 私は怖じ気づく足に力を入れ、踏ん張った。
 黒服さん達が私に近づいてくる。

 先輩!

「やめろ! 俺の生徒に手を出すな!」
「せ、先生!」

 意外だった。私のピンチを救ってくれたのは、ボクシング部の顧問の先生だった。
 先生は黒服と私の間に割り込み、私を護るように立っている。
 先生と黒服達がお互い睨みあって動かない。

「これは驚いた。あなたは私達の味方だと思っていたのですが」
「ざけんじゃねえ! 生徒に手を出すヤツなんかと……女に手を出すクソ野郎なんかと一緒にするな!」

 か、カッコいい……。
 だよね、だよね!
 女の子に平気で手をあげている先輩や獅子王先輩がおかしいよね?
 これが当たり前の意見だよね!
 私は先生の後ろにこそこそと隠れる。

「これ以上、この学園で好き勝手するならわしが相手になるぞ、小僧」
「では、同性愛をお認めになられるのですか、あなたは。教師として」
「……わからねえ」

 ちょ、ちょっと、先生? ここまできて、それはないでしょ?
 ほら、神木さんが笑っているよ?

「わからねえ? それでもあなた、教師ですか? 生徒を指導するのがあなたの仕事でしょ?」
「そうだ……わしは教師失格なのかもしれん。わしの意見を生徒に押し付けて、獅子王の悩みをきいてやれなかった。古見を傷つけた。それでもわしは、同性愛が正しいとは思えん」

 先生の言葉は苦難に満ちていた。まるで、懺悔をしているかのように私は見えた。

「だったら……」
「同性愛が間違いだとしても、生徒が必死になって、もがき苦しんで頑張って出した答えを、わしは……お前は間違っているだなんてもう言いたくねえ。情が移っちまってるんだ。その生徒がどんな子か見てきたんだ。可愛い教え子なんだ。そんな生徒を傷つけるようなマネは、苦しめるのはもう我慢できねえ」

 弱々しく話す先生の背中が少し小さく見えた。教師だって人の子。悩んで、それでも答えを探してる姿は生徒と変わらない。

「何を情けないことを……私達は恨まれても、組織のために体を張るのが仕事でしょう。立場は違えど、志は同じと思っていたのですが……残念です。あなたには頼りません。怪我をしたくなかったら、そこをどいてください」
「待ってくれ! 頼む! 見逃してやってくれ! ふ、古見はな、ガッツのあるヤツなんだ……アイツが入部してきたとき、わしは一週間……いや、三日で部を辞めると思ってた。ジャブは一人前だったが、それ以外はからっきしダメなヤツだった。でもな、最初に音を上げると思っていた古見が、一番練習してるんだ。獅子王に認められたい、その一心で。落ちこぼれだったアイツが日に日に男の顔になっていくのを、わしは誇らしげに思えていたんだ。だから、心を鬼にしてアイツの為だと思って古見を叱ったが、今ではそれが正しいかどうか本当に分からねえんだ。だから、せめて、アイツらが答えを出すまで黙っていてはくれないか? まだ、付き合うなんて決まったわけじゃないだろ? 頼む! このとおりだ!」

 先生は深く頭を下げ、神木さんに食らいつく。
 きっと、先生は一生懸命古見君達をかばってくれていると思う。
 そんな先生に神木さんは……。

「ああっ!」

 蹴り飛ばした! ひどい!
 神木さんは頭を下げていた先生の顔面を蹴り上げた。どうして? どうして、この人達はこんなに酷い事が出来るの! 信じられない。
 私は先生に近寄ろうとするけど、黒服の一人が私の腕を握りしめる。

「痛ぃ!」
「そこで黙ってみていろ。俺達獅子王に逆らうとどうなるのか? 体に思い知らせてやる」

 黒服達が先生を囲もうとしている。このままだと、先生が危ない!
 先生!

「おい、その汚い手を離せ……」

 どくん!

「ぐぼほぉ!」

 私の手を掴んでいた黒服がいきなりぶっ飛ばされた。鼻から血を流し、私を……いや、その後ろを見ている。
 うそ……なんでここにいるの?
 どうして……どうして……。

「いい加減にしろ、お前ら……これ以上、俺の相棒に手を出すのなら五体満足でここから帰れると思うな!」

 先輩……。
 涙がこみ上げてきた。どうして、この人は……。
 先輩は私の前に立ち、神木さん達を威嚇している。いや、威嚇というよりも今にも殴りかかりそう……。
 先輩、すごく怒ってる……。
 いつもの頼もしい大きな背中越しに先輩の怒気が伝わってくる。少し、怖い……。
 でも、神木さんはため息をつくだけで、何も恐れてはいない。

「はぁ……また子供が増えたか……お前こそ、状況が分かっているのか? たかが雑魚が一匹増えただけで粋がるな」
「御託しか言えないのか? 雑魚に負けたときの言い訳でも考えてろ」

 ううっ、どうしよう……。
 先輩が助けに来てくれたのは嬉しいのに、喧嘩して、キズつくのはいや……。
 先輩が負けるとは思えないけど……喧嘩を回避する方法はないの?
 空気がピリピリとしている。もう、止められない……。

「キーキー猿の鳴き声がすると思ったら、見知った顔がいるわね」

 ……誰?
 これで三度目になる突然の訪問者に私達は呆然としてた。
 どこかのモデルかって言いたいくらい、綺麗な人……足はすらっと長く引き締まっていて無駄な脂肪がない。まるでアスリートみたい。
 体のラインも無駄はないんだけど、出るとこは出ているせいで服の上からでも押し上げるように主張していながらも、くびれもある。それが黄金比の如くバランスがとれているから、目が奪われる。
 大人の女性の理想がそこにあるってカンジ。何を食べたら、あそこまで綺麗に見せられるの?
 けど、一番魅力だって思ったのは、その女性の目。
 揺るぎない自信と、威圧的な視線が体の奥底まで貫いて、畏怖してしまう。逆らう気になれなくなる。
 現に、先輩も、先生も、神木さん達さえ一歩も動けずにいた。

 そのスーツ姿の女性と目が合った。
 ううっ……口の中が乾く……。
 何を話していいのか……ううん、一言も出てこない。でも、もし獅子王さんの邪魔をするのなら……負けない!
 私は女性を睨みつけた。それくらいしか出来ないけど……それでも……。

 あっ、笑った……。
 次に女性は神木さんを見つめている。
 神木さんは口をぱくぱく喘ぎながら、声を絞り出した。

「ど、どうして奥方様がこんなところに……」
「そのくだらない質問に、私は答えなければいけないの?」
「い、いえ! 失礼致しました!」
「神木、この茶番はなに?」

 う、うわ……。
 先輩に睨まれても、全く怯えなかった神木さんが真っ青な顔で汗だくになって、直立不動で女性と視線を合わせようとしない。
 でも、奥方様って……まさか……獅子王先輩のママ?

「はい! 獅子王お坊ちゃまにまとわりつく害虫を駆除していました!」

 が、害虫? 女の子に向かって、害虫だなんてほんと最悪……。

「そう……消えなさい」
「はい?」
「また言わせる気?」
「し、失礼しました!」

 神木さんと黒服達は駆け足でこの場から逃げていく。

「おい、待ちやがれ! 人に喧嘩売っておいて、シカトするな!」

 せ、せせせせせせせせせせせせせせせせせせんぱ~~~~~~~い!!!!!!
 空気読んでぇえええええええええええええええ~~~~~~~!

「約束しろ! 伊藤に二度と手を出すな!」

 う、うわぁ……それ、今言います?
 先輩って本当に空気読めてない……そして、私の顔は耳まで赤くなる。
 神木さん達は知るかと言いたげに去ろうとするけど……。

「神木。返事」
「は、はい! もう近寄りません!」

 悲鳴のような声で叫び、今度こそ神木さんは去って行った。
 去って行ったんだけど……状況は更に悪化していると思うのは気のせい?
 ラスボス級の魔王、獅子王先輩のママンをどうしろと? チーレムの勇者様達、早く来てぇ~!
 ちょっ! 獅子王先輩のママンがち、近づいてきたんですけど!
 目の前に立たれると分かる。身長、高い……。
 百八十はあるかも。

「……」
「……」

 こ、怖い! 助けて、先輩! 
 
「小娘……はじめのなに?」

 は、はじめ? はじめって獅子王先輩の事?
 ううぅ……怖いよ……でも……もしも、この人も獅子王先輩と古見君の邪魔する人なら……。

「と、友達です!」

 私はキッパリと言い切った。それだけで、全速力で走りきったくらいに体力を消耗する。
 思わず友達って言っちゃった……ただの先輩なのに……。
 けど、この場は獅子王先輩に任されたから、逃げるわけにはいかないし……。
 私は睨みつけるように獅子王先輩のママンを睨みつける。

「そう……消えなさい」
「はい?」
「……」
「は、はい! 失礼します!」

 私は回れ右をして、その場から逃げだした。
 だ、だって、あの場にいたら殺されそうだし! 無言の威圧、怖すぎる! 私は先輩と先生の手を取って、脱兎の如く逃げだした。



「はぁ……はぁ……はぁ……せ、先生。殴られたところ、大丈夫ですか?」
「ああ、どうってことねえよ」

 私達は獅子王先輩のママンから離れた場所で一度足を止める。
 本当に怖かった~。あれは近づいちゃいけない人種。庶民にあれは無理。

「先輩も……ありがとうございました」
「……」
「先輩?」
「はぁ……お前はどうして無茶ばかりするんだ。左近があれほど忠告したのに……」

 おおぅ……説教が始まった。
 私は悪くない。悪いのは……。

「し、仕方ないじゃないですか! これは不可抗力ですから! それより、先輩は少し空気を読んでください! 獅子王先輩のママンに刃向かうなんてバカなんですか!」
「……俺もそう思う」

 ですよね~。本当に怖かった。
 先輩がビビっても全然OK。あれは魔女だわ。

「それよりいいのか? 獅子王達の後を追わなくて」

 先生は心配げに遠くを見つめているけど、大丈夫ですから。
 だって……。

「……お呼びじゃないですよ、私は。後は二人の判断に任せましょう。先生、助けていただきありがとうございました。あの名演説、格好良かったです」
「べらぼうめ! 大人をからかうんじゃねえよ!」

 テレている顧問に私はついおかしくて笑ってしまう。

「先輩もありがとうございました。やっぱり、先輩は頼もしいです。すごく勇気づけられました」
「……お前は俺の後輩だ。助けるのは当然だ。だけどな、自分からトラブルに巻き込まれようとするな。お前はいつも……」

 この人、私に説教するのが趣味なの! ほんと、ウザい!
 私は顧問がぬれないよう傘を傾け、先輩を無視して、一緒にボクシング場へ戻った。一度だけ、古見君達の方へ振り返り、そっとつぶやく。

 素直になってね、古見君。



 ○○○


「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「くだらないことで呼び出すな、橘のせがれ」

 正道と伊藤さん、先生が去った後、僕は獅子王先輩の母親の前に姿を現した。
 獅子王先輩の母親はヨーロッパやアジア、ロシアで展開している獅子王グループの総帥的な存在で、日本にいること事態、珍しいことなのだ。
 なぜ、彼女が日本に来ているのか? 理由は分からないけど、親のコネを使ってここに呼ぶことに成功した。ちょっとした、奇跡とも言うけどね。
 本当はこんな手を使いたくなかったんだけど、あそこまでこじれたらもう、大御所に一声いただくしかない。

 これで、神木は伊藤さんにちょっかいを出すことはないだろう。
 僕がなんとかしてもよかったんだけど、獅子王ともめるのはリスクが高いので穏便に済ませたかったわけだ。
 あまり穏便とは言わないけど。

 獅子王先輩の母親は役目は済んだと言いたげに、この場から去って行く。

「……ご子息に会われないんですか?」

 僕は獅子王先輩の母親の背中に声をかけるけど、獅子王先輩の母親は何も言わず去って行く。
 校門に待たせているリムジンに乗って帰るのだろう。
 答えはもらえなかったけど、それでよかったのかもしれない。人の家庭に口出しするなんて、僕らしくない。
 こんなことを言ってしまったのはきっと……。

「伊藤さんのせいだよね……」

 全く、本当に厄介な子だ。
 伊藤さんのせいで計画は台無し。

 今回の遠征を告げるタイミングについては僕が考えた案だった。計画では、この遠征を使って、獅子王と古見を別れさせる予定だったが、うまくいかず、逆に結ばれようとしている。

 同性愛の事なんて本当はどうでもいい。問題なのは、正道と伊藤さんが巻き込まれる事だ。
 これ以上は手に負えなくなるかもしれない。伊藤さんの身に危険が襲いかかるかもしれない。
 だとしたら……。

「……はぁ」

 また、ため息が漏れる。
 ここは強引にでも終わらせるべき。たとえ、伊藤さんに嫌われても……。
 少しだけ憂鬱な気分になりながらも、僕は校舎に戻ることにした。



 ○○○
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