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十章

十話 オキナグサ -告げられぬ恋- その七

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 遅くなっちゃった。
 誰もいない廊下を私は一人走っている。目的地は図書室。
 お小遣いがピンチなので、無料で勉強できる図書室が今日の勉強会の場所。明日香とるりかは先に図書室で勉強している。私は掃除当番だから遅れてしまった。
 テスト期間なので、放課後に残っている生徒はちらっとしか見かけない。窓の外を見ると、ボクシング場がみえた。
 私はつい足を止めて二人のことを考えてしまう。

 獅子王先輩は問題ないよね。問題は古見君の方。
 昨日話した限りでは大丈夫そうに見えたけど……古見君にはちゃんとした答えをみつけてほしい。

 窓がカタカタと秋風にあたり、震えている。空は曇っていて、いまいちすっきりしない。
 まるで二人の未来をあらわしているようで不安になってしまう。

「人の忠告はちゃんと聞こうね、伊藤さん」
「た、橘先輩! どうして!」

 いきなり後ろから声をかけられ、驚いた私はさっと橘先輩から距離をとる。
 警戒するように睨みつける私に、橘先輩は呆れたように笑っている。

「借りていた本を返しにきただけだよ」

 本を差し出す橘先輩に、私は睨みつけながらひったくるように本を奪い取る。

「これで用はなくなりましたね、さようなら」
「待って。ちょっと話していかない?」

 また同性愛を否定するつもりなの? 橘先輩が何と言おうと私は絶対に二人の仲をあきらめませんから!

「お説教ですか? 私は橘先輩の言い分、認めてませんから」
「情報交換しない? 伊藤さんにとっても知っておいた方がいい情報があるんだけどな」

 知っておいた方がいい情報? なんだろう、気になる。
 ううっ……いつも橘先輩のペースになってるし。橘先輩の思惑通りに動かされているって感じがしてイヤな感じ。
 ペースにのせられないよう、否定しなきゃ。

「そ、その手にはのりませんよ。自分で調べますので」
「そう。全てを知った後、取り返しのつかないことになってなければいいね」

 ど、どういうこと! そんな言い方されたら気になるじゃない!
 相変わらず微笑びしょうを浮かべている橘先輩の表情からは何も分からない。
 た、橘先輩に従うのはしゃくだけど、虎穴こけつに入らずんば虎子こじを得ず。提案に乗るっきゃない!

「分かりました。どこで話しますか?」



 橘先輩が話し合いに選んだのは風紀委員室だった。
 確かに誰もいないけど、橘先輩、職権乱用しょっけんらんようじゃない?

 私はいつも座っていた席につく。
 なんでだろう、この部屋に来なくなってからまだ日は浅いのに、懐かしく感じる。
 何も変わってない。紅茶のセット、ポット、机、私が持ち込んだお菓子類……。
 またサッキー達とお菓子を食べる日はいつになるのかな? ちょっと、気分が落ち込んでしまう。

 橘先輩は紅茶をいれ、私の前に置いてくれる。
 そういえばこの紅茶、高かったような気がする。先輩とはじめて昼食をとったとき、この紅茶のことでからかわれたっけ。
 本当に懐かしいな。しんみりしちゃう。

 橘先輩が席について、話しが始まる。
 気を引き締めなきゃ。背筋を伸ばし、橘先輩と向き合う。橘先輩のペースに巻き込まれないよう、情報を多く引き出さなきゃ。
 こっちはなるべく情報を押さえたほうがいいよね。橘先輩だから、何が有利な情報になるのか分からないし。一語一句いちごいっく、気をつけないと。

「じゃあ、始めよっか。僕から話していい?」

 あ、あれ? 橘先輩から話してくれるの?
 どうしよう? 話してくれるならいいかな? いや、これじゃあ橘先輩のペースで話が進んじゃう気がする。でも、橘先輩の情報が気になるし……。
 決めた。橘先輩の意見から聞こう。

「いいですよ」

 橘先輩は紅茶を一口飲み、話しだす。

「獅子王先輩の海外遠征かいがいえんせいの話、知ってる?」
「か、海外遠征?」

 聞き慣れない単語に思考が停止する。
 十字軍? 敵を征伐せいばつすることじゃないよね、この場合。
 海外遠征って確か、外国で試合するってことだっけ? 獅子王先輩の場合はボクシングかな?

「それがどうかしたんですか?」
「獅子王先輩の才能を開花させる為に、ボクシングの本場アメリカに武者修行させるってこと。日本では敵がいないからね。顧問、いわく、世界チャンピオンになれるかもしれない逸材いつざいだってさ、獅子王先輩は」
「す、凄いですね! それが本当ならウチの学園から世界チャンピオンがうまれるんですよね! サインもらっとかないと! 獅子王先輩とツーショット撮ったほうがいいですかね!」

 凄い! 流石は獅子王先輩! 今のうちにもらえるものはもらっておかないと! あとでお金になるよ、絶対!
 何が一番プレミアつくんだろう? いやいや、お金の事より、思い出だよね。みんなに自慢できちゃう。
 私、チャンピオンの後輩だって! リアルに有名人と知り合いになれるなんて嬉しい!

「喜んでいるところ悪いんだけど、アメリカにいったっきりだから。片道切符だから」
「?」

 片道切符? それってアメリカに引っ越しちゃうこと? それって……。

「古見君と別れなきゃいけないってことにならない?」

 アメリカに引っ越すから古見君と別れる? あっ……。

「ああああああああああっ!」

 そうだよ! 離れ離れだよ! ダメじゃん!
 で、でも、でもでも! こんなチャンス、滅多めったにないはず!

「ど、どうしたらいいんでしょう、橘先輩!」
く相手、間違えてない? それにこれは、獅子王先輩が決めることでしょ?」

 確かに、正論……だけど、おかしい。なんで、橘先輩はそのことを知ってるの? 獅子王先輩も古見君もそんなこと一言も話さなかった。

「あ、あの、橘先輩はどうして知っているんですか?」
「ボクシング部の顧問から相談されたって前に言ったでしょ? そのとき、聞いたんだ。獅子王先輩はまだ知らない。近々、伝えるって」

 本当のこと……だよね。橘先輩がこんなことで嘘はつかない。
 なんで、次から次に問題が出てくるのよ!
 物語ならお約束の展開なのに、現実だと厄介やっかいなだけ。頭が痛くなってきた。
 まだ結ばれてもないのに、古見君の気持ちすらはっきりしていないのに、どうしたらいいわけ?

「悩んでいるところ悪いんだけど、教えてくれない。二人の関係って、実際どうなの?」
「……順調だと思うんですけど。邪魔がなければ」

 橘先輩に神木さんとのやりとりについてはなしていない。脅されたことも。話したらきっと、それを理由に無理やりにでもこの件を解決しようとするから。押水先輩のときのように。

「そうかい。でも、困ったね。ただでさえ獅子王先輩は財閥の一人息子なのに、海外遠征の話もある。大変だよね」
「そうですね。獅子王先輩、どうするつもりなんだろう」
「他人事のように言っているけど、本当に大変なのは伊藤さんだから」

 私が? どうして? 大変なのは獅子王先輩と古見君だよね?
 橘先輩が姿勢を正し、真剣な表情で私に語りかける。

「ねえ、ここらへんで手を引かない? 獅子王先輩の件から」
「い、嫌ですよ! 二人の恋愛は間違っていません!」
「伊藤さんはいつまで面倒をみるの? もう、ここからは二人の問題だよね? 僕達が口出しするには大きすぎるよ、この問題は」
「そ、それは……」

 確かに部外者だけど、中途半端にしたくない。ちゃんと見届けたい。でも、橘先輩は許してくれなかった。

「たとえ、海外遠征の件をクリアできても、同性愛についての問題は解決しないままだから。それに伊藤さんの口ぶりからだと古見君、迷っているみたいだね。まあ、古見君が獅子王先輩の事、好きでなかったら問題ないんだけどね」
「……」

 そんなことはありえない。古見君の話を、態度を見ていれば分かる。
 たとえ愛でなくても、好きな人のそばにいたいと思うのなら私は応援したい。それすら許されないのはおかしいと思う。
 目を伏せる私に、橘先輩はゆっくりと話しかけてくる。

「例えお互い想いが通じ合っても、問題は山積みだ。獅子王先輩の両親に同性愛のことがバレたら、また問題になる。家族の問題に僕達が口を出すことはできないよね? 実際、忠告されたよね?」
「……橘先輩はどこまで知っているんですか?」
「秘書の神木が伊藤さん達にコンタクトをとったことはね」
「!」

 知っていたんだ。橘先輩は情報交換って言っていたけど、私から情報を引き出す必要なんてないじゃない。
 最初から橘先輩の思惑通りだったんだ。私を説得するために、橘先輩は風紀委員室まで連れてきたんだ。
 やっぱり、私では橘先輩にかなわない。

「ここで話を戻すけど、伊藤さんはこれから先、ずっと二人の面倒を見ていくの? それって二人にとっていいことなの? 何か問題があれば伊藤さんに頼らないといけないなんておかしくない? それを二人は望んでいるの? たとえ望んでいたとしても、伊藤さんがいなくなったら、手をかせなくなったら、あの二人はどうやってこれから起こる問題を解決するの?」
「そ、そんなの、きっと二人で」
「なら、伊藤さんがいなくても大丈夫ってことだよね?」

 また橘先輩のペースになってる。
 悔しい! やばぁ、涙がでそう。

「……なんで、意地悪ばっかり言うんですか? ひどいですよ」
「ごめんね。だけどね、僕は伊藤さんのことが心配なんだ」
「私のことですか?」

 意外な言葉に、私は唖然あぜんとしてしまう。
 私が心配? どうして? そういえば、私が大変なことになるって言ってなかった?

「伊藤さんは可愛い後輩だからね。正道だって伊藤さんの事、大切な後輩だって思ってるよ。同性愛者をかばうってことは、同類にみられることなんだよ。つまり、同性愛にむけられる悪意が伊藤さんにも襲い掛かるってこと。神木にも脅されているんでしょ?」

 急に寒気が私に襲い掛かる。
 私も酷い目にあうの? 靴箱にゴミを入れられたり、陰口をたたかれたり、大人に目をつけられたり……また、私、いじめられるの?
 古見君の前では強がってみせたけど、本当は怖いの。
 そんなのイヤ……イヤだよ! イヤイヤイヤ……。

「伊藤さん!」
「!」

 気が付くと、目の前に橘先輩がいた。
 橘先輩が私に怒鳴ったの? いつも温厚な橘先輩が?
 あまりにもめずらしかったので、ついぼけっと橘先輩の顔を見つめてしまう。

「大丈夫?」
「は、はい」

 橘先輩は微笑を浮かべ、席に着く。

「悪いことは言わない。手を引いてくれないかな? すぐに返事をくれなくていい。テスト明けにきかせてほしい」
「で、でも。手を引いたら、風紀委員は」

 私が手を引いたら、風紀委員は二人の仲を壊してしまう。その片棒かたぼうかつぐことになるのは裏切り行為。
 そんなの……。

「風紀委員長としてお願いするよ。手を引いて。伊藤さんだけじゃなくて正道達にもお願いする」
「そ、それって」
「そう。風紀委員全員、この件から手を引くってこと。獅子王先輩達には今後一切干渉かんしょうしない。伊藤さんは二人と知り合いだから話すなとは言わない。でも、二人の恋愛に首を突っ込まないこと。アドバイス程度なら許すけど、お節介はやめて。この意味分かるよね? 真剣に考えてもらえないかな。もし、僕の提案をのんでくれるなら、キミに襲いかかる悪意は全て僕が排除するから」

 橘先輩の真っ直ぐな瞳が嘘偽りのない言葉だと教えてくれる。私の事を真剣に考えてくれている。
 私はもう否定できなかった。

「……分かりました」
「そう、話を聞いてくれてありがとう」

 私はふと古見君の顔を思い浮かべた。
 もう応援できないことを古見君に話したらどう思われるのかな? また、あきらめたような笑顔を浮かべるの?
 そのことを考えると、憂鬱な気分になる。
 これから先、どうなるんだろう。先輩ならどうしますか?
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