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第29話 七夕と、幽霊部長の秘密の場所 後編
しおりを挟む「私の秘密の場所に、護くんを特別に招待しよう!」
……雨宮部長がそう宣言してから、はや数時間が経過した。
どうやら彼女の言う『秘密の場所』とやらは学校の中にあるらしく、俺は下校するふりをして部室に残っていた。
机の下で息を殺しているものの、だんだんと弱くなっていく西日を前に、心細さが増していく。
「部長……本当に大丈夫なんですか? もうすぐ真っ暗になりそうですが」
「天の川を見るんだから、夜じゃなきゃ」
「それはそうですが……」
「なにかね? 私が全面バックアップしているのに、不安があるのかね?」
「いや……正直、不安しかないんですが」
「もし見回りの先生に見つかったら、私のせいにしていいよ」
目隠しのつもりなのか、机の足元に画板をいくつも積み重ねながら部長が言う。
そんな彼女の様子を見つつ、俺は想像してみる。
「おいお前! こんな時間まで学校で何してる!」
「すみません。幽霊部長にそそのかされて、夜まで残ってたんです」
「そうかそうか、相手が幽霊なら仕方ないなぁ。はっはっは」
「はっはっは」
……なんて展開になるわけがないし、やっぱり不安しかない。
「だから安心したまえ。私は幽霊だし、夜の学校のプロだよ」
心情が顔に出ていたのか、部長がため息まじりに言う。
最近の彼女は毎晩のように俺の部屋にやってくるし、夜の学校にいるイメージはあまりない。本当に大丈夫かな。
「ほら、私が見張っておくから、夕飯代わりのお菓子、早く食べちゃって」
そんなことを考えていると、がさごそと机の引き出しを漁っていた部長が、いくつかのお菓子を差し出してきた。
「……これ、汐見さんのお菓子じゃないですか?」
「私に見つかるところに隠したほのかっちが悪い。お菓子が減ってても、きっと妖精さんが食べたんだと思うはず」
「いや、間違いなく俺か翔也が疑われると思いますが……」
俺はそう言いながらも、コンビニでよく見るお高めのチョコレート菓子を口に運ぶ。
……腹が減ってはなんとやらだ。汐見さん、ごめん。
◇
それからさらに時間が経ち、教師による巡回を数回やり過ごす。
「……よし、どうやら行ったようだ」
部長は廊下に出て、次第に遠ざかっていく足音と懐中電灯の明かりを確認していた。
俺以外には姿が見えない、幽霊の彼女ならではの芸当だった。
「今のが20時の見回りだったから、次は23時。そろそろ動こうか」
どうやら彼女は教師の見回り時間も全て把握しているらしい。さすが、夜の学校のプロを自称するだけある。
「こっちだよ。ついてきて」
そんな部長に先導されながら、俺は部室を出て階段を上がっていく。
夜の学校を歩き慣れている彼女は、小走りにどんどん進んでいった。
一方の俺は上履きを手に持ち、リノリウムの床に足音が響かないように必死だった。
「もしかして、秘密の場所って屋上ですか?」
四階を過ぎ、さらに上を目指し階段を上る部長に小声で問いかける。この上にはもう、屋上しかないはずだ。
「そうだよー。あそこからなら、星がきれいに見えるし」
そう言いつつ、彼女は最上部の踊り場で足を止める。その先には大きな扉があり、左右に無数の机が積み上げられていた。
「そりゃあ、きれいに見えるでしょうけど……さすがに鍵かかってますよね?」
「ふっふっふ。その点は抜かりないよ。ここ、私が時々使ってたからね」
部長は含み顔で言い、乱雑に置かれた机の引き出しに手を差し入れる。ややあって、一本の古い鍵を取り出した。
「使ってた……って、三年前ですか? その鍵、今も使えるんです?」
「少し前に試してみたから、問題ないよ。はい、どうぞ」
そうこうしているうちに、部長は屋上の扉を開けてしまう。いかにも重そうな扉が開くと同時に、涼しい夜風が吹き込んできた。
「……うわ、これはすごいですね」
それから部長とともに屋上へ足を踏み入れた俺は、頭上に広がる満天の星に息を呑む。
うちの学校は街の中心にあるものの、高台に位置しているので周囲の人工的な光はほとんど届かない。
そのおかげで、これだけ美しい星空が見えるのか。これは盲点だった。
「ここ、よく来てたんだよねぇ。落ち込んだ時とかさ」
静かに扉を閉めたあと、屋上の端に設置された給水塔へ歩いていきながら、部長が言う。
距離があるはずなのに、その声はしっかりと聞こえてくる。
「部長でも落ち込むことがあるんですね」
「失礼な。私だって泣きたい時もあるのだぞ」
星明りに照らされながら口を尖らせ、彼女は給水塔の脇に座り込む。
「基本誰も来ないから、ゆっくり考え事もできたしさ」
そう言いながら俺に向かって手招きをし、続いて自分の隣の地面をてしてしと叩く。
……ここに座れ、という意味なのだろう。
指示されるがまま、彼女の隣に腰を落ち着けた。
街の喧騒が遥か遠くにあるのを感じながら、改めて空を見る。
やはり、街中とは思えないほど数多くの星が瞬いている。天の川も、はっきりと見えていた。
「うんうん。快晴かな快晴かな。これなら織姫と彦星、間違いなく出会えてるよ」
同じように星空を眺めていた部長が嬉しそうな声を出す。
「そうですね。どれが織姫星で、どれが彦星でしたっけ」
「えーっと、確か夏の大三角が……んん?」
なんの気なしに尋ねてみるも、部長は首を傾げていた。
昔授業で習ったはずだけど、実際の星空だとよくわからなかった。
「なんにしても、これだけ星がある中で出会えるんですから、奇跡みたいなものですよね」
「そうだねぇ。奇跡といえば、私と護くんが出会えたのも奇跡みたいなものだと思うんだよ。それこそ、織姫と彦星並みかも」
「え、日本一有名なカップルと同列ですか?」
苦笑しながら隣を見るも、彼女は空を見上げたままだった。
「こうして話せることもそうだし、触れられることだってそう。間違いなく奇跡だよ」
そう口にしてから彼女は瞳を閉じ、おもむろに肩を預けてきた。
夜風で若干冷えた体に部長の体温が伝わってきて、思わずどきりとしてしまう。
「きっと、護くんとは波長が合うんだね。イラスト好きな波長が」
「なんですかそれ。それだったら、汐見さんや朝倉先輩にだって部長の姿が見えそうなものですけど」
「お、男の子限定、とか?」
無意識なのか、彼女は上目遣いで俺を見てくる。
「さ、さあ、どうでしょうね」
必死に誤魔化すも、俺の顔は間違いなく真っ赤になっていたと思う。今が夜で、本当に良かった。
「……ここで重大発表があります」
その時、部長が俺に肩を預けたまま、静かに言った。
「実は私、今日が誕生日だったりする」
「はい!?」
驚きのあまり、つい大きな声が出てしまった。
彼女の性格からして、朝一番に言ってきてもおかしくなかったからだ。
「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか……もう、こんな時間ですよ」
「……今の私の場合、誕生日を祝うべきか、命日を優先すべきか悩むんだよね」
「あ……」
表情を変えずに言う部長を見ながら、俺は言葉を失ってしまう。
「……聞いていいのかわからないですが、部長の命日っていつです?」
「忘れた……」
「ええ……」
おそるおそる尋ねてみると、まさかの答えが返ってきた。
「命日ってかなり重要ですよね?」
「しょうがないでしょ。気がついたら幽霊になってたんだから」
彼女は低い声で言って、俺の脇腹をつついてくる。
「いてて、脇腹弱いんですよ。やめてください」
「きっと大したことじゃないから、昔の記憶みたいに忘れちゃったんだよ。えい、えい」
「だからやめてくださいってば! いくら屋上とはいえ、あまり騒ぐと見つかっちゃいますよ!」
「そ、それはまずい。護くんが不良になってしまう」
その攻撃に耐えながら言うと、部長はようやくその手を止めてくれた。
俺は自身の脇腹をさすりながら、息を整える。
そして、今かけるべき言葉を口にした。
「……雨宮部長、お誕生日おめでとうございます」
彼女は幽霊かもしれないけど、俺からすれば、やっぱり誕生日のほうが大事なわけで。
なにより、彼女の誕生日をお祝いできるのは、今は俺だけ。そう考えたら、言わずにはいられなかった。
「……ありがとう。護くんのおかげで、素敵な誕生日になったよ」
部長は一瞬驚いた顔をしたあと、弾けるような笑みを向けてくれる。
それは頭上の星明りにも負けないほどの眩しさで、今日これまでの苦労が全て報われたような、そんな気がした。
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