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ヴィヴィアンの婚約

ヴィヴィアンは褒め合った

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──姫様、やめなされ!

──ばっちいものに、素手で触れてはなりませんぞ!

「頭皮の状態を確かめたら、急に毛が消えた理由とか、毛の戻し方とか、分かるかなと思って」

「そいつが勝手にハゲ散らかしたんだ。あるじが戻してやる必要ないだろ?」

「そうかな…」

 ヴィヴィアンは、少しばかり不完全燃焼な気分だった。

 ちゃんと対話をしてから、力の限りぶっとばすつもりだったのに、なぜかろくに会話が噛み合わず、キメの一撃も埋葬虫にやってもらって終わったからだ。

「みんな、作戦通りにすごく頑張ったのに、私だけ、作戦の役に立ってない」

「そんなことねーよ。あるじはこいつの皮を剥がしたじゃねーか。途中まで動けなかった俺が、一番カッコわりーぜ」

「ノラゴはカッコ良かったよ。大事なところで動けたもの。私が一番ダメだった」


「いや、役に立たない選手権であるならば、私が優勝だろう」


 突然、むくりと起き上がったサポゲニン病院長に、埋葬虫たちが驚きの声をあげた。

──ふおおおおおっ、屍が喋ったぞい!

──死にゆく者が、死につつ生きる者に変わっとる!

「おっさん、いままで死んでなかったか?」

「そこの、毛のなくなった者の呪いのせいで、いささか不健康に死んでいたのだが、解呪が完了したので、今はちょっと活きの良い死体というところだな」

「やっぱり死んでんじゃねーか! 大丈夫なのかよ」

「問題ない。平常運転だ」

 ノラゴに気遣わしげな目を向けられながら、死んだ青魔魚のような顔色のサポゲニンは、ヴィヴィアンの方を向いて、頭を下げた。

「ウィステリア嬢、私の不用心と不手際で、危険なことに巻き込んでしまい、すまなかった」

「病院長さん、お久しぶりです。私には危険はなにもありませんでしたが、患者さんたちが心配です」

「そうだな。一刻も早く病院の日常を取り戻さねばならない。そのためにも、まずは侵入者の無害化だな」

 サポゲニンは、床で伸びているセイモア・グリッドに右手の平を向けて、詠唱した。

「寂しき心のうろに迷妄の泥を注がれ苦しむ者に、適量の死を分かち与えん」

 三日月型の黒い刃が宙に現れて、セイモア・グリッドの背中を薙ぐように動いたのちに、すっと消えた。

「人を害するほどの強欲は、これでほぼだろう」

──ほほう。屍鬼の技だの。見事なものじゃ。

「おっさん、なんか死神っぽくて、カッコいいな!」

「そ、そうであろうか」

 親虫たちとノラゴに褒められたサポゲニンは、照れたのか、顔を更に青くした。

「そういえば、この壺って、かーちゃんたちが入ってるんだよな。ぶっ壊したら助けられるのか?

 ノラゴが手に持っていた薬壺を軽く揺すると、ぷちぷちという音が聞こえてきた。
 
──壊しただけではムリかもしれんな。取り込まれているあいだに、正気だけでなく、形も失ったようじゃ。せめて、卵の形に戻せれば、何とかなるやもしれんが…

 ぷちぷち、ぷちぷち…

 かすかな話し声のようでもある音に、ヴィヴィアンはじっと耳を傾けていた。それらは、ヴィヴィアンにだけ分かるように、あることを訴えていた。

「オヤジさん、奥さんたちって、すごく強い?」

──そりゃあもう強いですぞ! 身も心も、わしらが万匹かかっても敵わんほどじゃ。

「私の魔法で、奥さんたちを卵に戻せると思うんだけど、それをすると、奥さんたちから、以前の記憶が全部なくなってしまうかも」

──やはり、そうでしょうな…

──新婚のあまーい思い出も、数百年、苦労を共にしたことも…

──悲しいことじゃが、もう一度会えるなら、わしらは満足じゃよ。

「でも、あのね、奥さんたちは、絶対忘れないって言ってる。たとえ忘れても、必ず思いだすって。だから、信じてって」

──なんと!

──さすがは我らがつがいじゃ…

「じゃ、戻すね。壺の蓋を開けなくちゃいけないから、ノラゴは少し離れてて」

「わかった。あるじ、かーちゃんたちを頼む!」

 ヴィヴィアンは頷くと、詠唱を開始した。


「棄てられし器の中の寂寞の闇よ、内に籠めたる命の温みを解き放ちて、孵化を待つかなしきつがいの玉となせ」


 詠唱の終わりと共に、薬壺の蓋が持ち上がり、青鈍色あおにびいろの小さな卵が四つ、ぽろぽろとこぼれ落ちた。

 傍にいたサポゲニンが、タイミングよく卵たちを手で受け止めると、埋葬虫たちが飛び寄ってきた。


──おおおお! 愛しき番じゃ!

──姫様、感謝しますじゃー!

 ヴィヴィアンが薬壺の蓋を閉じると、廊下に出ていたノラゴが戻ってきた。

「ありがとう! あるじ、やっぱりすごいな!」

「えへへ」

 ヴィヴィアンは、やっと仲間の役に立てた気がして、嬉しくなった。
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