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ヘヴィー・ブロー

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 ズン、ズン……。

 オーラを纏った虎が僕に迫る。

「ええ……」

 カラン、パリパリ、ペキペキ……。

 王虎ニステルが歩みを進める度、地下室の土くれや小石が震えた後、粉々になって消えていく。

 あのオーラのせいだ。僕の攻撃も、きっとアレに防がれたんだ。

「参ル」

 虎が体勢を低くし、力を溜める。

 ゴッ!

(消えた!?)

 その時、脳裏に動物的な直感が働いた。練喚攻に流れるベステルタの魔力のせいかもしれない。ものすごくいやなビジョンが頭によぎる。

 とにかく咄嗟に半身になった。

 ザンッ!

「いづっ!」

 何が何だか分からない。半身になった僕の前を、朱い球体が駆け抜けていった。

 そして、僕の胴体と左腕の皮膚をごっそり削ぎ取られた。

「かぁあ……はっ、あああぁ、くぅうっ」

 ぼたぼたぼたっ。

 少なくない量の血が流れる。くそっ、なんだこれ。何が起きた? ほとんど何も見えなかった。

「反応したのカい。まるで魔獣並みの動体視力ダね」

 後方に顔を向けると、虎が不敵に笑っていた。

 地面には球状に抉れた跡が刻まれている。

「タネズ殿ッ!お逃げくださいッ!」

 突然、隅で縮こまっていたジャンゴさんが叫んだ。

「ニステルの王   虎ティーガー 解放・コンセントレーションは血の解放! 朱い血界はあらゆるものを弾き、触れたものを抉り削ぎます! 人の勝てる相手ではありませんッ! 彼女はかつて、それで前チャンピオンのフレイムベアを倒しておりますッ!」

「旦那様お下がりをっ」
 
 おっさん奴隷が必死に止めるのを聞かず、ジャンゴさんが顎をぶるぶる震わせて僕に情報を伝えてくれる。

「ちっ、ジャンゴのやツめ。水を差すんじゃナいよ」

 ニステルが悪態を吐く。

 前チャンピオンがフレイムベア? どうやって闘技場につないでいたんだ?

 ていうかそれに勝った? おいおい、勘弁してくれよ。小さい亜人みたいなもんじゃないか。

 僕はフレイムベアに勝ったことは無い。

 ということはつまり……圧倒的格上勝てない

(やばい、まじで死ぬかも)

 ぞわり、と背筋を悪寒が駆け抜ける。

 何度か絶死の森でフレイムベア先輩と闘おうとしたが、勝つことはおろか、まともに勝負することもできなかった。今なら有効打くらい与えられるかもしれないけど……。

 堅い、速い、強い。

 全身にまとう炎で近づけないし、近付けば身が焼ける。炎熊フレイムベア。

 それに、人間が勝った?

「……フレイムベアに勝ったの?」

「ふん。そうサね。勝っタさ。あのフレイムベアは老いていたらしいガね。まあ、イイ、ちょうどいい、ハンデだネ。そら、続きだ。気張りナよ?」

 血界を纏いし王虎が、再び低姿勢になる。

 バグォン!

 周囲が球状に抉れ、姿が消えた。

 静寂。

 からり、と壁から石が落ちる音。

「う、うわああああっ!」

 その音に弾かれるように僕は走った。

 バグォン! バグォン! バグォン!

 地下室に朱い残影が暴れまわる。

 縦、横、縦縦、横、斜め、回転、追撃、逃げ惑う、僕を、追い立てる。

「し、しにたくないっ!」

 みっともなく走った。無様に、身体を投げ出して、避けた。

 ジュッ。

 肩先を血界が掠める。

「っづぁ!」

 肉が抉れ、無事だった左腕がほとんど動かなくなった。だらり、と垂れ下がる。

(動け動け動け!)

 動かなきゃ死ぬ、抉られて、木っ端みじんになって死ぬ。いやだいやだ、そんなのいやだ。

(しぬのか? こんなところで、まだやりたいことたくさんあるのに?)

 死んだら、どうなるんだろう。もしかして戻るのか? 元居たところに? あの準急電車の中に?

 バッグォン!

 ニステルの朱い突進に吹き飛ばされて、地面を転がる。

(それもいいかもしれない。こんな死ぬような思いはしなくて済む……だけど)

 這いつくばって転がった先にあったのは、横たわるフランチェスカ。

 無意識のうちに彼女を掴む。握りしめる。

(くぅ!)

 激痛。左腕に激痛が走った。

 背後から死の暴風が近づくのが分かる。

 振り返ると朱い死……。

(また、死んだように生きるのは嫌なんだ!)

 ガギャアンッ!

「ッッッッ~!」

 ぴきり、と体中に痛みが走る。
 
 上がらない左腕を下に、右腕で斧の刀身を支え、全身を使って受け止める!

「アアアアアアアアアアア負けるもんかああああああッ!!!」

 ギャリリリリリリ!

 朱い突進が僕の身体を削る。それでもフランチェスカを放さず、絶対に放さない。放さない。圧倒的なパワーに押され、足が地面にめり込みながら、後方に押されていく。

(まるで大型トラックを止めているみたいだ……ぐふっ)

 歯を食いしばって耐えていると、口の中に嫌な感触と鉄の味。奥歯が砕けたかもしれない。でもそんなことはどうだっていい。

 集中、集中しろ。全身に練喚攻をみなぎらせろ!

 ギャリリ、リ、リリ……。

 突進がゆっくりになっていき、僕はちょうど壁際に挟まれる形になってやっと止まる。

 血界の中でニステルが驚愕の表情を浮かべていた。

「こいツは驚いタね。まさか止められルとは。フレイムベアだって貫通したのニ……。あんた本当に普人族か? 魔族や、魔人だって言われても驚かないよ」

 はっ、はっ、ハアッ……。

 何も話せない。視界がかすむ。呼吸が苦しい。使った酸素を取り込めていない。チアノーゼだ。

「それに、その斧。アタシの血界をまともに喰らって折れていないのは、なぜだイ? 右腕もいつの間にか治癒している……む、その文様……」

 ニステルが僕を興味深そうに僕を観察している。

「ッぐ、風弾、貫く杭!」

(ここだっ!)

 むせながらも風弾と杭を生成。

 ありったけの魔力をつぎ込む。

 ヴォン!

 濃密な魔力がリング状に展開される。

 そして、空中に僕を囲むように風弾と杭が浮かんだ。

「征けっ」

「ムッ!」

 至近距離から虎めがけて放つ。風と地毒が煌めいて、敵を撃つ。

 チュガガガガガガガガガッ!

 まるでガトリング砲の着弾のような音が地下室に響き渡る。

(頼む、終わってくれ……!)

 かなりの魔力をつぎ込んだ。一つ一つがダイオーク一体を半壊させる威力のはずだ。

「……」

 やがて、音が途絶える。

 恐る恐る、フランチェスカ越しに覗く。頼む、頼むよマジで……。

(……!)

 黄黒の閃光。

 ボゴフッ!

「グハッ……ガッ、お、おぐぇえええ」

 びちゃびちゃびちゃ。

 煙の中からニステルの腕が僕の胴に深々と突き刺さっていた。

 たまらず膝をついて、胃のものをすべて吐き出す。胃液と血液、と白いものが飛び散った。

(あ、これ僕の歯だ……)

 異界がぼやける。涙が出ていた。何でだろう。そしてじわじわ血で赤く滲んでいく。

 そんなことをぼんやり考えていると、ばきり、と歯が踏み砕かれた。

「ふうぅ、驚いて虎化が少し解けちまったよ」

 ニステルは壮絶に笑うと、ちょっと驚いた顔をした。

 腹からいくつか血が流れている。

「血界を貫通したか。つくづくあんたには驚かされるね。だが、それもここまでだ」

「ふ、風だ、あがっ!」

 人間の手に戻ったニステルに、喉を掴まれ持ち上げられる。

(魔法が唱えられないっ)

 さらに喉と言う弱点をがっちり掴まれたせいか、手足に力が入らない。なるほど、喉を掴まれるとこんな風になるんだな、と冷静に思ってしまった。頭が冷えていく。

「ッ! ギャッ! ~ッ! かひゅ、かひゅッ」

 喉の周りを血界が覆う。あまりの痛みに叫びたいが、声を出せない。

 い、息が……。

「その魔法は厄介だからね。今度こそ封じさせてもらうよ。こうすれば詠唱はできないだろ?」

 ニステルは虎化した顔を僕に近付けると、血生臭い息で囁いた。

「あんたみたいに強い男は初めてだ。確か、タネズ・ケイと言ったね? あんたの名前は覚えておくよ」

 すると、アギトを大きく開き牙をきらめかせた。ま、まさか。

「アタシは自分が認めた強者の肉を喰らって取り込むことにしているんだ。フレイムベアもそうしたさね。だが、人間でここまで満足させてくれる奴はいなかったよ。タネズ・ケイ、人間を喰うのは初めてだが、あんたには不思議と抵抗感は無いね。アタシの初めてと引き換えに、我が血肉の糧となりな」 

 ニステルは牙をむき出しにして僕に近付いて来る。

(く、喰われるっ)

 まだだ。まだ死ねない。諦められない。教会は? リッカリンデンは? カリンやシルビアはどうする? もうアセンブラに喧嘩を売っちまったんだぞ? 彼女たちを残すわけにはいかない。

 亜人たちとだって約束を果たせていない。こんな僕を認めて一緒にいてくれた優しく気高い彼女たち。僕がいなくなったら悲しんでくれるだろうか。いや、そんなこと考えているなら。あがけ、足掻くんだ。
 
 魔法を、魔法が使えればまだ……。詠唱できれば……。

(……詠唱? 詠唱なんて必要なのか?)

 僕はドン! と勢い良く背にした壁を叩く。

(貫く杭!)

「……グウゥアッ!」

 何も言葉にはならない。獣じみた音が、傷付いた喉から出ただけだ。

 それでも。

「ふふっ、最後まで足掻くとは、あんた本当にいい男だね」

 壁から突き出た貫く杭が、ニステルの手を貫通していた。

「ガルゥアッ!」

 しかしそれも力任せに折られ、返す刀で鳩尾を何度も殴られる。

 ボグッ、ボグッ、バゴッ、ボゴフッ!

「あぐっ、がっ、ぎゃっ、おぐふっ」

 ニステルの血界を帯びた拳が身体を撃つ度、僕の意識は覚醒と消滅を繰り返した。

「肉は食べる前に柔らかくしておかなきゃね」 

 最後の抵抗力まで根こそぎ奪われた僕は、だらんと手足を投げ出した。

(だめだ、もう力が入らない……濃霧、風弾、貫く杭……)

 心の中で詠唱したが何も反応しない。何も起こらない。

(しょ、召喚……)

 一縷の望みをかけて亜人を召喚しようとしたが、魔力が足りないみたいで反応しない。

(バカだな僕は、もっと早く頼れば良かったのにね……)

 亜人たちを守らなきゃ、という気持ちが先行してすっかり忘れていた。なんて間抜けなんだろう。いずれにしろ、ニステルは僕の詠唱に超反応してきたし、召喚させてくれるとは思えないけど……。

「じゃあね、タネズ・ケイ。アタシの……孤独な生を彩ってくれてありがとう。あんたの生に心から感謝する」

 ニステルが今度こそ僕を食べようと牙を僕に突き立てる。

(ああ、そう言えばベステルタにも似たようなことされたっけな)

 つぷ、と牙に肉を貫かれ、記憶が走馬灯のように蘇る。

(死にたくないなぁ……)

 でも、諦めた。せめて痛みが無いようにやり過ごそう。目を瞑る。みんなごめん。

…………

……

 轟破ッ!

 闇に落ちかけていた僕の意識が、凄まじい音によって再び浮上する。 

『そこまでだ、虎よ』

 冷ややかな声が響き渡った。

 僕とニステルの間に、黒い千本の蠢きが立ちふさがっていた。蠢きは漆黒の外骨格を身にまとい、地下室に顕現する。

「な、召喚獣か!?」

 ニステルは距離をとって警戒する。彼女の拘束から解き放たれた僕はずるりと地面に落ちた。

 シュゥゥゥゥ、とにわかに霧が立ち込め中から一人の少女が現れる。

「サ、サンドリア?」

 サンドリア? あれ? どうしてここに? いや、違う。ここに連れてきたのは彼女だ。なんでだ? 何で忘れていた?

「ご、ごめんね。ケイが誇りをかけて戦っていたから、邪魔しちゃいけないと思って。気配を完全に消していたんだ。あ、あたしは完全に霧化すると相手の記憶からも霧散するんだよ」

 サンドリアが気弱に微笑む。

「そ、そうなんだ」

 や、やばいなその能力としか言えない。頭がぼーっとする。

「う、うん。だからぎりぎりまで見守っていたんだけど、ごめんね。ケイがその、か、かっこよかったから、助けるの、お、遅れちゃった」

 はにかむサンドリア。三白眼をきょどきょどさせて、もじもじする。きゃ、きゃわわ。

「あ、あとはあたしに任せて? ケイはそこで見ていてね?」

 よーし、やっちゃうぞと腕まくりする素振りでニステルに向き直るサンドリア。

(だ、だめだサンドリア)

 確かサンドリアはフレイムベアを倒すのに手こずるくらいの強さだと、ラミアルカから聞いた。

 フレイムベアを倒すニステル相手でどのくらい戦えるか分からない。彼女に怪我なんてして欲しくない。それなら僕が喰われた方がマシだ。

「まさか召喚獣とはね! しかも人型の魔獣とは恐れ入る。高位の魔獣と見たよ。楽しくなってきたねぇ!」

 ニステルは吠えると、再び朱いオーラを纏って低姿勢になった。

 あの、朱い死を孕んだ突進が来る。

「だ、大丈夫だよ。あたしは姉さんたちと比べたらまだ未熟だけど……それなりってところ、見せてあげる」

 そう優しく言った。

 なぜだか、小さな背中がとても大きく、頼もしく見える。

「ガルゥアッ!」

 朱い血界が迸る。

 悲鳴を上げる暇もない、刹那の突貫。

(サンドリア!)

 喉からかひゅう、と漏れ出る音。

 だめだ、間に合わない。

 漆黒と朱い虎が交錯する。

「さ、サンディー・ヘヴィー・ブロー!」

 轟破ッッッッッ!

 衝撃波が旋風となって僕を襲う。思わず顔を隠した。

 ズゥンン! と地下室が重く縦に揺れる。

 そしてヒュルルルル、と甲高い風切り音の後に、

 ゴッシャアアアァァァ!

 凄まじい衝突音。車が激突したってこんな音にはならないはずだ。

「いったい、何が……」

 砂埃が舞う中、顔を上げると、

「……!? グハッ! ゲハッ! か、かはっ、はあっ!」

 ニステルが反対側の壁にめり込んでいた。そして彼女の左腹には大きな風穴が空いていた。

 咳き込み、血を吐き、地べたに這いつくばる。まるでさっきの僕だ。

「いったい、な、なにが」

 ニステルは何が起きたか分からない様子だ。

『弱肉強食は生の宿命、我が契約者も例外ではない。虎よ。貴様の強さは暴虐を通すに足るだろう』

 カチカチカチ……。

 地下室に何かが擦れる音がする。

『しかし、貴様もまた強者の前ではただの弱者であることを知れ』

 カチカチカチ……。

 その音は天井から聞こえていた。

「ひっ」

 そこにあったのは漆黒の顎。牙。歯。

 幾百ものムカデが捕食対象を見つけ、歓喜を掻き鳴らしていた。

『千霧のサンドリア、推して参る』

 空気が重く、歪んだ。

 霧が立ち込め、彼女の存在が……霧散する。

(口上、めちゃくちゃ堂に入ってるじゃん……)
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