ユートピア

紅羽 もみじ

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第5話

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 田口と堀川は、「いわた学習塾」という看板が掲げられた民家に来ていた。亡くなった児童、岩田慎吾の父親である亮平に話を聞くために足を運んだのだった。2人は、普段は必死に勉学に励む子どもたちが使うのであろうと思われる部屋に通され、話を聞いていた。息子を失った亮平の衝撃はあまりにも大きく、ついには涙ながらに取り乱し始めた。

「息子は…、息子は、殺されたも同然だ!学校でいじめられていると言っていて…、何度も学校に相談に行ったんです、なのに…!」

 亮平の叫びを真っ向から受け止めた2人は、その勢いと苦しみが重たく響いた。亮平は数ヶ月前から子どもの様子がおかしいことに気づいていたが、なかなか話してもらえないため、様々な手を尽くして事情を聞いたところ、『誰かに』いじめられている、という話を聞いたとのことだった。鑑識の報告からも、今回の件とは別で、腹部あたりや太ももの裏側に、不審な青あざや切り傷があった、とあり、父親の証言はより信ぴょう性を持たせていた。

「お父様、どうか落ち着いてください。…息子さんは、その、いつ頃からいじめを受けていたと言っていました?」
「…すみません…。父親として恥ずかしい話なのですが、もう、ずっと前からだそうです。小学5年生の2学期ごろからいじめられていた、と言っていました。あの小学校は、小学5年生と6年生ではクラスが変わらないんです。なので、学年が上がってからもずっと虐められていた、と…。」
「いじめていた子について、何か言っていましたか?」
「それが、嫌がらせを受けている、と言うことまではわかったんですが…。」

 亮平の話によると、初めは知らない間に背中にいたずら書きをされたり、物を隠されたり、という些細なものから始まり、それは友人たちが慎吾を「いじる」ためにやっていたことだったという。実際に、慎吾はクラスの中でそれなりの友人がおり、慎吾もその友人たちの中で「いじり」をやり返したり、としていたようであった。
 しかし、「いじり」がエスカレートしたのか、慎吾のカバンに「いじり」と処理できないほどの陰湿な言葉が書かれた手紙を入れられたり、慎吾の私物に刃物を仕込み、手に怪我を負う等、「いじり」から「いじめ」に変わっていった、という。ただ、手紙や刃物を仕組んだ人間は誰かがわからず、いじりあっていた友人たちがやっていると思っていたが、友人たちはそれを否定。だんだん、疑心暗鬼の状態に陥っていった、とのことだった。

「僕は、何度も学校に調査をお願いしました。でも、学校からは『いじめらしき様子はみられない』という返事ばかりで…。でも、慎吾の様子はおかしいですし、たまに怪我もして帰ってくる。刃物を仕込むなんて、犯罪じゃないですか…。なのに…。」
「その、数ヶ月前からお子さんの様子がおかしいと思った、と言っておられましたが、どうおかしかったんです?」
「こちらから話しかけても、生返事だけで、目も虚な感じで…。」

 その言葉を最後に、亮平はまた泣き出してしまった。田口がふと隣の部屋に目を移すと、仏壇が見え、そこには優しい笑みを浮かべた女性の写真が飾られていた。堀川は、父親をなんとか落ち着かせると、質問を続けた。

「また、お話を聞きにくるかもしれませんが、最後に一つお聞かせください。慎吾くんが亡くなった日、お父様は何か気付かれたことはありませんでしたか?」
「…それが、その日は間が悪く、県外へ出張に出てたんです…。僕の主な仕事は塾の講師ですが、個人経営で塾を開きたいと考えている人にそのノウハウを教えるために、回数は少ないですが講師を依頼されることがありまして…。そういった時は、近所に僕の母が住んでますので、母に慎吾を任せて仕事に行っていました。」
「…そうですか。ショックが大きい中、お答えいただいてありがとうございます。失礼いたしました。」
「…刑事さん、息子の、慎吾の自殺について、学校やいじめの加害者を訴えることはできるんでしょうか…。」

 目には涙を溜めながらも、その瞳の奥には冷たい憎しみが見てとれた。未だ不審な点が多く、はっきりした答えを出せない2人は、当たり障りのない返答をして、早々に家を後にした。涙ながらに訴える父親の姿が、2人の脳裏から離れず、車中もどこか重苦しい雰囲気が立ち込めていた。

「…親父さんのショックは、相当でしたね。」
「…いじめを知ってただけにな…、いじめてた奴に対してもそうだろうが、それ以上に自分を責める気持ちも強いんだろうよ。ただなぁ…、なーんか引っかかる点があるな。」
「またですか…。引っかかるって自殺現場以外にですか?」
「そうだ。息子は少なくとも、友人はいたんだろう。で、そりゃ小学生男児だ、親しくなればなるほど、お互いにやんちゃし合う関係にもなる。お前も覚えはないか?」
「まぁ…、誓っていじめはしてないですけど、友達同士で傘持ってチャンバラごっことか、いじるつもりがケンカになって、後で謝って…とかはありましたね。」
「それが、どんなきっかけで『いじめ』の対象になったんだ?しかも、手紙や刃物を仕込んだのはその友人たちが否定してる?学校側は、未だにふっるい体制で運営していりゃ隠蔽してるってことも考えられるが、いじめてる人間の正体が見えてこねぇだろ。」
「…いくつか推察はできますけど、それは学校で話を聞いてからですね。鑑識の報告も気になりますし…。死亡推定時刻がはっきりしないことには、あの子がいつ学校に入り込んで、どのタイミングで飛び降りたのか、もしくは、死因は別にあるのか…。正直、わからないことだらけです。」
「学校が、隠蔽体質の組織でないことを祈るしかねぇな。」

 2人は沈痛な面持ちで、学校に向かって行った。
 学校は、未だ慎吾の事案を引きずったような雰囲気で、特に上級生と思われる教室が並ぶ廊下にまで、重々しい雰囲気が漂っていた。校長室と職員室は、その廊下の並びの中にあり、案内した教員も疲弊した顔で2人を中へ案内した。

「…すみません、子どもたちが騒いでしまって…。」
「いえ、多感な子どもたちには、このような出来事は衝撃が強すぎるでしょう。先生もご対応に追われているようですね。」
「はい…。私は、慎吾くんのクラスの担任だったので…。」

 慎吾の担任であった三上は、青白い顔で2人を個室に案内した。そこには、数名の教員と、教頭、校長が揃っていた。2人を迎えた職員たちは、一様に立ち上がり、軽く会釈をした。

「お忙しい中、申し訳ございません。」
「…いえ、今の私たちの一番の仕事は、慎吾くんの件について、刑事さんたちに協力することですので。」

 校長と紹介された初老の男性は、担任同様に対応に追われて疲弊している様子も見えたが、一方で責任感に満ちた様子で、何の協力も惜しまない、という真剣な表情で2人を見据えた。他職員も校長と同じく、疲弊の中にも責任を果たさなければ、という意思も垣間見えるような、深刻な表情をしていた。

(…少なくとも、隠蔽体質な学校、ではなさそう…か?じゃあ何で、いじめを見抜けなかった?)

 田口の疑問は堀川も感じていたようで、単刀直入に切り込みやすいように、断りを入れた。

「まず、初めにお断りしておきますが、私もここにいる田口も、学校の責任を問いにきたわけではありません。今、他の捜査官たちも、今回の事案について様々な視点から捜査を進めています。これも、その一つであると、ご理解ください。」
「はい、私どもにできることでしたら、何でもご協力させていただきます。」
「慎吾くん、学校ではどんな感じの子だったんです?」

 田口は、頭に渦巻く疑念が抑えられなくなったのか、口を突いたように質問が出た。堀川からの視線を一瞬感じたが、教員たちはその質問にも真剣に答えてくれた。初めに口を開いたのは、三上だった。

「5年生の初めから、慎吾くんを見ていましたが…、不穏な空気感や、他の生徒から噂が漏れ聞こえてきたりとか、そう言ったことは把握していません。小学生高学年と言っても、まだまだ未熟なこどもたちです。男児は大体、大人しい子と活発に動き回る子で二分化されることが多いんですが、慎吾くんはどちらかというと、活発に動き回るタイプだったかと思います。…友人も多くはありませんがいましたし、5年生の頃は普通に過ごしていたと思います。6年生になってからも同じく、友人同士で喋ったり、ふざけあったりしているところを見ていましたが…、ある時から少しずつ、その関係性がその、何と言ったらいいのか…。いじめ、というよりは、ギクシャクしていった、という印象がありました。」

 三上の発言内容に補うように、学年主任だと名乗り出た女性教諭が話始めた。

「私は慎吾くんが5年生当時から、学年主任をしていました。大筋は、今三上が話した通りです。うちの学校では、学年主任が抜き打ちで自分の受け持つ学年の授業の様子や休み時間の様子、放課後の様子などを見回るという業務があります。5年生の頃は、特に違和感などを感じることはありませんでした。6年生に進級してからも、初めは特に何も感じなかったのですが、ある時から慎吾くんがその友人グループから距離を離すようになった、という印象は持っていました。」
「そのことについて、慎吾くんに話を聞けた先生はいます?」
「もちろん、担任として、慎吾くんに『何か困ったことがあるの?』と何度か聞いたことがあります。ですが、本人は首を横に振るばかりで…。慎吾くんと仲が良かった子達にも、それとなく慎吾くんのことを聞いてみました。ですが、本人たちは、純粋に『いつ頃からか、自分たちから離れて行った。理由はわからない』、といったことを何度も言っていました。」
「子どもたちが嘘を言っている、という可能性は考えたことあります?」

 堀川は、『いい加減にしてくださいよ』という、非難めいた視線を田口に向けたが、当の本人は意にも介さず、どうですか?と続けた。

(…俺の目が、節穴なのか?この部屋に案内された時、話す内容を事前に打ち合わせでもしてたんじゃねぇの、って思ったのに…。嘘を言っている雰囲気も、演じている雰囲気も、話の整合性にも、おかしなところが見当たらねぇ。)

「…子どもたちは、嘘をつく時には、大体癖が出ます。その癖をうまく隠したとしても、全員がそうできるわけではないので、何かあったときには、どこかしらから漏れ聞こえてくるものなんです。でも、慎吾くんは何も話さない、友人たちは『慎吾くんが離れていった理由がわからない』と戸惑っている、他のクラスからも慎吾くんに関する不穏な話は聞こえてこない。…僕も、自分の教師としての資質を疑うようになって、何度も学年主任や、教頭や校長に相談していました。」
「私も主任として、そのあたりの変化には気づいていましたので、三上先生の相談には何度も応じていました。子ども同士の喧嘩でギクシャクしているのか、それとも何か別に理由があるのか…。何とか探ろうとして、見回りの回数を増やしたり、私たちメンバーとは別に、いじめの調査チームを立ち上げて、慎吾くんとその身辺について見てもらって、報告を受けていました。それが、この書類です。」

 学年主任は、封筒に「対策メンバー報告書(6年生1クラス)」と書かれた封筒を、2人に差し出した。拝見します、と堀川が受け取り中身を広げると、数ヶ月にわたって調査が行われていた記録があった。チームが動く時には、多くの視点から見られるように調査前に「調査方針」を立てているようだ。だが、結果として挙げられているのは、「不審な点はなし」「いじめ行為見受けられず」といった、いじめの事実は見られなかった、という報告になっていた。

「この、調査チームに入っていた方は、この中にいらっしゃいますか?」

 堀川の問いに、三上と対面して座っている男性が挙手をした。

「私です。他に3人職員がいますが、私は精神保健福祉士で、なるべく慎吾くんの様子や、その友人たちの言動や動向に注意して見ていました。確かに、慎吾くんは疑心暗鬼を募らせているようでした。ですが、その原因を作っているものが見当たらないんです。慎吾くんと仲の良かった子達は、なぜ慎吾くんが自分たちと遊ばないのか、と不審感を持っていたようですが、一方で慎吾くんを心配している様子も見受けられました。子どもたちの言葉を『正』として考えると、先生たちの話と私たちが調査した結果と一致します。つまり、いじめはなく、慎吾くんが周囲に心を開かない理由は別にある、ということです。…それでも、その原因がわからない以上、疑問点は残りますけどね。ただ、子どもたちが『嘘』を言っていた場合、先生たちから聞く様子と、私たちチームで調査した結果が一致するはずがないんです。チームは数ヶ月も稼働していて、その間に私たちがいじめの片鱗を発見するはずなので。」
「絶対に見落とすはずがない、と?」

 田口の勢いに、職員たちは閉口したが、校長はその中で、真剣な目で見据えて口を開いた。

「…絶対、とは言いません。もしかしたら、私たちがどこかで、何かを見落としていたのかもしれません。ですが、いじめについては少なくとも、担任、学年主任、いじめ対策チーム…、様々な視点で調査しました。それでも、何も発見できなかったのです。」
「…刑事さん、まだこれは、警察内部で留めておいて欲しい話なんですが。」

 そう切り出したのは、三上だった。三上は、最終確認をするように、学年主任、教頭、校長に視線を移し、自分の発言を制する様子がないことを確認すると、特に慎重に、言葉を選びながら話し始めた。

「…もう、お聞きになられたかもしれませんが、いじめについて、慎吾くんのお父様とも話したことはありました。何度もご説明して、調査チームも立ち上げて、綿密に報告はしていたんですが…。実は、僕らとしては、もう一つ慎吾くんに起こっている可能性を考えていました。」
「と言いますと?」
「虐待、ですかね。」

 田口は初めから確信していたように、三上に『もう一つの可能性』を言い当てた。三上は田口の指摘に否定せず、深いため息をついた後、ゆっくりと話し始めた。

「…確証はありません。お父様は、奥様を亡くされた後、男手一つで慎吾くんを養育されていて、慎吾くんが学校で体調不良を訴えた時には、経営されている塾を臨時休業してでも、慎吾くんを迎えに行ってすぐに病院に連れて行ったりして、とにかく子ども第一で行動されておられました。…ただ、ここ最近、慎吾くんの体に不自然な痣を見るようになったり、家で何をぶつけたのか、頭から血を流して何針も縫う大怪我をしたりするようになりました。家での怪我はともかく、不自然な痣については、学校で起こったものか、と調べたりもしました。ですが、その頃には慎吾くんはクラス内では常に1人でいるようになりましたし、かといって、仲の良かった友人たちが、彼を人気のない場所へ連れ立っていくわけでもない。…全て、推測でしかありませんが、その可能性もあるのではないか、と話していた矢先に…」
「今回の事件が起きた、と。」

 最後の言葉を田口が受け取ると、部屋にいる学校職員はより険しい顔になった。

「いじめであれば、学校と地域、そして家庭で連携して、また犯罪行為に及んでいる場合は、警察にも通報して、と対応するところです。ですが、虐待となると、通報先は児相(児童相談所)になります。その相談をしていた矢先に、慎吾くんは…。」

 そこまで言うと、三上は言葉を詰まらせてしまった。早く児相に相談しておけば、こんなことにはならなかっただろう、という後悔の念が悲痛なまでに伝わった。

「…その話を、慎吾くんやお父様にされましたか?」
「いえ、まずはこちらで児相に言う案件かどうか、決めかねているところでしたから…。職員の間で収めてある話でした。」
「…そうですか。…ちょっと、失礼します。」

 堀川はそういうと、公用の携帯の電話に出るため、廊下に出た。田口は、その間も質問を続ける。

「その、児相に話すかどうか迷ってた理由ってのは、何があったんです?」
「まず、いじめについて解明ができていないところがありました。お父様は、慎吾くんがいじめられている、と連日学校に相談に来られていましたので、そこについて着地点も見つからないうちから、児相に相談するには難しい状況でした。あと、先ほども申し上げたように、慎吾くんのお父様は、とにかく子ども第一で献身的になられている方でした。そこに、虐待という話が入ってくる余地が見つからなかったんです。」
「でも、実際に子どもは怪我をしてたんでしょ?そのことについて、子どもはなんて言ってたんです?」
「転んだ、とか、黙り込んでしまうことが多かったです…。なので、児相に相談すべきか、と検討していたんです。」

 田口は、そこから踏み込んだ対応はできなかったのか、と言おうとしたが、電話から戻ってきた堀川によって、止められてしまった。

「皆様、長時間お時間をとらせて申し訳ございませんでした。また、お話を伺いにくるかもしれませんが、ご協力ください。…先輩、行きましょう。」
「なんだ、何かあったのか。」
「いいですから。ほら。」

 田口は堀川に半ば引っ張られるような形で、学校を去った。田口は聴取を邪魔されたと思っているのか不機嫌そうな顔をしていたが、堀川の表情を見て、何かあったな、と感じ、助手席に座り込んだ。

「俺の聴取を止めるくらいだ。何があった。」
「…これ見て下さい。」

 堀川は、スマートフォンを操作して、動画配信サイトを表示させて再生した。
 慎吾の父親である亮平が、涙ながらに、しかし力強く、「息子はいじめと学校に殺された、法的手段をとる」と訴えている動画だった。
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