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魔女さまって呼ばないで

4魔女さまと素材屋

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 ギルドから出て街の中央にある時計台を確認する。
 時刻は15時。ここから乗合馬車でナルベの家までは1時間もかからない。
 夕食にはあまりにも早すぎるし、ナルベが依頼に出てるのならば夕食は20時ごろだろう。
 そう考えると、今からナルベの家に行くのも憚れる。加えて外へ採取に出かけても約束には遅れてしまう。自分の家に戻っても採取とそう時間は変わらないくらいに時間がかかってしまうことを考えると、その案も必然的に却下だ。
 リリムはギルドから南に歩きはじめた。
 パン屋の角の壁にある煉瓦壁をそっと撫で、そこで曲がってまっすぐ進む。鍛冶屋の店前で店が開いていることを確認し、魔法具店と花屋の間の路地に入る。置いてある木箱を横目に路地裏に入って10歩目の煉瓦壁にノックすると、ぽうっと魔法円が浮かび上がった。
 その魔法円をそっと撫で、己の魔力を乗せる。
 すると、足元に魔法円が浮かび、次の瞬間には別の場所にいた。

「相変わらず面倒な入店方法……」

 決められた行動を取り、決められた条件が当てはまれば発動する仕掛けの移動魔法。随分と古い魔法で、今の所知っていても使える人物──使う人物など限られている。王都にある有望な若者達が集う学園でも、古い魔法として紹介しているが、実技としては取り入れられないほどには古い。古いが故にその理論を知っている者も少なく、その魔法を使う時点で、この店の店主が、極度の人嫌いであることは容易に察することが可能だ。
 店は薬草独特の匂いで溢れていた。
 棚に並んだ無数のサンプル瓶に、今現在乾燥中と言わんばかりの薬草が天井中に吊るされている。適度な間隔を開けて干されている薬草はカビることなく、天井近くに開いている窓から風が吹いて乾かしていた。
 古びたカウンターがリリムの前にあり、本来の主が座っているはずの椅子には誰も座っていない。

「おや、ぬし様が珍しい」

 奥から現れたのは、この店の店主であった。
 忌避される黒い長髪を緩くまとめており、もみあげに青い組紐をつけている。通った鼻筋に女顔負けの白くきめ細やかな肌、糸目とも呼べるほど普段細く見える青い目は、相手を見透かしているようにも見えた。
 この国よりも東の遠い国に伝わる服を着崩し、手には煙管を持っている。

「お久しぶり。来て早々だけど、入店方法はどうにかならない? 面倒なんだけど」

 リリムが手を上げてそう言えば、彼はハッと鼻で笑う。

「しわ虫太郎や面倒な油虫を招く趣味なんぞありゃせん」

 美女と見間違うほどの美貌を持つ彼は多くの苦労を強いられてきた。それ故に人嫌いになったが、それで店をやっていけているのだから不思議だ。
 利点として入店する【道】は複数あるので、この街でなくても入店することが可能な点だろうか。それならばいっそのこと、家から直接来れるようにしてほしいが、彼は絶対に頷かない。上客であると共に面倒な客であると思われていることは分かりきったことである。

「相変わらずだね」
「ぬし様も、街では相も変わらず魔女さまと」
「呼ばないでくれる?」

 殺気の籠もった視線に、彼は肩をすくめる。

「まあ、今日は貴方が嫌う油虫だけどね」
「丁度良かった。ぬし様にお頼みおたのんが」
「却下」

 勝手に棚のものを見ながら、リリムはそういった。
 彼との付き合いも何年になるだろうか。そう考えるのも鬱陶しいくらいに付き合いがあるので、リリムは嫌な予感は積極的に断るようにしている。
 けれども彼だって、伊達に何年もリリムと付き合ってはいないのだ。

「何も難しいもんではなさんす。ウンディーネの秘薬、お頼みおたのん申しいす」
「却下って言った!」

 ばっと彼の方を向くと、彼はいつの間にかリリムの背後に立っていた。
 くいっと顎を捕まれ、上を向かせられる。リリムよりもかなり身長が高いため、見上げるのは少し苦しい。
 そこいらにいる娘なら落とせる美貌を持つ彼は、リリムに吐息がかかるほど顔を近づけた。

「ぬし様とわっちの仲じゃあおっせんか」

 ともすれば唇が重なるような至近距離で、リリムはすっと、彼の胸にめがけて杖を割り込ませた。

「どんな仲? 殺し合った仲とでも言えばいい?」

 必要であれば殺す。そう滲ませる声音に、彼は両手を上げて降参の意を示した。

「ぬし様は相も変わらずで」
「貴方もね」

 カウンターに座って行儀悪く煙管を吹かす彼を横目に、リリムは気になった瓶を振ったりして棚を物色する。彼が持つ煙管は彼の養親が使っていた物であり、独自に配合した体にいい薬草を吹かしている為、上級貴族が好む煙草のように人に害が及ぶことは少ないそうだ。
 貴重な薬草から一般的に使われるものまで多種多様な素材が揃うこの店に来たがる客は多い。養親から受け継いだ店を彼は律儀に守っているのだが、その養親も極度の人嫌いで変わり者だったため、その性格が移ったのだともリリムは思っている。

「そもそも、何が難しくないって? ウンディーネの秘薬は作るのが難しいのに」

 この国で媚薬を使用すること事態は別に違法ではない。媚薬に中毒性があるもの、若しくは毒が混じっているものは取り締まりの対象になるが、ただ興奮剤としての媚薬は夫婦仲の解消にも勧められるくらいだ。
 彼が頼んだウンディーネの秘薬も法には触れないが、快楽状態に強く陥るもの。その元になる素材が貴重なものが多い。そして通常の媚薬とは製法が異なる為に、秘匿されていることも多いのだ。類似品が幾つも世に出回っているが、本物の1割にもその効果は望めない。本来の薬なら、調薬のランクもSランクの代物だ。

「私はちょっとばかり魔法が使えて、ほんの少し調薬ができる程度だから無理ですぅ」
「わっちの前で見え透いた嘘。ええ、ぬし様とは夜まで語りましたしゆっくりお話がしたい──」
「結構よ」

 言葉を遮るのは何度目だろうか。
 彼の使う言葉は、養親から移ったものだ。養親はそもそも彼に口真似をさせるつもりがなかったから、使い所も間違っている時がある。リリムは付き合いが長いから意味がわかるが、古い東の国の言葉が多いため、この国でわかるものは少ないだろう。もっとも、彼もリリムが意味をわかっているからこそ使っている節もあるのだが。
 リリムは用事があるし、彼とそこまで話し込む気はなかった。暇つぶしだとわかっているからこそ、彼はリリムを引き止めて邪魔をしようとも考えているみたいだが、その程度はなんの弊害にもならないことを双方は理解している。これはただの軽口の叩き合いだ。

お頼みおたのん申しいす。魔・女・さ・ま?」
「キモチワル」
「──実際は作れるのでありんしょう?」

 腕を擦るリリムに、確認ともとれる、確信からくる言葉を投げかけてくる。
 必要な素材はSランク以上。調薬の腕もSランク相当。実際にどんな薬かなんて師から教わる伝来系のレシピなので、独学で学んでいる者が売るものは8割間違いだ。独学で作ろうとする者はそもそもなぜ、調薬の腕がSランク相当なのか理解していない可能性もある。

「今の所、私が作る義理はないよ」

 ワントーン低い声でリリムは一蹴した。
 彼との間に貸し借りはなしだ。素材が揃っていようとも、作ること自体にリスクが伴う薬である以上、必要に迫られていなければ作る必要はない。
 凍りついた空気を変えるために、リリムは溜息を吐いて肩をすくめた。

「そもそも、その魔女さまってちょっと痛くない? 夢見る思春期は通り過ぎたっての」
とてもいこう慕われとることで」
「本当に?」

 リリムは、この街の人から呼ばれる【魔女さま】という呼び方が好きではない。
 思春期特有に現れる病気──例えば勇者になりたいとか、左目が疼くとか──の人だと思われていそうで、そう呼ばれることが恥ずかしいというのが大部分を占める。上位ランクのギルド登録者や有名人にはそういった二つ名で呼ばれる場合も多い。
 一番のいい例が女王直属の白翼だろうか。彼らは女王と苦楽を共にし、この国を平和に導いた英雄だ。そんな彼らに親しみを込めて二つ名で呼ぶのはわかる。国民の間では本名ではなく二つ名が浸透していることもあるくらいに有名だ。
 リリムはそうじゃない。ちょっと魔法が使えて、ほんの少し調薬ができる。それだけ。リリムのことを【魔女さま】と呼ぶ街の人々に、嘲りの感情は全く感じられなくとも、二つ名で呼ばれることには抵抗があった。
 まるで──。

まことにほんに、人の好意に鈍いこと」
「え?」

 小さすぎて聞こえず、聞き返したリリムに彼は首を振った。

「では、ぬし様に情報を売るというのは?」

 くすりと笑った彼は、口元に人差し指をたてて、店内に二人しかいないのに、声を潜める。

「どっから見つかったか、噂の白い騎士が来いした」
「白い、騎士……?」

 リリムは薄く口を開けて、呆然とした。
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