執着王子のお気に入り姫

暁月りあ

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Ⅹ侵攻と逃亡

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 その日は前さえも見えないほど強い雨が降っていた。
 王妃に呼ばれたり彼が来たりする以外の時間は殆ど魔法の糸による情報収集の時間に充てるのだが、残念なことに雨の日にはその精度が落ちる。

(後宮内ならともかく、王宮までは無理そう)

 私が操る糸は振動による伝達を主に置いているため、雨の日は音が反響して遠くの糸ほど扱うことが難しい。
 それでも、どことなく粟立つような感覚に顔を顰めた。

(行動を起こすなら、今日かな)

 外は少し先が見えないほどの大雨だ。
 雨漏りの心配をする必要は今更ないだろう。
 立ち上がって窓辺にあるボロボロのカーテンを引きちぎる。
 幼子の力でも簡単に引き裂けるほどボロボロになったそれに彼から貰った軟膏や携帯食を詰め込んで、落ちないように斜めがけすると胸前で結んだ。

「……!」

 不意に聞こえる悲鳴。
 魔法の糸から聞こえるその声は、後宮を守る騎士のもの。
 命の灯火を掻き消す断末魔が耳にこびりついた。

(始まった)

 忘れ物がないか見渡し──6年以上世話になった倉庫にぺこりと頭を下げて出ていく。

(ごめんね)

 それは彼への謝罪。
 喧騒は雨にかき消される。
 後宮まで侵入できるというのなら手引きした者がいるということ。
 堕落したこの国を制圧するのなんて容易いだろう。
 足音がすぐにでも迫ってくる可能性は高い。
 倉庫を出て近くの古窓から外へと飛び出した。
 その瞬間。
 空を見上げた私の目に王宮と後宮を覆っていた魔法無効の防御結界が、まるで編み物の人を解くように壊れていくところが見えた。

(結界が、壊れた)

 そうなるとこの城は無法地帯だ。
 私は魔法の糸に流す魔力の出力を上げる。
 魔法無効結界は魔法全てを無効にする訳ではない。
 この世界におけるすべての生物が生成できる魔力を抑え込むようなことをしてしまうと結界の中で人が生活することすら出来ないし、何より無効結界と呼ばれる結界の維持が出来ずに本末転倒となるからだ。
 魔法が無効化されるわけにはいかないので結界の感知に掛からないよう出力を下げていた。
 しかし、結界自体がなくなったと言うのなら話は別。

 糸から得られる情報を使って迷いもなく走り出した。
 捕まれば終わり。
 彼が迎えに来る前に逃げ出したのだ。
 彼の庇護を求めるような資格はない。

(人だかりは、まだ、後宮の中)

 後宮の入り口から多くの人が傾れ込んできたようだ。
 それらの人は態々豪雨の中、外を探すよりもまずは後宮の中を荒らすだろう。
 小さなみずぼらしい子供が居なくなったところで事情が伝わってなければ探す順位は当然低くなる。
 息が切れ、思ったよりも体力のない体に舌打ちをしながらやってきたその場所は外壁が脆くなっている場所でもあった。
 手で外れる煉瓦をいくつか崩せば子供が身を縮めてやっと通れる穴が出来上がる。

 ごくりと喉が鳴った。
 外に行っても生き残れるとは限らない。
 だから、この場所を偶々見つけたときもある程度身を守れる魔力が扱えるまで使うつもりもなかった。

(……考えてる暇はない)

 脳裏に浮かんだ少年の姿は首を振って掻き消した。
 子供1人がようやく通れる穴を後ろ向きに入る。
 外部から王宮を守るための城壁は厚さもそれなりのもの。
 地面に魔法陣を描いて光を灯し、入り口を塞ぐ。
 それにかなりの時間を割いたためか、後宮の中に先程までの喧騒はない。
 私はずりずりと体を地面に擦り付けながら進む。
 勿論後ろ向きだ。
 方向転換出来るほどの幅は無い。

(ここまでは順調)

 出口である場所に足が当たると、魔法の糸を隙間から外に出す。
 この秘密の穴を知っている者が私だけとは限らない。
 誰かに見られるのも不味い。慎重に周囲を探る。
 流石にこの天気で外に出ているものはいないようだ。
 人の気配がないことを確認した私は、1番脆い部分を身体強化を付加した足で蹴り飛ばした。

 外は変わらず雨が降っていた。
 まるで今日を悲しむかのような雨が顔を打ちつける。
 それでも私は大きく息を吸い込み、両手を広げた。

「ふふ……」

 それは、自然に出た少し歪な笑い声。

(私は自由)

 私を縛る者がいない世界に一歩踏み出したのだ。

(私は、自由!)

 自身が手を伸ばせる範囲は限られている。
 持つもの全てを上手く使わなければすぐに死が待ち受けていることだろう。
 私が選んだのはそういう道だ。
 後宮を身一つで出た場合、何をすれば上手く生き残れるか。
 パシャリと水溜りに足を入れてステップを踏みながら私は進む。

(まずは何から手を出そうかな)

 ふふふと笑いながらこれからのことを夢想する。
 そんな私を見るのは、こんな豪雨の中でも軒下でのんびりとしている豪胆な猫くらいであった。
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