上 下
33 / 50
第三章

第33話 ナル、最大のピンチ1

しおりを挟む
 ナルが俺の家に来て一年以上が過ぎた。俺も飼い主レベル20ぐらいにはなっただろうか。
 そんなある日、ナルが黒い虫を口にくわえて俺の前にやって来た。そう、あのGの名を持つ黒い虫だ。ナルは得意げに、そのGの名を持つ虫を俺に差し出す。まだ六本の足がピクピクとうごめいている。

「もうそんな季節になったか……」

 ぽつりと呟く。床に置かれた虫をチラシで包んでゴミ袋に放り込んでから、よしよしとナルの頭を撫でてやる。

 去年は出て来なかったが、いくら退治しても何処からともなくやって来る。この昭和の香りのする古いマンションは床や天井など他の部屋と繋がっているようで、この部屋だけ退治しても毎年のように出現してくる。
 家の中で一匹見かけたら三十匹はいるという虫だ。早い目に退治しておいた方がいいかもしれんな。

 いつもなら害虫駆除用の煙を焚くのだが、今はナルがいる。煙を焚いている間の三、四時間は部屋を閉め切る必要があるが、そこにナルを置いておく訳にはいかない。
 キャリーバッグに入れて一緒に外に避難するか? だが、あの大きなバッグを持ったままウロウロするのも手間だし、ナルはキャリーバッグに入るのを嫌がるだろうからな……。
 そうだ、風呂場にナルを避難させて入り口をガムテープで塞ぐのはどうだ。あそこは気密性が高い。しっかりとガムテープで塞げば煙が入って来る事もないだろう。早速今度の休みの日にでもやってみるか。

 日曜日の昼過ぎ、害虫駆除を実行する。まずは家の中の食料やパソコンにビニール袋をかぶせて煙が入らないようにしておく。そして押し入れなどの扉を全開して、部屋中に煙が行き届くようにすれば準備は整う。

「よし、後はナルだけだな」

 ナルのトイレに煙の臭いが付くと後で嫌がるだろう、トイレと餌も風呂場の中に入れておこう。そしてナルを抱き上げて風呂場の中に入ろうとしたが、様子が変だと嫌がって腕の中で暴れる。シャンプーをする時はこれほど激しく暴れたりしないんだがな。
 肩にまで登ってきて逃げようとしているナルを捕まえたまま、なんとか風呂場の中に入った。

「おい、おい。そんなに暴れ回るなよ」

 飛び跳ねるナルを風呂の浴槽の底に誘導して、急いで外に出て扉を閉める。ナルは浴槽を飛び出して風呂のガラス扉の向こう側で扉を引っ掻きながらミャーミャーと鳴いている。すまないな、ナル。そこには餌も水もある、数時間の辛抱だから我慢してくれ。
 そのガラス扉の四辺をしっかりとガムテープで塞ぐ。よし、これで完璧だな。

 俺も出かける準備をして二ヵ所に置いた害虫駆除薬に火をつけて、煙が出てきたのを確認してから外に出た。
 この後は電車に乗り、四駅向こうにあるショッピングモールに行って時間を潰すつもりだ。ナルの事は心配だが、ほんの三時間だけだ。いつもは会社に行って何時間も家にいないんだから、これぐらいなら我慢してくれるだろう。

 三時間後、家に戻るとまだ煙の臭いがするな。ベランダ側の窓も開けて換気扇を回して煙を追い出す。この程度ならナルを出しても大丈夫だろうと、風呂場のガムテープを剥して中に入る。中の空気は全く煙の臭いがしない。煙は侵入していなかったようだな。

「ナル、すまなかったな」

 風呂場の浴槽の中を覗き込んだがナルが居ない!! トイレも餌もそのままなのにナルだけが居なくなっている。
 なぜだ! なぜナルが居ないんだ! 扉は密閉されていたんだぞ!

 風呂場の側面、空気取り入れ用の窓が開いている。小さな窓で全開できない構造になっていて外側に斜めに開く窓だ。その窓が開いて下側に隙間ができている。ナルが通れるほどの隙間には見えないが、埃の被った窓枠を見るとそこにナルの足跡があるじゃないか。こんな高い場所にある小さな窓にナルが飛びついたのか。するとナルはここから外の廊下に!!

「ナル!!」

 俺は焦りながら玄関を飛び出して、廊下を探したがナルは居ない。この廊下はナルがいつも行き来している廊下だ。どこかに隠れているかもしれない。だが見つからない。上の階はどうだ。三階、四階、五階と見て回ったがナルは見つからなかった。

 一階に降りて外に出てしまったのか! ナルは外を怖がっていたから外には出ないと思っていたが、パニックになって一階に降りたのかもしれない。一階の廊下やマンションの周りを見て回る。

「ナル、ナル!」

 名前を呼びながら、辺り一帯を探す。駄目だ、何処にもいない。俺があんな事をしなければ……ちゃんと窓を確かめていれば……。後悔の言葉ばかりが頭の中を繰り返し通り過ぎる。
 もう、外も暗くなってきた。もしかしたら部屋に帰って来てるかもしれない。マンションに戻ったが廊下にナルの姿は無い。全ての階を見て回ったがナルは帰って来ていない。

 夜になれば夜行性の猫だ、どこかの隙間から顔を出すんじゃないのか。マンションの周りの小さな路地や隣りのマンションとの隙間には、人が入れない狭い場所が沢山ある。駐輪場の奥や花壇の隙間など暗くて狭い場所を探してみる。こんな狭い所はナルが好きそうな場所だ。

 表通りから救急車の音がした。まさか駅前の道路にまで出て事故に合ったんじゃないだろうな! 急に不安になって自転車に乗り車の走っている道を探して回る。車に跳ねられた猫の姿は無い。いやもう少し遠くまで行ったかもしれない。もっと遠くまで道路沿いを探したがナルの姿はない。大丈夫だ、ナルはまだ生きている。

 もう、夜中になってしまった。明日は仕事がある。このまま探し続ける事はできない。俺が、俺がしっかりしていれば……ナル、すまない。飼い主として完全に失格だ。こんな俺のせいで……。

 翌朝。まだナルがこのマンションの近くにいるのなら、腹を空かしているだろう。一階の駐輪場の隅にナルの餌を入れた小鉢を置いて出勤する。
 ナル、生きていてくれ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

孤独な少年の心を癒した神社のあやかし達

フェア
キャラ文芸
小学校でいじめに遭って不登校になったショウが、中学入学後に両親が交通事故に遭ったことをきっかけに山奥の神社に預けられる。心優しい神主のタカヒロと奇妙奇天烈な妖怪達との交流で少しずつ心の傷を癒やしていく、ハートフルな物語。

列車居酒屋異聞 〜旅が好き〜

夢彩姐
キャラ文芸
動かない特急列車…それは駅舎の如き店構えの奇妙な居酒屋の内装の一部だ。  主な治療法が対処療法しかない流行病が世界的に広がった為、現在飲食店の経営は困難を極めている。  そんな時制に逆らうように開店したテーマパーク型居酒屋に集う様々な人々の人間模様…。  こんな居酒屋さん…  何処かに有ったら是非行ってみたい… ※他サイトでも公開しています。

半妖のいもうと

蒼真まこ
キャラ文芸
☆第五回キャラ文芸大賞『家族賞』受賞しました。皆様の応援のおかげです。ありがとうございました。 初めて会った幼い妹は、どう見ても人間ではありませんでした……。 中学生の時に母を亡くした女子高生の杏菜は、心にぽっかりと穴が空いたまま父親の山彦とふたりで暮していた。しかしある日、父親が小さな女の子を連れてくる。 「実はその、この子は杏菜の妹なんだ」 「よ、よろしくおねがい、しましゅ……」 おびえた目をした幼女は、半分血が繋がった杏菜の妹だという。妹の頭には銀色の角が二本、口元には小さな牙がある。どう見ても、人間ではない。小さな妹の母親はあやかしだったのだ。「娘をどうか頼みます」という遺言を残し、この世から消えてしまったという。突然あらわれた半妖の妹にとまどいながら、やむなく面倒をみることになった杏菜。しかし自分を姉と慕う幼い妹の存在に、少しずつ心が安らぎ、満たされていくのを感じるのだった。これはちょっと複雑な事情を抱えた家族の、心温まる絆と愛の物語。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

少女探偵

ハイブリッジ万生
キャラ文芸
少女の探偵と愉快な仲間たち

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...