公爵夫婦は両想い

三国つかさ

文字の大きさ
上 下
23 / 23

23

しおりを挟む
 これはピチカとヴィンセントの結婚が決まる、少し前の話だ。
 ピチカはまだ王国魔術師団で魔術師として働いていて、その日も城に勤務していた。
 そして午前の仕事を終えて休憩に入ると、魔術塔の二階へ向かい、東側の廊下の窓から外を見下ろした。
 そこに生えている木の枝の上に鳥の巣があって、その巣の観察がここ数日の楽しみになっているのだ。
 小さな巣には青い羽毛を持つ小鳥のつがいがいて、最近卵が孵ったのである。

「今日も四羽とも無事ね」

 ふわふわした灰色のヒナの数を確認し、ピチカはほほ笑みをもらす。巣は人の手の届かない高さにあるが、猫や蛇なら登ってしまうかもしれないし、カラスに狙われる可能性もある。それに雨や風で巣が崩れる心配もあるだろう。
 だから四羽のヒナたちが無事に成長するまで巣を見守る事は、ピチカの日課になっていた。

 しかし次の日、さっそくヒナにピンチが訪れた。
 一羽が巣から落ちてしまったようで、怪我はないが、地面の上で無防備に鳴いているのだ。

「まぁ、大変」

 親鳥が餌を運んできてくれてはいるが、ヒナを巣には戻せないでいる。このままだとすぐに外敵に狙われてしまう。
 ピチカは外に出て、巣がある木の近くまで行ってみたが、自分の身長では巣に手が届きそうにない。男の人でも無理だろう。はしごが必要だ。

「少し待っててね」

 ピチカはヒナにそう言うと、急いではしごを取りに行った。確か魔術塔の物置の中ではしごを見た事があったはず。
 しかしその途中、塔の中に入ろうとしたところで、前から来た誰かにぶつかってしまった。

「きゃっ!」

 ぶつかった後、倒れそうになったピチカの腕をとっさに掴んでくれたのは、第一隊隊長のヴィンセントだった。どうやらぶつかった相手は彼だったらしい。
 それに気づいたピチカは顔を青くする。その当時ピチカはヴィンセントの人となりをよく知らなかったし、魔術師としてはすごい人だと尊敬していたけれど、いつも無表情で笑う事のないヴィンセントを少し怖いと思う事もあったからだ。

「あ、す、すみません、ヴィンセント隊長……っ」

 ピチカは体勢を立て直し、慌てて頭を下げる。
 ヴィンセントからは「前をよく見ろ」と冷たく注意されるかと思ったが、

「いや、私も済まない」

 静かにそう謝ってくれた。淡々とした言い方だったかもしれないが、想像よりもヴィンセントが優しかったのでピチカは意外に思った。
 だからさっさとどこかへ行こうとするヴィンセントを引き止めて、こんな事を言ってしまったのだ。

「あの、ヴィンセント隊長! もしお時間あるようでしたら、手を貸してくださいませんか? 鳥のヒナが巣から落ちてしまっていて……」

 ヴィンセントならはしごを使わずとも魔術で何とかしてくれるのではないかと思い、協力を頼んだ。それにヒナを早く安全な巣に戻したかったので、立っている者はヴィンセントでも使いたい気持ちだったのだ。
 
「……駄目、ですか……?」

 振り返ったヴィンセントに冷たくも見える蒼い瞳で見返され、ピチカはびくびくと肩を震わせた。隊長という地位にいる人に対して気軽に頼み過ぎただろうか、それとも「鳥のヒナごときどうでもいい」と言われるだろうかと心配したが、ヴィンセントは無表情のままこう言った。

「ヒナ? どこだ?」
「あ、こっちです!」

 助けてくれるのだと、ピチカはホッとしてヴィンセントを案内する。
 そしてヴィンセントは地面に落ちているヒナを見ると、風の魔術を使ってヒナを巣まで戻してくれた。弱い風でヒナを持ち上げたのだ。
 ピチカは手を叩いてヴィンセントを賞賛する。

「すごい! あんなふうにヒナを浮かせて、でも吹き飛ばしてしまわないような弱い風を作り出すのは繊細な魔力コントロールが必要ですよね? さすがヴィンセント隊長です!」

 きらきらした憧れの瞳でヴィンセントを見るピチカに対して、ヴィンセントはわずかに目元と口元を緩ませた。
 
(今、笑った?)

 笑顔というには色々と足りな過ぎる表情だったが、ピチカはそう思った。笑うヴィンセントという珍しいものを見られて何だか嬉しくなる。

「ヴィンセント隊長、ありがとうございました!」
「いや」

 お礼を言うと、その日はそれで別れた。

 しかし次の日から、ピチカはヴィンセントの姿を魔術塔の廊下でよく見かけるようになった。
 何故ならヴィンセントも鳥の巣がよく見える二階の窓に佇んでいる事が多くなったからだ。
 どうやらヒナを助けた日にそこに巣があると気づいてから、ヴィンセントもその巣を見守る事が日課になったらしい。
 ヴィンセントはいつも、普段の無表情より少しだけ優しげな顔をしてヒナたちを見ている。

(素敵だな……)

 窓から外を見るヴィンセントの横顔を見て、ピチカはそう思った。
 ヒナを助けてくれた時のヴィンセントももちろん素敵だったのだが、それ以上にヒナたちを見守っているヴィンセントの横顔に心がときめく。
 助けた後もこうやってヒナたちを気にしているという事は、とても優しい人なんだろうなと感じるのだ。

(今日は声をかけてみようかな)

 いつもピチカが少し緊張している間に、ヴィンセントはこちらに気づかずに廊下から離れてしまう。隊長ともなれば毎日忙しく、休憩がてらヒナを見守る時間もなかなか取れないのだろう。
 そしてこの日も、ピチカが声をかける前にヴィンセントは執務室かどこかへ去って行ってしまった。

(ああ、残念だわ……)

 ピチカはこの時、もうすでにヴィンセントに心惹かれていたのだろう。彼の背中を見送りながら、片思いしているみたいに胸が切なく痛んだ。
 そしてぐっと拳を握って、明日こそは話しかけようと決意する。

 ――が、ピチカがヴィンセントに話しかけて仲良くなる前に、ピチカの父親がヴィンセントとの結婚話を持ってきたのだった。

「私の可愛い可愛い娘よ! パパはピチカに良い人を見つけてきたぞ。彼なら地位も魔力もあるからピチカの事を守ってくれるだろう。それに女遊びもしなさそうだ。性格に少々難があると言われているが、パパは彼は悪い人間ではないと思うんだよ。一度会ってみないかい?」

 なんて明るく言いながら――。


***


「美味しいですね、ヴィンセント様」
「ああ、美味しい」

 店の中でケーキを食べて幸せそうに笑うピチカを見て、ヴィンセントも甘く笑う。ケーキの美味しさよりも、喜んでいるピチカを見る事の方が嬉しいのかもしれない。
 ピチカが働き出して一ヶ月以上が経ち、給料がもらえたので、前に約束していた通り、今日はヴィンセントとデートをするため街に出てきているのだ。
 
「上に乗っている新鮮なフルーツやなめらかなクリームはもちろん、ここのお店のケーキはスポンジまでふわふわで美味しいですね!」
「ああ、美味しい」

 にこにこ笑うピチカを見つめ、ヴィンセントは先ほどと同じ台詞を口にする。頭の中は「ケーキに喜んでいるピチィが可愛い」という思考でいっぱいで、返事にまで気が回らないらしい。
 一方、ピチカはヴィンセントと一緒に美味しいケーキを食べ、今日一日デートできた事に満足していた。
 ここに来るまでに街を見て回って、ヴィンセントにドレスや宝飾品を買ってもらったりもしたのだ。今日はピチカが給料からデート代を出すつもりだったのに、ヴィンセントに買ってもらった物の金額の方が何倍も多くなってしまった。

「屋敷の皆へのお土産も買えてよかったです。喜んでもらえるといいんですけど」

〝屋敷の皆〟とは、レイラを始めとする侍女たち、アゼスの騒動に巻き込んでしまった馬車の御者、いつもアルカンに差し入れるお菓子を作ってくれる料理長のストウル、それに頼れる祖父のような執事、ヴィンセントの優秀な従者、毎日真面目に働いてくれている使用人たちの事だ。
 お土産として買ったのはお菓子や小物などのちょっとした物だが、全部合わせると結構な量になったので、ヴィンセントに買ってもらった宝飾品などと一緒に大通りで待機している馬車に積んである。
 お土産代とここのお店の代金はピチカが払うので、それで少ない給料は全部なくなってしまうが構わない。ヴィンセントや屋敷の皆に日頃の感謝の気持ちを少しでも伝えられたらなと思う。
 
「最近、仕事は相変わらず順調か? 何も問題はないか?」

 ヴィンセントは一度ケーキを食べる手を止めて、ティーカップを手に取りながら言う。
 ピチカは明るく答える。

「ええ、大丈夫です。むしろ何も問題なさ過ぎて心配になります。私、森の中で何か見逃してるのかもって」
「〝王の森〟は基本的に平和な森だからな。そうそう問題は起こらないだろうし、心配ない」
「そういえば、私にはまだあの魔術がかかっているんでしょうか? ヴィンセント様がかけてくださったたくさんの防御魔術が……」
「もちろんだ」

 ヴィンセントは静かに、けれどはっきり断言する。

「無防備なピチカを森へは行かせられない。本当は私が常に側についていたいんだが……」

 ヴィンセントはちらっとピチカを見たが、ピチカは即座に首を横に振る。

「いえいえ、ヴィンセント様もお仕事がありますし」
「分身の術を使って二人に分かれれば問題ない」
「けれどそれでは魔力を無駄に消費してしまいます。分身の術も難しい魔術ですし」
「いや、分身の術で減る魔力なんて私にとっては微々たるものだ。何も問題がない」

 ヴィンセントはそう言ってピチカの事をじっと見てくる。何故だろう、捨てられた子犬が「拾ってほしい」と訴えてくる幻想がヴィンセントに重なって見える。
 どうやらヴィンセントはピチカとずっと一緒にいたいらしい。
 ピチカだって愛する夫と一緒にいたいが、仕事中は困る。何故ならヴィンセントが隣りにいると、胸がときめいてしまって自分の仕事に集中できそうにないからだ。

「いいえ、私はヴィンセント様がいると、ドキドキしてしまってまともに仕事ができそうにありませんから」

 顔を赤くして言う。

「それに二人で森へ行っていたらアルカン隊長に怒られそうです。仕事をデートにするなって」
「……残念だ。アゼスの一件があったせいで、ピチカの事がより心配になったのに」
「でもアゼス殿下はもう……おられなくなりましたし、これ以上私たちに手を出してくる事はありません」

 ピチカは少し声を震わせて言った。アゼスはピチカをさらい、前王妃の墓を暴き、兄である国王を暗殺しようとした罪の責任を問われ、処刑されたのだ。
 アゼスが生きていれば「また何かされるのでは?」という恐怖に怯える事になっただろうが、でもこの結果は悲しいとも思う。

「アゼスの事を考えているのか? あまり気にするな。前王妃は確かに兄のルードルフ国王の方に愛を注いでいたようだが、アゼスにも立ち直る機会は何度もあったはず。だが、奴はそれを選んでこなかった。こういう結果になったのは奴自身の責任でもある」
「ええ」
「アゼスの事を想うくらいなら、私の事を想ってくれ。ピチカの頭の中も独占したいのだ」

 ヴィンセントは隣に座っているピチカの頬に手を添え、顔を近づけて懇願するように言った。
 しかしそれに対してピチカが「すでに頭の中はヴィンセント様でいっぱいですよ」と返そうとした時。
 ヴィンセントはふと視線をピチカの口元に下げると、

「クリームがついている」

 そう言って、そっと唇を重ねてきた。
 ピチカが驚いて固まっているうちにヴィンセントは唇を離し、

「……」

 少し考えてから、再びピチカに口付ける。
 二回目はさすがにピチカも反応して、ヴィンセントが唇を離すと同時に顔を真っ赤にして言う。

「ど、どうして二回したんですかっ……!?」
「クリームが取れなかったから」

 ヴィンセントはしれっと返した。本当だろうか?

「そ、そもそも本当にクリームついてました?」

 ピチカは顔から湯気が出そうになりながら言う。
 でも嫌だったわけじゃない。この胸のドキドキも、唇に残る柔らかい感触も全く不快ではなかった。愛する人からのキスなのだから当然だ。
 それどころか、動揺が収まるともう一度したいような気持ちになってきて、思わずヴィンセントの薄い唇を見つめてしまう。

「おねだりか?」
「ち、違いますっ」

 後頭部に手を添えられたので、ピチカは慌てて顔を背けた。
 ここは店の中だし、店員やケーキを食べている店の客がこちらに注目している。若い女性客などは頬を赤く染めたりして。
 領主であるヴィンセントはこの辺りでは有名人なので、実は店に入った時からずっと目立っていたのだ。
 ヴィンセントはケーキよりも甘い声で言う。

「もう一度したい」

 ピチカは赤面したまま、きょろきょろと周りに視線を走らせた。客や店員はまだこちらを見ている。やはり店の中でいちゃつくのは駄目だ。
 そこでおずおずとヴィンセントを上目遣いで見つめてこう訴える。

「あの、じゃあ、馬車に戻ったら……しましょう」

 しかしそう言った途端、ヴィンセントはピチカにまたキスをした。
 三度目、唇が離れると、ピチカは耳まで赤くして困ったように眉を下げて叫ぶ。

「ヴィンセント様! 馬車の中でって言ったじゃないですかっ!」
「ピチィが可愛かったから、つい」

 ヴィンセントはいたずらっぽく、けれどとても幸せそうに笑った。
 
 こうして、ヴィンセントは新妻を溺愛しているだとか公爵夫婦はおしどり夫婦だとかいう噂が、城の人間たちだけでなく、領民たちの間にも広がる事になるのだった。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。


処理中です...