公爵夫婦は両想い

三国つかさ

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「ありがとう、ここでいいわ。帰りは十二時頃にお願いね」

 森に着くと、ピチカは御者にそう伝えてから馬車を返した。今はまだ九時前だ。初日は三時間も歩けばくたくたになりそうだし、十二時でも早くはないだろう。
 馬車が来た道を戻っていく音を聞きながら、ピチカは森を見上げた。緑が生い茂った、何の変哲もない普通の森だ。
 ピチカの立っているそばには小さな塔が建っていて、そこがこの森を管理している兵士たちの詰め所だと思われた。声をかけるために扉へ向かおうとしたピチカだったが、それより先に訪問者に気づいた兵士たちが塔から出てきた。

「こんにちは。ピチカ・クローリーです。エドワードさんの後任で来ました」
「話はアルカンさんから聞いてます」

 塔から出てきた兵士は三人だ。いずれも十代、二十代くらいで若く見えるが、兵士服を着て帯剣しているという出で立ちからか、ピチカは少し緊張した。魔術師団で働いていた頃も、兵士との関わりはほとんどなかったからだ。
 けれど最初の印象が大事だと思って笑顔を作る。

「森を歩くのは不慣れなので最初のうちはご迷惑をかける事もあるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 丁寧に言って頭を下げると、兵士たちはピチカが公爵夫人だと知っている様子で恐縮した。
 そして三人のうちの一人――癖毛の砂色の髪の、ピチカと同じくらい若い兵士が言う。

「あなたに付くのは俺たち三人です。ここには他にも兵士がいますが、彼らは俺たちとは別で森を見回ったり、この塔で監視をしたりしています」

 若い兵士は一度森の方を見て続けた。

「慣れるまでは、ここから近いところを順番に回って行きましょう。奥の方を見回るには馬がいると便利ですが、近いところは歩いて行きます。それでも昼には戻ってこれますよ。アルカンさんから聞きましたが、しばらくは昼に帰れるように見回ればいいんですよね?」
「ええ、慣れるまではそうさせてもらおうかと思っています」
「じゃあ、さっそく行きましょうか」

 話もそこそこに、三人と一緒に森へ入る。兵士というだけで緊張してしまったが、いい人たちそうだとピチカは思った。
 森の中では踏みならされた小道をしばらく進んだが、途中から道のない土の上を歩く事になった。

「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとうございます」

 草が生い茂っていたり、石や木の枝が落ちていたり、たまに朽ちた木が倒れていたりはするが、山ではないので勾配はほとんど無く、木が生えている間隔も広いので、歩くのが困難というわけではない。
 
「何か怪しい痕跡なんかを見つけたら言ってくださいね」
「はい」

 しかし、ずっとお喋りをしていたら息が上がるかもしれない。そう思ったピチカは、黙々と歩いて周囲に視線を走らせ、仕事に勤しもうとした。
 集中して、魔力を感じ取るための感覚を研ぎ澄ませようとする。

 ――が、森の中の事よりも、ピチカはまず目の前の兵士の事が気になった。
 ピチカを案内するように先頭を歩いていた砂色の髪の彼は、時おりちらちらとこちらを振り返り、何か言いたそうにピチカを見るのだ。

「何でしょう?」

 首を傾げて尋ねると、兵士は「いえ、何でもありません」と言って慌てて前を向く。
 ピチカは眉根を寄せて訝しんだ。絶対に何でもなくなさそうだ。しかし会ったばかりの相手にしつこく尋ねるのも……と躊躇してしまう。
 すると、砂色の髪の兵士より少し年上らしい別の兵士二人が、こう教えてくれた。

「こいつ、子どもの頃にパティ家に出入りしていたらしいんですよ」
「え? 私の実家に?」
「そうらしいですよ。覚えていませんか? デオはあなたとは知り合いなんだって言ってましたが」
「余計な事喋らないでください……!」

 若い兵士――デオは焦ったように言う。ピチカは振り向いた彼の顔をよく見てみた。
 しっかりした眉と、くりっとした目、人懐っこい犬を連想させるような顔立ち。
 そしてしばらく考えた後、ふと思いついて言う。

「デオって……もしかして、あのデオ? 大工職人の息子の……」
「そうです」

 ピチカが言い当てると、デオは気恥ずかしそうに笑った。
 ピチカの実家の屋敷は大きいが古い建物で、あちこち雨漏りしたり、扉が閉まりづらくなっていたりしていた。
 そのためピチカが八歳くらいの時に、職人たちを雇って屋根を修理してもらったり、屋敷を一部改築したりしたのだ。結局三ヶ月くらいはかかっただろうか。
 デオはその時屋敷に来ていた職人の息子で、子どもながら父親の仕事を手伝っていた。

「そうそう、思い出してきた! あなたは父親を手伝っていたんだけど、暇を持て余した私が遊びに誘ったのよ」

 ピチカは部屋の窓からデオの事を見ていて、存在を気にしていたのだ。ピチカの周りにいるのは大人ばかりだったから、同じ歳の子どもと遊んでみたいと思った。
 それで、勉強や習い事の合間に外に出ては、デオを誘って一緒に遊んだ。デオの父親は「光栄な事だ」と言って笑って許してくれたし、ピチカの両親も娘に友だちができたのを喜んだ。普通の貴族なら庶民の子どもと遊ばせるなんてと嫌がるかもしれないが、偏見を持たず優しいピチカの親はそうは思わなかったらしい。
 デオも最初は遠慮していたし、女の子と遊ぶのは嫌なようだったが、断りきれずに遊んでいるうちに仲良くなった。

「短い間だったけど、毎日のように遊んだのよね」
「思い出してもらえて嬉しいです。せっかく友だちになったのに、もう忘れられてしまったかと……。ピチカ様の名前は珍しいから、俺はアルカンさんから名前を訊いた時にすぐ分かりましたよ。名字が変わっていてもね。そう言えば結婚されたんですよね。しかも相手はあの天才魔術師だって言うじゃないですか」
「そうなの。私にはもったいない方よ」
「でも今は新婚って事ですよね。お幸せそうでよかったです」

 デオと話していると子どもの頃の感覚が蘇ってきて、ピチカは懐かしい気持ちになった。デオは父親と同じ職に就くと思っていたが、まさか兵士になっていてこんなところで再会するとは思わなかった。

「でも、デオは変わらないわね。髪型も顔つきも昔と同じだわ」

 もちろん身長は伸びているが、昔からデオの方が少し高かったので、ピチカが見上げる事には変わりない。

「少しは変わったって言ってくださいよ。でもピチカ様も昔と同じで安心しました」
「お互い成長してないって事ね」

 そんな事を言って笑い合う。
 ピチカがデオを、あるいはデオがピチカを好きだったなら、この再会は波乱を呼んだかもしれない。一方は人妻になっているのに、幼い頃の恋心が再燃してしまった可能性もある。
 けれどお互い相手の事を友達以上には見ていなかったので、そんな泥沼の未来はやって来そうになかった。
 二人は純粋に笑い合いながら、握手を交わす。

「また私と友だちになってくれる?」
「もちろんです!」



 そしてその日の夜、ピチカがそろそろお風呂へ入ろうかと思ったところで、ヴィンセントが帰ってきたと侍女のレイラが知らせに来た。
 ピチカは入浴を後回しにしてヴィンセントを出迎えようとしたが、それより先にヴィンセントがピチカの部屋を訪ねてきた。
 
「ピチカ、ただいま。入ってもいいか?」
「ヴィンセント様!? もちろんです、どうぞ」

 慌てて立ち上がって言う。レイラが出て行くのと入れ替わりでヴィンセントは部屋に入ってきた。

「ごめんなさい、今出迎えに行こうと思っていたところだったんです」
「いや、いいんだ。それより仕事はどうだった?」

 ヴィンセントの口調はいつもより少しだけ早口だった。表情は普段と特に変わらないが、心配そうな様子でもある。
 今日は初日だし、仕事がちゃんとできたか気にしてくれているのだろうかと思って、ピチカはヴィンセントを安心させようと口を開く。

「特に問題ありませんでした。それに兵士さんたちとも打ち解けられたんですよ。実は兵士さんの一人が子どもの頃の友だちだったんです! すごい偶然で、まさかこんなふうに再会するなんて!」
「友だち……? 再会……?」
 
 呟くように言うヴィンセントに、ピチカはデオの事を詳しく話してから笑顔でこう言った。あくまで、ヴィンセントを安心させようとして。
 
「デオのおかげで仕事は楽しくできそうです!」
「そうか……それは……よかった」


***


 ヴィンセントは部屋に戻ってから、急いでテディベアを取り出してノットに通信を繋いだ。

「ノット、緊急事態だ」

 ノットは最初は聞こえないふりをしていたが、ヴィンセントが諦めそうにないので渋々答えた。

「はい、何ですか?」
「ピチィが幼なじみの男と再会してしまった」

 眠そうだったノットもその話題には少し興味を惹かれたのか、こう返してくる。

「へぇ! どこでですか?」
「〝王の森〟でだ。森を管理している兵士の中に、昔仲良くしていた幼なじみがいたらしい」
「わー、すごい偶然ですね。そしてやばいですね」
「やはりそう思うか」

 ヴィンセントは真剣な声で言った。
 ノットは頷く。

「ピチカちゃんが昔その男に恋心を抱いていたら、数年の時を経て運命的な再会を果たした今、また気持ちが燃え上がるかもしれませんね。もしかしたら相手の男も格好良く成長してるかもしれないですし。小説なんかでよくある展開です。『昔は私より身長も低かったのに、しばらく見ないうちにこんなにたくましくなって!』ってドキドキしちゃったりとか」

 愛読書が恋愛小説のノットはわくわくしながら言った。
 しかしすぐに我に返ってヴィンセントを励ます。

「あ……でも、大丈夫ですよ! ピチカちゃんは今は隊長の事が好きなはずですし。今日のピチカちゃんの様子はどうでした? 別に幼なじみに再会したからって、普段通りだったでしょ?」
「……かなり嬉しそうだった」
「そうですか……」

 ノットは次の言葉が見つからずに口をつぐんだ。重い沈黙が流れた後で、ノットは言う。

「それなら、やっぱりピチカちゃんには仕事を辞めてもらったらどうです? 心配でしょ?」
「いや……始めたばかりなのにやっぱり辞めてくれとは言えない」
「だったらどうするんです? 監視業務って言ったって、平和な森の中で男女が歩いてるだけじゃ、デートしてるようなもんですよ」

 うっかりそんな事を言ってしまった途端、ベッドの枕元に置かれていたノットのテディベアの顔が歪んだ。つぶらな黒い瞳からは光が消え、不穏な暗いオーラを出している。
 そしてテディベアは地を這うような低い声でこう呟いた。

「私だって、まだピチィとデートしていないのに……」

 ピチカはお給料が出たらデートしたいと言っていたので、ヴィンセントはその日を心待ちにしているのだ。
 
「た、隊長?」

 それきり言葉を発しなくなったテディベアに、ノットは恐る恐る声をかけた。
 しかしやはり何も答えない。ヴィンセントはテディベアから離れたのだろうか。

「どこの誰かは知らないけど、ピチカちゃんの幼なじみよ、早く逃げろ」

 ノットは神に祈りを捧げてから、毛布を被って寝た。
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