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森の中(2)

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 森の中の一本道を進んでいるアイラとルルとクインは、あと少しで森を抜けるというところまで順調に進んでいた。道はある程度整備されていて歩きやすく、平坦だったので、大きく疲れるということもなかった。

「この森では盗賊がよく出るって聞いたけど、全く出なかったな」

 マドーラの騎士から聞いた話を思い出しながらアイラが言うと、後ろを歩いていたクインがこう返してきた。

「盗賊なら私がみんな倒してしまいました。アイラ様がここに来られるまでの暇つぶしに」
「ふぅん。まぁお前ならそれくらい簡単なことだよな」

 アイラは驚きもせずに言う。

「私ほどじゃないけど、生まれながらに魔力量が多いし」

 そして一族秘伝の魔法陣も使って肉体を強化しているのだから。

「私も体にその魔法陣を刻んだら、すごく速く走ったり高くジャンプしたり、力が強くなったりするのか?」
「そうですね。魔力量を考えると私よりずっと強くなりますよ。まぁ全身に刺青を彫るなんてこと私は許しませんが」
「お前の許しは必要ないけど、私も痛いのは嫌だから彫らない」
「よかった」

 気が合うんだから会わないんだかよく分からない二人のどうでもいい会話を、ルルは微妙な顔をして聞いていた。するとそこで前方の森から、黒いローブをまとった男たちが静かに、けれど迅速に道に出てきた。
 男たちは全部で六人いて、フードで顔は見えにくかったが誰もアイラの知り合いではない。
 
「噂をすれば盗賊か? 少なくとも一般人ではなさそうだけど」

 何か言葉を発するわけでもなく、アイラたちと対峙しながらじりじりと近づいてくる男たちは、旅人や商人には見えなかった。
 クインはアイラより前に出ながら言う。

「全員倒したと思ったのですが……上手く気配を消して森に隠れていたようです。そこそこ強いかもしれませんね」

 そう言いながらも、クインは落ち着いていた。

「剣を持っていないので魔法を使うかもしれません。注意してください」

 ルルはクインに声をかけながら、アイラの腕を引っ張り馬たちと共に後退する。相手は六人だが、自分たちが手助けしなくてもクインなら勝てるだろうと思ったのだ。
 そして実際クインが動き出した後の展開は早かった。まず正面にいた男の左頬を殴りつけ吹っ飛ばすと、その左側にいた三人を次々に殴って倒し、素早く方向転換して目にも止まらぬ速さで残り二人の元に駆けていく。敵はクインのことを目で追えておらず、クインの動きに動揺している間に全員気絶させられていた。

「早っ」

 アイラも驚いて呟く。エストラーダ革命が起こる前は王族に危害を加えようなんて輩ほとんどいなかったので、クインが敵を倒すという場面を目にすることはなかったのだ。訓練では同僚相手に手加減していたし、六人相手にここまで圧倒的に戦えるとは思わなかった。

「相手、魔法使いっぽかったのに魔法を使わせる隙すら与えなかったな。可哀想に」

 クインは一応剣も携えてはいるが、ほとんどお飾りだ。鋼の剣よりクインの拳の方が頑丈で強いので、剣を使う理由がないらしい。
 まだ息はあるが死屍累々と道に倒れている男たちを見て、アイラが同情していた時だ。

「――アイラ!」

 一歩前にいたルルが何かに気づいたかのように森に目をやったかと思えば、次の瞬間焦ったように叫んでアイラを守るように抱きしめる。
 すると森の中から矢のように黄緑色の光が飛んできて、アイラを庇っているルルの背中に当たった。

「ルル!」

 一瞬光に包まれたルルを心配してアイラも叫ぶ。クインはすぐに森の中にもう一人敵の仲間が潜伏していたことに気づくと、そちらに向かって走っていく。
 が、今度は道に倒れている男たちの背中に、それぞれ同じ黄色い光の魔法陣が浮かび上がった。おそらく事前に背中に直接描いておいたのだろう。そして今、クインが向かっている先にいる男が呪文を唱えて魔法を発動させようとしているらしい。

「何する気だ?」

 アイラはルルを支えつつ、自分もいつでも戦えるように片手を持ち上げた。倒れていた男たちが魔法で復活するのではと思ったのだ。
 しかし彼らは目を覚ますことなく、魔法の発動と共に音もなくこの場から消え去った。

「いなくなった。逃げたのか……」

 すぐにクインも歩いて戻ってきてアイラにこう言う。

「森の中にもやはり男が一人いました。そいつがルルに魔法を当て、続けて呪文を唱えて、自分を含めた全員を別の場所に転移させたようです。すんでのところで取り逃がしました」
「逃げる準備まで事前に整えていたってことか。用意周到だな」

 アイラはそう呟くと、心配そうにルルの頬に手を添える。

「ルル、大丈夫か?」

 ルルに当てた魔法は攻撃魔法ではなかったのか、外傷はないし特に苦しそうな様子もない。しかしどんな魔法をかけられたのか分からないので安心できない。
 ルルはおそらく「大丈夫です」と言おうとして口を開いたが、パクパクと唇が動くだけで言葉にはならなかった。

「ルル? どうした?」

 アイラは困惑してルルの唇を親指でむにむに触る。ルルも焦って何とか声を出そうとしているが、結局単語一つ話すことはできなかった。

「私のルルが喋れなくなった!」

 わーんと泣いてアイラはルルを抱きしめる。しかしすぐに考え直して涙を止める。

「喋れなくても私のそばにはいれるし、私の世話もできるか……」

 なら問題ないのでは? と思って絶望感はなくなった。クインもルルの声が出なくなったことについては特に良いとも悪いとも思っていないようだ。

「ルルに怪我もないようですし、先に進みますか」

 クインが馬の手綱を引いて出発しようとするので、ルルは慌てて荷物の中から紙とペンを取り出した。

『喋れないと困るのですが』

 ルルが書いた文字を見て、アイラは「まぁそうだろうな」と悩ましげに腕を組む。

「でも私は魔法の勉強なんてしたことないし、どうすればルルにかかった魔法が解けるのか分からない。お前はどうだ、クイン」
「私も魔法の知識は全くありません。私の一族に伝わる魔法は勉強しなくても使えますから」

 魔力があり、特殊な魔法陣を体に刻めば勝手に発動する魔法、それがクインの魔法なのだ。その魔法陣を開発したクインの先祖はかなり優秀な魔法使いだっただろうが、クインはそうではなかった。
 アイラは困った顔をしてルルに言う。

「この中で一番魔法の知識があるのはお前だ。何とか自分で解けないか?」
「……」

 頼りにならない二人をルルはジトッと見つめた。しかし自分でもこの魔法は解けそうにない。ルルは魔法の勉強をアイラの世話をする片手間にやってきていて、使える魔法も転移魔法だけ。特別造詣があるわけではないのだ。

 かなり時間がかかりそうだが自分で勉強して解くしかないか、とうんざりしながらルルは考えた。そしてふと思う。敵はどうして声を出せなくする、なんて微妙な魔法をかけたのかと。
 そもそも今、自分たちを襲ってきたのも偶然ではないのではないだろうか。
 ルルは急いでペンを走らせ、二人にも自分が感じている違和感を伝えた。

『クインが一人でいた時は彼らは出てこなかったのに、今回は現れた。それは偶然ではなく、彼らはアイラを狙っていたのかもしれません』

 アイラを狙う理由は分からない。だが敵はアイラに向かって魔法を放っていた。
 ポルティカでアイラが起こした騒動は新聞記事になっているから、その隣のザリオにアイラが逃げてくるかもと予想することはできる。だから彼らはザリオに入るためのいくつかの街道で、手分けして待ち伏せしていたのではないだろうか。
 
 しかしそこまでしてアイラにかけようとした魔法が、声を出せなくする魔法だったのがやはり疑問だ。
 魔法使い相手なら呪文を唱えられなくなるこの魔法は有効だが、呪文を唱えずとも魔力を操れるアイラには意味がない。
 彼らはアイラのことを元王女だと知っていてここで待ち伏せしていたのだと思ったが、呪文なしで魔力を操れることは知らなかったのだろうか?
 しかし逃走用の魔法陣までに体に描いておく用意周到さはあるのに、アイラの力のことはしっかり調べていないなんて変だ、とルルは感じた。

「私を狙ってきそうな人物といったらサチしか思い浮かばないけど、奴らがサチに雇われた魔法使いだとしたら、私を殺すつもりで攻撃魔法を使ってくるだろうしなぁ」

 アイラも顎に手を当てて首を傾げる。

「奴らの目的がよく分からなくて何だか気持ち悪いな」

 とにかくここでこうしていても仕方がないと、ルルは再びペンを走らせた。

『アイラたちには任せられないので魔法は自分で解きますが、知識をつけないと解けそうにありません。大きな街に行って魔法書をいくつか買わないと』

 幸いザリオは魔法の知識が得られやすい場所だ。魔法使いを育成する小さな学校も昔からあるし、街には魔法薬や魔法書、魔法で使用するアイテムを売る店がたくさんある。
 こういう環境だからこそ、現ザリオ領主である国一番の魔法使いも生まれたのだろう。
 
『魔法書があっても時間はかかるでしょうから、私が喋れない間はアイラも面倒事を起こさないよう大人しくしていてくださいね』
「時間がかかるって、どのくらい?」

 ルルが走り書きした文字を見て、アイラが尋ねる。

『分かりませんが、どんなに早くても一か月以上はかかると思います。該当する魔法書が見つからなければもっとです』
「そんなに?」

 長くても三日くらいかなと思っていたアイラは、「うーん」と唸った後、ポンと手を叩いて言う。

「それならシビリルに解いてもらえばいいんじゃないか? この国でシビリルより優れた魔法使いなんていないし、どんなややこしい魔法でもあいつなら解いてくれるだろ」
「殿下をザリオ子爵に会わせるのは嫌なのですが」
「別に私の容姿を魔法で変えてもらったりはしないって。ルルにかかった魔法を解いてもらうだけ」

 クインが口を挟んできたので、そう言って納得させる。しかしルルも微妙な顔をして紙に文字を書く。

『アイラはそれでいいのですか? 子爵と会うのは嫌なんでしょう?』

 するとアイラは珍しくしおらしい態度を見せ、少し恥ずかしそうに返す。

「嫌だけど、ルルのためならいいよ。やっぱりルルが話せないと寂しいかもって思うしさ」

 ルルは感激したように目を見開き、クインが無表情で見守る中、アイラをぎゅっと抱きしめたのだった。
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