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船の中(2)
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外から部屋に鍵をかけられた瞬間、ルルは立ち上がってドアを叩いた。
「開けろ!」
叫んでみても廊下は静かなままだ。ファザドはどこかに消えたのだろうか? 部屋にはもう一つドアがあり、隣の部屋と繋がっているようだったが、そちらも鍵がかけられているようで開かなかった。
一方、アイラは様子のおかしいティアを心配して駆け寄る。
「ティア、大丈夫か?」
「あれぇ? アイラさまがいる」
ティアはあまり舌が回っていないが、楽しそうにほほ笑んでいる。
ここはファザドの私室のようで、机と椅子、一人掛けのソファーが置いてある。一人の女性はそのソファーに座って背もたれにもたれかかっていて、もう一人の女性とティアは床に座り込んでいた。三人とも怪我はなさそうだが、意味もなく笑っているのが異様だった。まるで酒に酔っているように見えるが、顔が赤くなったりはしていないし、酒の匂いもしない。
しかしこの部屋は吐き気がするほどの甘い香りで満ちているので、もし酒を飲んでいたとしても匂いはかき消されてしまうだろう。
「アイラ! 扉を開けられますか?」
「やってみる」
ルルに言われて立ち上がると、アイラは廊下に繋がるドアの前まで行って力を使った。鍵はおそらく南京錠を使ったらしく、見えないそれを開錠するのは難しかった。単純なかんぬき錠であれば、アイラの魔力でも開けられたのだが。
アイラは早々に開錠は諦めて言う。
「扉を壊すか。木製だし簡単に壊れるだろ」
「そうしましょう。思い切りやってください」
ファザドの船なのでルルも止めなかった。
アイラはドアに右の手のひらを向け、魔力を放つ。そしてその魔力でドアを包み込み、無理やり動かそうとした。
「船だからか結構しっかり作られてるな。思ったより頑丈だ。でも私の力があればこのくらい――」
アイラの魔力でドアがギシギシと軋み始める。蝶番は細かく震え、外で南京錠もカタカタ鳴っている。ドアが壊れるのは時間の問題だ。
――しかし、何故かそこでアイラはゆっくりと腕を下ろしてしまった。
「アイラ?」
ルルが声をかける。アイラの様子がおかしい。ぼーっとして、口元には笑みを浮かべているのだ。
しかし同時にルルも頭がふわふわしてきた。
「……?」
気分が高揚して、わくわくするような楽しい気持ちになってくる。
「この香りか?」
匂いのせいでおかしくなるのかと、ルルは机の上に置いてあったお香を急いで消す。
けれど部屋に充満した匂いはすぐには消えない。この船室に窓はないし、二つあるドアも空かないので十分な換気ができなかった。
そうこうしているうちにルルも頭がぼんやりして難しいことは何も考えられなくなる。ただ楽しい、気分が良いという感情だけが残った。不安や焦りはなくなり、自分の未来には希望しかないように思えた。
「アイラ?」
笑みをこぼしながら、ルルは楽しげにアイラを後ろから抱きしめる。するとアイラもくすぐったそうにくすくす笑った。
「なんだか楽しいな」
「そうですね」
そうして二人で笑っていると、隣の部屋と繋がっているドアが開いてファザドが部屋に入って来た。ファザドは鼻と口をハンカチで押さえて、部屋に満ちている甘い香りを嗅がないようにしている。
ふわふわしているアイラとルルの様子を見ると、ファザドはにっこりほほ笑んで言った。
「こちらにどうぞ」
アイラの手を引き、ルルも一緒に隣の部屋へ連れて行く。もはや二人には、ファザドに抵抗しようという感情は残っていない。
隣の部屋は寝室のようで、ベッドや衣装箪笥が置いてあった。そしてファザドは自分も寝室に入ると、ティアたちをあちらに残したままドアを閉める。
寝室にはお香は焚かれておらず、空気はすっきりしていた。
ファザドは口元を覆っていたハンカチを取ると、ベッドの下から縄を取り出す。それを使ってアイラとルルの手首を体の前で縛ると、さらに足首も拘束した。
ろくに動けなくなったというのに、アイラもルルも焦ることはない。ただ縛られたのが面白くて、笑いながら床に座り込んだ。
「楽しそうで何よりです」
ファザドも愉快そうに言うと、ベッドに腰かけて足を組み、サイドテーブルに置いてあった紅茶を優雅に飲んで本を読み始める。
そうしてアイラとルルは床に座って気分良くまどろみ、ファザドは本を読んで暇を潰すという、おかしな空間が出来上がった。
――やがて、三十分近く経ったところでアイラたちの頭はやっとすっきりしてきた。思考を邪魔する高揚感が消え去り、正常にものを考えられるようになる。ファザドに対する警戒心や不信感も戻ってきた。
「……ファザド、これは何のつもりだ?」
アイラは自分の手足を縛っている縄を見てからファザドを睨みつける。縛られているのは分かっていたが、さっきはそんなことどうでもよかった。縄で縛るなんて面白いことをするなと思っていたのだ。
けれどあの甘ったるいお香の効果が消えて冷静になると、拘束されるのは不快だし何も面白くない。
アイラは腹を立てて命令する。
「この縄をほどけ」
しかしファザドはほほ笑んでこちらを見下ろしてくるだけで、拘束を解くことはない。
と、そこで突然、甲板の辺りから船員の大きな声が聞こえてきた。マーディルの言葉のようで意味は分からない。
「何だ?」
「船出の合図ですよ。すぐに出航するように、さっきボクが船員たちに指示を出したので」
ファザドの言うことは嘘ではないらしく、船体がゆっくりと動き出したのを感じた。大きな船なので揺れは少ないが、外を見なくても動いているのは分かる。
ファザドは言う。
「本当は三日後にここを立つ予定だったんですが、すでに食料や積荷も載せてありますし仕事は終わっていますから、もう出発することにしたんです。ティアから君たちがボクのことを疑っていると聞いた時点で、船員たちにも指示しておきました」
「じゃあやっぱり、ティアはお前に身投げ事件のことを話していたんだな」
「ええ、朝から船を訪ねて来たので何事かと思いましたよ」
「お前が犯人なんだな?」
アイラはほとんど確信して言った。犯人でなければ自分が疑われていると知った途端逃げるように出航しないし、アイラたちをこんな目に遭わせることもないはずだ。
「崖から身投げしたように見せかけて、お前が若い娘たちを殺したんだろ」
アイラが再度問い詰めると、ファザドは余裕の表情で答える。
「そうです」
ファザドはベッドに腰掛けているのに、アイラたちはまだ床に座ったままだ。王族だったアイラがこんなふうに人から見下ろされるのは初めてだった。
アイラはファザドを睨みつけたまま聞く。
「お前一人でやったのか? それとも船員たちも知ってたのか?」
「いいえ、彼らは何も知りません。ボクがしょっちゅう船に女性を連れ込んでいることは知っているでしょうが、最終的に彼女たちを崖に連れて行って殺しているなんて夢にも思わないでしょう」
「我々をどうするつもりですか?」
ルルは頭の中でこの船からの脱出方法を考えながら、ファザドを見て鋭く言う。
「どうするつもりかって? 大体予想はついているでしょう。あちらの部屋にいるティアたちも含めて、君たちは全員死ぬことになります」
手に持っていた本をサイドテーブルに戻すと、ファザドは続ける。
「本当はティアたち三人は崖から飛び降りてもらうつもりだったんです。でも、去年四人も殺してしまったせいで事件のことが広まって、今年は『ポルティカの断崖』は騎士たちに監視されています。だから今年からはこうやって船に乗せて、沖に出たところで船から身を投げてもらうことにしました」
仕事の話でもするかのように、ファザドは落ち着き払って話した。
『身を投げてもらう』という言い方に引っかかったルルは、眉間にしわを寄せて言う。
「あなたが『突き落とす』のではなく、自分から身投げさせるということですか? どうやって……」
しかしそこでハッと気づいて続けた。
「あのお香を使うんですね?」
「その通り。あのお香には、マーディルで採れるとある花の根を乾燥させたものが入っていて、その香りを嗅ぐと人は気分が良くなるんです。楽しくなって些細なことはどうでもよくなるし、警戒心や不安もなくなる。だから簡単に危険な崖までついてきてしまうし、崖から飛び降りることに恐怖を抱くこともない。ボクが軽く促せば、簡単に飛び降りてしまうんですよ」
ファザドは目を細めて笑う。その笑みはどこか歪んでいるように見えた。
「どうしてそんなことをするんだ」
アイラは素直な疑問を口にした。何の目的があって若い娘を崖から飛び降りさせるのか。
するとファザドは笑みを消し、真顔になって言う。
「何故ってそれはボクの心を満たすためですよ」
「開けろ!」
叫んでみても廊下は静かなままだ。ファザドはどこかに消えたのだろうか? 部屋にはもう一つドアがあり、隣の部屋と繋がっているようだったが、そちらも鍵がかけられているようで開かなかった。
一方、アイラは様子のおかしいティアを心配して駆け寄る。
「ティア、大丈夫か?」
「あれぇ? アイラさまがいる」
ティアはあまり舌が回っていないが、楽しそうにほほ笑んでいる。
ここはファザドの私室のようで、机と椅子、一人掛けのソファーが置いてある。一人の女性はそのソファーに座って背もたれにもたれかかっていて、もう一人の女性とティアは床に座り込んでいた。三人とも怪我はなさそうだが、意味もなく笑っているのが異様だった。まるで酒に酔っているように見えるが、顔が赤くなったりはしていないし、酒の匂いもしない。
しかしこの部屋は吐き気がするほどの甘い香りで満ちているので、もし酒を飲んでいたとしても匂いはかき消されてしまうだろう。
「アイラ! 扉を開けられますか?」
「やってみる」
ルルに言われて立ち上がると、アイラは廊下に繋がるドアの前まで行って力を使った。鍵はおそらく南京錠を使ったらしく、見えないそれを開錠するのは難しかった。単純なかんぬき錠であれば、アイラの魔力でも開けられたのだが。
アイラは早々に開錠は諦めて言う。
「扉を壊すか。木製だし簡単に壊れるだろ」
「そうしましょう。思い切りやってください」
ファザドの船なのでルルも止めなかった。
アイラはドアに右の手のひらを向け、魔力を放つ。そしてその魔力でドアを包み込み、無理やり動かそうとした。
「船だからか結構しっかり作られてるな。思ったより頑丈だ。でも私の力があればこのくらい――」
アイラの魔力でドアがギシギシと軋み始める。蝶番は細かく震え、外で南京錠もカタカタ鳴っている。ドアが壊れるのは時間の問題だ。
――しかし、何故かそこでアイラはゆっくりと腕を下ろしてしまった。
「アイラ?」
ルルが声をかける。アイラの様子がおかしい。ぼーっとして、口元には笑みを浮かべているのだ。
しかし同時にルルも頭がふわふわしてきた。
「……?」
気分が高揚して、わくわくするような楽しい気持ちになってくる。
「この香りか?」
匂いのせいでおかしくなるのかと、ルルは机の上に置いてあったお香を急いで消す。
けれど部屋に充満した匂いはすぐには消えない。この船室に窓はないし、二つあるドアも空かないので十分な換気ができなかった。
そうこうしているうちにルルも頭がぼんやりして難しいことは何も考えられなくなる。ただ楽しい、気分が良いという感情だけが残った。不安や焦りはなくなり、自分の未来には希望しかないように思えた。
「アイラ?」
笑みをこぼしながら、ルルは楽しげにアイラを後ろから抱きしめる。するとアイラもくすぐったそうにくすくす笑った。
「なんだか楽しいな」
「そうですね」
そうして二人で笑っていると、隣の部屋と繋がっているドアが開いてファザドが部屋に入って来た。ファザドは鼻と口をハンカチで押さえて、部屋に満ちている甘い香りを嗅がないようにしている。
ふわふわしているアイラとルルの様子を見ると、ファザドはにっこりほほ笑んで言った。
「こちらにどうぞ」
アイラの手を引き、ルルも一緒に隣の部屋へ連れて行く。もはや二人には、ファザドに抵抗しようという感情は残っていない。
隣の部屋は寝室のようで、ベッドや衣装箪笥が置いてあった。そしてファザドは自分も寝室に入ると、ティアたちをあちらに残したままドアを閉める。
寝室にはお香は焚かれておらず、空気はすっきりしていた。
ファザドは口元を覆っていたハンカチを取ると、ベッドの下から縄を取り出す。それを使ってアイラとルルの手首を体の前で縛ると、さらに足首も拘束した。
ろくに動けなくなったというのに、アイラもルルも焦ることはない。ただ縛られたのが面白くて、笑いながら床に座り込んだ。
「楽しそうで何よりです」
ファザドも愉快そうに言うと、ベッドに腰かけて足を組み、サイドテーブルに置いてあった紅茶を優雅に飲んで本を読み始める。
そうしてアイラとルルは床に座って気分良くまどろみ、ファザドは本を読んで暇を潰すという、おかしな空間が出来上がった。
――やがて、三十分近く経ったところでアイラたちの頭はやっとすっきりしてきた。思考を邪魔する高揚感が消え去り、正常にものを考えられるようになる。ファザドに対する警戒心や不信感も戻ってきた。
「……ファザド、これは何のつもりだ?」
アイラは自分の手足を縛っている縄を見てからファザドを睨みつける。縛られているのは分かっていたが、さっきはそんなことどうでもよかった。縄で縛るなんて面白いことをするなと思っていたのだ。
けれどあの甘ったるいお香の効果が消えて冷静になると、拘束されるのは不快だし何も面白くない。
アイラは腹を立てて命令する。
「この縄をほどけ」
しかしファザドはほほ笑んでこちらを見下ろしてくるだけで、拘束を解くことはない。
と、そこで突然、甲板の辺りから船員の大きな声が聞こえてきた。マーディルの言葉のようで意味は分からない。
「何だ?」
「船出の合図ですよ。すぐに出航するように、さっきボクが船員たちに指示を出したので」
ファザドの言うことは嘘ではないらしく、船体がゆっくりと動き出したのを感じた。大きな船なので揺れは少ないが、外を見なくても動いているのは分かる。
ファザドは言う。
「本当は三日後にここを立つ予定だったんですが、すでに食料や積荷も載せてありますし仕事は終わっていますから、もう出発することにしたんです。ティアから君たちがボクのことを疑っていると聞いた時点で、船員たちにも指示しておきました」
「じゃあやっぱり、ティアはお前に身投げ事件のことを話していたんだな」
「ええ、朝から船を訪ねて来たので何事かと思いましたよ」
「お前が犯人なんだな?」
アイラはほとんど確信して言った。犯人でなければ自分が疑われていると知った途端逃げるように出航しないし、アイラたちをこんな目に遭わせることもないはずだ。
「崖から身投げしたように見せかけて、お前が若い娘たちを殺したんだろ」
アイラが再度問い詰めると、ファザドは余裕の表情で答える。
「そうです」
ファザドはベッドに腰掛けているのに、アイラたちはまだ床に座ったままだ。王族だったアイラがこんなふうに人から見下ろされるのは初めてだった。
アイラはファザドを睨みつけたまま聞く。
「お前一人でやったのか? それとも船員たちも知ってたのか?」
「いいえ、彼らは何も知りません。ボクがしょっちゅう船に女性を連れ込んでいることは知っているでしょうが、最終的に彼女たちを崖に連れて行って殺しているなんて夢にも思わないでしょう」
「我々をどうするつもりですか?」
ルルは頭の中でこの船からの脱出方法を考えながら、ファザドを見て鋭く言う。
「どうするつもりかって? 大体予想はついているでしょう。あちらの部屋にいるティアたちも含めて、君たちは全員死ぬことになります」
手に持っていた本をサイドテーブルに戻すと、ファザドは続ける。
「本当はティアたち三人は崖から飛び降りてもらうつもりだったんです。でも、去年四人も殺してしまったせいで事件のことが広まって、今年は『ポルティカの断崖』は騎士たちに監視されています。だから今年からはこうやって船に乗せて、沖に出たところで船から身を投げてもらうことにしました」
仕事の話でもするかのように、ファザドは落ち着き払って話した。
『身を投げてもらう』という言い方に引っかかったルルは、眉間にしわを寄せて言う。
「あなたが『突き落とす』のではなく、自分から身投げさせるということですか? どうやって……」
しかしそこでハッと気づいて続けた。
「あのお香を使うんですね?」
「その通り。あのお香には、マーディルで採れるとある花の根を乾燥させたものが入っていて、その香りを嗅ぐと人は気分が良くなるんです。楽しくなって些細なことはどうでもよくなるし、警戒心や不安もなくなる。だから簡単に危険な崖までついてきてしまうし、崖から飛び降りることに恐怖を抱くこともない。ボクが軽く促せば、簡単に飛び降りてしまうんですよ」
ファザドは目を細めて笑う。その笑みはどこか歪んでいるように見えた。
「どうしてそんなことをするんだ」
アイラは素直な疑問を口にした。何の目的があって若い娘を崖から飛び降りさせるのか。
するとファザドは笑みを消し、真顔になって言う。
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