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吸血鬼

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 その日の夜、カトリーヌの屋敷で、アイラはカトリーヌと一緒に夕食を食べた。ルルも同じ部屋にいるが、食事は別に取るのでアイラの後ろで静かに控えている。

「それで殿下、身投げ事件の調査の方はどうだったの? 何か分かったかしら?」

 カトリーヌはワインを飲みながらアイラを見る。港でゴミを捨てている住民たちと会った後、アイラは犠牲者の遺族である彼らにさらに詳しく話を聞いていたのだ。カトリーヌは他の仕事があったのでその場に残っていなかった。
 アイラはカトリーヌからの質問にニッと口角を上げて答える。

「調査は順調だぞ。遺族たちとちょっと話をしただけだが、私は重大な事実を掴んだ」

 探偵になったつもりで得意げに言うアイラ。
 カトリーヌは軽く笑ってお願いする。

「まぁ、何かしら。その重大な事実というのを知りたいわ」
「どうしようかな」

 アイラは一瞬もったいぶったが、やはり自分が掴んだ事実を言いたくなってすぐに口を開いた。

「実はな、犠牲になった娘たちはみんな、死ぬ前は毎日楽しそうだったと遺族が証言していたんだ。それでどうして彼女たちが楽しそうだったのか聞けば、新しい恋人ができたと浮かれていた娘が多かったんだ」

 食事の手を止めたまま、アイラは話を続ける。

「死ぬ数週間から数日前に、みんな恋人ができてるんだ。これって怪しいだろ。その新しい恋人っていうのが、娘たちを崖から突き落とした犯人なんだよ。これで捜査はぐっと進むな。解決も近いぞ」
「あー……ちょっと言いにくいんだけど」

 意気揚々としているアイラに向かって、カトリーヌはそう前置きしてから話し始める。

「その事実は私もとっくに掴んでるのよね。確かに犠牲者たちは死の直前に恋人ができたようだった。でも遺族たちはその恋人を見たこともなければ容姿も知らないのよ。できたばかりの恋人のことを、娘たちは家族にはまだ詳しく話していなかったようね」

 自分が掴んだ事実はカトリーヌもすでに知っているのだと分かって、アイラは拗ねているような、しょんぼりしているような何とも言い難い顔をした。
 カトリーヌはその顔を見てほほ笑みつつ、続ける。

「その新しい恋人がどこの誰なのかを突き止めようとしているけど、捜査は行き詰ってる。犠牲者たちは家の近くで恋人と会ってはいなかったのか、近所の人の目撃証言なんかも無くてね」
「ふーん……」
 
 微妙な顔をしたままアイラが相槌を打った時だった。部屋に執事が入って来たかと思うと、アイラの方をちらりと見つつ、カトリーヌに来客を伝えた。

「お食事中失礼します、カトリーヌ様。門に訪問者が来ています。ティアという名の若い女性で、『ライアさん』を訪ねて来たと言っているようです」
「ライアって殿下の偽名よね?」

 カトリーヌもちらりとアイラに視線を向けて問う。アイラは頷いて答えた。

「そうだ。私の知り合いだ。入れてやってくれ」

 そうしてティアが来るまでの間、彼女のことをアイラはカトリーヌに説明した。元奴隷だが、奴隷解放で職や住む場所を失って困っているのだと。

「まじめな奴だから、何か仕事を斡旋してやってくれ。家も無いから住み込みの仕事で頼む」
「殿下って意外と面倒見良いのね。そういえば、ここに来る時に元奴隷をたくさん連れて来たって言ってたわね」

 そうこうしているうちに使用人に連れられてティアが部屋にやって来た。まだアイラたちは食事中だったが、カトリーヌが中に招き入れる。

「どうぞ、入って」
「し、失礼します……。あ、お、お食事中に申し訳ありません」

 ティアは伯爵であるカトリーヌを前にして怖気づきながらおろおろと床に膝を着き、頭を垂れる。

「いいわよ、頭を上げて。顔が見たいわ。あなたがティアね」
「はい、そうです、伯爵様」
「ここに来たってことは結局仕事は見つからなかったのか?」

 尋ねたのはアイラだ。ティアは頷いて答える。

「はい……申し訳ありません」
「なんで謝るんだ。とにかく仕事はカトリーヌが紹介してくれるから、もう心配しなくていい。今日は休め」

 アイラがそう言うと、カトリーヌも使用人にティアの部屋を用意するよう指示した。 
 ティアは恐縮して言う。

「そんな、私のために部屋なんて……! 私のような者には馬小屋や庭で十分です。伯爵様のお屋敷のお部屋を借りるなんてとんでもないことです」
「自分を卑下し過ぎよ。全く、元奴隷でもルルみたいにふてぶてしい……堂々とした子もいるのにねぇ」

 ルルからの鋭い視線を受け、カトリーヌは言い直した。
 そしてティアは、カトリーヌやアイラに感謝しながら、使用人に連れられて部屋から出て行ったのだった。

 
 翌日、朝の十時までのんびり眠っていたアイラが起床すると、すでにルルもカトリーヌも起きていて、さらにティアも使用人の制服を着て屋敷の掃除をしていた。

「おはようございます、ライアさん」
「あれ? おはよう」

 使用人の格好をしているティアのことをカトリーヌに尋ねると、カトリーヌはこう返した。

「ティアはうちで働いてもらうことにしたわ。ちょうど使用人が一人辞めたところだったからね」
「へー、そうなのか。よかったな、ティア」

 アイラが言うと、ティアは恐縮しつつも幸せそうに笑う。

「私なんかが伯爵家のお屋敷で働かせてもらえるなんて本当に光栄なことで、ライアさんにも伯爵様にもとても感謝しています。本当にありがとうございます」
「気にするな。しっかり働くんだぞ」

 雇い主ではないのにアイラは偉そうだったが、ティアは素直に「はい!」と返事をした。
 そして他の場所を掃除するために去っていくティアの後姿を見ながら、カトリーヌがにっこりほほ笑んで言う。

「いい子よね、彼女。あんなに謙虚な子、見たことないわ。地味な雰囲気だけど容姿も悪くないし」
「……まさか、お前」

 ティアを見つめるカトリーヌの瞳に何か良からぬものを感じて、アイラは眉根を寄せた。

「ティアのこと、恋愛対象として見てないか?」
「あら、私は幼い子供以外のほとんど全ての人間を恋愛対象として見てるわよ。実際に好きになるかは別として、好きになる可能性のある相手として見てるわ」
「胸を張って言うな」

 アイラに突っ込まれても、カトリーヌは「ふふ」と笑って続ける。

「ティアは私が今まで好きになったタイプとは違うけれど、ああいう自分に自信がなくて謙虚な女の子も可愛いわよね」

 そう言いながら執務に戻るカトリーヌを、アイラとルルはちょっと引いた目で見た。

「誰彼構わず好きになるな、あいつ」
「アイラもすでに好かれてしまっているのですから、気をつけてくださいよ」

 何に気をつければいいんだと思いながらも、アイラはルルの言葉に頷いておいたのだった。

 
 その後、アイラはルルに出かける準備をするよう伝えた。

「今日も身投げ事件の調査を続ける気ですか?」
「当たり前だろ。事件はまだ解決してないんだから」
「王都の騎士に見つける危険があるので、あまり街をうろうろしたくないのですが……」

 ルルはそう言いながらもアイラを止めることはできないと諦めていたので、着々と外出の支度を進めていく。
 ルルに庶民に見えるような服に着替えさせられながら、アイラは言う。

「昨日遺族たちに話を聞いて回った時、亡くなった娘のことを話す彼らはやはり辛そうだったから、少しでも元気が出るように何か菓子でも買って届けてやろう。それから今日は、犠牲者たちが死ぬ前に出会っていた〝新しい恋人〟について情報を集めるぞ」

 ルルにとっては事件が解決しようがしまいがどうでもいいことだったが、やる気満々のアイラと一緒に大人しく街へと繰り出したのだった。


「これを私たちに?」
「ああ。お前たちは大事な家族を亡くしてるんだ。こんな菓子では何のなぐさめにもならないだろうが、食べることは大事だからな」

 アイラはカトリーヌにせびったお金で高級菓子をたくさん買うと、身投げ事件の遺族たちの家を訪れて配って回った。
 
「これ本当にお菓子ですか? なんだか包装も豪華だね」
 
 アイラから菓子を受け取った中年の夫婦は、まじまじと箱を観察しながら言う。

「それ、チョコレートって言うんだ。知ってるか? 異国の文化が入ってきやすいポルティカでも、まだ珍しいものなんだってな。私も昨日食べたけど甘くて美味かったぞ」
「初めて聞きましたけど、ありがたく頂きます」

 夫婦はアイラのことをカトリーヌの親戚か何かだと思っているようで、一応失礼のない態度を取っている。
 アイラは妻の方の肩に手を置いて、夫婦二人に言う。

「ごはんもちゃんと食べるんだぞ。私はお前たちの大切な娘を生き返らせてやることはできないが、事件の解決のために動くから。娘を殺したかもしれない〝新しい恋人〟のこともきっと見つける」

 元々何に対しても自信を持っているアイラだが、今は夫婦を元気づけたいという気持ちもあって、その言葉は力強かった。
 夫婦の一人娘が崖から飛び降りたのは二年前のことで、もう真相解明は諦めかけていた二人も、その力強さに勇気をもらったようだ。アイラの言葉で目が少し輝いたのだった。

 そうしてアイラは他の遺族の家も回った後、身投げ事件の調査に取り掛かった。
 しかし結局、犠牲者たちの〝新しい恋人〟が誰なのかは今日も判明することはなかった。地元の人間に聞いて回ったが、やはり目撃情報は得られなかったのだ。

「港で働く奴らも、犠牲者たちを見たことないって言ってたな。港には人が多いから、恋人と〝ポルティカの断崖〟に向かう時に目撃されているんじゃないかと思ったのに」
「見たことないと言うか、女性が港に来ることは珍しくないから見かけていても分からないという感じでしたね。知り合いでもなければ犠牲者を見かけても覚えてないでしょう」

 カトリーヌの屋敷に戻る道すがら、アイラとルルが話をする。船乗りや漁師に女性はまずいないし、貿易船に乗っているのも男性ばかりだが、体を売る夜の仕事のために停泊している船に一時的に乗り込む女性も珍しくないのだ。だから女性が港に出入りしていても意外と目立たない。
 
「第一、犠牲者たちが〝ポルティカの断崖〟に行ったのは、夜とか人の少ない時間帯じゃないですか? 自殺でも他殺でも人に見られたくないでしょうし」
「そっか。じゃあなおさら目撃情報を集めるのは難しそうだな。どうしようか……」

 歩きながら思案しているアイラにルルが言う。

「最初の身投げ事件が起きたのは三年前。その年の夏には一人の女性が犠牲になり、次の夏は二人、そして去年は四人も死人が出ているようですから、段々増えていってるように思えますね」
「でも、今年の夏はまだ犠牲者が出てないって言ってたな」
「そうですね。ですから事件が起きるとしたらこれからでしょう。けれど伯爵の騎士たちが見回りを強化しているようですし、〝ポルティカの断崖〟付近を若い女性がうろついていたら声をかけて保護してくれると思いますが」

 そんな会話をしながらもうすぐ屋敷に着くというところまでくると、前方から褐色の異国人――ファザドが歩いてきた。

「あれ? ライアくんとお兄さん」
「また会ったな。こんなところで何してるんだ?」

 ファザドと鉢合わせたアイラはそう尋ねる。

「ボクはポルティカ伯爵の屋敷で用事を済ませて、自分の船に帰るところです」
「異国の王子がお供も連れずに一人で歩いてるなんて物騒だな。すぐに日が暮れるぞ」

 アイラの言葉に、ファザドは笑って「王子と言っても十三番目ですから」と答えた。
 そして話を変えて続ける。

「それより、ティアさんは伯爵の屋敷で働き出したんですね。伯爵が彼女を雇うことを決めたと聞きました」
「そうだけど……。ティアがどうかしたか?」
「実はボク、今日はティアさんに会いたくて伯爵の屋敷を訪ねたんです。昨日、ライアくんが伯爵の屋敷に来るようティアさんを誘っていましたから、ここにいるかなと思って」
「ふーん」

 アイラが適当に相槌を打つと、ファザドは笑った。

「ライアくんはボクの恋路に興味なさそうですね。異国の王子が元奴隷の女性に恋したなんて、本が書けそうなくらいステキな話じゃないですか?」
「お前、本気でティアのことが好きなのか?」

 昨日もティアのことを気に入ったそぶりは見せていたが、どこまで真剣な想いなのか分からない。だいたい、アイラが男だと伝えるまではアイラの方に興味を持っていたようだし。
 するとファザドは人の良さそうな笑みを浮かべて言う。

「まだ出会ったばかりですけど、ティアさんは謙虚でカワイイ人だと思います。彼女はボクが今まで好きになったタイプとは違って少し地味ですけど、ああいう女性もステキです」
「カトリーヌみたいなこと言うなよ」

 アイラは呆れて呟いた。恋多き者たちには付き合いきれない。
 しかしそこでファザドは真面目な顔をすると、周囲に人がいないことを確認してからアイラやルルに一歩近づき、こう言った。

「その伯爵ですけど……彼女には気をつけた方がいい」

 意味が分からず首を傾げるアイラに、ファザドは続けた。

「彼女はちょっと、怪しいところがあると思います」
「怪しいって?」
「伯爵は何か隠してる」

 こわばった低い声で言う。

「以前、取引のことで聞きたいことがあってボクが突然伯爵の屋敷を訪問した時、ボクは見たんです。血に塗れた伯爵のドレスを抱えて、使用人が廊下を走っていくのを。処分しようとしていたのか洗おうとしていたのか分かりませんが、あの豪華なドレスは絶対に伯爵のものです」

 その後応接室に通されたファザドは、カトリーヌが大怪我でもしたのかと心配したらしい。しかしファザドの待つ部屋にやって来たカトリーヌに怪我はなく、元気だった。
 そして血に濡れたドレスを見たことをファザドが伝えると、あれはワインだとごまかしたらしい。

「ですが、絶対にあれはワインじゃなかった。ワインよりもっと赤い……血だったと思います」
「でも、何してたらドレスにそんな血がつくんだ?」
「返り血とか……」

 ファザドは深刻な顔をして言う。カトリーヌが屋敷の中で誰かを襲ったと言いたいのだろうか。だとしたら、全員ではないかもしれないが使用人たちもそのことを知りながら隠していることになる。

「それに、伯爵にはこんな噂もあるのを知っていますか?」

 小声でファザドが話を続ける。

「酒場で街の人間が言っていたんです。伯爵は吸血鬼じゃないかって」
「吸血鬼ぃ!?」

 思わず大きな声を出したアイラに向かって、ファザドは「しー!」と人差し指を自分の口に立てる。

「声が大きいですよ」
「お前さ、知らないのか? 吸血鬼っていうのは伝説上の生き物なんだ。私も子供の頃は現実にいるんだと思ってたけど、実際はいないんだぞ」

 アイラは小馬鹿にして言ったが、ファザドは怒るでもなく真剣だ。

「伯爵はいつまでも若いですから、そういうことを言い始めた人間がいるんだと思います。吸血鬼だから若い娘の血を飲んで若さを保ってるんじゃないかという、面白半分の噂です。だけどボクは、その噂はあながち間違いではないんじゃないかと思い始めてます」
「……血塗れのドレスを見たからか?」
「そうです」
「いや、まさかそんな……カトリーヌが吸血鬼なんて……」

 アイラは急に怯え始めた。お化けの類が何よりも苦手で怖いのだ。

「吸血鬼なんていない。そうだろう?」
「けれどこの世には魔法というものもあるじゃないですか。ボクは魔力はないですが、目には見えない不思議な力であることは確かです。そんなものが存在するなら、吸血鬼もいそうじゃないですか?」

 ファザドは成人しているだろうが、真面目にそう考えているようだ。
 そしてルルまでこう言い始める。

「吸血鬼かどうかは置いておいて、伯爵が何か隠している気がするというのは、私も同じです」

 夜中にアイラの部屋に忍び込んできたのが、ルルはやはり引っかかっていた。
 
「二人で怖いこと言うなよ」

 顔を青くしているアイラに、ファザドは親身になって言う。

「とにかく気をつけて。ティアさんのことも心配ですし、ボクもまた様子を見に来ますから」

 そして船に戻るため、港の方へと歩いて行ったのだった。 
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