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革命(1)

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 十六歳のプライセント・アイラ・クリスタルは、エストラーダ王国の王女だ。
 美しい銀色の長い髪に青い目を持ち、人形のように完璧に整った顔をした少女である。
 王族が強い権力を持ち、絶対的な存在であるこの国で、王女アイラは今日も自由に生きていた。

「これ、カボチャが入ってる」

 大きなテーブルに乗せられた昼食のスープ。その中に嫌いなカボチャが入っているのに気づいて、アイラは顔をしかめた。

「私はカボチャは嫌いだって言っただろう。カボチャなんて庶民が食べるものだし、もさもさしているから嫌だ」
「も、申し訳ありません、アイラ様……! 料理長が変わりましたので、伝達が上手くいっていなかったようです」

 料理を運んできた女性使用人は恐縮して床に膝をつき、頭を垂れた。

「料理長はどうして変わったんだ?」
「あの……昨日処刑されましたので……。料理がまずかったからと、国王陛下が……」

 使用人は涙をこらえているような弱々しい声で言う。料理長とは顔見知りだったのだろう。

「そうか。父上が。私はまずいと思ったことはなかったけれど、それなら仕方がないな」

 アイラも少しだけ残念に思いながら呟いた。
 この国では王族は神に近い存在だ。人間だが、人間とは違う特別な存在だという扱いで、王族ならどんなわがままも許される。
 実際、昔はすごい魔力を持っていて、その力で民を救っていたため、みんなに崇められ、神に近い存在だったようだ。

 けれど今は違う。すでにアイラ以外の王族はほとんど魔力を失って、おまけに学ぶこともしないからろくに魔法も使えない。
 民を見下し、自分たちの権力を振りかざすだけなので、みんなから恐れられてはいるけれど決して尊敬されてはいなかった。
 こんな王族では反乱が起きるのも時間の問題だ。事実、国民の王族に対する不満や憎しみは、後少しで爆発するところまで来ている。
 けれどアイラを始め、城でぬくぬくと過ごしている王族たちはまだそれに気づいていない。
 
「というか――」

 アイラは女性使用人を見て話を戻した。

「新しい料理長が知らなくても、お前は私がカボチャ嫌いなのを知っていただろう。運ぶ時に気づかなかったのか?」
「……っ申し訳ありません! しっかり料理を見ていませんでした。ど、どうかお許しください、アイラ様」

 使用人はさらに低く頭を下げ、怯えて震えている。

「どうか処刑だけは……」

 同じ部屋に控えている他の使用人たちは、ミスをした使用人のことを憐れみの目で見ている。気の毒だが助けられない。そう思っている様子だ。
 アイラは淡々と言う。

「だが、ミスを犯した者には罰を与えなければならない」

 アイラは父や母からそう教えられて育ってきた。そうしなければ使用人たちは同じミスを繰り返す。馬鹿だから口で注意しただけでは覚えられないのだと。

「どうしようかな」
「どうか、どうか……アイラ様……。私には病気の父がいるのです。私が死ねば父は……」

 使用人はついに涙を流し始めた。
 アイラはその姿に心が傷まないではなかったが、冷たくも見える青い瞳で彼女を見て、こう続けた。

「病気の親がいたとしても、お前だけ贔屓はできない。――お前は罰として、このカボチャの入ったスープを食べろ」
「……え?」
「残さず食べるんだぞ。そうしたらもう私がカボチャ嫌いであることを忘れないだろ?」
「……あ、ありがとうございます! アイラ様!」

 使用人は涙を流したまま喜んだ。
 しかしアイラには彼女のその反応は不可解だった。確かに処刑や鞭打ちは可哀想かなと思って避けたものの、カボチャのスープを食べろというのも十分な罰になると思ったのだが。

(だってカボチャはまずいのに)

 もさもさしてると思いきや、たまにねっちょりもしているし。皮なんて味もないし最悪の食感だ。
 この使用人はもしかしてカボチャが好きなのだろうか? そんな人間がいるなんて信じられない。カボチャは庶民が他に食べるものがないから仕方なく食べているんだと思っていた。
 でも、彼女がカボチャ好きなら罰にならないから、他の罰を考えなければならない。

(うーん、でも……面倒だからいいや)

 ミスをした使用人や生意気な態度をとった者にいちいち罰を与えるのは、面倒くさいのだ。
 国王や王妃、アイラの兄の王子などは喜々として色々な罰を与えているが、アイラは以前から彼らの行動はやりすぎではないかと思っていた。
 王族の中で一番若いアイラの立場は弱く、彼らに忠告したりはできないけれど、父たちが使用人をいじめていたりすると何だか胸がムカムカするのだ。

 自分たちは特別な存在だし、権力もあって強いから、弱い庶民たちから敬われるのは当然だ。わがままな振る舞いも許される。
 けれど、強いからこそ、弱い者を守ってやらなくてはいけないのに。

 アイラの性格は両親の教育と育った環境のせいで傲慢だが、彼女には生まれ持った良心があった。
 そしてアイラの中では間違った教育と良心とが混ざり合い、偉そうなのか慈悲深いのかよく分からない独自の価値観が生まれていた。

「ほら。後で食べろ」

 使用人に渡そうと、アイラはカボチャの入ったスープを持ち上げた。けれど手で持ち上げたわけではない。
 目でスープ皿を見るだけで、ひとりでに皿が宙に浮いたのだ。
 そうして皿はそのままゆっくり、使用人の元にふわふわと飛んでいく。

「ありがとうございます、アイラ様」

 使用人も慣れたもので、驚くことなく皿を受け取る。
 これがアイラの能力だ。
 体に眠る膨大な魔力を使って、手を動かさずに物を操ることができる。
 
 普通、魔法を使う時には呪文を唱えたり魔法陣を描いたりしなければならないが、それをする必要がない。アイラは瞬きするのと同じくらい自然に魔法を使えるのだ。
 これは古(いにしえ)の王族を彷彿とさせる魔法だった。つまりアイラは先祖返りで、生まれた時から当たり前のように物を操ってきた。

「もういい、下がれ」
「はい」

 スープを持たせた使用人にそう指示を出したところで、部屋の扉が二度ノックされた。そしてアイラの返事を待たずに扉が開く。

「アイラ」

 入ってきたのは美しい顔立ちをした、背の高い青年だ。
 人形のようなアイラと比べるともう少し人間味がある美形で、さらさらの金色の髪は肩の辺りまで伸びていて、片側をいつも耳にかけている。そして耳にはアイラがあげたピアスがついていた。
 気を許している相手なので、アイラは彼には呼び捨てにされても許している。公の場ではちゃんと「様」をつけるので、こういう私室にいる時は呼び捨てでも構わなかった。

「ルルか。どうした?」

 アイラも四つ歳上の青年の名を気軽に呼んだ。
 ルルというこの青年は、アイラの奴隷なのだ。アイラがまだ小さい頃に商人が奴隷を売りに城にきたので、その商人が連れてきた奴隷の中で一番綺麗な子を買ってもらった。
 ルルは奴隷だが、いつもアイラの側にいて身の回りの世話をするため、服は上等なものを与えている。彼のことを知らない人間は、どこかの貴族か上級使用人なのかと思うだろう。

「どうしたもこうしたも……」
 
 ルルは疲れたように言ってから、ふとスープ皿を持って立っている女性使用人に目をやった。
 そして眉根を寄せると、アイラに向かってこう言う。

「また好き嫌いしているんですか? カボチャには栄養があるから食べた方がいいと言ったでしょう」
「うるさいやつだ」

 アイラは顔をしかめて他の料理を食べ続ける。ルルは最初はアイラのことを敬っていたはずなのだが、いつからか口うるさい兄のようになってしまった。奴隷という自分の身分を忘れているに違いない。
 
「食べなさい」

 ルルは使用人からスープを取り上げる。

「あ、待ってください。それは私の罰なのです!」
「カボチャはもさもさしてるから食べたくない!」
「スープに浸っているからそんなにもさもさしていません!」

 アイラの苦手なものを食べてあげようとする使用人と、わがままなアイラと、厳しいルルでしばらく言い合う。
 しかし強情なアイラに結局ルルが折れて、スープは使用人が持っていった。
 
「フフ」

 勝ち誇った顔で肉を食べるアイラ。ルルはため息をついてから話を戻す。

「こんなことをしている場合じゃないんです。カボチャなんてどうでもいいんですよ」
「お前が言い出したんだろ」
「それよりダヒレオ殿下がまたおかしなことをしようとしています」
「兄上が?」

 ダヒレオは、アイラより十歳年上の兄だ。今年で二十六になる。

「魔法で異世界から女性を召喚しようとしておられるのです」
「異世界から? そんなことできるのか? というか何故そんなことを?」
「この世界には自分の好みの女性がいないからと、自分好みの外見の女性を召喚させるおつもりです」
「ええ……? 兄上は今まで散々庶民の女を攫ってきては手篭めにしていたのに」

 アイラは顔を歪めた。その時のことを思い出すとイライラする。
 兄の部屋へ無理やり引きづられていく女性たちを、アイラは何十人と目にしてきた。
 でっぷり太って醜い上に、女性への優しさなど微塵も持ち合わせていない兄にこれからされることを想像して、女性たちはみんな泣いていた。辱められるにしても、優しくなんて絶対にしてもらえないからだ。

「マズいな。もしかして私のせいかも」

 アイラはボロボロになって捨てられる女性たちを見るのが嫌になって、数年前からこっそりと兄に精力減退の薬を盛っていたのだ。
 それで最近は女性を攫って来ることはなかったのに、自分好みの女性がいないからそういう欲がなくなってしまったと考えたのだろう。
 
「兄上を止めに行こう」
「ええ。異世界から召喚される女性も憐れですが、召喚には膨大な魔力も必要なのです。ダヒレオ殿下はそのために十二人の魔法使いを集められましたが、もしかしたら彼らは女性を召喚すると同時に命を落としてしまうかもしれません。召喚魔法とはそれくらい難しい術です。けれど断っても殺されてしまう……」
「行くぞ」

 ドレスの裾を持ち上げてアイラが走ると、ルルもすぐにその後を追ったのだった。
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