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三章
一話 幼馴染み
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「まったく、物騒な世の中で嫌になるわよね」
派手めの客がテーブル席で独り呟き、露骨にため息をついた。
「…何かあったんですか?」
聞いてほしそうに見えるので、緒美は思わず聞き返した。
「…痴漢に遭ったのよ」
頬を付きながら、その客はうんざりしたように言った。
「え!?」
その言葉に緒美は大きな声を上げていた。
「あんた『男』が痴漢に遭わないとか思ってるでしょ?」
「え!…あ、いえ」
図星を指されて、緒美は気まずそうに頬を掻く。
派手めの客。名は佐田彰孝と言う。
通称、アキ。
話し方は女性ぽいが正真正銘の歴とした35歳過ぎの男である。
緩やかな癖っ毛がある金髪。柔和さを感じさせる整った顔立ち。少し垂れ気味の目は気怠げで、まさにアンニュイな雰囲気を纏っている。
肌は世の女性が羨む程きめ細やかさがあり、男らしい無骨な手であるのに関わらず、その仕草一つ一つは洗練されており、中性的な印象を与えてさせていた。
彼は近くの繁華街で「オータム」と言うBARの店長をしている。
「意外と多いのよ」
「そうなんですか?」
「客なんか酔うと、触ってくるもの」
「な、なるほど」
「今回は夜道を一人で歩いてたらいきなり後ろから抱きしめられて…アタシが声を上げたら、全力で逃げていったから未遂で終わったけど」
(多分女性だと思ったら、野太い男性の悲鳴だったから…驚いて逃げたんじゃないかしら)
全く失礼ながら、緒美はそう思った。
しかし彰孝は身長が170cm以上はゆうにある。
本人の前では決して口に出せないが、ガタイだって良い方だ。
ー果たして後ろ姿であっても女と見間違えるものなのか…?
彰孝が『また失礼なこと考えてないわよね?』と釘を刺すような強い視線を送ってくる。
(ま、まぁ、高身長の女性は世の中たくさんいるし…アキさんって女性物のコートとか、ヒールの高い靴を履いてるから、間違えてもおかしくないわね…うん)
緒美は服装が原因と思うことにして、やっと腑に落ちた。
「ホントに怖かったわ」
「た、大変でしたね…」
彰孝に同情しつつ、緒美は彼に温かいお茶を淹れ直した。
「…ありがとう。だからアンタもくれぐれも気をつけなさいよ」
「あ、はい」
「あんたってぽけっとしてるから、なんか心配なのよね」
「そ、そんなことは……!」
「あんた、痴漢に遭ったことないわけ?」
彰孝が胡乱な目で、緒美を見る。
「え…まぁ、ないことはないですけど…」
「え!?」
第三者の驚いた声に、緒美と彰孝は揃って扉の方を見た。
「あ、黒羽根さん、こんばんは」
「…こんばんは」
緒美の挨拶に、黒羽根友成は罰が悪そうに挨拶を返した。
「あーら、なりなり。盗み聞きなんて悪趣味じゃない?」
彰孝から図星を指されて、黒羽根はコホンを咳払いをした。
「そんなことは断じてしてない。…それにアキ、その呼び方はやめろ」
「いいじゃない、幼馴染みなんだし。つぐちゃんも別にいいと思うでしょ?」
「はい!あだ名で呼び合うなんて仲が良くっていいと思いますよ」
緒美にそう言われて、『なりなり』と呼ばれた黒羽根は心底嫌そうな顔をした。
「そうよね。あ、そうそう。アタシと『つぐちゃん』も仲良しよね」
彰孝は緒美に向かって、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「そうですね、『アキさん』」
緒美はにっこりと笑みを返した。
彰孝は黒羽根が連れてきた中学時代からの幼馴染みだ。
彰孝は仕事柄、深夜や時には早朝に帰ることも多く、食事を抜くことが日常茶飯事だ。
35歳独身。しかも酒を飲むのも仕事のうちの彰孝の体調面を黒羽根は心配していた。
そして緒美が経営するおむすび屋「縁ーenishiー」は早朝から店を開いているので、黒羽根は開店直後すぐに彰孝に連れてきた。
初めて店に来た時、彰孝は緒美の作る味噌汁にえらく感銘を受けたようで、それからほぼ毎日通っている。
今日は店が休みらしいが、わざわざ来るほど今はすっかり常連客になっていた。
彰孝は聞き上手で、話も面白い。
初対面でも他の客と話が弾み、その場を盛り上げたり、または和ませたりと、店の雰囲気を良くしてくれる、まさに影の立役者と言えた。
そして常連と店主の垣根を超えて、二人はまさに親友のように打ち解けている。
「まさか…」
二人のやり取りに黒羽根は妙に勘ぐって、勝手に衝撃を受けて、見事なまでに固まった。
「あの『黒羽一身龍』って周囲から恐れられてたアンタがそんな顔するなんて!!あーーもう!おかしいわ!!」
黒羽根の顔を見て、彰孝は腹を抱えて大袈裟なほど笑った。
見事にツボに入ったようで、バン!バン!とテーブルを叩きまくる。
「黒羽…一身龍?」
緒美は聞き慣れない言葉に首を傾げて、黒羽根を見たが彼は露骨に視線を逸した。
(…聞いたらいけない話なのかもしれないわね)
黒羽根は姉の美久が亡くなってから『一時期すごく荒れていた』と黒羽根の後輩である白宮から話を聞いたことがあった。
黒羽根はそれを黒歴史として緒美には語りたがらない。
「…それより」
黒羽根は急に話を切り変えた。
「…緒美さん、痴漢の被害に遭ったことがあるって、本当なのですか?」
「え?ええ…学生の時とか…OL時代に何度かありましたけど…」
まるで法廷で尋問されているかのような、黒羽根の厳しい口調に、緒美は気圧されてごもごもと言った。
途端に黒羽根は眉間に皺を寄せた。
「OL時代…それは最近ではないのですか?」
「ええ、と言っても2年ほど前になりますけど」
話して気分がいい話ではないが、もう過ぎたことだし、隠すことでもないと緒美は正直に答えた。
「その時は電車通勤でしたけど、今は乗りませんから大丈夫ですよ」
「痴漢は電車の中だけとは限りませんよ?緒美さんはお綺麗なんですから、くれぐれも気をつけてください」
「え…?」
黒羽根の不意打ちの言葉に、緒美はみるみる顔を赤くした。
「…女たらし」
「なっ!?」
彰孝のボソッと言った言葉に、黒羽根は絶句した。
心配して言ったつもりが、変な誤解を生んでしまったかもしれない。
「し、下心はないです!断じて!!」
黒羽根の慌てように、彰孝は腹を抱えて爆笑した。
派手めの客がテーブル席で独り呟き、露骨にため息をついた。
「…何かあったんですか?」
聞いてほしそうに見えるので、緒美は思わず聞き返した。
「…痴漢に遭ったのよ」
頬を付きながら、その客はうんざりしたように言った。
「え!?」
その言葉に緒美は大きな声を上げていた。
「あんた『男』が痴漢に遭わないとか思ってるでしょ?」
「え!…あ、いえ」
図星を指されて、緒美は気まずそうに頬を掻く。
派手めの客。名は佐田彰孝と言う。
通称、アキ。
話し方は女性ぽいが正真正銘の歴とした35歳過ぎの男である。
緩やかな癖っ毛がある金髪。柔和さを感じさせる整った顔立ち。少し垂れ気味の目は気怠げで、まさにアンニュイな雰囲気を纏っている。
肌は世の女性が羨む程きめ細やかさがあり、男らしい無骨な手であるのに関わらず、その仕草一つ一つは洗練されており、中性的な印象を与えてさせていた。
彼は近くの繁華街で「オータム」と言うBARの店長をしている。
「意外と多いのよ」
「そうなんですか?」
「客なんか酔うと、触ってくるもの」
「な、なるほど」
「今回は夜道を一人で歩いてたらいきなり後ろから抱きしめられて…アタシが声を上げたら、全力で逃げていったから未遂で終わったけど」
(多分女性だと思ったら、野太い男性の悲鳴だったから…驚いて逃げたんじゃないかしら)
全く失礼ながら、緒美はそう思った。
しかし彰孝は身長が170cm以上はゆうにある。
本人の前では決して口に出せないが、ガタイだって良い方だ。
ー果たして後ろ姿であっても女と見間違えるものなのか…?
彰孝が『また失礼なこと考えてないわよね?』と釘を刺すような強い視線を送ってくる。
(ま、まぁ、高身長の女性は世の中たくさんいるし…アキさんって女性物のコートとか、ヒールの高い靴を履いてるから、間違えてもおかしくないわね…うん)
緒美は服装が原因と思うことにして、やっと腑に落ちた。
「ホントに怖かったわ」
「た、大変でしたね…」
彰孝に同情しつつ、緒美は彼に温かいお茶を淹れ直した。
「…ありがとう。だからアンタもくれぐれも気をつけなさいよ」
「あ、はい」
「あんたってぽけっとしてるから、なんか心配なのよね」
「そ、そんなことは……!」
「あんた、痴漢に遭ったことないわけ?」
彰孝が胡乱な目で、緒美を見る。
「え…まぁ、ないことはないですけど…」
「え!?」
第三者の驚いた声に、緒美と彰孝は揃って扉の方を見た。
「あ、黒羽根さん、こんばんは」
「…こんばんは」
緒美の挨拶に、黒羽根友成は罰が悪そうに挨拶を返した。
「あーら、なりなり。盗み聞きなんて悪趣味じゃない?」
彰孝から図星を指されて、黒羽根はコホンを咳払いをした。
「そんなことは断じてしてない。…それにアキ、その呼び方はやめろ」
「いいじゃない、幼馴染みなんだし。つぐちゃんも別にいいと思うでしょ?」
「はい!あだ名で呼び合うなんて仲が良くっていいと思いますよ」
緒美にそう言われて、『なりなり』と呼ばれた黒羽根は心底嫌そうな顔をした。
「そうよね。あ、そうそう。アタシと『つぐちゃん』も仲良しよね」
彰孝は緒美に向かって、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「そうですね、『アキさん』」
緒美はにっこりと笑みを返した。
彰孝は黒羽根が連れてきた中学時代からの幼馴染みだ。
彰孝は仕事柄、深夜や時には早朝に帰ることも多く、食事を抜くことが日常茶飯事だ。
35歳独身。しかも酒を飲むのも仕事のうちの彰孝の体調面を黒羽根は心配していた。
そして緒美が経営するおむすび屋「縁ーenishiー」は早朝から店を開いているので、黒羽根は開店直後すぐに彰孝に連れてきた。
初めて店に来た時、彰孝は緒美の作る味噌汁にえらく感銘を受けたようで、それからほぼ毎日通っている。
今日は店が休みらしいが、わざわざ来るほど今はすっかり常連客になっていた。
彰孝は聞き上手で、話も面白い。
初対面でも他の客と話が弾み、その場を盛り上げたり、または和ませたりと、店の雰囲気を良くしてくれる、まさに影の立役者と言えた。
そして常連と店主の垣根を超えて、二人はまさに親友のように打ち解けている。
「まさか…」
二人のやり取りに黒羽根は妙に勘ぐって、勝手に衝撃を受けて、見事なまでに固まった。
「あの『黒羽一身龍』って周囲から恐れられてたアンタがそんな顔するなんて!!あーーもう!おかしいわ!!」
黒羽根の顔を見て、彰孝は腹を抱えて大袈裟なほど笑った。
見事にツボに入ったようで、バン!バン!とテーブルを叩きまくる。
「黒羽…一身龍?」
緒美は聞き慣れない言葉に首を傾げて、黒羽根を見たが彼は露骨に視線を逸した。
(…聞いたらいけない話なのかもしれないわね)
黒羽根は姉の美久が亡くなってから『一時期すごく荒れていた』と黒羽根の後輩である白宮から話を聞いたことがあった。
黒羽根はそれを黒歴史として緒美には語りたがらない。
「…それより」
黒羽根は急に話を切り変えた。
「…緒美さん、痴漢の被害に遭ったことがあるって、本当なのですか?」
「え?ええ…学生の時とか…OL時代に何度かありましたけど…」
まるで法廷で尋問されているかのような、黒羽根の厳しい口調に、緒美は気圧されてごもごもと言った。
途端に黒羽根は眉間に皺を寄せた。
「OL時代…それは最近ではないのですか?」
「ええ、と言っても2年ほど前になりますけど」
話して気分がいい話ではないが、もう過ぎたことだし、隠すことでもないと緒美は正直に答えた。
「その時は電車通勤でしたけど、今は乗りませんから大丈夫ですよ」
「痴漢は電車の中だけとは限りませんよ?緒美さんはお綺麗なんですから、くれぐれも気をつけてください」
「え…?」
黒羽根の不意打ちの言葉に、緒美はみるみる顔を赤くした。
「…女たらし」
「なっ!?」
彰孝のボソッと言った言葉に、黒羽根は絶句した。
心配して言ったつもりが、変な誤解を生んでしまったかもしれない。
「し、下心はないです!断じて!!」
黒羽根の慌てように、彰孝は腹を抱えて爆笑した。
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