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調剤師の杉田さん3
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その日も客の入りはぼちぼちだった。
店の名前は『八百屋藤宮』。野菜の小売りをしている店だ。
売る相手は、この街の中でも近所に住む人たち。
昨日より目立って多いわけでも少ないわけでもない。先週と比べたって、多いわけでも少ないわけでもない。
それは、仕入れた量の野菜がいつもどおりに売れる客入りということだ。
商売人の中には、沢山仕入れて沢山売って、いずれは店を大きくして従業員を雇って、なんて考える人もいる。先々の目標があることは悪い話じゃあないし、そういう商売人を否定するつもりもない。
それでも自分は今のままでいいと思う。
店を大きくすることも、仕入れを増やすこともせず、ぼちぼち売れてくれれば、それで満足だ。
いつも通りに朝から開いた店は、いつも通りにお昼時になると一度、客足が途絶える。
屋台や料理屋なら書き入れ時の時間帯は、八百屋の客は家で食事中だ。
いつもなら、客足が途絶えた昼時に、店の奥で昼食を取る。だが、その日は丁度昼飯にしようかというタイミングで、見慣れない客がやって来た。
開けようとしていた弁当を置いて対応する。
(主夫。には見えないけど、一人暮らしかね)
一人で店先に来た男を見て、そう推測する。
この街では少数とは言え、妻が働きに出て夫が家事を担当する家庭もあるし、一人暮らしの男性が自分で料理することもある。
だから男性が八百屋に買い物に来るのも、変ではない。
ただ、その男には見覚えはなかった。
近所の常連ばかりが来る八百屋にとっては、ほんの少しだが、珍しい。
「はい、いらっしゃい」
「どうも。これはいくらです?」
そう言って指を指されたのは、店先の、外から目立つ位置に置いてあったゴボウだった。
根菜の中でも固いゴボウは、固い土を割って伸びていくからと、故郷の村でも良く植えられていた。土を深く耕す仕事を代わりにやってくれるからだ。
その一方、固すぎて食べにくいと、あまり売れない根菜でもある。サラダにしろ、スープの具にしろ、火を通しても固いものだから、薄く切って少量入れる程度にしか使わない。
それでも店に並べているのは、農家の苦労を知っているから。それともう一つ、固くて良く噛むようになるから、少量でも食べた気になるというのもある。
「安くしとくよ。どのくらい必要だい」
一人暮らしなら、少量しか使わないゴボウを一本丸ごと、というのは結構な量だ。
根菜の常として、葉野菜なんかよりもずっと保つとはいえ。もし、半分だけと言われても売ってあげようかとも考える。
「出来れば全部頂けますか」
「……全部って。あんた、どっかの料理人かい? うちは卸しじゃないんだけどね」
逆だった。
店先にはまだ十本近くのゴボウがある。
人気のあまりない商品とはいえ、全部というのは頂けない。
ましてや今はまだ昼時で、午後からは夕食の買い物に来る人たちがいるのだから。
「料理人ではないですよ。私は調剤師をやってまして、まあ、薬屋です」
「薬屋? 薬屋がゴボウをそんなに買って、どうするんだい」
「薬にするんですよ。もちろん」
薬? このゴボウが? 一瞬、この男が何を言っているのか分からなくなる。
「他にも、いろいろと混ぜたり、錬金術でずらしたりしますけどね」
「そうかい」
薬なら、病人の為ならと少し悩むが、やっぱり全部はダメだと決める。
「半分ならいいよ。他にもお客がいるからね」
「わかりました」
あっさりと頷いた男にゴボウを渡して代金をもらう。
「薬ってのは、もっと珍しい薬草で作るもんだと思ってたよ」
「あー、よく言われます。貴重な薬草を使うこともありますけど、大半の薬に高い材料は使いませんよ」
「そんなもんかい」
「そんなもんです。高かったら薬が買えないじゃないですか」
そう言って、男は八百屋の前を去っていった。肩にゴボウを担いで。
「薬ってのは、高いもんじゃないのかねえ」
健康で薬の世話になった覚えがないから、どうにも薬の値段は分からない。
しかし、故郷の村では薬は高いものだったように思う。
「この街では違うのかね」
ここに住んで何年も経つけれど、いまだにこの街の常識は分からないことがあるなと思いながら、昼食を取りに店の奥へ引っ込んだ。
店の名前は『八百屋藤宮』。野菜の小売りをしている店だ。
売る相手は、この街の中でも近所に住む人たち。
昨日より目立って多いわけでも少ないわけでもない。先週と比べたって、多いわけでも少ないわけでもない。
それは、仕入れた量の野菜がいつもどおりに売れる客入りということだ。
商売人の中には、沢山仕入れて沢山売って、いずれは店を大きくして従業員を雇って、なんて考える人もいる。先々の目標があることは悪い話じゃあないし、そういう商売人を否定するつもりもない。
それでも自分は今のままでいいと思う。
店を大きくすることも、仕入れを増やすこともせず、ぼちぼち売れてくれれば、それで満足だ。
いつも通りに朝から開いた店は、いつも通りにお昼時になると一度、客足が途絶える。
屋台や料理屋なら書き入れ時の時間帯は、八百屋の客は家で食事中だ。
いつもなら、客足が途絶えた昼時に、店の奥で昼食を取る。だが、その日は丁度昼飯にしようかというタイミングで、見慣れない客がやって来た。
開けようとしていた弁当を置いて対応する。
(主夫。には見えないけど、一人暮らしかね)
一人で店先に来た男を見て、そう推測する。
この街では少数とは言え、妻が働きに出て夫が家事を担当する家庭もあるし、一人暮らしの男性が自分で料理することもある。
だから男性が八百屋に買い物に来るのも、変ではない。
ただ、その男には見覚えはなかった。
近所の常連ばかりが来る八百屋にとっては、ほんの少しだが、珍しい。
「はい、いらっしゃい」
「どうも。これはいくらです?」
そう言って指を指されたのは、店先の、外から目立つ位置に置いてあったゴボウだった。
根菜の中でも固いゴボウは、固い土を割って伸びていくからと、故郷の村でも良く植えられていた。土を深く耕す仕事を代わりにやってくれるからだ。
その一方、固すぎて食べにくいと、あまり売れない根菜でもある。サラダにしろ、スープの具にしろ、火を通しても固いものだから、薄く切って少量入れる程度にしか使わない。
それでも店に並べているのは、農家の苦労を知っているから。それともう一つ、固くて良く噛むようになるから、少量でも食べた気になるというのもある。
「安くしとくよ。どのくらい必要だい」
一人暮らしなら、少量しか使わないゴボウを一本丸ごと、というのは結構な量だ。
根菜の常として、葉野菜なんかよりもずっと保つとはいえ。もし、半分だけと言われても売ってあげようかとも考える。
「出来れば全部頂けますか」
「……全部って。あんた、どっかの料理人かい? うちは卸しじゃないんだけどね」
逆だった。
店先にはまだ十本近くのゴボウがある。
人気のあまりない商品とはいえ、全部というのは頂けない。
ましてや今はまだ昼時で、午後からは夕食の買い物に来る人たちがいるのだから。
「料理人ではないですよ。私は調剤師をやってまして、まあ、薬屋です」
「薬屋? 薬屋がゴボウをそんなに買って、どうするんだい」
「薬にするんですよ。もちろん」
薬? このゴボウが? 一瞬、この男が何を言っているのか分からなくなる。
「他にも、いろいろと混ぜたり、錬金術でずらしたりしますけどね」
「そうかい」
薬なら、病人の為ならと少し悩むが、やっぱり全部はダメだと決める。
「半分ならいいよ。他にもお客がいるからね」
「わかりました」
あっさりと頷いた男にゴボウを渡して代金をもらう。
「薬ってのは、もっと珍しい薬草で作るもんだと思ってたよ」
「あー、よく言われます。貴重な薬草を使うこともありますけど、大半の薬に高い材料は使いませんよ」
「そんなもんかい」
「そんなもんです。高かったら薬が買えないじゃないですか」
そう言って、男は八百屋の前を去っていった。肩にゴボウを担いで。
「薬ってのは、高いもんじゃないのかねえ」
健康で薬の世話になった覚えがないから、どうにも薬の値段は分からない。
しかし、故郷の村では薬は高いものだったように思う。
「この街では違うのかね」
ここに住んで何年も経つけれど、いまだにこの街の常識は分からないことがあるなと思いながら、昼食を取りに店の奥へ引っ込んだ。
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