ある魔法都市の日常

工事帽

文字の大きさ
上 下
56 / 91

検査技師の柊さん2

しおりを挟む
「うわぁ」

 朝日が突き刺さる。
 肌がジリジリと焦げるような、目が光に刺されるような、そんな感覚に全身が「嫌だ」と叫んでいる。
 こんな朝は好物のガーリックトーストでも買い込んで、カーテンを締め切った家に閉じこもりたい。
 ……しかし、それが出来ない。

「なにグズグズしてるんですか先生、行きますよ」

 そう言って僕を引っ張っていこうとしているのは、同じ病院に勤務しているひいらぎくんだ。
 彼女は検査技師をしている。
 朝、夜勤明け。今すぐ帰りたい気持ちで胸がはちきれそうな僕を引っ張って行こうとしている先は、役所だ。
 言葉は厳しいが、これは彼女の善意からの申し出なので、断るのはとても難しい。

 僕の種族は吸血鬼。
 役所に、血を提供してくれる人を募集しに行かなければならない。それを後回しにしていた結果が、これだ。

 病院に馴染みのない人からは、病院には医者と看護師しかいないように思われるが、そんなことはない。
 病院の会計や経理、事務手続きを中心に対応する総務や、消耗品の手配や設備のメンテナンスを行う資材、血液検査等いくつもの魔法道具を使って検体の調査をする技師と、いくつもの専門職から成り立っている。

 そして柊くんの場合には、検査技師として輸血の担当もしている。
 怪我人が出たり、手術等で輸血が必要な場合に、患者の血を増やして戻す。それが輸血だ。それだけに、急な怪我人に備えて、夜の間も一人は待機している必要がある。
 医師や看護師と同じくらい多忙な仕事だ。

「さあ、とっとと書いてください」

 役所に入るなり、備え付けの申請書類を渡される。
 血液提供者の募集要項だ。
 吸血鬼は血を飲まないと体調を維持できない。医学的にははっきりと解明されたわけではないが、他の種族と違って、体内で賄えない栄養素を補給しているという説が有力だ。
 だが、他人の血をもらうと言っても、問題が多い。

 まず、好んで血を流したい人はいない。
 親しい人になら、一度や二度くらいなら頼めるかもしれないが、血液の摂取は定期的なものだ。繰り返しとなると、提供者にも負担が大きい。

 そして感情的な問題もある。血液、いわば体液を他人が飲むと分かっていて渡すのは、少しばかりハードルが高い。
 それに今の血液提供のシステムが出来る前は、非常に親しい相手からもらう方法しかなかった。それで血液提供のシステムが出来た後も、親しい間柄、つまり提供者とは家族や恋人に等しいというイメージが完全には消えていない。
 そういうイメージを持ったままの人から見れば、金銭で血液供給の契約を結ぶというのは、とてもはしたないイメージになる。あえて悪いイメージを言葉にするならば「愛人契約」となるだろう。

 血液提供のシステムとは、役所が仲介をする形で、より契約という形式を前面に出すことで血液提供のハードルを下げようとしたものだ。
 血液を必要とする吸血鬼が募集を役所に依頼する。提供する間隔や、量、そして金額を決めて募集をかける。金額については相場があるので、間隔や量に準じて金額が決まっているようなものだが。
 提供者は、募集要項を見て応募し、契約する。だが、イメージが完全に払しょくされたわけではない。提供者本人が納得していても、家族や恋人が反対することも少なくないのだ。僕の以前の提供者も、契約を終わる理由が「彼氏が出来た」からだった。

「書けました? じゃあ窓口に行きますよ。こっちです」

 検査技師として、日頃から血液に触れる仕事をしている柊くんは、役所にもよく出入りしている。なにしろ血液提供の採血も検査技師の仕事の一つだ。定期的な採血こそ病院で行うが、書類のやり取り、提供者への説明は役所で行われることが多い。
 だから、迷いなく窓口に案内出来てもおかしくはない。
 それでも、書類まで持っていってしまうのはどうなんだろう。僕はもう帰ってもいいのだろうか。

 それに、書類を書いておいてなんだが、募集は少しばかり気が重い。
 どういうことかというと、血液提供のシステムが出来る前のイメージが後を引いているのにも関係する。
 募集に応じてくれる人は、医療関係者か、知り合いに吸血鬼がいるような事情を分かってる人が安心で、出来ればそういう人が見つかって欲しいと思っている。

 だが、悪い言い方で「愛人契約」とイメージする人が残っているように、文字通りの「愛人契約」を目的に応募してくる人もいる。
 そういう人に見つかったなら、契約金額を上げろとか、衣食住の面倒を見ろだとか、なんのための募集要項なのかと言いたいような無理な要求をしてくる。
 普通に契約する分には、血液は医療機関を通して渡される。本人同士が会うのは、契約時と契約終了時くらいのものだ。それを理解していない人が、愛人契約だと勘違いしてやってくる。

 前回募集をかけたのは、もう何年も前だ。ちゃんとした人に決まるまでに、随分と酷い目にあった。
 今回も同じように、何人もの「勘違い」を相手にすると思うと気が滅入る。もう早くガーリックトーストでも買い込んで、カーテンを締め切った家に閉じこもりたい

「わ、わたしですかっ!?」

 窓口で書類を渡していた柊くんが声を上げている。
 なにか書類に不備でもあっただろうか。
 当事者としては無視することも出来ない。
 僕は窓口に向かって歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...