ある魔法都市の日常

工事帽

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劇団の呉井さん

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 一歩、二歩、ここでゆっくりとターン。視線を合わせる。

「あなたなんでしょう?」

 その一言に気持ちを込めて。

「いいね。いいね。位置ばっちりよ。あとは視線ね。理屈で言えばこいつしかいない。でも証拠がない。全てを知ってると思わせる。動揺させ、証拠を引き出したい。その気持ちを視線に込める。もっと、もっと、睨むように」

 言われるままに視線に力を込めて相手を見やる。こいつをボコボコに殴ることを考えながら。相手の顔が心なしか引きつっている。

「よーしっ、その視線だ。それで行こう。じゃあ、続きのセリフ」

 呉井さんの声で稽古は続く、次のセリフは相手の番だ。
 私だけじゃなく周囲の視線も相手に向かう。

「怖すぎてセリフとんじゃいました」
「ふざけんなウサ!」
「その語尾似合わないって何度言ったら」
「死ねウサ!」

 稽古は一旦中断になった。


 まだ開いていない酒場の片隅にある舞台。そこで私の所属する劇団の稽古が行われていた。脚本と演出はいつもどおり呉井さん。この劇団の代表でもある。

 今、稽古しているのは新作の劇で、不可解な家族の死から始まる推理型の憎愛劇。さっきのシーンは、婚約者の罪を暴こうと一対一で対峙する場面にあたる。
 その後、主人公の令嬢は証拠が見つからないままカラ周りし、自身が殺されかけることで証拠を手に入れて、という展開になる。家族の事件から、令嬢自身の事件に変わっていく中盤の山場だ。

 台本を見直しながら、さっきの指導内容をメモしていく。
 隣のテーブルでは、婚約者役の男がぶつぶつ言いながらセリフを覚え直している。こいつその場の流れで冗談を言ったわけじゃなく、本当にセリフ忘れたんじゃないでしょうね。

 呉井さんは別のシーンの指導をしている。屋敷の使用人や、調査に来た衛視が右往左往する場面だ。セリフを聞けば分かるが、屋敷の混乱を表すと共に、観客への説明も兼ねている。
 そのせいで、わき役とは思えないほど長文のセリフがいくつもあって、みんな苦労しているみたいだ。人数が足りないからって、下男の役を押し付けられた照明係もいる。本当は裏方なのに。

「いいね。いいね。その焦った感じ。仕えていた主人が居なくなって混乱する館。明日には解雇されるんじゃないかという不安。行き場のない住込み使用人のもどかしい気持ち。いいねぇ。この調子でいこうか」

 呉井さんは指導に力が入るとひづめを鳴らすクセがある。カッカッカッカッと、舞台の上で場違いなタップダンスが始まる。
 いや、あれ、本人は本気で焦ってるだけだから。いきなり舞台に上がれ、セリフあるから、って言われて初めから上手くやれるわけないでしょうが。

 そんな場面の稽古のうちに、酒場が開く時間が迫ってきた。
 稽古は終わり、団員のほとんどは片付けを始め、残りの人は酒場の開店準備を始める。
 ここの酒場のオーナーは、うちの劇団の舞台監督でもある。舞台の都合だけじゃなく、酒場で雇ってもらっている団員もいる。私もその一人だ。テーブルを拭いて、お店の制服に着替える。その頃には呉井さんの姿は見えなくなっている。

 舞台の上から演劇のセットがきれいに片付けられると、代わりの今日演奏するバンドの準備が始まる。バンドの準備は開店時間には間に合わない。それは問題ない。開店直後なんて、客がいない時間に演奏したところで仕方がないから。
 客の入りを見計らっての演奏開始には、まだまだ時間がある。

 次に呉井さんが姿を見せるのは、夜も遅くなってからだ。
 バンドも数回の演奏を終えて、楽器を片付け始める頃にやってくる。
 どこで飲んでくるのか、この店に戻ってくる時はただの酔っ払いだ。酔っ払いサチュロスの呉井さんは、決まってカウンターの席でぐだぐだしてる。

 だいぶ客の少なくなった店内で、賄いの皿を持って立ち上がる。
 今日の賄いは、シェフの気まぐれサンドイッチだ。大抵は、余りものを挟んだだけのヤツだけど。メニューの種類が多いから、その日その日で何が余るか分からない。日によっては余り方まで中途半端なことがあって、一人一人挟んでるものが違うときまである。

 お皿を厨房に戻すと、あとは閉店までの短い時間を残すだけ。
 今から注文する人もほぼ居ない中で、会計と空いたテーブルの上を片づけのがあるだけの、割りと手持ち無沙汰な時間だ。

 そんな時間になっても、まだ呉井さんはカウンターでぐだぐだしてる。

「なあ、どう思うよ」
「なんのことウサ」
「あのセリフ。犯人だと確信している。今すぐにでも復讐したい。でも罪を明らかにして司法に委ねなければと、なけなしの理性が止める。そんな時のセリフが『あなたなんでしょう?』ってのは良いのか? もっと感情を押さえつけて言う、一言があるんじゃないのか」

 いつもこうやって、自分の脚本についてぐだぐだ言ってる。

「宇佐美さんならどうだ。なんて言う?」

 だが私の答えは決まっている。

「何も言わずにぶん殴るウサ」

 昼間の稽古の時は威勢がいいのに、酒が入るとなんでかぐだぐだなのだ。真面目に相手をしても、無駄なのは良く分かっている。
 呉井さんは放って置いて、食器洗いの手伝いでもしてこよう。
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