ある魔法都市の日常

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染色工房の糸井さん

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 カラカラと馬車が走る。
 街の中は道が整備されていて揺れが少ない。
 馬達は並足で、別にスピードを出しているわけではない。
 車輪の音が街の喧騒に隠れるくらいだ。
 職人が多いこのあたりには様々な音がする。
 人々の声よりも、何かが動く音や、何かを打つ音のほうが耳につく。
 そんな音の中を掻いくぐって一軒の工房へ辿り着く。
 色とりどりの糸が風に吹かれている工房へ。

「こんにちは」

 工房の入口で声を掛ける。
 しばらく待つと工房の奥から工房長が出て来た。

「いらっしゃい。ああ、あんたか。今日はわた染めだったな」

 工房長の糸井さんは、下半身が蜘蛛の姿をしている種族、アラクネだ。
 上半身の服は人と同じような物を着ていて、下半身にはスリットがいくつもあるスカートを履いている。スリットからは何本もの蜘蛛の足が飛び出していて、靴は履いていない。アラクネ用の靴も売ってないわけではないが、人間のかかとにあたる部分がないために、脱げないように締め付ける必要があるとかで人気はない。
 視線の位置は俺よりも頭一つ以上高い。
 腰の位置が高いのだ。上半身の体格はそんなに差がないように見える。最も、糸井さんはアラクネの女性らしい体形で、胸も大きいから、同じ体格かと言われると微妙かもしれない。
 近くに立つとその差がとても大きく感じる。
 それだけではないく、糸井さん多関節の長い足はこの場所には長すぎる。話をする距離まで近づくと、左右が長い脚で囲まれてしまう。良く、物に引っ掛けたりせずに歩き回れるものだ。
 大きな瞳で見下みおろされながら、足に囲まれるのはなかなかの圧迫感で、怖い。

「ええ、今年もまたお願いしますよ」

 羊毛は使い道によって染色するタイミングが違う。
 このうち『わた染め』と呼んでいるのは、羊毛を糸にするよりも前、刈ったままの毛の状態で染色するものだ。もちろんその前に、余分なゴミの掃除やら洗浄やらと手が入っているから、刈ったままの毛ではない。要は糸にする前に染色をするというものだ。
 糸にする前に染色をすると、いくつかの色を織り交ぜた糸が作れる。
 全体を見たときには細かい色使いが可能になるし、細かく見ると幾つもの色の糸が混ざり合って見える。それはとても繊細で美しい色使いだ。

「ところで糸染めのほうはどうするんだい。色と量は早めに言ってもらわないと、いざ糸が来ても染料がなけりゃ待ってもらうからね」

 それは困る。
 量は仕入れた羊毛から分かるものの、どの色をどれだけの量で、というのがまだ決まってないはずだ。
 『糸染め』は、『わた染め』と違って、羊毛を糸にしてから染めるやり方だ。同じ糸の色を綺麗にそろえることが出来る。いくつかの色を組み合わせる場合には、糸単位での組み合わせになるために、『わた染め』で作られた色の混ぜ方と違い、色差がハッキリ出る。
 『糸染め』をした複数の糸を使うと、色の違いで模様を描くことが出来て、とても華やかだ。

「ええ、それは出来るだけ早めに、はい」

 とりあえず今日言えるのはちょっとした誤魔化しの言葉だけだ。
 決めるのはうちの工房長で俺ではない。早く決めてもらわないと。

「本当かい? 急ぎなよ? うちで染めるのは、あんたの所の羊毛だけじゃないんだ。人気のある色はすぐになくなっちまうよ?」

 圧し掛かるようにして言われると圧迫感が増していく。
 しかも糸井さんが前傾姿勢を取ると、俺の目の前に巨乳が付きつけられる。とても圧迫感が強く、怖い。

「それは、はい、もちろん、なるはやで」

 糸井さんが身を引いたタイミングで慌てて外に飛び出す。
 別に逃げたとかそういうことではない。馬車から羊毛が入った袋を引っ張り出しては工房の中に運び入れる仕事があるんだ。急がないと。

 工房を後にしてから、自由になった頭で糸の色のことを考える。
 工房長にどう話を持っていけば早く決めてくれるのかを。
 糸が紡ぎ終わるまでに、という考えだとダメだと糸井さんにクギを刺されてしまったが、工房長はギリギリまで決めたがらないだろう。決めるのが遅いほうが、流行の色を選びやすくなるからだ。
 いっそ、工房長同士で話し合ってもらおうか。
 それをやれば早く決まりそうな気もするが、胸圧に押し切られるような気もする。売れない色の在庫を抱えて、営業して回るのは勘弁して欲しい。
 そんなことを考えながらも、カラカラと馬車は走る。
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