井戸端会議所

ほたる

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第五章・心亡くし

心亡くし・第八話

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「あの女、無許可で催眠ガスばら撒きやがって。お陰で一徹した分、ぐっすり寝てしまったじゃねぇか」
「それは良いことでは……?」
 朝日が差し込む山の中。仁美をおぶった仁志を先頭にして、元の生活に戻るための下山をしている。
 仁志と仁美から若干の距離をとって、郁と霖太郎は見守るようについてきていた。
「一般市民の記憶は昨日、じゃなくて一昨日の状態に戻して、昨日分のは差し支えない内容に差し替えるとのことらしいが、そうなると特に芦々家としては対処しなくてもいいか……?」
「秋雨家は、特に大きな動きはしてないので、まぁ、天王寺さんの動き次第ですけど……」
 霖太郎が郁のことを、そういうやらかしをしそうに見ているのは一旦さておき、郁は自身の昨日の行動を振り返る。スクランブル交差点では大きな騒ぎはなかったし、駅から建物の天井を渡ったパルクールを見られた件に関しては、一旦スルーでも良いだろうか。
(都合の悪い記憶もついでに改ざんしてほしいと、仁美の母親にお願いした方が良かっただろうか)
「あとお前、厄災を抑える時にへっぴり腰だったぞ。体力や筋力はある程度ついたようだから、これからは力の効率的な入れ方を教えておかないとな」
「え、でも僕、力を使った除霊って苦手だって感じてまして、できれば効率の良い武器とかテクニックの方を教えていただけると、」
「ダメだ。得意を伸ばすのは良いが、苦手を放っておくのは別問題だ。仮に他の技術で補えたとしても、いつかは苦手な部類のものが必要になる時が来る。それにそういう「諦め」が、総合的に見て弱さとなって足を引っ張るんだ。私だって、改善の見込みが全く無いが、弓の鍛錬を怠るつもりは微塵もなくてだな」
「え、天王寺さん、弓が苦手なんですか?」
 そういえば、こいつには言っていなかったな、と郁はふと気づいた。今更説明するのも癪なので、自分語りをなあなあにしながら霖太郎に説教をする。
「ともかく、私は自分で、弓を置くようなことは自身に対しての『諦め』だと思っている。お前も、力を使うことを諦めたら、自分に対して諦めているのだと思え。いいな」
「は、はい」
 怒られるのなら指摘しなければよかった、と後悔する霖太郎。誤魔化したことを悟られたくない郁は正面に視線を戻し、少し前を歩く二人の姿を見て、穏やかな心境に戻った。
(本当に良かったな、仁美、仁志。お前らが平穏に日々を過ごせるなら、十分だろう)
 郁から視線を向けられる中、足の踏み場を探しながら歩いていた仁志は、背中で仁美が動き出したことを感知した。
「起きたか」
「うん。すごい新鮮な感じ。身体の底から、活力がみなぎるというか」
「もうエネルギーを横取りする奴がいなくなったからな。全て余すことなく、お前のものだ」
 仁美は、少し仁志の肩に顔を埋めながら、「うん」と小さく返した。その後、しばらく何も言わなかったので、再び仁志から会話を、二人の原点の井戸端会議を続ける。
「今度は、ちゃんと連れ帰っているぞ」
「……? 何が?」
「昨日、お前が言っていたやつだ。小さい頃はお前が俺を背負って連れて帰ったが、昨日は立場が逆だって。でもあれは、厳密には連れ帰ることはできてなかった。お前が連れて帰った時は、俺を救った状況だったが、昨日は救えてはいなかったからな。
 だが今は、お前を救えている。これで俺はようやく、恩返しの一部をできたようなものだ」
「そういうことね。そうだね、私はまた、助けてもらった」
「何言ってんだ、今まで犠牲にしてまで助けていたのはお前の方だろ」
「でも、その分はあなたの元気な様子を見ていれば、十分にお返しになるというか」
「それだったら、俺もお前を見ているだけで幸せだぞ」
「だから、もう、そうやって歯の浮くようなことを、躊躇なく……」
 少し照れたのか、仁美は仁志の顔をペタペタと叩いた。対して視界が狭まった仁志は「危ねぇよ何やってんだ」と注意する。
 こういう、何でもない話を何でもなく、のんびりと語り合える時間を過ごすのが、久々に感じられた。心のどこかで余裕がなく、いつかとんでもない悲しみを抱えるかもしれないと思っている状態では、この時間を楽しめなかったようだ。
 だが、もう気兼ねなく、仁美との時間を楽しめる。それが何よりも大切で、何でもないのに大切とはこれいかに、と矛盾があるような気がするが、とても大事なことなのだ。
「お母さん、私のことなんて言ってた? お母さんの気持ちを拒絶して、私のこと嫌いになってたかな」
「いいや、出来の良い人に育った、って喜んでた。それに今生の別れじゃないんだから。お前のお母さんと通信できるデバイスを預かってる。家に着いたら、渡してやる」
「そうなの、じゃあ、私たちの交際も、お母さんは認めてくれてるってことなのかな」
「そうだな。よろしくお願いしますって言われた。不幸にさせるなよ、とも忠告された」
「まぁそうだよね。でも大丈夫。あなたと一緒に居て、不幸になる未来は何も見えないから」
「ああ、俺もそんなことにさせるつもりはない」
「ありがとう、ねぇあなた、愛してる」
 びっくりした。間もおかずにそんなことを言うとは。そもそも「愛してる」とも、昨日初めて聞いたことで、そんなに頻繁に言うセリフでもないだろう。
「あんまりそうやって日常的に『愛してる』だなんて言うと、その言葉の重みが薄くなってくるんじゃないか? 『愛してる』って、かなり最上位の言葉だろ」
「そっか、慣れると伝わらなくなるかもしれないもんね。熟年夫婦みたいに、冷めてきちゃうかも。でも、仕方ないの。

 愛してるって一回だけ言っても、私の愛情は伝えきれないと思うから」

 そうきたか、と仁志は苦笑した。自分の言動を正当化し、なおかつこちらを照れさせて、反論をしにくくさせる。今まで仁美にそうやって嵌められた回数は数知れず。
 本当に、仁美は一手先にいる。その仁美に仁志が追いつけるのは、いつになることやら。
「今更かと思うかもしれないけど、お前、結構重いよな」
「女性に体重の話とか、デリカシーないんじゃない」
「そっちじゃねぇよ、わかってて言ってんだろ」
「知らない聞こえなーい。そもそも重いとか、人のこと言えないんじゃないの」
「俺は鍛えてるからな。知ってるか、脂肪と筋肉は、大きさは同じでも重さは筋肉の方が重いんだぞ」
「体重の話じゃない」
 掛け合いをしつつ、笑いが込み上げてきた。仁美も笑うたびに、背中の上で仁美の身体が振動して、声が背中を通して仁志の身体に響く。
 笑い合えることが嬉しかった。嬉しすぎて、下手をすると泣いてしまうかもしれない。だが、まだ泣く時じゃないと、仁志は頑張って堪えた。

 嬉し泣きをする時は、多分まだもっと先になるはずだ。
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