井戸端会議所

ほたる

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第五章・心亡くし

心亡くし・第二話

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(あーあ、間に合わねぇや)
 友人に言った約束を、買い出しの帰りで早々に投げ出す仁志。読みが甘かったわけでも、サボっていたわけでもない。帰り道で、車椅子で移動するおばあさんを見かけ、移動の手伝いをしているからだ。
「その格好、サッカーをしているのかい? そろそろ部活の時間じゃないのかい」
「まー大丈夫です。買い出ししてるとは伝えているので」
 と言っても、サッカー部の顧問は少しうるさいので、ネチネチと言ってくるかもしれない。マネージャーの為と言っても、だったら一年にやらせろと返される光景が目に浮かぶ。
(今日はサッカーの熱がないんだよなぁ。買い出しにかこつけて少しの時間だけサボろうとしていた気は、なくはない)
 今すぐ猛ダッシュで向かえば、間に合うかもしれないが、この暑い気温の中で無駄な全力ダッシュは避けたい。それよりも、暑い中でおばあさんがバテてしまう方が心配だ。聞けば家が高校の近くなので、それほどタイムラグも発生しないだろう。
「それにしても、あなた、車椅子の操作が上手いねぇ」
「え?」
 唐突に褒められて、仁志は反応できずにいる。おばあさんは前を向いたまま、仁志を褒めちぎった。
「小さな段差とか窪みに気をつけて、車椅子を押してくれているでしょう。歩くときは気にならないような高さでも、座っているとけっこう辛いものなのよねぇ。すごく助かるわ。以前にそういうことを教わっていたのかしら?」
「ああ、一応、俺自身も車椅子に乗っていた時期がありましたから」
「でも、それだと押して歩くときの勝手はわからないんじゃないの?」
 おばあさんに指摘されて、確かにそうだ、と仁志は納得した。仁志は今まで、車椅子を押したという経験は無い。だが、まるで何年も触ったことがあるかのように、仁志は車椅子を自在に操っている感覚があった。サッカーでボールを足下にキープするよりも、無意識に出来ている。
「えーと、どうしてだろう。……もしかして、ものすごくセンスがあるのでは」
「あらやだ、だったらすごいわね」
 おばあさんがそう言って笑うので、仁志も釣られて笑う。何だか引っかかる点があるが、少し時間が経てば、その違和感はどこかに行ってしまった。





 高校に戻って部室近くに来ると、女子マネージャーの一人が待ってくれていた。確か、一つ下の一年生だ。
「本当にありがとうございます。でも、練習時間に間に合わなくて、すみません」
「いいよいいよ。車椅子のおばあさんの手伝いをしたっていう、免罪符を持っているから」
 自慢げにそう言うと、マネージャーはわあっと明るい顔をした。その一挙一動が可愛いと、メンバーの中で話題になっている。
「あのですね。顧問の先生、職員会議でこっちに来るのが遅れるそうですよ」
「マジで? ラッキー! 今なら抜け出したのバレないじゃん」
 これで小言を言われる心配も無くなった。そう思うと、サッカーへの熱が少しだけ戻ってきたような感じがする。これなら、今日の練習に打ち込めるかな、と安心していた仁志だったが、
「あの、先生がいないついでに、少しだけお時間よろしいですか」
 マネージャーに呼び止められ、仁志は足を止める。振り返ると、マネージャーは間髪入れずに質問した。
「先輩って、彼女っていますか?」
 さっきまでうるさく響いていた蝉の声が、一瞬で消えた。一瞬だけ思考を停止したが、じわりと頭が働くようになり、それに合わせて蝉の声も戻ってきた。
「えっと、いないけど、それが……?」
 動揺は続いている。ここからの流れを、たった一つだけ考えてしまうあたり、仁志は大分夢見がちかもしれない。
 というか、マネージャーはただの会話をするように話しかけたが、それが皆の普通なのだろうか。
 そんな動揺を隠せない仁志の顔を見て、マネージャーはハッと何かに気がついた。
「あ、あのすみません、別に告白しようとかそういうのじゃないんですけど、そういう風に聞こえちゃいますよね」
 ズコー、と、新喜劇なら大げさに地面にダイブしていたところだ。流石に人前でやりたくないほどの羞恥心は持っているが、それぐらいの反応をしたい。違うとしても、これは一体どういうことか。
「ま、まあ、勘違いしかけた俺も俺なんだけど、むしろ告白じゃないこの導入って、何? めっちゃ気になる」
「すみません。実は友達が、『サッカー部の彼氏が欲しい』って言って聞かなくて、それで今フリーの部員の調査をお願いされてしまったので、質問を……」
 もう一度ずっこけたくなる。サッカー部ならば誰でもいいのか。もっとこう、イケメンとかの条件はつけないのだろうか。
「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって……」
 申し訳なさそうにするマネージャーだったが、どちらかというと彼女も巻き込まれた側だろう。ペコペコと頭を下げられるのも逆に申し訳なくなり、仁志は少しだけ協力することにした。
「えっと、良かったら、俺が今知っている、彼女がいる奴を教えてあげようか。それ以外の奴に質問すれば、かかる時間は減ると思うから」
「いいんですか? ありがとうございます!」
 再び大きく頭を下げるマネージャー。断れないタイプなのだろうか、苦労しているんだなあ、と仁志は少し哀れんだ。
 仁志が教える名前を、マネージャーがメモしていく。最後の名前をメモしてもらった後、ふと仁志は思い立って、追加でこう言った。
「あと、俺は別に彼女いるわけじゃないけど、フリーだとは教えないでおいてくれ」
「あ、はい。やっぱり見ず知らずの人に、急にアタックされても困りますよね」
「まあそれもあるけど……。単純に、誰に対しても、そういう関わり方はできないと思うんだ」
「えっと、好きな人でもいるんですか?」
 別にそういうわけではない。仁志はそう言いたかったが、何故か口にしなかった。
 仁志が好きになるとすれば、それは仁志の考える、運命の人などという小っ恥ずかしい名前の対象となるだろう。そういう風に心から思えた人物は、今までの記憶上でどこにも思い当たらない。
 だが、全く顔が浮かんでいないのに、「運命の人に会う」というタスクだけは、もう終わっている気がしてならなかった。
「えっとね、ちょっとわかんないけど、もしかしたら……」
 とりあえず何か返答しないと、と思っていたが、口から発せられる言葉はどれも曖昧で、歯切れが悪い。マネージャーはそんな仁志の様子を不思議そうに見ていたが、フッと笑って、慌てる仁志を遮って喋る。
「もし、そういう相手がいるなら、きっと結ばれますよ。先輩は優しいですし」
「そう? それはありがたいけど、結ばれたいのなら他にも何か好かれる要因が欲しいかな……」
 そう言って返答が返るか伺っていたが、マネージャーはちょっと困った顔で笑っただけだった。駄目じゃねぇか、と仁志は心の中で肩を落とす。
「変なこと聞いてすまん。それじゃ、これで良かったら俺は一旦部室に戻るわ」
「はい。お時間を取らせてしまってごめんなさい」
「いーよいーよ。じゃ」
 いい子だなぁ、と思いつつ、仁志は部室に向かう。いい子だけれど、仁志に好意は持っていないだろうし、仁志も今のところ、知り合い相手に好意を向けることはない。
 それでも、さっきの自分の気がかりが、どうしても気になって仕方が無かった。





(何か、今日は様子がおかしいよな、俺の)
 部室で水分補給しつつ、今日の自分の行動を振り返る仁志。
 今日の出来事は、一般的には普通に分類されるようなことで、特に特別なことは何も起きていない。それでも、その節々で、自信の中で違和感を感じ取っていた。
(何かそういう記憶があるわけでもないのに、その上で何かを覚えている気がする。身体の記憶って感じか)
 記憶は、頭の中で覚えている出来事だけを指すのではない。例えば、歩いたり走ったり、食べ方、飲み方等といった、意識しなくても身体が勝手に動くような、そういうことも、記憶の一種だという。どこかの本で読んだ。仁志の感じている違和感は、そのようなものに近い。
(覚えていない範囲で、何か経験しているのか? でもどこで、まさか、夢の中か?)
 憶測でものを語ることは良くないが、今の仁志は理由を欲していた。何か理論づけられないと、どうしようもなく不安になる。
 そんなタイミングで、仁志はある音を感じ取った。
(誰かのスマホが、鳴っている?)
 部室には部員の荷物が置かれている。防犯管理がなっていないが、雰囲気でその状況が放置されているケースはままある。実際に今のところ、盗難の被害はないのだから、放置されても不思議ではない。
 誰のスマホが鳴っているかは知らないが、とりあえず自分のスマホでなければ、無視してもいいだろう。そう思った仁志は、自分のスマホを確認したが、
(俺のじゃねぇか)
 バイブレーションの音を発していたのは、仁志のスマホだった。仁志のスマホは常にマナーモードなので、僅かな音に気づけたのはラッキーだったか。
 しかし、画面に表示されている電話番号は、十一文字の数字の羅列で、知らない人からの連絡だった。心当たりはないが、念のためということもあり、仁志は一度、その電話に出ることとする。
「もしもし?」
 相手の電話口から、人の声が聞こえる。その様子から、相手は外に出ているとわかった。もし何かの勧誘だったりすれば、基本屋内にいるはずなので、これは別に勧誘じゃないのかな、と考える。
 しかし、そうであるならば何者か。電話帳に登録していない、仁志の知人だろうか。短時間で色々と思考を重ねる仁志だったが、相手の一言でその思考が一気に吹っ飛んだ。

「でたか、仁志。郁だ。お前今どこにいる」

 何か、強い衝撃を頭の中で感じた。しかしそれが何なのか、よくわからない。というか、相手の声や名前も、心当たりがない。
「あの、どちら様ですか?」
 思わずそう言ったが、その後五秒間、相手の返答がなかった。何か変なことでも言ったのだろうか、と緊張していると、電話口からため息が漏れ出してきた。
「お前もか。全部忘れて、何も覚えていないのか」
「えっと、何のことだか、」
「私の名前は天王寺郁。芦々家所属。……って、私の名前じゃあ思い出すわけもねぇな。じゃあこれでどうだ。

 有中仁美。この名前、聞き覚えがないとは言わせないぞ」

 また一つ、強い衝撃。今度は先程の比にならないほど強く、一瞬だけ目眩がするほどだった。
 ありなか、ひとみ。有中仁美。何故だろうか。文字に起こしてもいないのに、漢字の変換がするりと出来てしまう。当然、その名前に聞き覚えはないし、顔も浮かばない。
 思い出したのは、何の関係もない、自分が以前に発した言葉。

「俺は、お前を、絶対に助ける。その手段がいかに卑劣で、お前に嫌われようと、俺の側から離れるようなことでも、何が何でも助け出す。だから、頑張って耐えてくれ」

 いや、この言葉は、本当に言った覚えがあるのか。このセリフを口にしたことを覚えていないということを、覚えている。
 何が何だかわからない仁志だったが、返答がなかったからか、電話口から郁と名乗る女性が、強い口調で突き放す。
「全く、もういい。仁美の隣に、本当に私が立ってやる。そこで指くわえてぼーっとしてろ。って、記憶が無いんならわかんねぇか。この電話は、変な厄介ごとに巻き込まれたと思って忘れろ。それじゃ、」
「待って」
 何もわからない。わからないけれど、待って欲しかった。郁は再び大きくため息を吐き、待ってくれていた。
 そうだ、頭の中では何もわかっていないけれど、身体は何かをしたがっている。記憶にないけれど、すべきことをしようとしている。ならば、今はごちゃごちゃと考えずに、身体が思うように動かせばいいのではないか。
「その、仁美さんのことは、わからないです。わからないけれど、何かするべきなんです。俺自身が。
 お願いです。その仁美さんについて、教えてもらえないでしょうか」
 自分でも何を言ってんだと思うが、自分の身体がそう言うのだ。今更文句は言わない。ただ、これで相手が素直に教えてくれるだろうか。
 再び、静寂の時間があった。どうなる、と仁志が緊張している中、三度、口から息を吐く音が聞こえた。
 これは、フッと笑った吐息だ。相手の姿が見えていないのに、仁志はそう確信する。
「お前のことが大好きで、お前も大好きな、とんでもないエゴの持ち主だ」
 郁の答えはこうだった。理解できずに困惑していると、郁は続けて仁志に指示を出す。
「今から急いで、渋谷に向かえ。スクランブル交差点ぐらいわかるだろ、調べりゃ出てくるし。そこの信号についたら、またこの番号に電話しな」
 郁との電話は、それで終いだった。不通音を聞きながら、仁志はゆっくりと頭を下げ、その場に座り込む。
 部活は、などと考えている余裕はない。サボろう、と瞬時に決心した。

 自分が知らない人物を知るために、全てを投げ出しても良い。全く理由付けが出来ないが、仁志の思考はただ、そのことだけで埋め尽くされていた。
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