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第四章・言霊
言霊・第八話
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秋雨家の二人が現着する頃には、事態は収拾していた。着いたばかりだが、霖太郎の父親には車を持ってきてもらうように郁が指示をし、この場には仁美と仁志、霖太郎、郁、そして曲留美が残った。
そして、なおも仁美の身体に居続けている曲留美に、郁は質問をする。
「仁美の身体に魂を戻すことはできるか」
「私は身体から簡単に抜け出せますが、仁美さんの魂が防護壁の内側に入るかどうか……」
「それは心配ない。魂と身体は癒着しているから、自身の身体の中に入るのは容易だ。パスワードを把握しているようなものだ」
生霊や幽体離脱の後、自身の身体に無事に戻れるのも、それが理由である。郁の説明で安心した曲留美は、仁美の魂を連れて身体を明け渡した。
身体を取り戻した仁美だったが、すぐに崩れ落ちるように倒れ込む。仁志がすぐに身体を支え、状態を確認すると、呼吸や鼓動はしっかりと感じられる。汗をかいているので良くはない状態だが、代謝もちゃんと働いていそうだった。
「それで、お前は火鈴曲留美という、厄災とは関係の無い存在だと言うが……。辛うじて、存在を確認できる、といった形だな」
「俺には見えないです」
郁と霖太郎は確認できて、仁志は確認できない。恐らく仁美にも見えないのだろう。
「えっと、厄災が消えたときに、弾けるように私が外に出されて、でも何にも干渉できず、何にも干渉されない状態で、今まで誰にも気づかれることはなく。……ただ、今回仁美さんの身体を借りたとき、少しずつ身体が現実に現れているような、そんな感覚があったんです」
「現実の身体を借りたことで、現実に引き戻された、ということか……?」
前例のない現象に、郁たちは答えを出せずにいた。ひとまず、わかることから整理することにする。
「曲留美とやらからは、厄災を感じ取れるが、厄災そのものの感覚はない。……自分で言いつつ謎だな。つまりだ、生産者表示で厄災はあるが、本質は別物という感じなんだが、わかるか」
「ええと、何となくわかるような……?」
「詳しい言語化を模索する必要があるな。とりあえず、こいつは無害だ。何なら仁美の中に割り込んで厄災の支配を防いでいるから、味方とも取れるんだが、実際のところどうなんだ」
郁に聞かれ、曲留美は緊張しながら答える。基本的に霖太郎の周りをうろついていたので、郁に対する恐ろしさを多少持っているようだ。
「私は、厄災が演じようとした『火鈴曲留美』なんだと思います。つまり、企みは無くて、ただ純粋に言葉とか、陰陽師とかについて知りたがる好奇心旺盛な人。ただ、」
曲留美は申し訳なさそうに霖太郎を見た。その理由を、霖太郎は既に察している。
「霖太郎くんに対して恋愛感情を持つ、っていう演技をしていたはずですけど、今の私は正直、これが本当に恋愛感情なのかな、って疑問に思っていて……」
「まあ、厄災は恋愛なんて一ミリも知らなそうだからな。表面上の演技は出来ていても、本質的には何もわかっていない、ってことかもしれないが……」
郁も一応、霖太郎にどう配慮しようかと考えている。霖太郎は曲留美に恋をして、そして恋する相手が宿敵の厄災だと知って、その上で好きだった相手を退治した。おおよそ男子高校生が経験するはずの無い失恋劇を、霖太郎は直面していたのだ。
「いえ、大丈夫です。むしろ安心しました」
郁たちは気を遣っていたのだが、霖太郎の返答はむしろあっさりしていた。
「冷静に考えれば、僕が好かれる要素なんてなかったんです。ただ単に、僕の珍しい職業が気になって関わっていただけで、まあ演技だったんですけど、それだけで誰かを好きになる要因にはなり得ないって、わかっています。でもあの時は僕は浮かれていて、まんまと嵌められていましたので、偉そうなことは言えないですけど。
なので、今ここでも僕のことが好きって言われたら、混乱してしまうところでした。でも違うって言ってくださったので、僕の認識の通りだってわかったので、それで安心を」
霖太郎の言い方は淀みなく、しばらくの間考えていたことを発表するようだった。何かを我慢して言っている様子ではない。
だが、平気そうな素振りを見せる霖太郎に気が緩んだのか、郁が容赦ない一言を浴びせてしまった。
「なんか、あれだな。失恋した奴が原因を冷静に分析して発表するのって、気持ち悪いな」
「ちょっ、待ってください。どうしてそんなこと言うんです?」
「まぁ、霖太郎も傷ついていないようだから、特に気にしなくてもいいな」
「傷つきましたけど? あなたの一言で心がザックザクなんですけど?」
霖太郎も、郁との行動に大分慣れてきたらしい。少し前までは怯えてろくに意見も出せなかったが、こうして食いかかることまで出来るようになっていた。
やいのやいのと騒ぐ霖太郎を無視し、郁は引き続き曲留美に質問する。
「それで、まだ成仏出来ていない原因に心当たりはあるのか」
「え?」
「本体である厄災は既に消えた。なら、その厄災が作り出したお前も、消えて然るべきなんだが、謎の理由でまだこの世に残り続けている。でも、お前の意志で好きに成仏出来るはずだ。もし出来ないのなら、それは何か未練が残っているからだ」
厄災の複雑な例があったとしても、この点に対しては共通であるはずだ。まだこの世に残り続けている霊は、ただ無意味に存在しているわけではない。それぞれが何かしらの未練や願望、悪霊ならば恨みがある。
そのことを指摘された曲留美は、少し考えた様子で、ゆっくりと説明した。
「実は、私にもよくわかりません。多分、成仏したかったらすぐにでも出来ると思います。ですが、まだここに残ってやるべきことがあるような、そんな感覚があるんです。
確信はないですが、私は、それは『仁志さんと仁美さんの行く末を見届ける』ってことなんじゃないか、って考えてます。今まさに厄災の影響を受けていて、それは私には関係ないけれど、関わりがある以上責任を感じている、というか。無事に幸せになるのを確認できれば、成仏するんじゃないかな、と思います。あくまで、想像でしかないのですが……」
「まあ、言わんとすることはわかるし、共感できるが、自信が無いとなると判断に困るな。じゃあ、曲留美の成仏を芦々家の仕事として指定し、成仏できない原因を探るところから始める。担当は霖太郎で」
「えっ」
突然の指示に戸惑う霖太郎。その反応に、郁が眉をひそめた。
「なんだ、不満か? 今のところ、曲留美に対しての知識が一番あるのはお前だろう。それともなんだ、平気なふりして実はまだ意識してんのか」
「いや、そんなんじゃないですけど、こういう仕事を振られるのは初めてというか、」
「初めてでも仕事を受けなきゃ一生成長できないぞ。大人しく受けろ」
いくら気持ちの整理がとっくに済んでいるとはいえ、好意を持って、退治したことのある相手と再び関わるのは、それはそれで変な感覚だ。郁はわざと霖太郎に采配したのか、それとも説明したとおり効率を考えてのことなのか。どちらにしても、今の状況では霖太郎は仕事を受ける他無い。目の前にいるのは、芦々家の当主なのだから。
「は、はい。かしこまりました。……曲留美さん、変な感覚ですが、仕事上ですので、よろしくお願いします」
「ふふ、よろしく」
初対面でもしなさそうな、霖太郎のぎこちない対応を見て、郁はため息を吐く。ちょうどその時、霖太郎の父親が車を運転して現れた。曲留美の件は一度置いておき、仁美の対応に急ぐ。
「一度、お前の家に戻り寝かせろ。警察に報告すれば、病院に連れられるだろうが、その間も休ませないとまずい。一度魂を出された影響で確実に弱っている。今日を持ちこたえられるかが大事だ、絶対に目を離すな」
一時間ほど前に、後悔は散々した。もう二度と同じ轍は踏まない。郁の指示に、仁志は真剣な顔つきで承諾した。
その後、仁志と仁美は置弓家に送り届けたが、郁は一度芦々家に戻ると言い出す。本当は警護をしてくれると心強いのだが、郁は深刻な目をしたまま謝り、断った。
「絶対に、解決法を見つけ出さなければならない。もう少し待っていろ」
数日前、どうにか解決する術は無いのかと頭を捻った結果、知恵熱が出たことがある。しかし今日ばかりは、インフルエンザ並の熱を出してまで考え出す必要がある。
(絶対に、見つけなければ。私の二の舞を防がないと、二人の運命どころか、私までおかしくなりそうだ。もう、そういう使命じみた段階まで、この問題は来ている)
霖太郎も、浮かない表情のままだったが、車に乗って去って行った。車が夜の闇に溶け込み、身の回りには仁美以外の人物がいなくなった状況を感じながら、仁志は家に帰宅した。
急に消えたことで両親を心配させてしまった。既にスマホには画面を埋め尽くすほどの通知が来ている。本来なら無断で家を出たことを真剣に謝るところだが、仁志は少しでも、仁美から目を離したくなかった。簡単な謝罪と仁美が見つかったことを送信し、スマホをポケットにねじ込む。
絞ったタオルを用意して仁美の部屋に入ると、仁美が少しだけ頭を動かし、仁志の姿を見ていた。
「あなた」
「ああ。俺はここにいるぞ」
汗が酷いので、身体を拭かなければならない。仁美の肌に触れるとなると、本来ならドキドキしたりと様々なフラグが立ちそうなものだが、そんなことを少しでも考えられる余裕など無かった。奥歯を噛み締めて、顔の表情を一生懸命固定しながら、仁志は淡々と仁美の身体を拭く。
「ふふ。実はね、車から降りたときから、ちょっとだけ、起きてたんだ」
「あんまり喋るな。寝ることだけ集中してくれ」
「それでね、私思ったの。昔は、私が、あなたをおぶって助けていたけど、今は完全に、逆になっちゃったなぁ、って」
昔とは、仁美の両親を騙った宇宙人二人組が、仁志のエネルギーを狙っていたときの話だ。仁志もそのことを思い出して、身体を拭く手が止まる。
「あの時は、わざと私が連れ戻すことで、お義父さんとお義母さんに、疑ってほしいな、って思ってたんだけど、今思うと、別の理由も、あるような気がしたんだ。
あなたが、私から離れたところにいるのが嫌で、ずっと一緒にいたくて、それで連れ戻したんじゃないのかな、って」
まずい。目から涙が滲み出る。今、目の前で泣かれたら、仁美はどう思うか。もうここまでかな、などと考えてしまうのではないか。
泣いてはいけない。そう決心する心とは裏腹に、仁志の目からは大粒の雫が流れ出る。すぐに手に持ったタオルで目を拭うが、拭った先から新たに涙が湧き出てしまう。
「ふふ、あの時も、あなたは泣いてたよね。でも私は、あなたからの言葉が嬉しくて、泣くことなんて、微塵も考えてなかった」
今度は、仁美が下半身不随になって、初めて家の中で話し合った、井戸端会議をしていた時の話だ。あの時も、不遇な目に遭っていたのは仁美で、仁志が泣いていた。
「でも、なんでだろう。今日はね、私も、泣くことを考えちゃった」
はっとして、仁志は仁美の顔を見た。仰向けになった仁美は目だけを仁志に向けたまま、顔の横を伝って涙を流していた。
厄災の嫌疑をかけられて以来、二度目の涙だ。今まで泣いた様子を見ていなかったというのに、ここに来て短期間で、仁美は二度も泣いている。
「……泣いてない」
「え」
仁志の口から出た言葉に、仁美が聞き返そうとするが、その前に目にタオルを押し当てられてしまう。仁美の涙を拭いながら、仁志は腕で自分の涙を拭った。
「まだ、俺らは泣いてない。悲しいときに出す涙は、あの時に俺が全部出した。次に俺らが泣くときは、うれし泣きだ。受験とか、就職とか、……結婚の時に」
仁美の喉の奥から、少し変な音がした。タオルをどけると、泣くことを忘れ、こちらを見つめる目があった。
「なあ、お前は俺から離れたくないって言ったけど、俺も同じだ。だから今日、お前と離れたのはすごく辛かった。もう二度と離れないって、誓ってくれるか」
「え、でも、今回は私、悪くない」
「悪くない。お前は微塵も悪くない。でも俺は傷ついた。だから誓ってくれ。俺も、誓うから」
理不尽な主張に戸惑いつつも、それでも仁志の言葉を受け止めて、心の奥底で反芻して、仁美の表情が和らいだ。驚きの目から、まるで愛おしいものを見るかのような目に変化させ、仁美は仁志の手を握り、答える。
「はい。誓います」
そして、瞬きをした時に、溢れ出るように涙を流した。
「おい、だから泣くなって」
「いいでしょ、だってこれは、うれし泣きなんだから」
再びタオルで拭おうとした仁志の反対の手を取り、引っ張って引き寄せる。ピントがぼやける程、二人の顔が近づいた状態で、仁美は今にも消え入りそうな声量で、ただ一言を口にした。
ねぇあなた、愛してる。
バッと、仁志は飛び起きた。授業中に居眠りをしていたことに気づき、一気に目が覚める感覚だ。
だが、ここは自分の部屋だ。時計を見ると、セットしたアラームが鳴るちょうど一分前だ。たかが一分の違いだが、ものすごく損をした気分になるのは、きっと他の人も同じだ。
ともかく、起きなければと身体を動かす仁志だったが、そこで違和感に気づく。
何故、ベットに寝転ばずに、頭だけを乗せたうつ伏せの状態で寝ていたのか。
頭が混乱している中、さらに違和感が襲いかかる。ベットは布団が畳まれたままで、誰かが寝転がったり座ったりした形跡はない。親がしてくれたのだろうが、仁志は学校から帰宅すると椅子ではなくベットに座る。
そして、起き上がるときに仁志の肘に当たった、広げたままの車椅子。
状況を整理したいが、寝起きの状態で上手く頭が回らない。しかしきっかけを掴めれば、霧が晴れるように頭の中が鮮明になるものだった。
そうだ。この車椅子は一年前、部活で両足を怪我したときに、両親が買ってくれたものだった。
変な姿勢で寝ていたのも、一度も座った痕跡がないのも、昨日の部活でヘトヘトになって、帰ってすぐ晩ご飯を食べ、リビングでぼーっとし、風呂に入った後に勉強もせずに寝たからだ。今日は宿題はないので、そういう意味でも安心する。
しかし、車椅子が広げられたままで、この位置にあるのは何故だろうか。
冴えた頭でもわからないことに、仁志は悩み始めるが、ちょうどその時に目覚ましがけたたましく鳴り響いた。慌てて止めるとすぐに、リビングから母親が呼ぶ声が聞こえる。
わかってるよ、と声を張って返事をしつつ、仁志は立ち上がり、車椅子を畳んで部屋の隅に置いた後、あくびをしながらリビングに向かった。
そして、なおも仁美の身体に居続けている曲留美に、郁は質問をする。
「仁美の身体に魂を戻すことはできるか」
「私は身体から簡単に抜け出せますが、仁美さんの魂が防護壁の内側に入るかどうか……」
「それは心配ない。魂と身体は癒着しているから、自身の身体の中に入るのは容易だ。パスワードを把握しているようなものだ」
生霊や幽体離脱の後、自身の身体に無事に戻れるのも、それが理由である。郁の説明で安心した曲留美は、仁美の魂を連れて身体を明け渡した。
身体を取り戻した仁美だったが、すぐに崩れ落ちるように倒れ込む。仁志がすぐに身体を支え、状態を確認すると、呼吸や鼓動はしっかりと感じられる。汗をかいているので良くはない状態だが、代謝もちゃんと働いていそうだった。
「それで、お前は火鈴曲留美という、厄災とは関係の無い存在だと言うが……。辛うじて、存在を確認できる、といった形だな」
「俺には見えないです」
郁と霖太郎は確認できて、仁志は確認できない。恐らく仁美にも見えないのだろう。
「えっと、厄災が消えたときに、弾けるように私が外に出されて、でも何にも干渉できず、何にも干渉されない状態で、今まで誰にも気づかれることはなく。……ただ、今回仁美さんの身体を借りたとき、少しずつ身体が現実に現れているような、そんな感覚があったんです」
「現実の身体を借りたことで、現実に引き戻された、ということか……?」
前例のない現象に、郁たちは答えを出せずにいた。ひとまず、わかることから整理することにする。
「曲留美とやらからは、厄災を感じ取れるが、厄災そのものの感覚はない。……自分で言いつつ謎だな。つまりだ、生産者表示で厄災はあるが、本質は別物という感じなんだが、わかるか」
「ええと、何となくわかるような……?」
「詳しい言語化を模索する必要があるな。とりあえず、こいつは無害だ。何なら仁美の中に割り込んで厄災の支配を防いでいるから、味方とも取れるんだが、実際のところどうなんだ」
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「私は、厄災が演じようとした『火鈴曲留美』なんだと思います。つまり、企みは無くて、ただ純粋に言葉とか、陰陽師とかについて知りたがる好奇心旺盛な人。ただ、」
曲留美は申し訳なさそうに霖太郎を見た。その理由を、霖太郎は既に察している。
「霖太郎くんに対して恋愛感情を持つ、っていう演技をしていたはずですけど、今の私は正直、これが本当に恋愛感情なのかな、って疑問に思っていて……」
「まあ、厄災は恋愛なんて一ミリも知らなそうだからな。表面上の演技は出来ていても、本質的には何もわかっていない、ってことかもしれないが……」
郁も一応、霖太郎にどう配慮しようかと考えている。霖太郎は曲留美に恋をして、そして恋する相手が宿敵の厄災だと知って、その上で好きだった相手を退治した。おおよそ男子高校生が経験するはずの無い失恋劇を、霖太郎は直面していたのだ。
「いえ、大丈夫です。むしろ安心しました」
郁たちは気を遣っていたのだが、霖太郎の返答はむしろあっさりしていた。
「冷静に考えれば、僕が好かれる要素なんてなかったんです。ただ単に、僕の珍しい職業が気になって関わっていただけで、まあ演技だったんですけど、それだけで誰かを好きになる要因にはなり得ないって、わかっています。でもあの時は僕は浮かれていて、まんまと嵌められていましたので、偉そうなことは言えないですけど。
なので、今ここでも僕のことが好きって言われたら、混乱してしまうところでした。でも違うって言ってくださったので、僕の認識の通りだってわかったので、それで安心を」
霖太郎の言い方は淀みなく、しばらくの間考えていたことを発表するようだった。何かを我慢して言っている様子ではない。
だが、平気そうな素振りを見せる霖太郎に気が緩んだのか、郁が容赦ない一言を浴びせてしまった。
「なんか、あれだな。失恋した奴が原因を冷静に分析して発表するのって、気持ち悪いな」
「ちょっ、待ってください。どうしてそんなこと言うんです?」
「まぁ、霖太郎も傷ついていないようだから、特に気にしなくてもいいな」
「傷つきましたけど? あなたの一言で心がザックザクなんですけど?」
霖太郎も、郁との行動に大分慣れてきたらしい。少し前までは怯えてろくに意見も出せなかったが、こうして食いかかることまで出来るようになっていた。
やいのやいのと騒ぐ霖太郎を無視し、郁は引き続き曲留美に質問する。
「それで、まだ成仏出来ていない原因に心当たりはあるのか」
「え?」
「本体である厄災は既に消えた。なら、その厄災が作り出したお前も、消えて然るべきなんだが、謎の理由でまだこの世に残り続けている。でも、お前の意志で好きに成仏出来るはずだ。もし出来ないのなら、それは何か未練が残っているからだ」
厄災の複雑な例があったとしても、この点に対しては共通であるはずだ。まだこの世に残り続けている霊は、ただ無意味に存在しているわけではない。それぞれが何かしらの未練や願望、悪霊ならば恨みがある。
そのことを指摘された曲留美は、少し考えた様子で、ゆっくりと説明した。
「実は、私にもよくわかりません。多分、成仏したかったらすぐにでも出来ると思います。ですが、まだここに残ってやるべきことがあるような、そんな感覚があるんです。
確信はないですが、私は、それは『仁志さんと仁美さんの行く末を見届ける』ってことなんじゃないか、って考えてます。今まさに厄災の影響を受けていて、それは私には関係ないけれど、関わりがある以上責任を感じている、というか。無事に幸せになるのを確認できれば、成仏するんじゃないかな、と思います。あくまで、想像でしかないのですが……」
「まあ、言わんとすることはわかるし、共感できるが、自信が無いとなると判断に困るな。じゃあ、曲留美の成仏を芦々家の仕事として指定し、成仏できない原因を探るところから始める。担当は霖太郎で」
「えっ」
突然の指示に戸惑う霖太郎。その反応に、郁が眉をひそめた。
「なんだ、不満か? 今のところ、曲留美に対しての知識が一番あるのはお前だろう。それともなんだ、平気なふりして実はまだ意識してんのか」
「いや、そんなんじゃないですけど、こういう仕事を振られるのは初めてというか、」
「初めてでも仕事を受けなきゃ一生成長できないぞ。大人しく受けろ」
いくら気持ちの整理がとっくに済んでいるとはいえ、好意を持って、退治したことのある相手と再び関わるのは、それはそれで変な感覚だ。郁はわざと霖太郎に采配したのか、それとも説明したとおり効率を考えてのことなのか。どちらにしても、今の状況では霖太郎は仕事を受ける他無い。目の前にいるのは、芦々家の当主なのだから。
「は、はい。かしこまりました。……曲留美さん、変な感覚ですが、仕事上ですので、よろしくお願いします」
「ふふ、よろしく」
初対面でもしなさそうな、霖太郎のぎこちない対応を見て、郁はため息を吐く。ちょうどその時、霖太郎の父親が車を運転して現れた。曲留美の件は一度置いておき、仁美の対応に急ぐ。
「一度、お前の家に戻り寝かせろ。警察に報告すれば、病院に連れられるだろうが、その間も休ませないとまずい。一度魂を出された影響で確実に弱っている。今日を持ちこたえられるかが大事だ、絶対に目を離すな」
一時間ほど前に、後悔は散々した。もう二度と同じ轍は踏まない。郁の指示に、仁志は真剣な顔つきで承諾した。
その後、仁志と仁美は置弓家に送り届けたが、郁は一度芦々家に戻ると言い出す。本当は警護をしてくれると心強いのだが、郁は深刻な目をしたまま謝り、断った。
「絶対に、解決法を見つけ出さなければならない。もう少し待っていろ」
数日前、どうにか解決する術は無いのかと頭を捻った結果、知恵熱が出たことがある。しかし今日ばかりは、インフルエンザ並の熱を出してまで考え出す必要がある。
(絶対に、見つけなければ。私の二の舞を防がないと、二人の運命どころか、私までおかしくなりそうだ。もう、そういう使命じみた段階まで、この問題は来ている)
霖太郎も、浮かない表情のままだったが、車に乗って去って行った。車が夜の闇に溶け込み、身の回りには仁美以外の人物がいなくなった状況を感じながら、仁志は家に帰宅した。
急に消えたことで両親を心配させてしまった。既にスマホには画面を埋め尽くすほどの通知が来ている。本来なら無断で家を出たことを真剣に謝るところだが、仁志は少しでも、仁美から目を離したくなかった。簡単な謝罪と仁美が見つかったことを送信し、スマホをポケットにねじ込む。
絞ったタオルを用意して仁美の部屋に入ると、仁美が少しだけ頭を動かし、仁志の姿を見ていた。
「あなた」
「ああ。俺はここにいるぞ」
汗が酷いので、身体を拭かなければならない。仁美の肌に触れるとなると、本来ならドキドキしたりと様々なフラグが立ちそうなものだが、そんなことを少しでも考えられる余裕など無かった。奥歯を噛み締めて、顔の表情を一生懸命固定しながら、仁志は淡々と仁美の身体を拭く。
「ふふ。実はね、車から降りたときから、ちょっとだけ、起きてたんだ」
「あんまり喋るな。寝ることだけ集中してくれ」
「それでね、私思ったの。昔は、私が、あなたをおぶって助けていたけど、今は完全に、逆になっちゃったなぁ、って」
昔とは、仁美の両親を騙った宇宙人二人組が、仁志のエネルギーを狙っていたときの話だ。仁志もそのことを思い出して、身体を拭く手が止まる。
「あの時は、わざと私が連れ戻すことで、お義父さんとお義母さんに、疑ってほしいな、って思ってたんだけど、今思うと、別の理由も、あるような気がしたんだ。
あなたが、私から離れたところにいるのが嫌で、ずっと一緒にいたくて、それで連れ戻したんじゃないのかな、って」
まずい。目から涙が滲み出る。今、目の前で泣かれたら、仁美はどう思うか。もうここまでかな、などと考えてしまうのではないか。
泣いてはいけない。そう決心する心とは裏腹に、仁志の目からは大粒の雫が流れ出る。すぐに手に持ったタオルで目を拭うが、拭った先から新たに涙が湧き出てしまう。
「ふふ、あの時も、あなたは泣いてたよね。でも私は、あなたからの言葉が嬉しくて、泣くことなんて、微塵も考えてなかった」
今度は、仁美が下半身不随になって、初めて家の中で話し合った、井戸端会議をしていた時の話だ。あの時も、不遇な目に遭っていたのは仁美で、仁志が泣いていた。
「でも、なんでだろう。今日はね、私も、泣くことを考えちゃった」
はっとして、仁志は仁美の顔を見た。仰向けになった仁美は目だけを仁志に向けたまま、顔の横を伝って涙を流していた。
厄災の嫌疑をかけられて以来、二度目の涙だ。今まで泣いた様子を見ていなかったというのに、ここに来て短期間で、仁美は二度も泣いている。
「……泣いてない」
「え」
仁志の口から出た言葉に、仁美が聞き返そうとするが、その前に目にタオルを押し当てられてしまう。仁美の涙を拭いながら、仁志は腕で自分の涙を拭った。
「まだ、俺らは泣いてない。悲しいときに出す涙は、あの時に俺が全部出した。次に俺らが泣くときは、うれし泣きだ。受験とか、就職とか、……結婚の時に」
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「え、でも、今回は私、悪くない」
「悪くない。お前は微塵も悪くない。でも俺は傷ついた。だから誓ってくれ。俺も、誓うから」
理不尽な主張に戸惑いつつも、それでも仁志の言葉を受け止めて、心の奥底で反芻して、仁美の表情が和らいだ。驚きの目から、まるで愛おしいものを見るかのような目に変化させ、仁美は仁志の手を握り、答える。
「はい。誓います」
そして、瞬きをした時に、溢れ出るように涙を流した。
「おい、だから泣くなって」
「いいでしょ、だってこれは、うれし泣きなんだから」
再びタオルで拭おうとした仁志の反対の手を取り、引っ張って引き寄せる。ピントがぼやける程、二人の顔が近づいた状態で、仁美は今にも消え入りそうな声量で、ただ一言を口にした。
ねぇあなた、愛してる。
バッと、仁志は飛び起きた。授業中に居眠りをしていたことに気づき、一気に目が覚める感覚だ。
だが、ここは自分の部屋だ。時計を見ると、セットしたアラームが鳴るちょうど一分前だ。たかが一分の違いだが、ものすごく損をした気分になるのは、きっと他の人も同じだ。
ともかく、起きなければと身体を動かす仁志だったが、そこで違和感に気づく。
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頭が混乱している中、さらに違和感が襲いかかる。ベットは布団が畳まれたままで、誰かが寝転がったり座ったりした形跡はない。親がしてくれたのだろうが、仁志は学校から帰宅すると椅子ではなくベットに座る。
そして、起き上がるときに仁志の肘に当たった、広げたままの車椅子。
状況を整理したいが、寝起きの状態で上手く頭が回らない。しかしきっかけを掴めれば、霧が晴れるように頭の中が鮮明になるものだった。
そうだ。この車椅子は一年前、部活で両足を怪我したときに、両親が買ってくれたものだった。
変な姿勢で寝ていたのも、一度も座った痕跡がないのも、昨日の部活でヘトヘトになって、帰ってすぐ晩ご飯を食べ、リビングでぼーっとし、風呂に入った後に勉強もせずに寝たからだ。今日は宿題はないので、そういう意味でも安心する。
しかし、車椅子が広げられたままで、この位置にあるのは何故だろうか。
冴えた頭でもわからないことに、仁志は悩み始めるが、ちょうどその時に目覚ましがけたたましく鳴り響いた。慌てて止めるとすぐに、リビングから母親が呼ぶ声が聞こえる。
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