井戸端会議所

ほたる

文字の大きさ
上 下
23 / 31
第四章・言霊

言霊・第八話

しおりを挟む
 秋雨家の二人が現着する頃には、事態は収拾していた。着いたばかりだが、霖太郎の父親には車を持ってきてもらうように郁が指示をし、この場には仁美と仁志、霖太郎、郁、そして曲留美が残った。
 そして、なおも仁美の身体に居続けている曲留美に、郁は質問をする。
「仁美の身体に魂を戻すことはできるか」
「私は身体から簡単に抜け出せますが、仁美さんの魂が防護壁の内側に入るかどうか……」
「それは心配ない。魂と身体は癒着しているから、自身の身体の中に入るのは容易だ。パスワードを把握しているようなものだ」
 生霊や幽体離脱の後、自身の身体に無事に戻れるのも、それが理由である。郁の説明で安心した曲留美は、仁美の魂を連れて身体を明け渡した。
 身体を取り戻した仁美だったが、すぐに崩れ落ちるように倒れ込む。仁志がすぐに身体を支え、状態を確認すると、呼吸や鼓動はしっかりと感じられる。汗をかいているので良くはない状態だが、代謝もちゃんと働いていそうだった。
「それで、お前は火鈴曲留美という、厄災とは関係の無い存在だと言うが……。辛うじて、存在を確認できる、といった形だな」
「俺には見えないです」
 郁と霖太郎は確認できて、仁志は確認できない。恐らく仁美にも見えないのだろう。
「えっと、厄災が消えたときに、弾けるように私が外に出されて、でも何にも干渉できず、何にも干渉されない状態で、今まで誰にも気づかれることはなく。……ただ、今回仁美さんの身体を借りたとき、少しずつ身体が現実に現れているような、そんな感覚があったんです」
「現実の身体を借りたことで、現実に引き戻された、ということか……?」
 前例のない現象に、郁たちは答えを出せずにいた。ひとまず、わかることから整理することにする。
「曲留美とやらからは、厄災を感じ取れるが、厄災そのものの感覚はない。……自分で言いつつ謎だな。つまりだ、生産者表示で厄災はあるが、本質は別物という感じなんだが、わかるか」
「ええと、何となくわかるような……?」
「詳しい言語化を模索する必要があるな。とりあえず、こいつは無害だ。何なら仁美の中に割り込んで厄災の支配を防いでいるから、味方とも取れるんだが、実際のところどうなんだ」
 郁に聞かれ、曲留美は緊張しながら答える。基本的に霖太郎の周りをうろついていたので、郁に対する恐ろしさを多少持っているようだ。
「私は、厄災が演じようとした『火鈴曲留美』なんだと思います。つまり、企みは無くて、ただ純粋に言葉とか、陰陽師とかについて知りたがる好奇心旺盛な人。ただ、」
 曲留美は申し訳なさそうに霖太郎を見た。その理由を、霖太郎は既に察している。
「霖太郎くんに対して恋愛感情を持つ、っていう演技をしていたはずですけど、今の私は正直、これが本当に恋愛感情なのかな、って疑問に思っていて……」
「まあ、厄災は恋愛なんて一ミリも知らなそうだからな。表面上の演技は出来ていても、本質的には何もわかっていない、ってことかもしれないが……」
 郁も一応、霖太郎にどう配慮しようかと考えている。霖太郎は曲留美に恋をして、そして恋する相手が宿敵の厄災だと知って、その上で好きだった相手を退治した。おおよそ男子高校生が経験するはずの無い失恋劇を、霖太郎は直面していたのだ。
「いえ、大丈夫です。むしろ安心しました」
 郁たちは気を遣っていたのだが、霖太郎の返答はむしろあっさりしていた。
「冷静に考えれば、僕が好かれる要素なんてなかったんです。ただ単に、僕の珍しい職業が気になって関わっていただけで、まあ演技だったんですけど、それだけで誰かを好きになる要因にはなり得ないって、わかっています。でもあの時は僕は浮かれていて、まんまと嵌められていましたので、偉そうなことは言えないですけど。
 なので、今ここでも僕のことが好きって言われたら、混乱してしまうところでした。でも違うって言ってくださったので、僕の認識の通りだってわかったので、それで安心を」
 霖太郎の言い方は淀みなく、しばらくの間考えていたことを発表するようだった。何かを我慢して言っている様子ではない。
 だが、平気そうな素振りを見せる霖太郎に気が緩んだのか、郁が容赦ない一言を浴びせてしまった。
「なんか、あれだな。失恋した奴が原因を冷静に分析して発表するのって、気持ち悪いな」
「ちょっ、待ってください。どうしてそんなこと言うんです?」
「まぁ、霖太郎も傷ついていないようだから、特に気にしなくてもいいな」
「傷つきましたけど? あなたの一言で心がザックザクなんですけど?」
 霖太郎も、郁との行動に大分慣れてきたらしい。少し前までは怯えてろくに意見も出せなかったが、こうして食いかかることまで出来るようになっていた。
 やいのやいのと騒ぐ霖太郎を無視し、郁は引き続き曲留美に質問する。
「それで、まだ成仏出来ていない原因に心当たりはあるのか」
「え?」
「本体である厄災は既に消えた。なら、その厄災が作り出したお前も、消えて然るべきなんだが、謎の理由でまだこの世に残り続けている。でも、お前の意志で好きに成仏出来るはずだ。もし出来ないのなら、それは何か未練が残っているからだ」
 厄災の複雑な例があったとしても、この点に対しては共通であるはずだ。まだこの世に残り続けている霊は、ただ無意味に存在しているわけではない。それぞれが何かしらの未練や願望、悪霊ならば恨みがある。
 そのことを指摘された曲留美は、少し考えた様子で、ゆっくりと説明した。
「実は、私にもよくわかりません。多分、成仏したかったらすぐにでも出来ると思います。ですが、まだここに残ってやるべきことがあるような、そんな感覚があるんです。
 確信はないですが、私は、それは『仁志さんと仁美さんの行く末を見届ける』ってことなんじゃないか、って考えてます。今まさに厄災の影響を受けていて、それは私には関係ないけれど、関わりがある以上責任を感じている、というか。無事に幸せになるのを確認できれば、成仏するんじゃないかな、と思います。あくまで、想像でしかないのですが……」
「まあ、言わんとすることはわかるし、共感できるが、自信が無いとなると判断に困るな。じゃあ、曲留美の成仏を芦々家の仕事として指定し、成仏できない原因を探るところから始める。担当は霖太郎で」
「えっ」
 突然の指示に戸惑う霖太郎。その反応に、郁が眉をひそめた。
「なんだ、不満か? 今のところ、曲留美に対しての知識が一番あるのはお前だろう。それともなんだ、平気なふりして実はまだ意識してんのか」
「いや、そんなんじゃないですけど、こういう仕事を振られるのは初めてというか、」
「初めてでも仕事を受けなきゃ一生成長できないぞ。大人しく受けろ」
 いくら気持ちの整理がとっくに済んでいるとはいえ、好意を持って、退治したことのある相手と再び関わるのは、それはそれで変な感覚だ。郁はわざと霖太郎に采配したのか、それとも説明したとおり効率を考えてのことなのか。どちらにしても、今の状況では霖太郎は仕事を受ける他無い。目の前にいるのは、芦々家の当主なのだから。
「は、はい。かしこまりました。……曲留美さん、変な感覚ですが、仕事上ですので、よろしくお願いします」
「ふふ、よろしく」
 初対面でもしなさそうな、霖太郎のぎこちない対応を見て、郁はため息を吐く。ちょうどその時、霖太郎の父親が車を運転して現れた。曲留美の件は一度置いておき、仁美の対応に急ぐ。
「一度、お前の家に戻り寝かせろ。警察に報告すれば、病院に連れられるだろうが、その間も休ませないとまずい。一度魂を出された影響で確実に弱っている。今日を持ちこたえられるかが大事だ、絶対に目を離すな」
 一時間ほど前に、後悔は散々した。もう二度と同じ轍は踏まない。郁の指示に、仁志は真剣な顔つきで承諾した。
 その後、仁志と仁美は置弓家に送り届けたが、郁は一度芦々家に戻ると言い出す。本当は警護をしてくれると心強いのだが、郁は深刻な目をしたまま謝り、断った。
「絶対に、解決法を見つけ出さなければならない。もう少し待っていろ」
 数日前、どうにか解決する術は無いのかと頭を捻った結果、知恵熱が出たことがある。しかし今日ばかりは、インフルエンザ並の熱を出してまで考え出す必要がある。
(絶対に、見つけなければ。私の二の舞を防がないと、二人の運命どころか、私までおかしくなりそうだ。もう、そういう使命じみた段階まで、この問題は来ている)
 霖太郎も、浮かない表情のままだったが、車に乗って去って行った。車が夜の闇に溶け込み、身の回りには仁美以外の人物がいなくなった状況を感じながら、仁志は家に帰宅した。





 急に消えたことで両親を心配させてしまった。既にスマホには画面を埋め尽くすほどの通知が来ている。本来なら無断で家を出たことを真剣に謝るところだが、仁志は少しでも、仁美から目を離したくなかった。簡単な謝罪と仁美が見つかったことを送信し、スマホをポケットにねじ込む。
 絞ったタオルを用意して仁美の部屋に入ると、仁美が少しだけ頭を動かし、仁志の姿を見ていた。
「あなた」
「ああ。俺はここにいるぞ」
 汗が酷いので、身体を拭かなければならない。仁美の肌に触れるとなると、本来ならドキドキしたりと様々なフラグが立ちそうなものだが、そんなことを少しでも考えられる余裕など無かった。奥歯を噛み締めて、顔の表情を一生懸命固定しながら、仁志は淡々と仁美の身体を拭く。
「ふふ。実はね、車から降りたときから、ちょっとだけ、起きてたんだ」
「あんまり喋るな。寝ることだけ集中してくれ」
「それでね、私思ったの。昔は、私が、あなたをおぶって助けていたけど、今は完全に、逆になっちゃったなぁ、って」
 昔とは、仁美の両親を騙った宇宙人二人組が、仁志のエネルギーを狙っていたときの話だ。仁志もそのことを思い出して、身体を拭く手が止まる。
「あの時は、わざと私が連れ戻すことで、お義父さんとお義母さんに、疑ってほしいな、って思ってたんだけど、今思うと、別の理由も、あるような気がしたんだ。
 あなたが、私から離れたところにいるのが嫌で、ずっと一緒にいたくて、それで連れ戻したんじゃないのかな、って」
 まずい。目から涙が滲み出る。今、目の前で泣かれたら、仁美はどう思うか。もうここまでかな、などと考えてしまうのではないか。
 泣いてはいけない。そう決心する心とは裏腹に、仁志の目からは大粒の雫が流れ出る。すぐに手に持ったタオルで目を拭うが、拭った先から新たに涙が湧き出てしまう。
「ふふ、あの時も、あなたは泣いてたよね。でも私は、あなたからの言葉が嬉しくて、泣くことなんて、微塵も考えてなかった」
 今度は、仁美が下半身不随になって、初めて家の中で話し合った、井戸端会議をしていた時の話だ。あの時も、不遇な目に遭っていたのは仁美で、仁志が泣いていた。
「でも、なんでだろう。今日はね、私も、泣くことを考えちゃった」
 はっとして、仁志は仁美の顔を見た。仰向けになった仁美は目だけを仁志に向けたまま、顔の横を伝って涙を流していた。
 厄災の嫌疑をかけられて以来、二度目の涙だ。今まで泣いた様子を見ていなかったというのに、ここに来て短期間で、仁美は二度も泣いている。
「……泣いてない」
「え」
 仁志の口から出た言葉に、仁美が聞き返そうとするが、その前に目にタオルを押し当てられてしまう。仁美の涙を拭いながら、仁志は腕で自分の涙を拭った。
「まだ、俺らは泣いてない。悲しいときに出す涙は、あの時に俺が全部出した。次に俺らが泣くときは、うれし泣きだ。受験とか、就職とか、……結婚の時に」
 仁美の喉の奥から、少し変な音がした。タオルをどけると、泣くことを忘れ、こちらを見つめる目があった。
「なあ、お前は俺から離れたくないって言ったけど、俺も同じだ。だから今日、お前と離れたのはすごく辛かった。もう二度と離れないって、誓ってくれるか」
「え、でも、今回は私、悪くない」
「悪くない。お前は微塵も悪くない。でも俺は傷ついた。だから誓ってくれ。俺も、誓うから」
 理不尽な主張に戸惑いつつも、それでも仁志の言葉を受け止めて、心の奥底で反芻して、仁美の表情が和らいだ。驚きの目から、まるで愛おしいものを見るかのような目に変化させ、仁美は仁志の手を握り、答える。
「はい。誓います」
 そして、瞬きをした時に、溢れ出るように涙を流した。
「おい、だから泣くなって」
「いいでしょ、だってこれは、うれし泣きなんだから」
 再びタオルで拭おうとした仁志の反対の手を取り、引っ張って引き寄せる。ピントがぼやける程、二人の顔が近づいた状態で、仁美は今にも消え入りそうな声量で、ただ一言を口にした。



 ねぇあなた、愛してる。





 バッと、仁志は飛び起きた。授業中に居眠りをしていたことに気づき、一気に目が覚める感覚だ。
 だが、ここは自分の部屋だ。時計を見ると、セットしたアラームが鳴るちょうど一分前だ。たかが一分の違いだが、ものすごく損をした気分になるのは、きっと他の人も同じだ。
 ともかく、起きなければと身体を動かす仁志だったが、そこで違和感に気づく。
 何故、ベットに寝転ばずに、頭だけを乗せたうつ伏せの状態で寝ていたのか。
 頭が混乱している中、さらに違和感が襲いかかる。ベットは布団が畳まれたままで、誰かが寝転がったり座ったりした形跡はない。親がしてくれたのだろうが、仁志は学校から帰宅すると椅子ではなくベットに座る。
 そして、起き上がるときに仁志の肘に当たった、広げたままの車椅子。
 状況を整理したいが、寝起きの状態で上手く頭が回らない。しかしきっかけを掴めれば、霧が晴れるように頭の中が鮮明になるものだった。

 そうだ。この車椅子は一年前、部活で両足を怪我したときに、両親が買ってくれたものだった。

 変な姿勢で寝ていたのも、一度も座った痕跡がないのも、昨日の部活でヘトヘトになって、帰ってすぐ晩ご飯を食べ、リビングでぼーっとし、風呂に入った後に勉強もせずに寝たからだ。今日は宿題はないので、そういう意味でも安心する。
 しかし、車椅子が広げられたままで、この位置にあるのは何故だろうか。
 冴えた頭でもわからないことに、仁志は悩み始めるが、ちょうどその時に目覚ましがけたたましく鳴り響いた。慌てて止めるとすぐに、リビングから母親が呼ぶ声が聞こえる。
 わかってるよ、と声を張って返事をしつつ、仁志は立ち上がり、車椅子を畳んで部屋の隅に置いた後、あくびをしながらリビングに向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

坊主女子:スポーツ女子短編集[短編集]

S.H.L
青春
野球部以外の部活の女の子が坊主にする話をまとめました

校長先生の話が長い、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。 学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。 とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。 寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ? なぜ女子だけが前列に集められるのか? そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。 新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。 あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

坊主女子:女子野球短編集【短編集】

S.H.L
青春
野球をやっている女の子が坊主になるストーリーを集めた短編集ですり

私たち、博麗学園おしがまクラブ(非公認)です! 〜特大膀胱JKたちのおしがま記録〜

赤髪命
青春
街のはずれ、最寄り駅からも少し離れたところにある私立高校、博麗学園。そのある新入生のクラスのお嬢様・高橋玲菜、清楚で真面目・内海栞、人懐っこいギャル・宮内愛海の3人には、膀胱が同年代の女子に比べて非常に大きいという特徴があった。 これは、そんな学校で普段はトイレにほとんど行かない彼女たちの爆尿おしがまの記録。 友情あり、恋愛あり、おしがまあり、そしておもらしもあり!? そんなおしがまクラブのドタバタ青春小説!

処理中です...