井戸端会議所

ほたる

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第四章・言霊

言霊・第五話

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 声を出さずに我々についてこい。余計なアクションを起こせばこの男を殺す。
 そう脅されたものの、仁美の視界には仁志しかいない。幻聴かと思うも、同じ言葉が反対の耳に向けられて言われることで、現実だと認識した。
 死にたくはないと、仁美は宣言した。しかし、それは仁志を犠牲にしても、というわけではない。この場では仁美は、姿の見えない声の主に従う他なかった。幸いにも、車椅子やスマホは部屋に置き去りにしたので、意図しない行方不明だと明らかだ。自分の生存の可能性がゼロから一になるだけ、十分マシだろう。
 仁美は身体が浮かんだ状態で、窓から連れ去られた。郁の話を思い出したが、明らかに背中をつり上げられる感覚で、今回はその状況でないと判断する。そもそも自分の部屋に窓がないはず、という件についても、外に繋がる空洞があるので、否定しきれない。あるはずのない壁の穴を見ていたが、外に出てある程度の距離を離れると、ただの壁に戻っていた。
 住宅街の上空を飛ぶように連れ去られる仁美。足の関係でアトラクションをあまり楽しんできてはいないが、高いところは平気なようだった。もちろん、状況的に楽しむことはできない。
 誰かが不意に上を見上げ、気づいてくれないだろうか、という浅はかな期待を抱くも、恐らく見上げることはないし、見上げてもその人の目に映らない可能性が高い。というのも、仁美を連れ去る人物は霊的なものだと確信しているからだ。壁を壊すことでない手段で穴を開けるという、物理現象を無視できるようなことができるのであれば、第三者の視界から映らないようにすることは容易いのではないか、と思える。
 仁美が連れ去られたのは、人がいない工場の中だった。日中でも活動していないのか、それらしい機械などはほとんどなく、何かを撤去した後のような広い空間がいくつかある。ドラマなどでヤンキーが抗争を仕掛ける場所だと、仁美は偏見混じりに思っていた。
 廃工場の奥に入り、狭い通路の先の少し開けた空間で、仁美は降ろされた。足は動かないので、もつれるように倒れ込む。
「バカ、何やってんだ。そこに座らせろ」
「でも、変に抵抗されたらイヤじゃないですか」
「どのみちあの足じゃどうにもならんだろ。それに厄災様を迎えるのであれば、雑に扱いたくはない」
 ここに連れられるまで十数分。その時間に、自身を連れ去った存在が何かを把握することができた。予想通り、本来は目に見えない霊的な存在で、郁からの話で考えると「悪霊」に値するもの。二人組で徒党を組んでいるようで、他の新たな存在は確かめてはいない。目的は十中八九、自身の中の厄災絡みだ。
 話し方から察した、下の立場の悪霊は仁美を再びつまみ、ちょうど良い高さの台に座らせた。先程よりは楽な姿勢だが、背もたれや手すりがなく、いつもよりは辛い。
「周りを見てくるが、変なことをしないか見張っていろ。まあ、逃げることはできないだろうが、自害されたら困る」
「へい」
 上の立場の悪霊がどこかに消えた。陰陽師を警戒しているのだろうか。
 目が慣れた、と言っていいのかは知らないが、仁美は悪霊をぼんやりと認識できるようになってきた。具体的な形状はわからないが、近くにいる、遠くにいるといった距離感がわかるまでは見えている。今も、下の立場の悪霊が、仁美の前で浮かんで、こちらを見ている気がする。
「あなたに、名前はありますか」
 コミュニケーションは、二人のやりとりで出来ることがわかっている。仁美はそう思って話しかけたのだが、反応はなかった。もう一度問うても結果は変わらず。
 このままずっとしつこく話しかけたら、何かしらの反応を得られるかもしれないが、仁美は自分の体力が再び減っていることを自覚していた。強引に連れ去られたことだけで、かなりのストレスがあるはずだ。仁美は話しかけることを止め、未だに安定しない自身の体勢の維持に専念した。
 上の立場の悪霊が帰ってきたのは、三十分ほど過ぎた後だった。
「家族は警察を呼んで、男は一人で探しに出たのか、見当たらない。だが今はこの周辺に陰陽師はいないし、始めから追跡している奴もいない。やるなら今だろう」
 どうやら入念に周りの状況を見てきていたらしい。だが長時間待たされたおかげで、仁美の息が荒くなっていた。
「遅いですよ、こいつがぶっ倒れると思いましたもん」
「厄災様が霊力を吸っているんだ。今すぐやれば、問題はない」
 少しやりとりをした後、上の立場の悪霊が仁美に急接近する。無臭だったが、圧力で息が詰まった。
「なあ、苦しいだろう。体力を捕られ、毎日寝るときは明日生きて起きれるか、心配だったろう。だが、俺らはその苦しみから解放させることができる。俺らはだな、ただ厄災様に謁見したいだけなんだ。そこから上手くいけば、その苦しみからは解放される。もちろん、解放って言うのは、死ぬって意味じゃないぞ。
 変なことをするわけじゃない。俺たちは傷つけようって魂胆でもない。ただ一言、俺たちと『手を組む』って言えば、それが実現する。言ってくれるかな?」
 言わずもがな、怪しさしかない。言い訳のような詐欺まがいの説明も、自分たちがしたいことを押し通したいだけで、こちらがどうなるのかが何一つ伝えられていない。
 だがそれでも、今の地獄のような状況から逃れられると思うことを、自分にデメリットしかなくとも、今の状況よりはマシかもしれない、と期待を持ってしまうことを、この二人組は期待している。その状況を突いた「救いの手」だと、あたかもそうであるかのように語っている。
 だがこの語りで、状況は大体わかった。ほとんどは推測に過ぎないが、その材料はかなり揃っている。
 まず、「厄災様」という呼称。「迎える」、「謁見する」という言い方から、明らかに敬っている。厄災には部下のような存在がいたのだろうか。そのような話は、聞いたことはない。
 しかし、厄災を上司にしたい、という気持ちが生まれることは予想できる。厄災はかなり古くから存在する悪霊の一種で、長い間陰陽師を退けている、とも言える。長い年月があれば、厄災を知る悪霊も増え、古来からの強者として敬う存在が現れることも、想像がつく。この二人組の悪霊は、仁美の中の厄災を表に出し、直接関わりたいのだろう。
 次に、ただ「手を組む」とだけ言わせたい理由だが、確実に言ってはいけないだろう。「言霊」という用語が存在していることからも、ただの言葉が何かしらの要因になることは十分にある。一度口にすれば、身体を乗っ取られるか、命に関わるか。どちらにしても、悪いことしか起こらないはずだ。
 もし仮に、この二人組が言霊に関する力を持っていなかったとしても、厄災側は必ずと言っていいほど、言霊か、言霊に近い力を持っているはずだ。
 厄災は、名付けられることで力を増す。霖太郎に対しても、言葉について熱く語っていたらしい。厄災が持ちうる力の中に、言葉に関する事象があることは明らかだ。
 そして何より、仁美は「手を組む」という言葉を、厄災から投げかけられたことがある。

 あの、私と手を組んでくれませんか!? 一緒に霖太郎くんを落としてください!

 ショッピングモールにて、火鈴曲留美から言われたこの言葉。ただ自分の恋愛に対して、協力を仰いでいるように捉えられるが、その後の霖太郎の境遇を知ると、言葉の意味が一変して聞こえる。
 元より、仁美はこのフレーズに疑問を抱いていた。「手を組む」は、基本的に利害関係が一致している状況で使われるべきである。あの時の状況で、仁美に言葉を投げかけるならば、「手伝う」という言い方が合っている。
 この「手を組む」という言葉が、何かしらのトリガーとしてのキーワードである可能性が高い。だがあの時に、何故曲留美はこの言葉回しをしていたのか。これに関しても、仁美は答えのアテがあった。
 手を組む相手は、仁美ではなかった。仁美の中にいる厄災に曲留美は既に気づいており、その厄災に対して、「手を組む」と言っていたのだ。そうなれば、言葉の辻褄が合う。
 手を組むなどとは、仁美の今の状況では、絶対に言ってはならない言葉なのだ。
「残念ですが、ご期待に沿うことは出来ません」
 仁美の言葉に、悪霊の表情が曇ったような気がした。それでも構わず、仁美は正面から言い放つ。
「私は生き残る。何故なら、あの人が生き残れと、私に言ったから」
「ふん、だが今まさに死にかけている最中ではないか。そのままそいつに見殺しにされたいのか」
「死にませんよ。あの人は私を助けるとも言ってくれましたから」
 これも、ある意味で言霊だろう。仁志が「生き残れ」というから、仁美は自分の身を投げ出すことを止めた。「助ける」と言ったから、待ち続けた。
 何の根拠もない、無責任と言われかねない仁志の言葉を妄信できるのは、強く互いに鎖で締め上げているような、呪いのような恋愛感情のおかげだ。
「だから、私は、あなたたちとは絶対に『手を組まない』」
 しばらく、静寂があった。工場内どころか、周辺にも人が寄りつかないようなこの環境では、誰かが話さないと吸い込まれるような沈黙に包まれる。
「これから厄災様の身体になるのだ。余計な手を加えたくなかったが、仕方ない」
 突然、上の立場の悪霊がそう言ったかと思うと、仁美との距離をさらに詰め、腕のような身体の一部を突き出した。仁美が声を上げる間もなく、伸ばした腕らしきものは仁美の腹を貫通する。
 血は出ない。臓器の損傷もない。痛みもなく通り抜けた悪霊の身体は、仁美の大事なある物を取り出していた。
 上の立場の悪霊は、ある特徴的な力を持つ。それは、本来干渉すべき物質を無視して身体を通せること。更に自分以外の対象にも、通り抜けられる権限を与える。その要領で壁を抜け、仁美と下の立場の悪霊を率いて連れ出していた。
 壁を通り抜けられるだけならば、一般的な霊と変わりないが、この悪霊は、通り抜けられる対象が異常に多い。遂には、本来干渉できなかったものでさえ通り抜けられるようになっていた。
「本当に、上手くいくんですかい」
 下の立場の悪霊が心配そうに聞いたが、上の立場の悪霊は自信ありげに答える。
「ああ、私の力を応用し、魂を守る防御壁から魂だけを外に出す。そうすれば、防御壁の中には厄災様だけが存在することになり、この身体の主導権を握られる。回りくどいが、こうでもしないと、厄災様の『器』を用意できない」
 ただ、仁美の中から厄災を取り出すだけでは、二人組の期待する結果にはならない。今の厄災は存在が小さすぎて、ろくなコミュニケーションを取れない上に、霊力切れですぐにでも消えてしまう。ある程度状態を維持するには、仁美の身体を支配してもらう必要があったのだ。
「『手を組む』と言ってくれれば、簡単に厄災様が支配してくださっていたはずなのだが、強情な女だ。だが結果は変わらない。
 厄災様、お目にかかれて光栄です。よろしければ、私たちを配下につけてくださりませ」
 そう言うと、二人組は姿勢を低くし、厄災を敬う態度をした。魂を抜かれたはずの仁美は、閉じていた目をゆっくりと開け、腕を動かし、悪霊達を指差した。
「表を上げよ。願いを聞いてほしいならば、今から私の言うことに従って……」
「待て」
 上の立場の悪霊が、言葉を遮った。そして姿勢を元に戻し、仁美の目を睨み付ける。
「厄災様じゃないだろう、お前。何者だ」
 下の立場の悪霊が動揺した。仁美、ではなく、仁美の中にいる何者かは、しばらく真顔で睨み返していたが、耐えきれずに笑いを吹き出した。
「厄災だよ? まあ百パーセント厄災かって言われたら多分違うし、何ならもう厄災じゃないって言っても過言じゃないっていうか、かつて厄災だったものって言うかー……。ああ、こう言えば確実か。

 私は、火鈴曲留美だよ」
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