井戸端会議所

ほたる

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第四章・言霊

言霊・第四話

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「私の顔に何かついてるか」
 口にしてから、なんだか恋愛小説のお約束みたいなセリフだな、と気がついた。しかしこう尋ねるのも無理はない。霖太郎の目線は、明らかに郁の顔に集中している。
「あ、いやその、変な意味じゃなくてですね……」
 聞かれてしどろもどろになるのもお約束通りだが、霖太郎の慌て方は明らかに上司に対する恐怖感そのもので、フラグでも何でも無い。
「あの、天王寺さんの表情が、以前あったときよりも柔らかいような気がしてですね」
 霖太郎の指摘に、郁は思わず自分の顔を触った。ニヤニヤとしている自覚はないが、そんなに緩んだ顔をしていたか。はたまた、今までの顔が強ばりすぎていたのか。
 どちらにしても、以前の時よりも柔らかくなることの理由は、郁自身もわかっている。芦々家の人間よりも、気を許せる存在が、ついこの間現れた。久しぶりに「楽しい」という感覚を覚えた気もする。
 少し思考を巡らし、フッと笑った郁。霖太郎はその理由も知らず、ただ突然笑ったことに怯えていたが、説明も面倒なので話を戻すことにした。
 今、二人は秋雨家の、霖太郎の部屋にいる。女性を部屋に上げたことは初めてだが、上司という属性が付属されているせいで別の緊張が勝って仕方が無い。
「お前の母親はむやみには動けない状態だ。今一番動くことが出来る秋雨家の人間は、お前一人。だからお前にはまず、ちゃんと動けるようになってほしい」
「う、動ける、とは」
「一般的な陰陽師のように、一人で仕事をこなせる人材になる、ということだ。聞けばお前は、簡単な除霊の仕事ばかりで、悪霊相手に身を守れる程の経験が身についていないようだな。まぁ、両親と離れた生活ばかりで、ろくに指導を受けることが出来なかった、という理由もあるが」
 秋雨家は芦々家の傘下にあるとは言え、独立しているような存在であり、コネクションは少ない。それに霖太郎が高校に上がる頃に、厄災の動きが活発化し、両親がいない日が極端に多くなった。今にして思えば、それも厄災が霖太郎を襲撃する計画の内ではないかと思うが、そのせいで霖太郎を観察する人がいなくなったことは確かである。
「そこで私がいる間、陰陽師としての指導を行う。つきっきりでは見れないが、やることを適宜伝達して、自主的にしてもらう形にする」
 芦々家の当主からの、直々の指導となると、霖太郎の緊張は限界値を超えかねない。
 だが、緊張はある理由で少しほぐれていた。
「まず少し座学だが、陰陽師として活動するのに一番楽な方法はなんだと思う? それは刃物に霊力を乗せて戦うことだ」
 問いかけてすぐに答えを出す辺り、指導に不慣れなことが丸わかりなのだが、霖太郎は特に言及しなかった。言及できなかった、とも言える。
 陰陽師の活動は、決して悪霊などとの戦闘のみではない。以前に霖太郎が公園でしていたように、害を成さないが未だに彷徨っている霊の成仏など、霊関連の事象を全て担当している為、必要な仕事の種類が多岐にわたる。
 だが、戦闘以外の仕事は圧倒的に楽である。というのも、除霊や成仏は自身の霊力を対象に当てれば簡単に完了する。悪霊系の除霊が難しいのは、単純に抵抗されるからだ。その為、陰陽師は霊力の扱い方を覚えた後は、基本的には戦闘能力を重視して教育される。
「武器の表面に膜を張るように霊力を乗せるだけで、十分実用的になるから、効率がいい。また、霊力を物に乗せた場合、物理的な威力が加算されるから、刃物と相性がいい。そういう理由で、初心者からは刃物の武器を扱うことを推奨しているし、慣れてからも有効だ。
 だが、刃物というと刀などが連想されがちなんだが、初心者にはあまり勧めない。刀よりも刀身が短い方が手元で扱いやすいし、重みがあった方が振ったときの威力が出やすい。それに、刀は刀身が細すぎて、雑に扱えば折れてしまう。そこで……」
 郁は自身のギターケースから、鉈を取り出した。刀身はランドセルにでも収まりそうなサイズで、刃の側面の幅が十センチ程度あるだろうか。刃の厚みもあり、霖太郎は触れてもいないが見ただけで重量感も感じ取れる。
「私はこういう鉈みたいな物を推薦する。さっき言ったデメリットをほとんど補っていることと、重量があるからその分威力に直結する点がポイントだ。状況とか相性で変えることもあるが、私は基本的に鉈を使う」
 確かに、霖太郎と初めて会ったときも、悪霊を倒すのに鉈を使っていた。仁美に短刀を突き立てていたのは、鉈だと周囲に気づかれるからであり、仁志と仁美を追って山に入ったときは、手に鉈を持っていた。
「というわけで、私が言っていることは持論と言えばその通りなんだが、少なからず的は射ていると思っている。大体わかったか?」
「あ、はい。僕が聞く限りでは、非の打ち所は無いと思うのですが、一つよろしいでしょうか。

 なんで僕のは中華料理用の包丁なのですか?」

 中華料理で使う包丁と言えば、四角くて薄い刀身の、あの包丁である。説明の前に郁に手渡され、なんだこれはと思っていたが、渡した後に説明する流れだったようだ。だとしても、腑には落ちない。
「それは中華料理用じゃない。そばを切るときのやつだ」
「そういうことを言っているんじゃないんですよ」
 ふざけているのかと疑ったが、郁の態度から見るに、ボケではなさそうだった。もしかして、天然でずれているのだろうか。
 今まで散々郁のことを怖がっていた霖太郎だったが、日数を重ねたからか、こういう返しを自然に出来るようになっていた。そのことに霖太郎が気づくのは、もう少し後である。
「単純に、鉈では初心者には重すぎるからだ。今私が言った持論の中で、重さの要素を除くとこの結果になる。霊力に対する強度は、こちらが霊力の張り方を工夫するだけで対策できるからな」
 理屈では合っているかもしれない。だが郁が鉈で戦うことに対して、霖太郎が薄っぺらい包丁で戦うのはいかがなものか。郁が言及していない「ダサさ」の要素が、今のところだとマイナス方向に吹っ切れている。
 そして、そのことに言及する勇気は、まだ霖太郎は持ち合わせていなかった。
「よし、まずは手元で扱えるように練習しよう。この部屋の中でも問題ないプランで進めるが、万一にも手元を滑らしたら、自分の部屋に穴が空くと思え」
 斯くして、霖太郎はこれから自身の戦闘能力の向上を目指し、日々鍛錬を積むこととなった。





 仁美と郁が出会ってから、一ヶ月程度は経っただろうか。定期的に置弓家を訪れていた郁だったが、その日は仁志だけが迎え入れた。聞けば自分の部屋で寝ているらしいが、まだ後午後四時頃だ。
「ここ数日は、午後になれば疲労が浮き彫りになってきました。昨日までは本人の意志で午前中でも登校していましたが、今日は流石に止めました」
 平日でこの時間に呼び出されたことに疑問を持っていたが、仁志の説明で腑に落ちた。仁志は付き添いの形で、一緒に学校を休んだのだろう。
「私が、連れ回した結果かもしれない、申し訳ない」
「いや、連れ回しているのは仁美です。仁美の意志を尊重して強く止めなかった、俺の責任でもある」
 仁志の返しに郁は目を丸くした。以前なら、郁のせいだと小言を言ってきそうな気がするが、仁美の不調で元気がないのだろうか。
 いつものようにリビングのテーブルに案内され、強制的に飲み物を出される。郁の正面に座った仁志は開口一番、別の話題を繰り出した。
「霖太郎に包丁振り回させているんですって?」
 話が急に変わったこともあるが、郁の予想から完全に外れた仁志の質問に、郁は咄嗟に回答できなかった。
「陰陽師から料理人にジョブチェンジするんですか」
「んなわけないだろう」
 やっとの事で自然にツッコミが入った。が、同時に心配も募る。
「……大丈夫か」
「何がです」
「普段言わなそうなボケを言っているぞ。頭は働いているのか」
「失礼ですね」
 郁に指摘されたことが嫌なのか、横を向いて頬杖をつく仁志。じゃあ何なんだと、郁が不思議に思っていると、
「……交流を、図っているんです。あなたと」
「交流……? 私のことを嫌っていたんじゃないのか」
「そりゃ嫌ってましたけど、あれから大分時間は過ぎましたし、それに……」
 少し言葉を詰まらせた仁志だったが、椅子に座り直して背筋を伸ばし、郁と正面に向かい合った。真剣そうなことを言うときにするその行動は、仁美と似通ったところがある。
「天王寺さんが当主になるまでの経緯、仁美から聞きました。俺には完全にイメージできる才能は無いですけど、辛かったことはわかります。そして辛かったからこそ、俺らにはそんな想いをさせたくないと、奮闘してくださっていると。正直、問題が解決するまで態度を悪くしようかと考えてましたが、仁美にあんなに熱弁されたら、信じない道理はありません」
 仁志と仁美の関係性は、少し異常に思えてくる。二人とも、エゴが固い人間であることは、郁もとっくにわかっていたことなのだが、そのエゴを変えられる要素が、お互いのエゴなのだ。
 だが、異常であることが二人の関係性を結ぶ最大の要素でもある。郁と葵の関係性も、異常と言えば異常だった。何か少し、人とは違う要素が互いに会って、それが奇跡的に噛み合った時、真実の愛などとは違うものだが、一種の魅力が生まれるのかもしれない。
(私と葵も、どっちもまともな人間だったら、出会いすらしなかっただろうしな)
 黙り込んだ郁に不審感を抱く仁志、こちらを見てくる仁志に気づき、郁は一先ず言葉を繋いだ。
「協力的になってくれることは、こちらとしても嬉しい。感謝する。早速だが、解決案が一通り出たとのことで、先に報告してくれるとありがたいのだが」
「わかりました、と言っても、どれも効果が薄いだろうという結論になってしまいましたが、一応。まず、これは俺の発案した内容で……」
 その後、郁と仁美は一通りの情報交換を終えた。例によって進歩はなく、仁美の容態が悪化していることのみが、前回と変化があったこととなる。
「もうすぐ暗くなるので、お気をつけて」
 正直、郁が気をつける心配事はほとんどないのだが、形だけでも了承した。フィジカルで打ち勝て、霊的な物に耐性がある郁は、基本的に敵無しである。
「それと、これからは高校にも行けなくなると思うので、是非日中にお越しください。今日はもう寝てますが、仁美もここで天王寺さんと会えると嬉しいと思うので」
「ああ、だが、そうだな、遠慮しておく。こっちの作業予定だと、日中にそっちに行けるタイミングはあまりない。恋人であるあんたが側についてやってくれ」
(時間が過ぎ、仁美の容態が悪化しても、解決策の進捗はない。少しでも、糸口を探る時間に費やさないと)
 思考を巡らしながら帰る郁を見届けた後、仁志は仁美の様子を見に、部屋に入った。
 少し前に仁志が離れた時から、寝ている体勢も変わっていないようだ。深く眠っており、まるで残り少ないエネルギーを増やすことに集中し、その他生命活動以外の動作を制限しているようだった。
 そんな状態の仁美を起こすわけにはいかないが、仁美はまだ晩ご飯を食べていない。エネルギーを増やすには、食事も重要になってくる。仁美が起きるか、眠りが浅くなったタイミングを見逃さないために、仁志は仁美のベットの横に座った。
 仁美と顔の高さが合い、寝顔がよく見える。こうしてまじまじと見ていると、可愛らしく、愛おしく、そして同時に儚いという感情が、仁志の内側を満たしていった。
 数年前、仁美が下半身の自由を失ったときも、病院で寝顔を見たことがある。顔つきや寝顔は大きく変わってはいないだろうが、あの時の仁美は、安堵感に溢れていた。仁志を脅かす偽の両親の問題が解決し、仁志の下半身の自由も守ることができ、何より、仁志に想いを告げたことで、これからは遠慮無く接していけるという、今までの重い枷が全て外れたような、開放感があったのだろう。
 今はどうだろうか。辛い現状の中でも、郁と交流する姿は楽しそうで、仁志の顔を見ると笑顔で話しかける。だが、その表情には安堵感は少しも無い。何も安心はできない。何か別の楽しいことや嬉しいことがあっても、これから死ぬかもしれないという不安は常に心の中で同居し、精神に傷をつけている。
 それは、どうにも耐えられない。仁志自身が傷つくよりも、仁美が傷つく方が、仁志の胸は痛くなる。
「俺はいるぞ。ずっと側に」
 仁志は起こさないようにそう呟き、仁美の手を取った。冷たい感触でドキリと心臓が跳ねるが、呼吸で仁美の胸が上下していることを確認して安堵し、温めるように自身の両手で包み込む。
「だから、あと少しじゃない。ずっと、近くにいてくれ」
 仁美を長時間見守ることは、仁志にとっては退屈でも苦痛でもないので、余裕である。むしろ仁美の寝顔を見続けていられるので、一種のご褒美にもなり得る。
 だが仁志は、仁志自身の疲れを忘れていた。自分の恋人を見て胸を痛め、苦しんでいることを勘定に入れていなかった。仁志の身体は時間が経つほどに傾き、遂にはベッドに頭を預けて、眠り込んでしまった。





 意識を取り戻した時に感じる熟睡感。授業中であったら、と肝を冷やしかけるが、休んだことを思い出して、一度落ち着き、身体が慣れてから状態を起こす。
 リビングの方から、カチャカチャと皿の音がする。晩ご飯の準備かと思ったが、音の感覚を考えるに、後片付けの作業のようだった。両親は寝ている自分たちに気を遣い、先に食べていたのだろう。
 そうだ、晩ご飯だと気づき、仁志は仁美の状態を確認する。自分で晩ご飯のタイミングを図ると決めておきながら、眠ってしまっていたことを反省していると、

 仁美が、見当たらなかった。

 晩ご飯の時に寝ていたのは俺だけか、と考えた。そう考えたくて、思考が逃げた。その逃げの思考を潰すかのように、仁志の横には車椅子が置かれていた。
 ふと、身体の横から風を感じることに気づく。エアコンは動いているが、真横からの直接的な風に思わず振り向くと、外の光景が見えた。
 まさかそこから外に、と考えるも、それはあり得ない。置弓家の家は、リビングにしか窓がないはずだ。そのことに気づいた仁志の思考に呼応するように、外だと思った方向はただの壁であることに気づく。
 何だったのか、幻覚か。それとも夢の中か。そうでなければ、この超常現象は説明がつかない。本来ならばそう考えつくかもしれないが、仁志は生憎、その超常現象を説明できる要因を知っている。
 不意にタイミング良く、郁の話を思い出した。

 風船のイメージが多分近い。そして壁ではなく膜になった防護壁は、やがて破れて、魂が外に出る。浮いていた肉体は突然重力に引っ張られて、落ちる。その時が、その人が死んだ瞬間だ。

 訂正する。思い出したタイミングは、明らかに悪かった。だが、まだ反論ができる。
 絶望に突き落とされる感覚で、足下がふらつき、視界が霞む。
 仁美に余命があると知った時よりも、深く深く沈む感覚だった。
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