井戸端会議所

ほたる

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第三章・月想い

月想い・第八話

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「憑依できないはずなのに、実は憑依できるとか、あるかもしれないんじゃないですか」
 まだ仁美の調査から一分ほどしか経っていないが、沈黙に耐えられなくなったのか、仁志が郁に聞いてきた。
「厄災の専門は秋雨家で、あんたじゃない。あんたの想像の域を超えたことが起きるとは、考えていないのですか」
 どうにかして、仁美が厄災じゃない道を探りたい、という願望がモロに見える。その態度にため息を吐き、郁は仁美の方を見たまま、口だけで返答した。
「あるかもしれないが、基本的にない、と考えるのが普通だ」
「どうしてですか」
「霊力は人体を通り抜けられないからだ」
 少し斜め上の答えに、仁志は思わず郁を見た。郁は仁志を突き放そうとしているわけではなく、ただ淡々と事実を伝える。
「人間は、筋肉や骨で内臓を守るように、霊力を通さない防護壁を持っている。これによって、外部からの霊力の侵入を防ぎ、自身の魂とも言える大事な霊力を守っている。憑依は、その魂に干渉しなければ、成り立たない」
 人間が死に、身体と一緒にその防護壁を失い、魂が外に出た状態が幽霊で、悪の感情を持った者が悪霊である。基本的に死なない限りは、自身の魂は外に出ない。
「え、憑依は存在しているんですよね。でも防護壁がある以上、魂に干渉は出来ないんじゃ」
「憑依するために、防護壁を突破する手段を持っているんだ。ピッキングみたいな高等技術だと思えば良い。逆に言えば、そんな高等技術ができる奴はは少ないし、憑依以外の特技を持ち合わせていないことも多い。
 厄災は、今までの記録から憑依の技術を持っていないことが確認されている。憑依の技術が無いならば、防護壁の内部に侵入する術は、今のところ見つかっていない。そしてヤツからは、その防護壁の内部から、厄災と思われる感覚を得られた。憑依がないのならば、一から人体を作る厄災の力によるものだと疑って当然だ」
 飲み込んだり、傷口から血管などに入り込んだとしたら、と聞こうとして、仁志は思いとどまる。食道などは、口から肛門までの空洞で、厳密には体内ではないし、血管や皮膚の組織に入り込んだとしても、きっと魂と防護壁は、さらに内側だ。今パッと考えついたことを、歴代の陰陽師が思いつかなかったはずがない。
 反論が出来ずに、俯く仁志だが、一紗の声で顔を上げた。
「調査が、終わりました」
 仁美は疲労が溜まったのか、ぐったりとうなだれている。仁志が駆け寄って声をかけると、か細い声で返答が返ってきたので、一先ず安心した。その後ろから、郁が歩いて近寄る。
「どうでしたか」
「ええ、天王寺さんと、息子が感じたとおり、厄災は防護壁の内部にいます」
 思わず、仁志は振り返った。さっき郁から説明された最悪を、言語化されてしまった。
「やはり厄災か、……待て」
 郁がそう言って、一紗を二度見する。郁の引っかかっている点がわかっているのか、一紗は難しい顔で続けた。
「そうです。『内部』にしかいません」
「どういうことだ、憑依持ちではないのだろう。だったら内部だけでなく、『全身』が厄災のはずだ」
 霖太郎に近づいた厄災は、お札によって服を残して余すことなく消えた。一から身体を作るのならば、厄災に適合するのはその全てのはずだ。
「身体は、仁美さんのものです。その中に、厄災が『ただいるだけ』なのです」
「ただ、いるだけ、ですか……?」
 仁志の口から言葉が漏れた。一紗は仁志と仁美を順番に見て、また郁に視線を戻し、静かに詳しい解説を始めた。
「憑依は、防護壁を突破し、魂に干渉することで完成しますが、この厄災は、防護壁の突破しかしていません。だから仁美さんは操られてはおらず、自分の意志をしっかりと持っていることになります」
 先程、憑依ではないならば防護壁内に侵入できないと、聞かされたばかりだというのに、これはどういうことなのだろうか。そのことに言及しようと思ったが、一紗の説明がまだ続く。
「恐らく防護壁で、今まで厄災を感知できなかったと思います。そんな中、息子が厄災に名前をつけたことで、厄災が強大化し、防護壁越しに厄災を認識できるようになった、という流れが、一番もっともらしいです。ただ……」
 一紗は、まだわからないことがあるのか、ここで口を閉じた。郁が続けるように促すと、言葉を選びながら丁寧に説明する。
「厄災が強大化すると、自身を維持するために、霊力をより多く手に入れる必要があるはずです。しかし、仁美さんの霊力はほとんどありません。以前は厄災としては微弱な存在で、その量でも賄えたかもしれませんが、強大化した今、仁美さんの霊力だけでは維持できないと思うのですが……」
「その霊力って、使い切ったら二度と新しい霊力が湧かない、とかってあるんですか」
 仁志の質問に、一紗が目を丸くする。何か変なことでも言ったか、と不安になったが、驚いたのは、霊力という曖昧な表現の物質の話に、一般人である仁志がついてきていることに対してだった。
「いえ、休養をとれば一日足らずで全快するのが普通ですが」
「あ、そうなんですね。実はこっちでも似たような話があって、『エネルギー』っていう表現をしているんですけど。それは複製によってしか作れなくて、エネルギーを使い切ってしまったら、複製元がなくなるので二度と回復しない、っていう欠点があるんです。霊力も同じなのかな、と思ったんですけど、」
「それだ」
 話せば長くなるような、エネルギーの話をどう区切ろうかと思っていた仁志だったが、その話は郁によって強制的に止められた。郁に良い印象を抱いていない仁志はムッとしたが、一紗は素直に話を聞く。
「さっき私に撃ってきた銃の弾、それが今言ったエネルギーなんだろう」
「そうですけど」
「厄災が栄養として盗っているのは、そのエネルギーとやらじゃないか」
 どういうことか、と不満そうな顔のまま、仁志は無言で目で郁に聞くと、郁はそのまま自分の推測を述べた。
「私の感覚に過ぎないが、あれは恐らく、霊力の元となるものだ。エネルギーを変換した物が霊力で、厄災はエネルギーを取り込んでる、となると、今も生存している理由になるんじゃないのか」
「霊力の変換前のエネルギー、ですか? そんな話は聞いたことがないですが」
「ああ、だから第一発見者は私たちだ。そうなると、霊力に関する不明点が説明つくはずだし、既存の定義も矛盾なく変更できる。既に私の頭の中でいくつか証明できたから、他の点でも考えて、当てはまったのならば正しいということだ。それに私がさっき感じた感覚も、霊力変換前と考えると自分で納得できる」
 どうやら霊力の考え方が、根本的に変わるらしい。一から霊力が生成されると考えられていたが、今この時を境にガラッと変わり、一紗はそれについて行けずに困惑していた。
 対して仁志は、陰陽師のことをほとんど知らないので、端から理解していない。ただ一つ、仁志は思いついたことがあった。
「待ってください、それじゃあ仁美はずっと、エネルギーを奪われ続けて来たんですか」
 仁志が言語化した瞬間、ずっとうなだれていた仁美の口から、息を呑む音がした。
「仁美は、元からエネルギーが少ないって、本人から聞きました。もしそれが、ずっと厄災から横取りされていたからだとすると、」

 私は、持っている器の能力が著しく低かったから、売られた。
 エネルギーを効率的に作れない、溜める容量もない。エネルギーに依存しているあの星では、私はいらない子だった。

「名付けられて、強大化して、さらにエネルギーを欲するのだとしたら、仁美からはいずれ、エネルギーが、」
 ここ最近、仁美は異常に疲れることが増えた。最近とは、いつからか。
 霖太郎に、あの厄災の件に関わってからだ。
「霊力と違って、エネルギーはゼロになったら二度と増えない、それが全身の器で起こったときは、その時は、」
 その時は、仁美の生命活動が終わる。
「……エネルギーが、生命の根源なのか?」
 二人の空気から、聞くまでもないとは察していたが、郁はそう口にした。そうじゃないと否定してほしい節も、少なからずあった。
「エネルギーだけではありません。他にも命の元となるものはあります。けれども、一つたりともかけてはならないものです。
 ……エネルギーが欠ければ、それは命ではなくなります」
 仁美が、震える声で、自分の身に降りかかっている危機について述べた。仁美には言わせたくなかったことを。だが仁志自身も、そのことは口にしたくなかった。言葉にすれば、現実になり得る。言葉の危険性を、厄災で学んだばかりなのだから。
 そして仁志は、今にも爆発しそうな感情を押さえ込めるほど、強くなかった。
「どうにかしろよ、おい」
 ギロリと睨み付けたのは、郁に対してだった。郁は自分の仕事を果たそうとしたと、少し前に理解したところだったが、そんなことはとうに忘れ、強い恨みを場違いの相手に向けていた。
「お前に言ってんだよ、散々追い回したツケを、今ここで払えっつってんだよ。あんた当主って言ったよな。陰陽師で今一番上にいるんじゃねぇのかよ、だったら今、この場でこの状況を何とかしやがれ!」
 自分が何も出来ないから、誰かにすがる。それも最悪な態度で。この時の自分の惨めさを見返したならば、しばらくは顔向けできないほど、情けない姿だ。そのくらいは自覚している。
 だが、堰を切ったように止まらない。この態度で仁美が助かるなら、惨めな姿を見せるぐらい、いくらでもする。
「秋雨家の力、届きますか」
「いえ、期待されない方が……。防護壁の内側には、誰も干渉出来ないことはご存じでしょう」
 郁と一紗の会話に、仁志は再び、声を荒げようとした。だが、
「仁美っ」
 視界の端で、仁美が前傾姿勢で車椅子から落ちる光景を捉えた。仁志は反射で手を伸ばし、地面に接触することを防ぐ。
「大丈夫か、今は頑張ってくれ、絶対に、必ず、助かる方法はあるから」
「ねぇ、あなた」
 今にも消え入りそうな声。自分の呼吸も止めないと聞き取れないような気がして、仁志は息を止める。
「あなたに、言われたから。私も、誓ったから。大丈夫、諦めないよ。

 最期まで、あがくから」

 言葉通りに捉えられるか。それとも詳細に語らなかった、裏の意味が含まれているのか。少なくとも今の仁志には、ポジティブに考えられる余裕は皆無だった。
「―――――俺は」
 腹から声を出さないと、音が出ない気がした。目を閉じかけている仁美の顔を持ち上げ、面と向かって話しかける。心臓の音が頭に響き、自分の感覚が真上につり上げられる。暗かったはずの周りが次第に明るくなり、なんだか輝いているようにも見え始めた。
「俺は、お前を、」
 ここから先の記憶は、自分が何を言ってどんな態度をとったかは、どう頑張っても思い出せなかった。





 タクシーの助手席に座ると、後部座席が見えない。だから自分から進んで座った。
 運転手は先程、仁志と仁美を山まで送った人だった。怯えながらこちらを伺う素振りを何度も見せるのだが、ボンネットを叩いて驚かせたのは自分なので、無理もない。
 山を下りる道路には最低限の街灯しかなく、タクシーが照らす目の前の道しか、安全な視界はない。その様子を眺めながら、郁の顔つきはますます悪くなる一方だった。
(この視界と同じだ。目の前の状況しかわからずに、一寸先は闇ということを肌で感じる)
 死の宣告をされたのと同義な仁美を、どう救えばよいか。効果的な対策を思いつくことなく、その代わりに、自分を急き立てる声が頭に響く。
(私が、当主だ。何でも私が解決すればよいという話ではないが、解決の最前線には必ずいなければならない)
 仕事として果たしていたとはいえ、仁美を追い詰めたのは自分だ。責任を負うという意味でも、郁は仁美の問題に向き合う覚悟でいた。
 そして何より、仁志と仁美は、昔の自分と、
 ふと視線を感じて、郁はバックミラーを見た。後部座席には仁美と仁志、一紗が座っている。助手席に座ったのは、二人と横並びしてはいけないような気がしたからだ。
 仁志はあの後、色々とまくし立てた後に、電池が切れたかのように気絶した。仁美も意識が混濁しているので、一紗と後部座席に押し込んだのだが、
 バックミラー越しに、強く睨み付ける仁志と目が合った。
(そりゃあ、今は私が一番の捌け口でしょうよ)
 鋭く刺さる、反抗的な目線。その目線を、郁は以前にも見たことがある。今と同じように、鏡越しに。
(同じだ、あの時と)



 光がほとんどない視界の中、結晶体が砕ける音が響く。僅かな光が結晶の欠片と相まって、先程までなかった輝きを発生させた。
 その中に、まるで宙に浮いているような人物が一人。
「郁っ!」
「ああ、その為に、私がいる!」
 その人物の叫び声と呼応するように、郁もまた叫び声を上げた。裸足で全速力で駆ける郁は、割れ始めている地面の一歩手前で地面を蹴り、走り幅跳びのように前に飛び出した。
「いくぞ、あおい!」
 その人物に一直線に突っ込んだ郁は左手を伸ばし、腰を掴んで自分の身体に引き寄せた。



 仁志は思わず、動揺した。バックミラー越しに目が合った郁が、何故か少し笑った気がしたからだ。誰も笑ったところを見たことがないような人が、何の因果だかわからないが突然笑った。そんな感覚で、郁の顔を見る。
 郁はバックミラーから目線を外し、目を閉じて自分の心を落ち着かせる。当主としての焦りを捨て、郁個人の意志で、この先どうするかを決意するために。
(あの二人は、過去の私と同じかもしれない。だが、本当に同じにさせるわけにはいかない。同じになると、もう二度と、互いに会えなくなる)
 目を開き空を見ると、月が浮かんでいた。夜空の月に想いを馳せるほど、余裕があるわけではないが、郁は月に関連したある逸話を連想した。
(有明の月、だったかな)
 夜空に浮かぶ月を見て、遠く離れた場所にいる想いを寄せた人も、同じ月を見ているだろうかという、平安時代の日記に綴られた話。物理的に離れた相手に対する話ではあるのだが、死別した相手に対しても、考えようでは適用できる。
 もちろん、そのようにはさせない。二の舞は、何が何でも阻止しなければならないと、自分の意志がそう言っている。
(必ず、助け出す。この先もずっと、二人が互いに一緒に居続けられるために)
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