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女魔王イブリータの奸計

甦る英雄たち

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 大戦墓苑には英雄たちが眠っている。眠っている?そんな詩的な表現は似合わない。魔王との戦いの最中、王族軍の魔導師が発動した超重力魔法に巻き込まれ、金属製の円筒シリンダーのなかに封印されてしまったのだ。
「私のすぐ近くにいた。これがたぶんお前の父であろう。お前と同じ匂いがしている」
 クンクンと大げさに鼻を鳴らすイブリータ。つられてソフィアも鼻から空気を吸ってみたが、感じるのは腐臭ばかりであった。
 ソフィアが思わず咳き込んでしまうなか、闇のなかから現れたのはまだ肉の残る骸骨魔道士であった。燻銀の魔法杖ワンドを手にし、黒く汚れ襤褸となった魔導服は凄愴な美しさを醸し出している。顔は朽ち果ててわからずとも間違いようのない目印があった。骸骨魔道士が掛けている首輪は打倒した魔人たちの首級で作られていたのである。髑髏剣士スケルトンに混じって歩いていても、見ればすぐに分かるし、忘れない。
「父の二つ名は『髑髏の回復魔道士』。これが我が父、バーク・ラズモフスキーであることは間違いないでしょう」
 ソフィアは言う。まさか亡父とこんな形での対面することになろうとは。
「お前を人質にしたのはこの男がお前と血縁にあると思ったからだ。魔王を滅びに追い込んだ英雄の親族とあらば、蝶よ花よと大切に育てられ、要職に就いているのであろう。人質は価値ある者でなければならぬからな」
 魔王イブリータは自説を披露したが、その考えはおおよそ間違っていた。先の魔王大戦の功労者は王族軍の魔道士ということになっており、冒険者の名前が貢献者にあげられることはない。バーク・ラズモフスキーの名を知る者は少なく、伝承歌に『髑髏の回復魔道士』の名で登場するにすぎなかった。ソフィアは彼女の母親と亡き父の友人たちが苦労して育てたのである。特権階級とはほど遠い。魔王が考えるほどに人間社会は甘くはなかった。
「それにしても、殺しもころしよったものよ。こやつらが我が分身たちをすべて斃しおった」
 不思議と軽やかな口調でイブリータは言うのは、今や自分の味方だからであろうか。
「仲間たちも見せてやろう。お前らにとっての大英雄。わしらにとっての大悪党を」
 魔王イブリータは、錬金術であたりの土を加工し階段を作っていく。手摺までついた立派なものだ。
「どうぞ我が姫。お手をとりしましょうか?」
 尖った爪のある手を差し出すイブリータ。
「そこまでのご親切はけっこうです!」
 ソフィアは言う。親切めかしても何をされるか分かったものではない。
「では、ただ、ついてまいれ!」
 鼻で笑い、一転して横柄な口調になり女魔王は言った。
 蒼い炎のともるカンテラを提げてイブリータは地下へと降りていく。後についていくソフィアに見えるのはイブリータの背中だけである。
「魔法というのは何でもできそうでいて、その実、できないことがたくさんあるのだ。全くの無から有を生じさせることはできない」
「私も回復魔道士の端くれ。わからぬ話でもありません」
「左様か。あの父の娘であるからな」
 そして、二人は墓地の最下層にたどり着いた。
 青い光に照らされて暗がりから現れるものがある。得物を抱えた魔王大戦の強者つわもの。手にてに、大剣、戦鎚、大槍を持っていた。そして、その後にはもう少し小ぶりの武者たちが連なっている。そして、最後には無数の髑髏兵士スケルトンが続いた。すべて亡者だ。
「これが我が新しきつわもの。手順通りの戦いしかできぬ生命なき哀れな兵隊たち。しかし、あなどるなかれ。彼奴らは、この女魔王イブリータがこさえたものたちよ。どれも一騎当千の殺し屋である。さらには私のとっておき。隠し玉も用意しておる。お前は最も安全な場所で見ておればよい」
 イブリータがそう言い終わると、ソフィアは身体の自由が効かなくなった。魔道士である彼女には何が起きているのか分かった。イブリータが魔力で拘束しているのである。細い魔術の糸で全身を絡めとられ、首から上の自由しかない。喉が自由にならないため、喋ることもままならなかった。
「身動きとれぬお主をもてあそんでやる、と言いたいところだが、私には時間がない。間もなく多くの客人がやってくる。私はこれから料理の最後の仕上げに入る。しかと見ておれ」
 そして、ソフィアは見た。女魔王の奥の手を――それを見たソフィアの目は興奮のあまり充血した。いけない。それを知らぬまま戦えば、どんな多勢をもってしても勝機は薄い。イブリータは返り討ちを狙い、それができるだけの力を持っていると。すでに自由を失っている喉がそれでも叫びをあげようと動くほどの恐怖がそこに控えていた。
「お前にはもう何もできぬ。最も安全な場所からすべてを見届けよ。すなわち、女魔王イブリータの生命を触媒とした結界のうちで」
 イブリータの言葉とともにオレンジ色の光がソフィアを包み込み、ガラス状に固まった。それこそイブリータの結界であった。
「わが生命ある限り、それは破れぬ。そして、それが破れたとき、すでに戦いは終わっている。楽しめ、女よ」
 これから始まる生命のやり取りをただ見ているしかない。ソフィアの瞳には無念の涙が溢れ、自由にならぬ口からはよだれが滴るのだった。
「さて、仕掛けは終わった。いよいよいくさぞ」
 女魔王は鋭い牙を見せて笑う。用意は上々。宣戦布告も済んでいる。
 イブリータが背中に意識を集中すると、肩甲骨のあたりから黒い翼が生じた。上級魔族は飛翔できるのだ。
 夜のうちから武力行使を開始した。女魔王は闇夜でも見通すことができるのだから闇を利用しないはずがない。
 大戦墓地の外へ溢れ出す死者の群れ。最も簡単で人族が嫌がることを実行に移す。即ち、焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くすこと。魔族である自分にとって価値があるものかどうかは関係ない。ただ、人族に痛手を加えられれば良いのだ。忌み嫌われることに価値がある。
「王よ、早く軍隊をよこせ。流れる血潮で染められた石畳こそ、私の花道である」
 魔王は燃え上がる村を瞳に映しながらひとりごちるのであった。
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