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44.愛人の役割
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那岐は小さく息を吐いた。
「仕事では襦袢を着てたけどな。まあ、何か着たところで、どうせすぐ脱いでしまうんだから必要もないか」
「馬鹿ね。雰囲気づくりも大事よ」
呆れた顔で穂香に怒られる。
「そうだわ。それなら、襦袢を作ってもらいましょ! 早速、仕立て屋を呼んでもらうように頼んでおくわ。色は何がいいかしら。ね、弥生」
退屈を持て余す穂香は、新しい楽しみを発見した。
その笑顔は、穂香が仕切るつもりでいるのだと分かった。生き生きとしている様子に水を差すのも悪いように思える。
「那岐は何色が好きなの?」
「俺? 黒とか紺とか好きだけど……。仕事でも黒だったし」
「似合いそうね」
弥生は頷いたが、穂香は人差し指を立てると横に振って見せた。
「黒だと那岐のかっこ良さが引き立って、男らしくなっちゃうわ。祥月様には違う方がいいんじゃないかしら」
なるほど、と弥生が頷く。
那岐が着て似合うかではなく祥月がどう感じるかが大事とは、そんなところまで気を回すとはさすが穂香である。
黒の襦袢といえば、“遊華楼の那岐”を思い出す。
ここにいるのは、男を抱く橘宮の那岐ではない。黒の襦袢は、そういう意味でも違うと思えた。
今の那岐の立ち位置は、桃宮なのだから。
「それなら、赤……とか」
那岐はぽつりと呟いた。男に抱かれる桃宮と同じ襦袢の色だ。
「赤?」
少し驚いたように二人が那岐を見た。
桃宮の者たちが着ていた赤い襦袢を着る自分の姿を想像してみる。
橘宮での黒の襦袢の印象が強くて、それはあまりにも似合わない。
「いや、なしだ。二十五歳にもなって赤の襦袢とか無理だ」
那岐は苦い表情で頭を振った。
結局、生地屋を呼んで色合わせするところから始めることになった。
もちろん二人とも、同席するのだと言う。
那岐をネタにして退屈を凌ぎたいのだと分かってはいたが、楽しそうな二人を見ていると付き合ってもいいかという気持ちになる。
ここでの生活が退屈なのは、那岐も十分に身に染みている。
那岐は腕を組むと溜め息をついた。
「まあそれはそれとして、結局は雰囲気づくりなんて会話じゃないのか?」
何を着たところで、脱ぐまでの間だけだ。
透け透けのネグリジェほどの威力のあるものでなければ、バスローブであろうと襦袢であろうとさほど重要ではない。
例えセックスの為に遊郭に訪れた客にでも、雰囲気を盛り上げる会話は必要だ。
最初の頃は会話もなく行為に及んでいた祥月だったが、最近はよく言葉を交わすようになった。だがそれは、雰囲気を盛り上げるための会話ではなく、ごく普通の会話に過ぎない。
那岐も、雰囲気を盛り上げるための会話など、しようとも思ったことはなかった。
穂香と弥生はきょとんとした顔で那岐を見た。
「会話? そんなの、必要ないじゃない」
「まあ、そうなんだけどさ」
二人も那岐と同じく、祥月の性の発散さえすれば良いのだと割り切っている。祥月は甘い睦言など言わないだろうし、二人もそんなものを求めてもいないのだろう。
けれど、女性に対しては違うのではないかとも思っていた。
祥月の勝手さも、遠慮のなさも、キスをしないのも、それは那岐が男であることが理由なのだと。
「い、いや。別にしたいわけじゃないんだけどな」
何故かキスをしたがっているような思考になりかけて、慌てて那岐は頭を振った。
「だって、話さず訊かず、じゃない」
「ねえ」
顔を見合わせた二人に、今度は那岐がきょとんとする。
懐かしさを感じるほど、久しぶりに聞いた言葉だった。
那岐の中で、その言葉はすっかり過去のものとなっていた。
「え? 喋ったり……しないのか?」
弥生を見ると、不思議そうな顔が返ってくる。
「部屋に来たらすぐに始められるし、終わったら帰られるわ。皆そうでしょう」
「本当に? ちょっとした話も?」
今度は穂香を見ると、首を傾げられた。
「何を話すって言うの? 仙波様からも、余計なこと話すなって言われてるじゃない。そもそも何か話せって言われても、何を話せばいいのか分からないもの」
お喋り好きな穂香まで意外なこと言い出し、那岐は驚きを隠せなかった。
「……俺、だけ? 普通に喋ってるけど」
穂香と弥生は、目をぱちくりとさせ那岐を見た。
「へぇ、そうなの。無口なのかと思っていたけど、祥月様も喋ったりするのね」
「男同士で気が楽なんじゃないかしら」
あまりにあっさりとした、興味のなさそうな反応だった。
だが、言われてみればそれもそうだと思えた。
「なるほど、確かにそうだな。ここは女性ばかりだし」
周りに男はたくさんいても、配下の者ばかりでは立場上は気を許すこともできない。その点、那岐は年の近い同性で、口を滑らせても情報が外に漏れることもなく安心だ。
弥生の感想は、とても納得するものだった。
それなのに、一瞬でも自分だけが特別なのかと思ってしまったせいで、心の中にまるで澱のようなものが生まれる。
何に納得していないのか、不満に感じていることがあるということなのか、それは那岐には分からなかった。
「仕事では襦袢を着てたけどな。まあ、何か着たところで、どうせすぐ脱いでしまうんだから必要もないか」
「馬鹿ね。雰囲気づくりも大事よ」
呆れた顔で穂香に怒られる。
「そうだわ。それなら、襦袢を作ってもらいましょ! 早速、仕立て屋を呼んでもらうように頼んでおくわ。色は何がいいかしら。ね、弥生」
退屈を持て余す穂香は、新しい楽しみを発見した。
その笑顔は、穂香が仕切るつもりでいるのだと分かった。生き生きとしている様子に水を差すのも悪いように思える。
「那岐は何色が好きなの?」
「俺? 黒とか紺とか好きだけど……。仕事でも黒だったし」
「似合いそうね」
弥生は頷いたが、穂香は人差し指を立てると横に振って見せた。
「黒だと那岐のかっこ良さが引き立って、男らしくなっちゃうわ。祥月様には違う方がいいんじゃないかしら」
なるほど、と弥生が頷く。
那岐が着て似合うかではなく祥月がどう感じるかが大事とは、そんなところまで気を回すとはさすが穂香である。
黒の襦袢といえば、“遊華楼の那岐”を思い出す。
ここにいるのは、男を抱く橘宮の那岐ではない。黒の襦袢は、そういう意味でも違うと思えた。
今の那岐の立ち位置は、桃宮なのだから。
「それなら、赤……とか」
那岐はぽつりと呟いた。男に抱かれる桃宮と同じ襦袢の色だ。
「赤?」
少し驚いたように二人が那岐を見た。
桃宮の者たちが着ていた赤い襦袢を着る自分の姿を想像してみる。
橘宮での黒の襦袢の印象が強くて、それはあまりにも似合わない。
「いや、なしだ。二十五歳にもなって赤の襦袢とか無理だ」
那岐は苦い表情で頭を振った。
結局、生地屋を呼んで色合わせするところから始めることになった。
もちろん二人とも、同席するのだと言う。
那岐をネタにして退屈を凌ぎたいのだと分かってはいたが、楽しそうな二人を見ていると付き合ってもいいかという気持ちになる。
ここでの生活が退屈なのは、那岐も十分に身に染みている。
那岐は腕を組むと溜め息をついた。
「まあそれはそれとして、結局は雰囲気づくりなんて会話じゃないのか?」
何を着たところで、脱ぐまでの間だけだ。
透け透けのネグリジェほどの威力のあるものでなければ、バスローブであろうと襦袢であろうとさほど重要ではない。
例えセックスの為に遊郭に訪れた客にでも、雰囲気を盛り上げる会話は必要だ。
最初の頃は会話もなく行為に及んでいた祥月だったが、最近はよく言葉を交わすようになった。だがそれは、雰囲気を盛り上げるための会話ではなく、ごく普通の会話に過ぎない。
那岐も、雰囲気を盛り上げるための会話など、しようとも思ったことはなかった。
穂香と弥生はきょとんとした顔で那岐を見た。
「会話? そんなの、必要ないじゃない」
「まあ、そうなんだけどさ」
二人も那岐と同じく、祥月の性の発散さえすれば良いのだと割り切っている。祥月は甘い睦言など言わないだろうし、二人もそんなものを求めてもいないのだろう。
けれど、女性に対しては違うのではないかとも思っていた。
祥月の勝手さも、遠慮のなさも、キスをしないのも、それは那岐が男であることが理由なのだと。
「い、いや。別にしたいわけじゃないんだけどな」
何故かキスをしたがっているような思考になりかけて、慌てて那岐は頭を振った。
「だって、話さず訊かず、じゃない」
「ねえ」
顔を見合わせた二人に、今度は那岐がきょとんとする。
懐かしさを感じるほど、久しぶりに聞いた言葉だった。
那岐の中で、その言葉はすっかり過去のものとなっていた。
「え? 喋ったり……しないのか?」
弥生を見ると、不思議そうな顔が返ってくる。
「部屋に来たらすぐに始められるし、終わったら帰られるわ。皆そうでしょう」
「本当に? ちょっとした話も?」
今度は穂香を見ると、首を傾げられた。
「何を話すって言うの? 仙波様からも、余計なこと話すなって言われてるじゃない。そもそも何か話せって言われても、何を話せばいいのか分からないもの」
お喋り好きな穂香まで意外なこと言い出し、那岐は驚きを隠せなかった。
「……俺、だけ? 普通に喋ってるけど」
穂香と弥生は、目をぱちくりとさせ那岐を見た。
「へぇ、そうなの。無口なのかと思っていたけど、祥月様も喋ったりするのね」
「男同士で気が楽なんじゃないかしら」
あまりにあっさりとした、興味のなさそうな反応だった。
だが、言われてみればそれもそうだと思えた。
「なるほど、確かにそうだな。ここは女性ばかりだし」
周りに男はたくさんいても、配下の者ばかりでは立場上は気を許すこともできない。その点、那岐は年の近い同性で、口を滑らせても情報が外に漏れることもなく安心だ。
弥生の感想は、とても納得するものだった。
それなのに、一瞬でも自分だけが特別なのかと思ってしまったせいで、心の中にまるで澱のようなものが生まれる。
何に納得していないのか、不満に感じていることがあるということなのか、それは那岐には分からなかった。
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