愛を知らずに愛を乞う

藤沢ひろみ

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36.居場所

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 館に戻った翌日、那岐はテラスに顔を出した。

「あら。お帰りなさい」
「お久しぶりね、那岐」
 穂香と弥生は、相変わらずお茶とケーキを楽しみながらのんびりとくつろいでいた。

「お土産は?」
「視察はどうだったの?」

 少し的外れな質問をする二人に、呆れた顔になる。
「仕事で行ってるのに、土産なんかあるわけないだろ。視察するのも俺じゃない」

 穂香は差し出した手を残念そうに引っ込めた。
「でも、色んな地方を回って楽しそうだわ。私も行きたかった」

 遊びで旅行に行っていたと思われている。

「仕事なのに、皆ぞろぞろくっついてくわけにもいかないだろ」
「そうなんだけどぉ」

「きっと、行ったら行ったで大変だったと思うわ。綺麗好きの穂香が、毎日お風呂に入れなかったかもしれないもの。それに、那岐は私たちの分まで働いてくれたのよ」

 弥生は淡々と穂香を宥めた。
 風呂くらいは入れると、補足しておく。

 二人を見ていると、帰ってきたのだとますます実感させられた。

 やはり那岐は、この館で愛人として過ごすことにすっかり心身ともに馴染んでいる。
 そう気付くと、過去の自分について吹っ切れたように思えた。前向きなところが那岐のウリだ。

「長時間、馬車に乗るのは疲れたな。大人しくしていないとならなくて、外に出て歩きたいくらいだった」
 苦笑すると、那岐らしいと穂香が笑った。

 ちらりと弥生が視線を向ける。
「那岐は少し黙ってる方がかっこよく見えるから、静かなくらいがいいんじゃないかしら」

 弥生の言葉に、穂香が吹き出した。
「あはっ、言えてる!」

「おい。二人とも酷くないか?」
 だって、と穂香が笑いを堪えるように口元を押さえる。

「最初は大人しかったけど慣れてきたらよく喋るし、顔と中身ギャップあるんですもの」
「特にゲームをしている時にテンション高くなると、私より六歳も年上には見えないと思ってるわ」

「……」
 言い返すことができず、那岐は黙り込んだ。
 一緒に過ごす時間が多いだけに、メイドたち以上に色々と曝け出してしまっていたようだ。

 顔はいいのに残念だと言われているようで、少ししょぼくれる。
 やはり那岐の外見は、演技して作っていた“遊華楼の那岐”として振る舞う方が似合っているようだ。

「でも、中身までかっこよかったら困るところだったわ。顔が好みだから、恋しちゃうもの」
 思いもしない言葉が穂香から飛び出し、那岐はぷっと笑う。
「恋?」

「いけないわ! 私には、祥月様というお方がいるのに。この想いは秘めなくてはならないんだわ!」

 突然演技がかった穂香に驚くと、弥生が説明してくれた。
「どうせ今読んでるロマンス物語でしょ、それ」

「アレンジ加えてみたわ。どう?」
 退屈だと口にするわりには、いつも穂香は楽しそうである。

 ひょんなことからどう思われているかを知ったところで、那岐は溜め息をついた。

「それで、二人は留守の間どうしてたんだ? まあ、ここじゃ特に変わったこともないか」
 那岐はお茶と一緒に出されたケーキを口に頬張った。

「ここが退屈なのは変わらないわ。ね、この洋服素敵でしょ。買い物に出掛けたのよ」
 椅子から立ち上がり、穂香がくるりと体を一周させた。穂香の着る服は豊かな胸元を強調するものが多く、目のやり場に少し困る。

「でも、こんなに長く祥月様の顔を見なかったのは初めてね」
「そうね」
 弥生の言葉に穂香は頷いた。こういった視察は滅多にないということだ。

「そうだわ!」
 穂香が思い出したように両手を叩いた。

「昨日、第二王子様がご結婚されるという話を聞いたわ!」

「へぇ」
「おめでたいわね」

 反応の薄い那岐と弥生に、穂香はつまらなそうな顔をした。
「何よ。退屈な日常に飛び込んできたビッグニュースに、もう少し盛り上がりなさいよね!」

 第二王子といえば、祥月の三歳年上の兄だ。

 各王子に与えられた立派な館は本来、王族が結婚した後にその家族と住まうことを前提にされている。

 少し離れて隣に建つ第二王子の館が、きっと子供たちの笑い声などで賑やかになるのだと思った。それぞれの敷地は広いけれど、そんな様子がこの館にまで聞こえてくることもありそうだ。

 結婚することはないと祥月は言った。

 兄の結婚は喜ばしいだろうが、隣に住まう幸せな家族の姿を見てどう感じるのだろうかと考えると、少しばかり複雑な気持ちになった。

 それからの数日は、第二王子のめでたい話題のせいか、どことなく館内の空気が浮足立っているように感じた。女性はこういった話題が好きらしい。

 視察から戻って以降、多忙を極めている祥月とはしばらく会うことがなかった。不在の間に溜まった仕事や視察の後処理に追われ、勤めの間隔が空いているのだと想像していた。




 次に祥月と顔を合わせたのは、十日ぶりのことだ。

 久しぶりに夜に訪れた祥月に、那岐は恭しく祝いの言葉を述べた。
「お兄様のご結婚が決まられたそうで、おめでとうございます」

 少し驚いた顔で、祥月はガウンを脱ぐ手を止めた。
「知っていたのか」
「はい」

「婚約者殿とのご結婚の日取りがようやく決まったのだ。半年後にご結婚なさる」
 柔らかな表情は、祥月が喜んでいるのだと分かる。那岐の心配など杞憂に過ぎなかった。

 だが、上の王子が二人とも結婚となれば、周りの目も自然と次は第三王子の祥月に集まる。

 ごく限られた者しか、祥月の病気のことを知らない。娘との縁談を薦めてくる貴族もいるのではないかと、那岐にも想像がつく。

 祥月が嫌な思いをしなければいいのだけれど、と心配した。

 以前、祥月は結婚する意志はないのだということを話していた。
 けれど、王族という地位にあれば、結婚しないというわけにもいかないだろう。

「祥月様も……そのうち結婚されるんですよね」
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