上 下
3 / 34

1-2

しおりを挟む

 屋敷の庭にたくさんの見知らぬ花が咲いている。
 チューリップによく似た花が蔦状に伸びてアーチを作っている。
 そこを潜り抜けると、どろりとした透明なスライムが入った池があり、その池の上をスライムが意思をもったようにリズミカルに滑っていた。
 空は明るく晴れ渡っているが、そこに太陽の姿はない。月も星もこの世界の空には存在しない。
 とすればこの世界は太陽系ですらないということがわかる。
 だとすれば本当にお手上げなのではないかと気が沈む。
 結構頑張っていたソシャゲも、合気道もこちらで続きをすることはできない。
 
 はぁ、とため息をついて庭を横切った。
 刈り込んである生垣の隙間を通り抜けると、大きな木へと続く道がある。
 不自然に屋敷の敷地内にある木だが、いわゆるご神木というものだそうだ。十年に一度花を咲かせるこの木然はかなり珍しい品種だという話だが、私の目には普通の桜の木にしかみえない。
 今日が見ごろの薄桃色の花弁はひらひらと舞い落ちてきて、緑の芝生の上にたおやかに落ちていく。
 ちょうど今年がこの木の開花の年なのだ。
 せっかくのきれいな花だというのにこちらには花見をする習慣がないため、見に来るのはこの屋敷に人間だけだ。
 かなりもったいない。
 かすかに吹いている風に長く伸びた髪が流される。
 他になにか変わったものがないかと目を凝らして見回す。
 なんども来ている場所ではあるが、探さずにはいられない。

 茜であるところのリッチェルが倒れているのを発見された場所というのがこの場所なのだ。

 現場百辺とはいったものだ。
 この場所、というのがなにかキーポイントでもあるのではないかと何度も通っているのだが、何の進展もない。
 同じように芝生に倒れこんでみる。
 ざわざわと周りの草花も風に揺られて音を鳴らしている。
 はぁ、と何度目かのため息をつく。
 「服が汚れちゃった……」
 今日は紺色のワンピースを着ていたのでそう目立ったことにはなっていない。
 しかしこの後リッチェルの両親に会うことになっているため、着替えが必要だ。
 早めに準備しておく方がいいだろうと、立ち上がった。


 マダムに会うたびにリッチェルの容姿はマダム似だと思う。
 顔の横に垂らした黒い髪は緩くウエーブをかけたような癖があり、そのほかはまっすぐという珍しい髪質だ。
 目は角度によって色が変わる不思議な目をしている。偏光眼(へんこうがん)という珍しいものらしい。
 その眼を持つものはなんらかの才能を持っているというのが、この世界のセオリーなのだと言う。
 ということはリッチェルもなんらかの才能持ちであった可能性が高い。才能というのがどのようなものを指すのかはわからないが、その才能と私がこんな間に合っていることに因果関係はあるだろうか。
 マダムの名前はミーシェと言う。
 その豊満な体型はまさにひょうたん。
 細身のリッチェルは父親似だろう。
 無駄な肉がついていない。思春期の頃多少憧れたモデル体型というやつに大変近い。
 胸に視線が集まることもないし、太って見えることもない。胸が大きすぎていろいろと工夫して小さく見えるようにしていた茜からすればかなりうらやましい。
 こちらの服のセンスがまったくわからない。
 今日も何も言わずにメイドさんが選んで持ってきてくれた服になんの疑いもなく腕を通した。




 目の前で思案顔でこちらを見ているこの家の旦那さまのアスフォート・ジョアン氏を見返しているのは私だ。
 窓から光が差し込んでその困ったように見える表情に陰影をつけている。
 ダンディに伸ばしてある口髭は、私からすれば全く似合っていないと思うが、それはこの世界のことをよく知らないからなのかもしれない。

「学校か」
「はい……もっと知りたいことが、たくさん、あるので」

 区切りながら言った言葉には嘘偽りは一つもない。
 私はもっとこの世界について知りたい。
  主に魔法についてとか魂の概念とか。どこが別の世界の魂とこちらの魂を入れ替えたり、取り出したりすることが可能なのかどうかをはやく調べたい。
 それらの知識は魔法の学校に行って学ぶのが得策だ。聞いたところ教師の質はかなり良いとのことだし、あまりこの世界で浸透していない書物もかなりの量を図書館に所蔵しているのだという。
 メイドや両親に根掘り葉掘りこの世界の常識や魂の不思議を聞くのはさすがにまずいように思える。
 記憶喪失だからと気にもされない可能性もあるけれど、私は案外慎重派なのだ。
 身体が沈みこんでしまいそうな柔らかなソファに座り姿勢を正した私は、どうします、とでも言いたげな二人をじっと見つめる。
 入れてもらった紅茶にたっぷりとミルクを注ぐ。

「あまり言葉、うまくないので……心配ですよね。ありとうございます。でも記憶思い出すためにも、以前と同じ生活、したい、です」

 滑らかに話すことが出来ないのが悔しいが、ある程度の内容は伝わっているのでよしとしよう。 
 三人の間に沈黙が落ちる。
 駄目だと言われればそれまでだ。
 この屋敷の中だけで自分のいた日本に帰るためにあがくことになるだろう。
 ぶっちゃけ学校で誰と話せなくてもいいから書物だけでも読みたい。
 話をするのはまだへたくそだが、読み書きはかなり出来る。辞書があればその作業効率は格段に上がるに違いない。
 勉強は嫌いではなかったが、ここまで辞書が欲しいと思ったのは初めてだった。

「わかった。記憶を取り戻したいと思うのは普通のことだ。自分が何者かわからないというのは不安だろう」
 
 重々しく頷いた旦那さま言葉を聞いて、マダムも頷いてくれる。

「一人ではまだ不安だろう。だれか一緒に―――」
「一人で、大丈夫です」
「いや、あの学校はかなり広い。学園内に電車が通っているぐらいだ。誰かと一緒に行った方がいい」
 
 学園内に電車って広すぎるだろ。どういうことなの。
 規模の大きさに驚いてしまい、旦那様の言葉を了承したようになってしまった。

「誰か適任の人物はいたかな」
「……ジョアン、ほら、あの子はどう? リリアーナ嬢。 元気で素直な子だし、きっとよくしてくれると思うんだけれど」
「ああ……リリアーナ嬢か……。あの方は今お忙しくされているみたいだから、今回は難しいだろうな」

 知らない名前が出されては否定されていく。
 知り合いがたくさんいるようだがその名前どれもが女の子の名前だ。
 やはり一緒に行動するならば女の子の方が無難なのだろう。なにせ一応婚約者もいるわけだし。男と一緒に仲良くしているのは外聞が悪いのかもしれない。

「はぁ、なかなかよさそうな方がいらっしゃらないわ」

 マダムが少し疲れたようにため息をつく。

「いっそアイヴァンに頼んでしまおうかしら」
 
 マダムの言った言葉に、旦那さまははっとした顔をした。さも名案みたいな表情。
 えぇ、だってあの子私の三歳年下だよ?
 学校って学年が分かれていたりしないんですか。どうなのかな、それすらもわからない。
 実力主義とか言われたら私アイヴァンくんよりも学年下だと思うし。

「そうか、その手があったな」
「いや、年下だし……」
「あの学校は年齢は関係ない」
「そ、そうなんですか」

 じゃあやっぱり実力主義なのか。まったくこの世界のことを知らない私は冷や汗をかいている。テストとか言われたらたぶん全然できない。

「学校に在籍しているものは好きな講義を好きな時間に受けることが出来る。決まった数講義の最後にある試験に合格すればいい」
「なるほどです」

 ざっくり考えて大学みたいな感覚という事かな。自分で好きな講義を取ってその講義の単位を取る、みたいな?

「でもアイヴァン……くんも聞きたい講義、あるでしょうし……」
「そこは二人で話し合って決めればいいだろう。まぁ彼は優秀だから……。リッチェル、お前も譲歩というものを覚えなくてはならないよ」
「は、はい」

 譲歩とは何ぞや。
 自分で聞きたい講義を取って、それを聞いて役立てる。そのために学校に行きたいのに譲歩とは何ぞや。
 ……とりあえず学校に行くのを許してもらえただけで、かなり感謝だ。
 
「そうだな、では五日後から学校へ行かせることにしよう」

 五日後かぁ、それは準備期間としては長いのか短いのか。
 一緒について来てくれることになったアイヴァンくんには悪いけど、私は私の知識を高めるために妥協はしない。出来ない。
 茜はまだ見ぬ学校へと思いを馳せた。
 



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です

くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」 身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。 期間は卒業まで。 彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

クラヴィスの華〜BADエンドが確定している乙女ゲー世界のモブに転生した私が攻略対象から溺愛されているワケ〜

アルト
恋愛
たった一つのトゥルーエンドを除き、どの攻略ルートであってもBADエンドが確定している乙女ゲーム「クラヴィスの華」。 そのゲームの本編にて、攻略対象である王子殿下の婚約者であった公爵令嬢に主人公は転生をしてしまう。 とは言っても、王子殿下の婚約者とはいえ、「クラヴィスの華」では冒頭付近に婚約を破棄され、グラフィックは勿論、声すら割り当てられておらず、名前だけ登場するというモブの中のモブとも言えるご令嬢。 主人公は、己の不幸フラグを叩き折りつつ、BADエンドしかない未来を変えるべく頑張っていたのだが、何故か次第に雲行きが怪しくなって行き────? 「────婚約破棄? 何故俺がお前との婚約を破棄しなきゃいけないんだ? ああ、そうだ。この肩書きも煩わしいな。いっそもう式をあげてしまおうか。ああ、心配はいらない。必要な事は俺が全て────」 「…………(わ、私はどこで間違っちゃったんだろうか)」 これは、どうにかして己の悲惨な末路を変えたい主人公による生存戦略転生記である。

処理中です...