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彼女

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急がなきゃ。
1ヶ月が経ってようやく覚えることの出来たあの子のアパートへの道を、少しだけスピードをオーバーしながら会社の車で走る。
スピードメーターの横に表示されているオレンジに光っているデジタルの時計を見ると、もう少しで17時になるぞと警告された。
建物や複雑な道があるというわけではないのだが、昔から方向音痴である私には些か運転という作業は苦であった。
特に気持ちが焦っている時はてんでダメで、さっきも曲がらなくてはならない角を素通りしてしまった。
「…急がなきゃ」
今度は声に出して自分に言い聞かせる。
助手席では、彼女の為に買った物が入って膨れ上がったバッグが車と一緒に揺れていた。
「………」
それを目の端で捉えながら、ハンドルを少しだけ強く握る。
最近、あの子の様子がおかしかった。
何がおかしいと問われれば上手くは説明できないが、おかしい。
虚ろというか覇気がないというか、まるで魂が体からズリ抜けたように、おかしい。
元からあまり元気な子ではなかったけれど、特にここ最近は妙なのだ。
なにかを考えている仕草をしていたと思えば、急に苦い顔をして俯いたり、唸ったり、ブツブツとなにやらを言ったり。
私がいることなんて忘れているみたいに、自分の世界に没入してしまう。
少し心配だ。
ちょっと、似てる。
仕事柄遭遇する、死にたいと思ってる人に。
死にたいと思っている人の特徴に、似てるから。
「……はぁ、駄目ね。変なこと考えちゃ」
空がまるで、くすんで黒くなったオレンジの垂れ幕を何枚もずり下げたかのように、重く空気にのしかかっていた。
いつから夕日をそんなふうに感じるようになったのだろう。
あんなにきらきらで美しいと感じていたこの景色を、まるでチープな憂鬱の象徴のように変えてしまったのは、だれだったかな。
「………あ、また曲がりそびれちゃった」
ひとつため息をつく。
「………」
ああ、そういえば、彼女、ついこないだも気分が悪そうだったっけ。
…………………あっ。
「ふふっ…」
口角がほんの少しだけ上がった。
そうだ、思い出した。
だったら、大丈夫。
今までの私の悪い考えは、全てが杞憂だったようだ。
つい最近の、気分が悪そうだった時の彼女のあの顔。
あの時、確かに気分が悪そうで少し目の下に隈ができていた彼女。
そのことを思い出すと、ついつい笑ってしまう。
「ふふふっ」
ティーちゃんのあんな表情初めてだった。
あんな、恋に悩んでいるような顔は、初めてだった。
少女時代の私のような、いや、少女時代の誰もがするような表情。
美しくて、でもすぐに汚れてしまいそうな、綺麗な顔。
今年で20歳の少女の、あの気分の悪そうな目の下に隈のある美しい顔を思って、くすんでいて黒の交じったオレンジの空ではなく、いつの日か美しいと思えた空に向かって祈る。
どうか、その恋がくすみませんように。
きらきらで美しいままでいますように。
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